Sat 230624 徳川家康と鯛の天ぷら/今井君とパンの天ぷら/小田原で蒲鉾を貪る 4395回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 230624 徳川家康と鯛の天ぷら/今井君とパンの天ぷら/小田原で蒲鉾を貪る 4395回

 徳川家康は、鯛の天ぷらが大好物だったのだという。おやおや、ずいぶん贅沢だ。「死因は、鯛の天ぷらの食べ過ぎ」という珍説もあるぐらいだ。大河ドラマでそういうシーン、やりますかねぇ?

 

 鯛の天ぷらは、21世紀の今でも高級天ぷら屋さんで注文できる。もしもコースに入っていなければ、単品で追加する。しかし天ぷら屋さんは「コース」を基本とする店が多くて、コース以外を注文するには相当の度胸が必要だ。

 

 天ぷら屋さんの立場になってみれば、コース以外の単品注文は「困る」のが当たり前だ。だってそういうイレギュラーな客が存在すれば、市場での仕入れの時にかかる手間がぐっと多くなる。

 

 みんなおんなじコースを食べてもらわなければ、あっちで「欠品」というか「ヤマになっちゃいました」という事態になるし、こっちでは「せっかく仕入れたのに、たくさん余っちゃいました」みたいなことも起こる。

   (6月12日、雨の小田原に蒲鉾を食べにいく 1)

 

 だから天ぷら屋さんの多くは「コースで召し上がっていただきます」とおっしゃる。客は全員納得ずくで、ありがたく黙って大人しくコースをいただく。

 

「お客全員が同時スタート」という店もある。だからストップウォッチで計ったみたいに、同じ時刻に同じ天ぷらが目の前のカウンターのお皿に置かれ、「うーん」「あまーい」「海老があまーい」「イカもあまーい」「やっぱり塩で食べるのが一番いいですね」「塩だからこそ素材の味が引き立ちますね」とか、胡散くさい似非グルメぶりを発揮させられ、みんな同じ時刻に帰っていく。

 

 それを見越して天ぷら屋さんの方も「ディナーは2部制です」とか、かなり厳しいことを言ってくる。第1部は午後5時半から7時まで。「皆さんお揃いになってから同時スタートです」。第2部は午後8時から9時半まで。やっぱり「皆さんのお揃いを確認して同時スタート」。そうおっしゃるのである。

   (6月12日、雨の小田原に蒲鉾を食べにいく 2)

 

 そういう天ぷら屋さんが「予約の取れない店」として大評判になったりすると、お客の側のワガママなんかもう絶対に許されない。

 

「皆さんお揃いになってから」というその「皆さん」が、全く面識のないカップル5組であったとしても、「旬の素材を最高においしく召し上がっていただくため」とスター☆天ぷら職人に厳しい顔をされれば、どこの誰だか分からないカップルの遅刻のせいで、15分も20分もオアズケの憂き目をみる。

 

 だからお酒だって、落ち着いて飲んでいられない。お酒のせいで1人だけペースが遅くなれば、他のお客に迷惑がかかる。または大食漢でキスやアナゴの天ぷらでも一口でワッシワシのタイプなら、ペースが速すぎてやっぱり他のお客に迷惑をかける。

 

 ましてや「ボクだけ … を追加」「ワタクシだけ … をいただけませんか?」なんてのは、まさに「もってのほか」の所業。そもそもコースにない食材は仕入れていないし、そういうワガママを1人に許せば、ワガママはワガママを呼び、あっという間にカウンターの規律は乱れてしまう。

   (6月12日、雨の小田原で出汁巻き玉子も注文する)

 

 以上のような成り行きで、今や天ぷらカウンターはどこまでも規律優先、ワガママなんか滅多なことで聞いてもらえない。

 

「コースで召し上がっていただきます!!」と職人がキリッと眉を引っ張り上げると、「追加で」「お好みで」「単品で」「好きなものをお願いしたいんですが …」なんてのは、土俵の外にポイ。礼儀を知らないシロートとして、他の客の白い目がこちらに向けられるのを感じながら、1人寂しく規律に従うことにある。

 

 しかし諸君、それってひどくないか? ニンジンを目のカタキにして生きてきたワタクシが、どうして意地でも「ニンジンの天ぷら」を食べなきゃいけないんだ? どうして「パンの天ぷら」を我慢しなきゃいけないんだ?

(小田原駅前「小田原バル」。新しくて清潔で、元気で、しかも落ち着いていて、いいお店だった)

 

「パンの天ぷら」というのは諸君、10年ほど前から急激に超人気店にのし上がった某☆天ぷら店の定番メニューである。強制的に始まる「コース」の中盤、自慢そうに「人気のパンの天ぷらです」と満面の笑顔、熱い油をくぐらせたパン1切れの天ぷらが、目の前のお皿に載せられる。

 

 誰でも想像がつくと思うが、高級ゴマ油でも、普通の天ぷら油でも、ひとたび「パン」などというものが油の中をくぐりぬければ、一般的スポンジやら「激落ちくん」やら高野豆腐君やらと全く同様に、好き放題に油を吸いまくる。

 

 結果は「火を見るより明らか」であって、これを口に入れた途端に強烈に熱い油がジュワーッと口の中に溢れ出し、可哀想なお口の粘膜君たちを焼き尽くすと言ふ悲劇に繋がる。食道や胃の粘膜も油にまみれ、この油を綺麗に掃除するには「太田胃散A錠剤」3錠が3回か4回は必須の有様になる。

(小田原の名店「籠清」。入った店のちょうど向かい側に「籠清」の店があった)

 

 だからワタクシは諸君、どうしてもパンの天ぷらがイヤなのだ。「コースで召し上がっていただきます」と、カウンターの向こうの職人がどんなに強烈に威圧してきても、「ならば」という対抗措置に撃って出る。どんなにコースで食べさせたくても、ニンジンとパンの2つだけは、意地でも口に運ばない。

 

 そうしてカウンターを挟んで、長く冷たく強烈なニラミ合いが続く。ワタクシは、意地でも食べない。職人は、意地でも無視して「コース」の品々を揚げ続ける。

 

 やがて「コースはこれで終わりです」「お食事は、天丼と天バラと天茶がございます」「デザートは?」「紅茶かコーヒーは?」という段になっても、ご自慢の「パンの天ぷら」は、ポツンと今井君の前に残っている。

 

 職人は、意地でも見ないふりをする。だって「大評判のパンの天ぷら」であり「大人気」であり、「マスコミでもいろいろ取り上げられました」「ネットでも盛り上がっています」、そういうお店のウリ中のウリなのだ。それをこんなキウィかサトイモみたいなヤツが拒絶するなんて、そりゃ許しがたいワガママに決まっている。

 

 そういう強烈な攻防戦が、静かな天ぷら店の奥座敷で7年か8年前に何度か繰り広げられた。今井君だって、そんな攻防戦が好きなわけではないから、もうあの人気店には2度と行かなくなって、その代わりにずっと美味しい別の名店と馴染みになり、パンの天ぷらで大ヤケドする危険性もゼロになった。

  (6月12日、雨の小田原でアジフライ定食も注文する)

 

 それでも、「お好みでお願いできますか?」と職人に質問するのは、やっぱり勇気が必要だ。もちろん徳川家康みたいな天下人になれば、「食べたいのは鯛の天ぷらじゃ」「鯛の天ぷら以外は何もいらぬ」「パンの天ぷらは家来どもに振舞ってくれ」、そういうこともヌケヌケと言えるだろうが、しかし諸君、ワタクシは里芋であって天下人ではない。

 

 しかし、「だからこそ命が助かっている」という思いもある。万が一「鯛が好きだから鯛だけしか食べない」「鯛・鯛・鯛・鯛、鯛だけが食べタイ」、そういうことをやって許される立場なら、「どうする?家康」「大河食べたい、おっと間違った、鯛が食べたい」、そんなことを繰り返しているうちに、胃袋をこわしてとっととあの世行きだ。

      (雨の小田原、食べ歩きかまぼこ通り)

 

 その点、ワタクシは違う。たとえ大のお馴染み店でワガママの限りを尽くすとしても、今井君の天ぷらの注文は、キス・メゴチ・またキス・またメゴチ・ハモ・もう1回ハモ・牡蠣・また牡蠣・ええい面倒だ、牡蠣の天ぷら5個、そういうふうに満遍なく魚介類を消費する。

 

 ごく稀に鯛が食べたくなって「アマダイはありますか?」などとフザけた質問もする。甘鯛の天ぷらも、たまにならマコトに美味である。ワザとウロコを残して、熱い油で揚がったウロコのパリパリ感を愛でるわけだが、鯛の身の旨さとウロコのパリパリ感はまさに絶妙の取り合わせなのだ。

(雨はますます強くなってきたが、小田原城のハナショウブを見にいこうと決める 1)

 

 ところで諸君、今日の記事でワタクシが書こうとしていたのは、徳川家康のことではなかったのだ。

 

 ホントは勝海舟と織田信長の「最後の晩餐」の話を書いて、「いやはや盛者必衰・生者必滅・会者定離、命はホントにはかないものですね」みたいな、マコトに仏教くさいことを書いてシミジミしようと思っていたのである。

 

 諸君、知っているだろうか。勝海舟は死の直前、「どうも気分が晴れないから、ブランデーをグラスに1つを持ってくるように」と命じた。それをグイッと飲み干すや否や、「もう、これでオシマイ」と、晴れやかに笑って天国に旅立った。

(雨はますます強くなってきたが、小田原城のハナショウブを見にいこうと決める 2)

 

 織田信長は、明智光秀の襲撃を受ける前夜、本能寺で最後の晩餐を楽しんでいた。もちろん「最後」ないし「最期」と知っていたわけではないだろうが、信長どんの最後の食卓を飾ったのは、なんと&なんとカマボコだった。

 

 蒲鉾と書いてカマボコ、どうしてあれが「蒲鉾」なのかというに、蒲鉾の原型はすりおろした白身魚の身を竹の串にキリタンポ状にぐるぐる巻きにして、それを焼くなり煮るなりして作ったものだったから、蒲(ガマ)の穂の形の鉾に似た形状になった。だから蒲鉾、最初はみんな竹輪の形だったのだ。

(朝の新宿駅を小田原に向かって出発。新しい傘の柄はバンブー。帽子もかぶった。缶入りの甲州白ワインも購入、準備は万全だ)

 

 6月12日、いまや関東平野☆探検隊の棟梁と化した今井先生は、北鎌倉・江ノ島・横須賀・浜金谷・潮来・銚子の旅の続きとして、神奈川県小田原を訪問。あいにく朝からの雨天だったが、「雨もまた奇なり」と強がりを言って、初夏の雨に濡れる小田原に向かったのである。

 

 だから今日の写真はほとんど全て、小田原駅前でカマボコとサツマアゲを貪った時のもの。雨の新宿駅を小田急の特急ロマンスカーで出発する時から、すでにワタクシの頭の中は、「小田原の蒲鉾でビール」「小田原の薩摩揚げで熱燗」「ついでに出汁巻き玉子で冷酒も」、そういうだらしない思いでパンパンなのだった。

 

1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES4/6

2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 5/6

3E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 6/6

6F(Ms) 画家たちを魅了したフランス辺境の地 ブルターニュの光と風:SOMPO美術館

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