Fri 230623 大漁旗/黒潮打線・やまびこ打線・省エネ打線/最果て♡外川の港 4394回
以前にも一度書いたことがあると思うのだが、どうしても忘れられないシーンなので、繰り返しになっていたら許してほしい。昼の電車の中で、大人しそうな中年のサラリーマンが、2人の同僚を相手に最近の出張の思い出を話して聞かせていたのだ。
「この間、北海道の小樽に出張しましてね。地元の人に連れて行ってもらったんですが、やっぱり本場のお店なんですね。魚がすごく新鮮でおいしいんですよ。刺身も旨いけど、ホッケもシシャモも、しっかり焼いてあるのにすごくジューシー。『肉汁』ってよく言いますけど、あれは『魚汁』ですかね。いやあ甘かった」
彼が絶賛する「甘かった」というおそらく「魚汁」、彼は少し恥ずかしそうに「ぎょじる」と発音して笑顔を見せた。同僚2人も「おお、そうでしょうね」「やっぱり小樽とか函館とか、本場の魚は違いますよね」と深く頷くのだった。
(銚子電鉄の終点、外川駅に到着 1)
問題は、その後である。「僕らも、行ってみたいな」「その、地元の人に連れて行ってもらったお店の名前、何というんですか?」と問われた彼は、ちょっと宙を見つめて記憶を辿り「そうだそうだ、確か『魚民』って言いましたね」「サカナのタミと書いて『ウオタミ』。いいネーミングじゃないですか」と続けたのである。
同僚2人は、もちろん爆笑するわけにもいかず、かと言ってその場に崩れ落ちるわけにもいかず、2人とも絶句して、その話題はそれで終わりになった。何しろ夕暮れの通勤時間帯の電車だ、まもなく3人とも乗り換えなのか、慌ただしく電車を降りていった。
まあ、最初に書いた通り、たいへん大人しく真面目そうな彼だ。「魚民」が全国どこにでも大規模店舗を開いているチェーン店だとは、全くご存知なかったのである。
そのこと自体すでに感動的であって、小樽だから魚の民、だから魚民、そう信じて「おいしかった」「新鮮だった」「ギョジルが甘かった」「地元の人に感謝です」と感激している彼を、同僚たちも決して軽薄に揶揄できなかったのだと思う。
(銚子電鉄の終点、外川駅に到着 2)
昔の日本人はことごとく魚の民であり魚民であって、魚を獲って生活する人をかつては漁民と呼び、今は漁業従事者ないし漁業生活者と呼ぶ。6月8日にワタクシ旅をした千葉県銚子の町は、醤油の民「醤民」であるとともに、その醤油を最も華々しく活躍させる「魚の民」でもあった。
犬吠埼の余りの寂れ方に一驚を喫したワタクシは、そのまま徒歩で外川の港まで歩くことにした。外川と書いて「とがわ」、銚子電鉄の終点の漁港の町である。
銚子まで来れば、銚子の駅ですでに1度「最果て感」を味わう。本州最東端は昨日書いた通り岩手県三陸沿岸の「魹ヶ埼」であるが、少なくとも銚子は総武本線の終点であり、本州第2の東端であって、ここから海に乗り出せば、はるか東にジョン万次郎&支倉常長のアメリカが待っている。
すると、もし今ここに聖徳太子が出現したとすれば、「アメリカこそ日出づる国、日本は日の没する国」「ツツガなきや?」、論理的にはそういうことになってしまう。いやはや、丸い地球であんまり踏んぞり返ってしまうと、1500年が経過してからシッペ返しがやってくる。
(外川港の定食屋で「見晴らし定食」をいただく。お相撲の話で店主夫妻と盛り上がった 1)
すっかり寂れた犬吠埼で、第2の「最果て感」を味わった後、キャベツ畑に囲まれた田舎道を外川に向かって歩きながら、最果て感はますます高まってくる。
銚子電鉄「犬吠」の駅から「外川」の駅まで、ホンの1駅、電車なら2分半の道のりだし、何しろ銚子電鉄の電車は1時間半に1本、そのぐらいの頻度でしか走っていないから、歩いた方がよっぽど速い。
たどり着いた外川の駅にも、人影はマコトにマバラであって、遥かかなたで犬が吠える声がする以外、曇った6月の蒸し暑い空気を揺すぶるようなものは何1つ存在しない。
駅は海抜20メートルだったか30メートルだったかの高台にあるので、目指す外川の港まで、古びたコンクリの坂道をひたすら降りていく。
昭和の中頃までは、それこそ魚の民・漁民・漁業従事者のたくましく勇ましい笑い声が溢れていたあたりであるが、今や優しそうなオバーチャンたちが小さな花壇の花の手入れに余念がない。マコトに静かな海辺の町である。
(外川港の定食屋で「見晴らし定食」をいただく。お相撲の話で店主夫妻と盛り上がった 2)
かつて銚子商が甲子園で大活躍を繰り広げていた頃は、甲子園のスタンドを漁業関係者が埋め尽くしたものだった。
「大漁旗を押したてて」という表現が昔話によく出てくるが、数えきれない漁船が大漁旗を豪快にひらめかせながら、誇らしげに漁港に引き上げてくる。赤銅色に日焼けした皺だらけの笑顔、顔中に吹き出した汗の塩、タオルのハチマキ、くわえタバコ、魚の民はマコトに勇ましかった。
その大船団を、トーチャンたちよりもっと勇ましいカーチャンたちが、誇らしげに手を振って港に出迎える。かつて日本の漁港では日常茶飯だった光景が、真夏の甲子園アルプススタンドに再現されたのである。
(外川からの帰路は路線バス。1時間に1本の割合で走っている)
中でも1989年夏、「悲願の初出場」を果たした成東高校の大応援団は、30年以上が経過した今でも、やっぱり甲子園ファンの語り草なのである。
球場を埋め尽くした無数の大漁旗、その大漁旗を打ちふる男たちの豪快な笑顔、エース押尾のストライク1球ごとに、ライトスタンドもレフトスタンドも、球場が揺れ動くほどの大歓声に包まれた。
1回戦の相手は、智弁和歌山。延長10回だったか11回だったか、2−1で成東高校が勝利した。延長戦といい、2−1という僅差のスコアといい、詰めかけた応援団が最高に興奮する試合だったが、ホントに成東の町全体が甲子園に押し寄せたような大迫力なのだった。
(別に「見学」ではないが、6月8日午後、ヤマサしょうゆ工場を訪問した 1)
成田の東だから、成東。成東と書いて「なるとう」と発音する。実際には魚の民・漁民・漁業従事者の町というより、低い丘陵地帯に水田が深く切れ込んだ農業従事者の町なのであるが、しかしやっぱり太平洋の波の轟きは響いてくる。大漁旗はダテではなかった。
それまで成東高校は、どうしても銚子商の壁を破れず、千葉県代表の座が遠かった。何しろ銚子商は「黒潮打線」とアダ名されるほどの強力打線。徳島の池田高校が「やまびこ打線」、そういうふうにマスメディアが「○○打線」みたいな言い方をし始めると、どんな元気なピッチャーでも勇気をくじかれてしまう。
もっとも、我が秋田県の秋田商はかつて、自ら「省エネ打線」と自嘲してみせたことがある。好投手2人(高山&安保)を擁して夏の甲子園で優勝候補にもなった1980年ごろのことであるが、打線のほうはパッとしない。ヒット4本か5本、最少得点差で勝ち抜く打線を、監督自ら「省エネ打線」と笑ってみせた。
(別に「見学」ではないが、6月8日午後、ヤマサしょうゆ工場を訪問した 2)
さて、外川の港まで降りてくると、第3の「最果て感」が襲ってくる。銚子の駅で1回目。しかしあの時にはまだ「ここからもまだ銚子電鉄がある」と思った。犬吠埼で2回目。しかしまだ、「犬吠から外川までの1駅分が残っている」と思った。しかし外川の港まで降りてくると、もうホントにその先はないのである。
外川にはもう、無数の大漁旗が翻った過去の栄光の記憶は残っていない。閑散とした漁港のあちこちに、「許可なく漁をしている者を発見した時は直ちに通報いたします」という警告の看板が立てられ、蒸し暑い日差しの中に、イネ科の夏草が海の風に吹かれているばかりであった。
(別に「見学」ではないが、6月8日午後、ヤマサしょうゆ工場を訪問した 3)
ここから、飯岡「屏風ヶ浦」の絶景を目指すつもりでいた。しかし実際に屏風ヶ浦を見晴るかす地点に出てみると、いやはや屏風ヶ浦は予想していた5倍は遠いのである。HPの案内では「外川から徒歩30分」となっているが、これはどうしても2時間以上はかかる。
屏風ヶ浦をあきらめて後日を期すこととし、ワタクシは、外川港の小さな店で昼の定食を貪って帰ることにした。夫婦2人でやっている店で屋号は「見晴」、だから定食には「見晴らし定食」という名がついていた。
どういうわけかこの頃から、20歳代&30歳代の頃の食欲が復活してきて、刺身もトンカツも生野菜もあっという間に平らげてしまい、ビールも大瓶で飲み干してまだ足りない。しかし周辺の他の店は、14時でみんなランチが終了。ちょっと酒を引っかける居酒屋も見当たらない。
(JR銚子駅前、大衆酒場「銚子ドリーム」。路上のテーブルでの1時間が楽しかった)
致し方なく外川の駅までトボトボ戻り、しかしそこにも店はなく、人影もほぼ皆無、次の銚子電鉄は1時間半待たないとやってこない。ワタクシは、ちょうどやってきたバスに乗り込んで銚子駅前を目指した。
銚子駅前で、まず「ヤマサ醤油工場」を訪問。しかし楽しみにしていた「お醤油ソフトクリーム」は「販売を中止しております」。あまりの空腹に、天は我らを見放した!!(新田次郎「八甲田山」より)の思いだったが、幸い午後4時、JR駅前の「大衆酒場 銚子ドリーム」がオープンした。
路上のテーブルにみこしを据え、エダマメにビール、日本酒にモツ煮、すっかりダメな田舎のオヤジと化して、最果ての今井君は帰りの特急「しおさい」を1時間、のんびりと待つことにしたのだった。
1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 1/6
2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 2/6
3E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 3/6
6F(Ms) 常設展:国立西洋美術館
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