Fri 230707 今日は七夕/悪いネコが好きだ/三崎のまぐろ/横須賀で再びカレー 4406回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 230707 今日は七夕/悪いネコが好きだ/三崎のまぐろ/横須賀で再びカレー 4406回

 今日は七夕であって、旧暦を大事にする地方以外なら、保育園児に幼稚園児、小学低学年のオニーサンやオネーサンまで、みんなで短冊に願いごとを書いて「ササの葉サーラサラ」「軒端にゆれて」と合唱、彦星どんと織姫どんの年1回のデートがうまくいくことを祈るのである。

 

 もちろん、いろいろ難しいことをいう人もいる。「どうして『七夕』と書いて『たなばた』って読むんですか?」「そもそもどうして『たなばた』なんですか?」の類いの疑問であるが、その辺は「いい質問ですねえ♡」の高級オジサマに任せておけばよくて、ワタクシのあずかり知らぬところである。

(城ケ島「かねあ」に居ついた地域ネコ「みーこ」。ふとナデシコを思い出す 1)

 

 とは言っても、いちおうヒントだけは書いておきたいので、「七夕」はむかしむかし「しちせき」と呼ばれる宮中行事の1つ、手芸とかハタオリとか芸能とか、その種のことの上達を祈る静かなお祭りだった。

 

 そのお祭りと同時期に、農村地域では広くタネマキのお祭りが行われた。7月3日にこのブログに書いた「半夏生(はんげしょう)」の話を思い出してもらいたいのだが、7月上旬から7月7日の七夕までは「半夏生」、田植えや種まきが完了して「ヒト休み」の時期である。

 

 すると、タネをまく時期が終わったのを祝って、農村地域でも7月7日にはカンタンなお祭りが行われる。「タネをまく」は、漢字で書けば「種を播く」であって、略して「種幡」→「たねばた」まで来れば、あとは「たねばた」→「たなばた」への転訛まで一直線。これが7月7日の宮中行事といろいろに混同された(諸説あります)。

 

 だから、旧暦の東北地方の夏祭りは、「七夕」と「種幡」が微妙に絡まりあっている。仙台の七夕はググッと「しちせき」に近く、秋田の竿灯祭りはググッと農村の「種幡」の痕跡を強く残し、踊りや若者の乱舞が特徴のその他の祭りは両者の混合の痕が著しい(諸説あります)。

(城ケ島「かねあ」に居ついた地域ネコ「みーこ」。ふとナデシコを思い出す 2)

 

 ま、小難しい話はその辺でとどめておいて、ネコどんの話に移行しよう。何しろワタクシはネコたちとの生活が長いから、「ササの葉サーラサラ」「軒端に揺れる」の七夕だとか、3月3日のお雛さまのお祝いが、ネコたちにどんな刺激をもたらすか、今でもよーっく記憶している。

 

 そもそも諸君、ササの葉がサーラサラ「軒端に揺れる」なんてことになったら、その光景はネコたちにとってまさに「大型ネコジャラシ」「特設ネコジャラシ」そのものである。しかもそこに「五色の短冊」「私が書いた」なんてのも初夏の風に吹かれてヒーラヒラ、ネコたちの五感をイヤが上にも刺激する。

 

 まず「頭上で何かがヒーラヒラ」、これに野性味あふれるネコたちが黙っていられるはずがない。しかも最近の「五色の短冊」には、金色やら銀色やらがナンボでもキラキラ、激しくネコたちの本能を誘惑する。

 (6月29日、なつかしい「かねあ」でサザエの壺焼きを貪る)

 

 ニャゴロワみたいな腕白ネコはもちろんのこと、おとなしいナデシコもネコの本性を発揮して、あっという間に5枚か10枚の「五色の短冊」をボロボロに引き裂いてしまう。

 

 この場合、ナデシコは短冊を引き裂くだけで十分に満足して、悪事が見つからないうちにその場をひっそり退散するのであるが、恐るべき野獣の本能を多分に残したニャゴロワどんの場合、攻撃対象はヒラヒラ風に揺れる短冊ではなくて、サラサラ風になっているササ全体なのである。

 

 眺めているとマコトに気持ちがいいので、右に左に、前後左右に、徹底的にササどんに攻撃を仕掛けて、ついには思い切りササを地面に引きずり倒すまで、ニャゴどんの猛攻撃は一刻たりとも休止することがない。

 (6月29日、なつかしい「かねあ」でマグロの刺身を貪る)

 

 最終的には、あまりにも見事にササのてっぺんに鋭い爪を引っ掛け、自らの体重を全てそこにかけてユーラユラ、純白のニャゴロワの肉体が、五色の短冊以上に大きく何度か揺れたかと思うと、「どうっ」とばかりにササの枝全体が、無数の短冊とともに夕暮れの地面に倒れ臥す。

 

 そういう時、先にこっそり物陰に隠れてしまったナデシコは、「やっちゃった」「やっちゃった」「きっと叱られるよ」と言わんばかり、丸い黒い大きな瞳を夕暮れの薄闇に見開いて、誰か人間が大きな声をあげて、ニャゴロワの悪事を世間に摘発する瞬間を待ち受けている。

(6月29日、なつかしい「かねあ」でタコブツと釜揚げしらすを貪る)

 

 こうして比較してみると、もしも「悪いネコ」「いけないネコ」を一匹だけ選択するとすれば、ニャゴロワよりもむしろナデシコなのである。

 

 ゆらゆら揺れるササの枝を見つけたのもナデシコ、ヒラヒラ風に揺れる無数の短冊群を発見したのもナデシコ、「いろいろイタズラができそうだよ」とニャゴロワを誘ったのも、やっぱりナデシコだった。

(京浜急行線・三崎口の駅にて。まぐろの「ま」の字もマグロが満載だ)

 

 しかし諸君、ワタクシは悪いネコやいけないネコが大好きなのだ。ネコは、悪いヤツの方がいい。善良なネコとか、正義の味方であるネコなどというものは、想像するさえ困難だ。

 

 さすがにネコ写真家として一世を風靡しつつある岩合サンなんかは、今井君とはネコ好きのレベルが違うらしくて、ネコたちに向かって盛んに「いい子だ」「いい子だ」「いい子ですねえ」と、マコトに優しく温かく優しそうな声をかける。

 

 内田百間「ノラや」でも、百間自身はつねに仏頂面で「いったいネコなんかのどこが可愛いんだ?」と言わんばかりの態度をとっているが、「家の者」はそれこそネコ可愛がりで、「いい子だ、いい子だ、ノラちゃんは」と何度でも飽きずに繰り返す。

  (6月29日、横須賀駅前「ヴェルニー公園」の夕暮れ)

 

「ノラや」を原作にした黒澤明晩年の映画「まあだだよ」では、香川京子という往年の美女が「家の者」を演じ、さすが往年の名女優だ、見事に「家の者」を演じて「いい子だ、いい子だ、ノラちゃんは」のセリフを2回繰り返している。

 

「家の者」とは、つまり妻のことであるが、明治・大正・昭和の作家には、家庭内が暖かく円満にまとまっているのを「作家らしくない」と考える人も少なくなくて、石川啄木にしても谷崎潤一郎にしても、島崎藤村にしても室生犀星にしても、オウチの中の人間関係はなかなか激しく入り組んでいる。

 

 内田百閒もまたご多分にもれず、ノラやをネコ可愛がりする「家の者」は、あくまで「家の者」であって「細君」ではない。その辺は言わば時代の要請であって、読む者がいちいち「文春砲」と化する必要はない。「やっぱり昔の文学者ってのは、そういう人種が多かったのかもな」とニヤリ、あとは賢げに腕組みでもしていればいい。

(京浜急行線「三崎口」駅。「またいつかはと心細し」の世界だ)

 

 そこでネコであるが、今井君なんかは「悪いネコほど好き」「悪さこそネコの妙味」「悪ければ悪いほどネコは可愛い」という趣味なので、「いい子だね」とか「いい子だ&いい子だ」とか、そういう言葉をネコたちにかけた記憶はないのである。

 

 むしろ「悪いネコですねぇ♡」「悪いことは全部しますねぇ」「ホントに悪いネコだねぇ」と声をかける時こそが幸福の絶頂。見た目の悪さナンバーワンだったニャゴロワ、実は悪の点でニャゴロワよりもう1枚上手だったナデシコ、この2匹との出会いはまさに絶妙なのだったと信じている。いやはや、悪くて悪くて、最高に可愛いネコたちだった。

  (城ケ島からの帰りに、横須賀ドブ板通りを散策する)

 

 ところで城ケ島であるが、午後遅くなってからワタクシは15年前の懐かしい「かねあ」に入店(昨日の記事参照)、マグロの刺身とタコブツと、釜揚げしらすとサザエの壺焼きを貪りながら、店の人たちと三浦半島の昔話に花を咲かせた。

 

 そういう昔話の花がしぼみかけた頃に、ワタクシのテーブルに寄ってきたのが地域ネコの「みーこ」。今日の写真の1枚目と2枚目、ナデシコそっくりのキジトラ女子であるが、ワタクシにはどうしてもナデシコにしか見えない。

(横須賀中央駅前、カレー専門店「ベンガル」に立ち寄る。オイシューございました 1)

 

 お店の人に呆れられながら「ナデシコ」「ナデシコ」と何度も声をかけ、彼女の背中をいつまでも撫でてみた。ナデシコの背中はいつでも冷たくしっとりしていたが、風の強い城ケ島でずっと日なたぼっこでもしていたのか、本名「みーこ」の背中はポカポカ、やっぱりナデシコの化身ではなかったようだ。

 

 夕暮れの城ケ島からバスに乗って三崎口へ。三崎口で京急線の快速特急に乗り換えた。ただし、ここで素直に東京に帰るかといえば「さにあらず」、横須賀中央の駅で途中下車した今井君は、ほぼ1ヶ月ぶりの横須賀ドブ板通りを散策し、1ヶ月前に気になっていたカレー屋に入った。

 

 カレー屋の屋号は「ベンガル」。40年前からの埼玉県春日部のお気に入りは「ラホール」、10年前からの銀座のお気に入りは「デリー」。残るは「ボンベイ」あたりであるが、新宿西口の名店「ボンベイ」は、5年以上前に静かに店を閉じてしまった。

(横須賀中央駅前、カレー専門店「ベンガル」に立ち寄る。オイシューございました 2)

 

 そこで横須賀は「ベンガル」。「店内の写真撮影はご遠慮ください」という静かで穏やかないい雰囲気の店だった。カレーの味については、ここではコメントを差し控える。

 

 それは別に「旨かった」とか「旨くなかった」とかの話ではなく、城ケ島の魚介の店2軒でお酒を飲みすぎて酔っ払い、もうカレーの味を云々できるような状況ではなかった、ただそれだけのことである。

 

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 3/10

2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 4/10

3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 5/10

4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 6/10

5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 7/10

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