Thu 230615 房総の田園風景/内田百閒「房総鼻眼鏡」/切られ与三とお富さん 4387回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 230615 房総の田園風景/内田百閒「房総鼻眼鏡」/切られ与三とお富さん 4387回

 千葉県とは、マコトに不思議な県であって、県庁所在地である千葉市を挟んで、濃厚な大都会とノドカな農&漁村地域とが、ほぼスキマなしにペッタンコにくっついている。

 

 東京から行けば、市川・船橋・津田沼・千葉と、車窓はいかにも人口密度の高そうな市街地が延々と続き、しかし千葉駅を出た途端に、あらら人口密度がグイッと急激に下がって、車窓には緑の山と清らかな川、田植えの済んだ田んぼは青々として、小首をかしげたシラサギさんたちがノンキに餌をあさっている。

 

 このペッタンコ感覚は、千葉から房総半島を南に走る「内房線」でも、同じ房総半島を太平洋岸に向かう外房線や総武線でも全く同じことなので、千葉駅を出た途端に待ち受けている田んぼのシラサギ軍団には恐れ入るばかりだ。

(東京・京橋「Dobro」でクロアチア料理を満喫。こりゃちょっと見た目がよくないかもしれないが、トルコ料理「キョフテ」のクロアチア・バージョンだと思えばいい)

 

 またまた内田百閒の話で申し訳ないが、百鬼園随筆の中でも最も人気の高い「阿房列車」シリーズの第3作「第三阿房列車」の中に、この房総半島をぐるぐる2回巡って旅する「房総 鼻眼鏡」がある。

 

「ぐるぐる」という表現はちょっと不正確なので、まず房総半島の北側で1周の円を描き、これが鼻眼鏡のレンズ1つ目。次に房総半島の南側でもう1周、これが鼻眼鏡のレンズ2つ目。「長い房総半島に鼻眼鏡をかけたみたいな旅である」とおっしゃる。

 

 何しろ昭和中期、というか1950年代ごろの話だから、房総半島をめぐるローカル線の鼻眼鏡2周は、あんまり内田百閒の気に入らなかったようである。

 

 彼が好きなのは、豪華な特急列車での旅。列車が走り出すとすぐに食堂車に出かけて、弟子というか道連れというか、芭蕉にとっての曽良の役というか、法政大学での元生徒である平山三郎氏を引き連れて、ビールに日本酒を飲みまくる。

 

 豪華特急列車で目指すのは、大阪や熊本や長崎や八代であって、一等車に食堂車に寝台車がズラズラどこまでも連なっている、そういう夢のように長い汽車でなければ、一級の旅とは言われない。

 

 彼の旅の始まりは、だから多くが東京駅。一番前の機関車から、一番後ろの客車や昔ながらの「車掌車」「郵便車」、東京駅のホームに長々とのびた列車の頭から尻尾までを、全てゆっくり眺めることから百閒の旅は始まる。

(内房線「姉ヶ崎」。「そりゃ、姉がさき、弟や妹があとに決まっている」とか、ツマラン悪態をつきながら、東京湾一周の旅はオシマイに近づいた)

 

 それなのに「房総 鼻眼鏡」は、「阿房列車シリーズ」の中ではマコトに珍しいローカル線の旅だ。豪華特急列車に乗らない旅に、百閒先生は何となく不満げであって、途中駅から乗ってきた酔っ払い集団にも不満。犬吠埼の灯台まで行ってみるが、混雑した灯台にはのぼらずに、そのまま黙って引き返してきたりする。

 

 他にローカル線の旅といえば、秋田の横手市と岩手の北上市を結ぶ北上線の旅ぐらいだ。

 

 北上はむかし「黒沢尻」という町で、今も高校ラグビーでしょっちゅう花園にやってくる「黒沢尻工」にその名を残している。当時の北上線は、横手と黒沢尻を結ぶから「横黒線」という名称だった。横黒線と書いて「おうこくせん」と発音した。

 

 その「横黒線」で内田百閒は秋田&岩手の県境あたり、跨線橋すらない小さな小さな「大荒沢」という駅がやたらに気に入ってしまうのであるが、残念なことに今日のワタクシの話とは全く関係がない。一応ここでは「閑話休題」ということにする。

 

 オトモの平山三郎氏は元生徒であるが、「ヒラヤマ」「ヒラヤマ」と呼んでいるうちに、何かの拍子に「ラ」と「マ」がひっくり返って「ヒマラヤ」になってしまった。今は「ヒマラヤ山脈」であるが、当時は「ヒマラヤ山系」と言ったから、旅の道連れは常に「ヒマラヤ山系君」ということになっている。

(東京丸の内口にて、たくさんの空也上人に遭遇。上人の口からは「南無阿弥陀仏」ではなくて「そうだ京都いこう」の各地方言バージョンが湧き出してくる)

 

 もしよかったら地図を広げてほしいのだが、諸君、房総半島の地図って、地元の人でもなければ、なかなか詳細に検討してみた経験ってないんじゃないだろうか。かく言うワタクシもその1人であって、中学入試でも高校入試でも「房総半島の地理」は滅多なことでは出題されそうにない。

 

 歴史でも同じことで、房総半島が日本史に登場するのは、曲亭馬琴「南総里見八犬伝」ぐらいかもしれない。

 

 ただし、去年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をキチンとみた人なら、

「いやいや、1180年、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、土肥実平とともに真鶴岬から船に乗って、安房の国の竜ケ島に上陸したはずだ」

「その後は上総介広常の加勢を得て、安房・下総・上総と勢力を拡大、平氏討伐の足がかりとしたはずだ」

と反論があるだろう。

 

 佐藤浩市が演じた「かずさのすけ」、懐かしいけれども、いやはや、名作の誉れ高かった大河ドラマも、終わってしまえばみんな忘却のカナタ。しかしやっぱり、安房の「房」と上総&下総の「総」を繋げて「房総」が、武士の世を導く役割は大きかったのだ。

(こんなに多くの空也上人が「んだ、京都さ行くべ」「ほやな、京都いきまひょ」と呟いたんじゃ、オーバーツーリズムが心配だ)

 

「記憶よりも思考力を重視します」タイプの21世紀的オシャレ入試なら、「武士の世に至る歴史の中で、房総半島の果たした役割を200字程度で書きなさい」、まあ悪くない出題じゃないか。

 

 そういう問題に立ち向かう時、今日の記事の冒頭に示した「千葉駅を過ぎると車窓いっぱいに広がる豊かな農&漁村風景」「小首かしげたシラサギ軍団」の描写が、きっと役に立つ。

 

 ググッとポエティックな答案でも書けたら、塾のセンセが感激の涙ぐらい流してくれるかもしれない。いや、千葉県教育文化コンテスト(もしそんなコンテストが存在すれば)のグランプリ候補ぐらいになって当然だ。

(東京・京橋「Dobro」店内。「日本唯一のクロアチア料理店」なんだそうだ)

 

 あと、歌舞伎の人気作に「与話情浮名横櫛」(よわなさけ うきなの よこぐし)があって、その中の有名なセリフに房総半島・木更津が出てくる。「しがねぇ恋の情けがアダ、命の綱の切れたのを、どう取りとめてか木更津から … 」というクダリである。

 

 歌舞伎なんかちっとも興味がないという人だって、「与三郎(切られ与三)とお富さん」、どこかでお耳の片隅にでも、男女2人の名前がマギレ込んだことぐらいあるはずだ。男女の問題といえば何でもヒロスエというんじゃ、文化のレベルが低過ぎる。


(東京・京橋「Dobro」にて。右:クロアチアビール。左:ウォッカタイプの食前酒)

 

 昭和中期の歌謡曲「お富さん」は、「春日八郎」という歌手が歌って大ヒット。「死んだはずだよお富さん、生きていたとはお釈迦さまでも、知らぬ仏のお富さん」「ええさおぉ、茶碗酒ぇ〜」「ええさおぉ、玄冶店ぁ〜」のメロディ、昭和末期までは小学生でも知っていた。というか、小学生でも歌えたのである。

 

「玄冶店」と書いて「ゲンヤダナ」と発音する。東京日本橋・玄冶店、江戸後期から明治初期にかけては、芝居の役者が多く生活していたあたりであるが、歌舞伎ではここをもじって「源氏店」としている。その源氏店での与三郎の「ゆすり」の場面が超有名な1コマ。諸君も一度は聞いたことがあるはずだ。

 

「おかみさんへ、お富さんへ、いやさ、お富、久しぶりだなぁ」と切られ与三が切り出すと、「そういうお前は?」→「与三郎だ」と続く。東京湾を挟んで木更津から日本橋まで船で来たお富を、何とか生きぬいてたどり着いた与三郎がゆする。これ以上詳しいストーリーは、諸君の方でググってくれたまえ。意外に面白いと思ってくれるはずだ。

(東京・京橋、クロアチア料理「Dobro」。すぐそばには天ぷらの名店「てんぷら深町」も頑張っている)

 

 三島由紀夫「青の時代」の主人公・東京大学法学部生の川崎誠は、木更津の出身ということになっている。そのモデルが、実際にあったヤミ金融「光クラブ」事件(1949年)の東大法学部3年・山崎晃嗣。いやはや木更津、いろんなところに顔を出すのである。

 

 一方、コドモの頃の今井君は、伝説のNHK人形劇「新八犬伝」をほとんど暗記するほどのファンだったから、八犬伝のことは熟知しているが、房総半島については全然知らない。知っているとして、前回書いた「赤フンの恐怖」、館山の北条海岸だけである。

(クロアチアワイン。お店の人がマコトに丁寧にわかりやすく説明してくれた)

 

 ところで内田百閒であるが、彼の鼻眼鏡の1周目は、総武線と成田線の旅である。両国 → 八街(やちまた) → 銚子 → 犬吠埼 → 成田 → 千葉のルート。戻ってきた千葉に宿泊する。

 

「何で両国から?」「お相撲でも観たの?」であるが、当時の総武線は両国を始発とする列車がスタンダード。国鉄の労働組合も、千葉地区だけ別行動を取ることが多かった。

 

 鼻眼鏡の2周目は、その翌日。千葉を出て、内房線で浜金谷 → 館山 → 安房鴨川。当時はこのルートを「房総西線」と呼んだ。安房鴨川で1泊した後は外房線(こちらは元は「房総東線」)に回り、勝浦 → 大網 → 千葉を経由して、稲毛に宿泊。これで鼻眼鏡のもう片方も完成した。

 

「何で稲毛に宿泊?」であるが、昭和中期ぐらいまでの日本では、国鉄の駅があるぐらいの町なら、秋田や岩手や青森のごく小さな駅の前でも、立派に食事も宴会も宿泊もできる旅館が、1軒や2軒は必ず存在したのである。

  (クロアチア独特のパスタ。オイシューございました)

 

 まあこういうふうで、昨日の記事では横須賀から久里浜までの旅、今日の記事では浜金谷から房総半島を北上する旅、旅そのものより、その沿線にまつわるストーリーのいろいろを列挙してみた。

 

 房総半島、やっぱりこうして書いてみると、どうしてもマイナー感が拭えないかもしれない。だからこんなに頑張って書いても、あんまりアクセスは多くならないだろうし、今井ブログ史上最も不人気な回になってしまう可能性だってなくはない。

 

 しかし諸君、ノコギリ山にマザー牧場に養老渓谷、首都圏からの日帰り旅なら、観光資源もずらりと揃っている。久留里線に小湊鉄道、テツ旅ファン垂涎の的の鉄道だって多い。ぜひ房総を見直して、首都圏からの小旅行を満喫していただきたい。

 

 というわけでワタクシも、次回からは潮来やら銚子やら、ワタクシ自身の鼻眼鏡のもう片方のレンズについて、じっくり記録していこうと考える。

 

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 2/4

2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4

3E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4

6D(DMv) FAR AND AWAY

total m93 y426  dd28376