Fri 230616 北関東はヒーロー輩出の地だった/潮来のあやめ祭/潮来の伊太郎 4388回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 230616 北関東はヒーロー輩出の地だった/潮来のあやめ祭/潮来の伊太郎 4388回

 21世紀の日本に限らず、世界のどこでも、歴史の中のどの時代でも、世代と世代の間には、苦々しい隔絶と断絶が存在するものである。ジーチャン世代とパパ世代とムスコ世代が、みんなニコニコお互いを理解しあって和気あいあい、そんな夢みたいな関係は滅多に生まれないようである。

 

 今ここに、80歳のジーチャンと、50歳のパパと、20歳のムスコがいるとする。もちろんバーチャンとママとムスメでも構わない。この3世代、特に21世紀の日本では、何しろ共通するものが少なすぎるのだ。

 

 例えば「理想の就職先」を考えてみるに、ジーチャン世代は「造船・鉄鋼・石炭・鉄道」だっただろうし、パパ世代は「商社・銀行・保険・証券」、ムスコ世代は何が何でも「コンサル・医療・まあIT」。若干の回帰現象が見られるとしても、男子3世代、なかなか互いに譲ろうとしない。

 

「アイドル」なんてのもおそらく同じことで、ジーチャン世代は「小柳ルミ子・南沙織・麻丘めぐみ・天地真理」、パパ世代は「小室哲哉グループ・モー娘。」、ムスコ世代は「46♡48およびそのスピンオフ」。バーチャンは「新御三家」、ママは「たのきん」、ムスメは … ワタクシにはもうよく分からない。

(6月5日、利根川沿いの水郷地帯・潮来の町まで「あやめ祭り」を見に出かけた 1)

 

 国語の時間に読む教科書だって、いまや太宰治「津軽」も、中島敦「山月記」も、森鴎外「寒山拾得」もスタンダードではないらしい。何しろムスコ世代は「論理国語」だから、そんな「言語文化」に属する古臭い昭和の小説なんか、詳細な訳注でもつけてくれなきゃ全く理解できない。

 

 せめてヒーロー&ヒロインぐらい、3世代共通であってほしいのだが、スーパーマン・ウルトラマン・8マン・矢吹丈・星飛雄馬、鮎原こずえ・早川みどり・朝丘ユミ・大魔神・鉄腕アトム、そういうヒーロー&ヒロインが3世代共通で通用するとは思えない。

 

 江戸期&明治初期までは、男性のスーパーヒーローと言えばどの世代もほぼ共通で「八幡太郎義家」と「鎮西八郎為朝」、ほぼ神格化された2者であった。

 

 しかし歌舞伎や芝居や映画で人気の脚本が多様化すると、絶対無謬の神格化されたヒーローではなく、信長だの秀吉だの、信玄だの謙信だの、「負けることもある」「失敗することもある」「弱点も併せ持つ」みたいな、人間臭いヒーローがクローズアップされてくる。

 

 そうして昭和初期から中期、いま80歳代以上のジーチャンたちが夢中になったヒーローたちは、「侠客」「無宿人」「渡世人」「博徒」が圧倒的に多くなる。

 

 戦後生まれ世代の人間にはマコトに分かりにくい世界であるが、戦前から戦後直後ぐらいまでの人気映画を並べてみると、そういうアウトローの貧しい男たちが主に関東平野、北関東から房総半島にかけての荒野を旅して歩く、いわゆる「股旅」の世界こそ、ヒーローの生きる空間となっていた。

(6月5日、利根川沿いの水郷地帯・潮来の町まで「あやめ祭り」を見に出かけた 2)

 

 というわけで、ここでとうとう昨日までの「房総半島」の話とうまく連絡ができたわけであるが、今日の今井君が、いかにも人気のなさそうな「股旅」「渡世人」「無宿人」など、むさ苦しいアウトローの話を書こうと思った理由は、6月5日、茨城県の水郷・潮来の町のあやめ祭りを見に出かけたことなのである。

 

 6月5日は、快晴の素晴らしいお天気の1日で、気温は朝からグイグイ上昇、炎天下の水郷地帯には幸い爽やかな風が吹き渡っていたが、気温は30℃近くまで上がって、ワタクシは今年初の「熱中症の危機」を迎えた

 

 水郷のあやめ祭りは、もちろん「潮来町」で開催される。「世代間の激烈な乖離と隔絶」を実感するのは、まずその「潮来」という町名を読める人が驚くほど少ないと言ふ事実である。「潮来」と書いて「いたこ」、1960年代までなら、おそらく日本人の90%が、何の苦もなく「いたこ」と発音できた。

 

 しかし諸君、驚くなかれ、「潮来」という文字を見て「チョーライ」、ホントにそういう人がたくさん存在するのである。今井君なんかは恥ずかしげもなく「そんな間違いはヤメてチョーライ!」と叫んでしまうが、まあワタクシだってオヤジギャグ世代の真っただ中だ、「許してチョーライ」と一言、軽く謝罪するだけで許してチョーライ。

(6月5日、利根川沿いの水郷地帯・潮来の町まで「あやめ祭り」を見に出かけた 3)

 

 いや諸君、それどころではない。「あやめ祭りを見に、イタコまで行ってきます」と言ってみたところ、「ほほぉ、青森の旅ですか?」「下北半島は遠いですよ」「だってイタコって、恐山でしょ?」と、ホントに真顔で反応されてみたまえ、思わず今日の記事を「世代間の断絶」から書き起こしたくなった。

 

 そのチョーライであるが、なぜ1960年代の日本人がほぼ誰ひとり間違わずに「いたこ」と発音できたのかといえば、1960年、人気絶頂の歌手・橋幸夫が「潮来笠」というタイトルのお歌を大ヒットさせ、あまりの大ヒットぶりに、同じタイトルの映画「潮来笠」まで大ヒットを記録したからである。

 

 当時の橋幸夫は、男性歌手「御三家」の1人。舟木一夫・西郷輝彦・橋幸夫の3人がその「御三家」で、例えばNHK紅白歌合戦の白組トップバッターは「この3人のうち誰が務めるのか」、それが年末の話題になるぐらいだった。

 

 トップバッターが橋幸夫、中〆というか前半のトリが村田英雄、後半および全体のトリが三波春夫という布陣。村田英雄と三波春夫の2人は、どちらも元々の本職は浪曲師であって、それこそ侠客・無宿人・渡世人・博徒などアウトローが八面六臂の大活躍を演じる姿を、ナニワブシ独特の台詞入りで語るのが、大晦日の紅白の恒例になっていた。

(6月5日、利根川沿いの水郷地帯・潮来の町まで「あやめ祭り」を見に出かけた 4)

 

 まあ諸君、ホンの半世紀ちょい前までの、日本のヒーローたちの話なのだ。「興味ねぇ」とかソッポを向かないで、もう少しだけ読んでくれたまえ。木枯らし紋次郎・沓掛時次郎・国定忠治・飯岡助五郎・潮来伊太郎・清水次郎長・幡隨院長兵衛・平手造酒、戦前戦後の日本のヒーローたち。何人かは名前をご存知のはずだ。

 

 彼らの大活躍に、多くの日本人が手に汗を握り、大喝采を送った時代があるのだ。彼らの活躍を描いた「天保水滸伝」なんか、いったい何回映画化されたか、数え切れないぐらいである。

 

「天保水滸伝」の映画化は、戦前は、1914年・1928年・1930年・1931年・1932年・1934年・1936年、戦後も1950年・1958年・1960年・1965年。こんなにたくさん映画化された題材が、世界中に他に存在するだろうか。

(このあたり、住所まで「あやめ1丁目1番地」のようである)

 

 その「天保水滸伝」のテーマが「大利根河原の決闘」。主人公は「飯岡助五郎」「平手造酒」の2名だが、詳細はまもなく、ワタクシの銚子への旅の記録の中に書く予定である。

 

 昨日の記事のテーマは「武士の世への移行において房総半島が果たした役割」だったが、諸君、今回と次回でワタクシが描きたいのは「近世の崩壊と近代への移行において、北関東が果たした役割」という話である。

 

 現代の日本では、北関東はほとんど「不当」と思われるほどに不人気とされている。群馬・栃木・茨城の3県、「魅力のない県」みたいなイミフなアンケート調査で、常に「魅力のなさ」のトップ3を争っているし、近畿から西の人は、「群馬と栃木と茨城の区別なんか、でけへんわ、ははははは」と言って大笑いするのが常だ。

(6月5日、利根川沿いの水郷地帯・潮来の町まで「あやめ祭り」を見に出かけた 5)

 

 しかし諸君、ここは声を大にして言いたいが、明治期から昭和期において、北関東3県+(そのまま利根川の流れに沿って)房総は、映画や芝居の世界を席巻するスーパーヒーローを次々と輩出する、まさに「ヒーローたちのゆりかご」と言っていい地域だった。

 

 確かに「無宿」「渡世人」「博徒」「侠客」という見事なアウトローたちだから、21世紀の日本基準ではむさ苦しいもいいところだが、かつては日本中の映画館と芝居小屋を、熱い熱い拍手喝采で埋め尽くしたスーパーヒーローが、ムンムンするほどの密度で活躍を繰り広げていた。

 

「いったいなぜ、群馬と茨城と栃木と房総が?」という疑問であるが、まあ諸君、慌てなさんな。とりあえずまず、1960年の大ヒット曲、橋幸夫「潮来笠」の歌詞を見ておこうじゃないか。この中に登場する「潮来の伊太郎」こそ、近世と近代をつなぐむさ苦しいアウトローの典型なのだ。

 

作曲・吉田正、作詞:佐伯孝夫。

「潮来の伊太郎 ちょっと見なれば

薄情そうな 渡り鳥

それでいいのさ あの移り気な

風が吹くまま 西東

なのにヨー なぜに目に浮く潮来笠」

          (潮来の伊太郎)

 

 いやはや、21世紀人にとっては「何だ、こりゃ?」と肩をすくめたくなるぐらい、ほぼ「判じ物」のカテゴリーの謎の歌詞。しかし逆に、こんな歌謡曲が大ヒットしたからには、「潮来の伊太郎」という人物がどれほど当時の日本人全体に理解されていたか、そのことがよくわかる。

 

 潮来の伊太郎という無宿の渡世人は、「ちょっと見なれば」つまり「ちょっと外見で判断しただけでは」、いかにも薄情そうな渡世人にしか見えない。

 

 しかし、「それでいいのだぁ、それでいいのだぁ」、そう言っちゃあ天才バカボンみたいだけれども、移り気な風のように、西に東に気の向くままに、利根川あたりを渡り歩いて生きている。そんな気ままな生き方の男子なのに、何故なのか、伊太郎の目に浮かんでくるのは「潮来笠」なのである。

(6月5日、利根川沿いの水郷地帯・潮来の町まで「あやめ祭り」を見に出かけた 6)

 

 この場合、その「潮来笠」をかぶった人物がいったい誰なのかが問題になるが、そりゃもちろん伊太郎が胸を焦がす美しく可憐な女子に決まっている。どういう経緯で、どのぐらいの強烈さで、どれほど伊太郎の胸を焦がしているかは、ここでは明らかではない。

 

 しかし潮来伊太郎を主人公にした映画や芝居を見た人なら、恋の経緯も、愛の強烈さも、2人の間に横たわる試練も苦境も、みんな共通認識としてよく理解できている。

 

「潮来笠」は、この水郷地帯で働いた江戸期&明治期の農民&漁民に特徴的な「あやめ笠」と思われる。6月5日、水郷・潮来のあやめ祭りを訪問した今井君は、おそらくボランティアで雑草取りやら何やらに励む多くの男女の姿を目にしたが、女子の多くはその「あやめ笠」を着用していた。

(6月5日、利根川沿いの水郷地帯・潮来の町まで「あやめ祭り」を見に出かけた 7)

 

 詳しくはネット検索していただいた方がいいし、ネットにはおそらく「あやめ笠」の写真も掲載されているだろうが、簡単に言えばイグサを編んで作る丸いスゲの笠である。てっぺんが少し尖っている。その形が水郷&潮来のあやめの花に似ているから「あやめ笠」の名がついた。

 

 かつて水郷地帯では、お舟に乗ってお嫁入りする花嫁にこの笠をかぶらせた。潮来付近で舟を漕いで働く娘たちも、この笠をかぶった。笠には災厄除けの効果があると言い伝えられていたのである。

 

 その辺は、橋幸夫「潮来笠」と同時期に流行した「潮来花嫁さん」(花村菊江)、「娘船頭さん」(美空ひばり)など、1960年ごろの連続ヒット曲からも伺える。「潮来花嫁さんは、潮来花嫁さんは、舟でゆく」というわけである。

(潮来伊太郎の像からすぐ近く、「潮来花嫁さんの像」がある)

 

 伊太郎という名の無宿の渡世人が、何らかの形で潮来の娘ないし花嫁さんと人知れず濃厚な恋愛関係にあり、だから普段は移り気で風の吹くまま無宿生活を送っている伊太郎も、どんなに知らんぷりしていても、何かの拍子に目に浮かぶのは、可憐な彼女の頭に乗っていた「あやめ笠」。そういうストーリーで映画も芝居も熱く盛り上がった。

 

 ではいったいどうして北関東が、群馬や栃木や茨城が、江戸期のヒーローをそんなに次々と輩出したのか。まあそのあたりは、次回の記事まで待っていただきたい。

 

1E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.3, No.5 & No.8 

2E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.9

3E(Cd) Bobby Caldwell:CARRY ON

6D(DMv) APRIL’S FLOWERS

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