Tue 230613 てにをはが気になって/スカジャンと海軍カレー/北原白秋を思う 4385回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 230613 てにをはが気になって/スカジャンと海軍カレー/北原白秋を思う 4385回

 5月31日の「東京湾1周」は、東京 → 鎌倉 → 横須賀 → 久里浜 →(東京湾フェリー)→ 浜金谷 → 君津 → 千葉 → 東京というルートである。

 

 何ともツマランことを思いついたものだが、じゃあもしそれを「ツマラン」「クダラン」と判断して、自らに向かって「却下」と宣告したとしたら、何か別に価値ある1日のプランでもあると言うのか。

 

 何をしても結局は梅雨の雨を嘆き、美術館に行けば大混雑、参考書の執筆なんかいくら頑張ったって、何しろ21世紀、マジメな参考書を1ページ1ページ真剣に味読&熟読くれる受験生なんか、あんまり想像できない。

 

 読書にしても、やたら「てにをは」が気になって、中身に集中できない。読書していて「てにをは」ばかり気になるのは、どうやらワタクシの性癖であるらしくて、あんまり気になって最近はテレビのニュースも落ち着いて見ていられない。

 

 例えば諸君、「ウワサのレストランに直撃してみました」と女子アナがニッコリしたとする。するともうダメだ、「レストラン『に』直撃」ではない、「レストラン『を』直撃」だ、だってレストランは間接目的語じゃなくて直接目的語なんだから「に」じゃなくて「を」、そう思うと、もうニュースショーの中身なんかどうでもよくなってしまう。

 

「お店に訪問しました」と言ふのもよく出てくるが、これも同じことで「お店『に』訪問」ではなくて「お店『を』訪問」だ。間接目的語と直接目的語の混乱、ドイツ語で言えば「3格」と「4格」の厳密な区別を、いやはや国語の授業でちっとも教えていないんじゃないか。

(JR横須賀駅から徒歩15分ほど。横須賀の中心は京急線「横須賀中央」の駅である)

 

 あとやっぱりどうしても「…とは、思いますけどね」がキライ。「街の人」にインタビューしても、いわゆる「専門家」の皆さまにご意見を伺っても、最後の〆にくるのが「…とは、思いますけどね」の一言だ。

 

 しかしそれは違うんじゃないか。「…とは、思います」じゃなくて「…と、思います」だし、最後の「けどね」も余計だ。「けど」の後に、何がくるの? 「けど ... です」がないと、発言が未完成に終わってしまう。

 

「とは」の「は」は完全に不要。だって諸君、「は」というのは限定の副助詞だ。「これは必要」と発言すれば「これが必要だが、他は不要」という意味が必ず付随する。「ギョーザは旨かった」と言えば「でも、他はあまり旨くなかった」ないし「ギョーザしか旨くなかった」を含意する。

 

 つまり「…とは、思います」と発言すると、その余計な「は」のせいで「でも」「けど」「しかし」以下、何らかの含意が存在することが示されてしまう。「頑張らなきゃならないとは、思いますけどね」と言うと、「しかしちょっと理由があって、いまは頑張れないんです」とホノめかすことになる。

(横須賀名所「どぶ板通り」のあたり。次回の横須賀散策では、やっぱりこの辺をウロつかなきゃいかんね)

 

 こういうことがヤタラに気になるのは、毎日毎日こんなに長いブログを書きまくっているせいかもしれない。

 

 たとえシロートであっても、偉そうにNHKの朝ドラや大河ドラマを批評したり、人形浄瑠璃や歌舞伎や女義太夫の話を披露したりしている以上、自分の文章の「てにをは」にミスがあるようなことは、どうしてもイヤなのだ。

 

 だから諸君、信じられないかもしれないが、毎日の文章それ自体を書くのは40分から45分程度で完了するのに、その後で「推敲」に費やす時間もまた40分から45分、実際の執筆以上に推敲に時間をかけることさえ少なくない。

 

 すると毎日1時間近く、自分の文章の校閲にあたるわけである。「てにをは」を検証するばかりではない。あんまり漢字の割合が多くなって読みにくい部分にくると、「ここはカタカナにするかな」「カギカッコを使って漢字と漢字を分断するかな」みたいな試行錯誤が始まる。

 

 東京湾一周を思いついたり、江ノ島で際限なくイカの丸焼きをかじりたくなったり、明月院のカエルがケロケロやるのを聞きながら、いつまでも&いつまでもアジサイとハナショウブを眺めていたくなったり、その元には、自分の文章のてにをは修正や校閲に、いささかウンザリしていることがあるかもしれない。

(横須賀中央駅前「海軍カレー本舗」。2階がレストラン、1階は土産物屋だ)

 

 最近はどうも関東平野に目覚めてしまい、この間もちらっと書いたが、千葉の銚子まで犬吠埼を眺めに行ったり、利根川下流♡水郷地帯の潮来までアヤメ祭りを見に出かけたり、そうかと思えば昨日は、梅雨の雨が降りしきる中を小田原まで出かけたりした。


 小田原まで何をしに行ったかと言えば、「カマボコを食べに」というのだから恐れ入るが、しかも「カマボコを食べに行って、サツマアゲに感激、サツマアゲ3人前を貪って胸焼けする」という事態に立ち至り、昨夜はブログの更新も怠けてしまった。

 

 もう半月も前のことになってしまったが、5月31日の「東京湾一周」の時には、横須賀で横須賀名物「海軍カレー」を貪るのもまた1つの目的だった。骨も血液も黄色く染まるほどのカレー好きで、今や今井君の筋肉はカシミールカレーの黒褐色に変じているんじゃないかと思うぐらいだ。横須賀でカレーを食べなきゃ、男がすたる。

(海軍カレーには、必ず冷たい牛乳が1杯ついてくる。「黒カレー、かなり辛いですよ」と心配されたが、まさに「心配ご無用」の世界だった)

 

 あとで振り返ってみると、横須賀には他に回ってみるべき観光名所がナンボでもあったようだ。

 

 JR横須賀駅から京浜急行線の横須賀中央駅まで徒歩15分、1つ脇道に逸れれば「ここはアメリカですか?」と一驚を喫するぐらいエキゾティックな「ドブ板通り」があったらしいし、海軍バーガーで有名な名店「TSUNAMI」にも入れたはずだ。

 

 そのドブ板通り、「アメカジ」「スカジャン」でも有名らしい。今井君は学部生時代から全くファッションに関心がなかったから、今もなお「スカジャン」と「スタジャン」の区別さえマトモにつけられないが、そう言えば横浜から通っている友人たちは「スカジャン」か「スタジャン」のどちらかを、盛んに通学に使っていたように思う。

 

 しかし何しろ5月31日のワタクシは「横須賀♡初体験」のオノボリさんだ。ドブ板通りなどというそんなカッケー街に、いきなり入り込んでどうするんでスカ?

 

 マコトに勇ましく頼り甲斐のありそうなアメリカの海兵隊さんが、10人も15人も集団で闊歩している姿を眺めながら、気がつくともう京急線の横須賀中央駅前にたどり着いていた。

(カレーついでに、ビールもいただく。「ヨコスカゴールド」、オイシューございました)

 

 ふと、半世紀前の朝日新聞に連載されていた4コママンガ「フジ三太郎」を思い出す。さえないサラリーマン・フジ三太郎は、ゴールデンウィーク中ももちろん海外旅行なんかできない。その代わりに福島県の須賀川と、埼玉県の荒川を旅してくる。

 

 連休明けのフジ三太郎は、仲間たちに「連休中はどこに?」と問われ、「ちょっとアラ&スカに」と知らん顔で答えるのであるが、まさか荒川の「アラ」と須賀川の「スカ」を足してアラ&スカと言ったのだとは誰も気づかない。

 

 昭和の大新聞の4コママンガとは、その程度のダジャレでも許されたのである。もちろん30年も続いた「フジ三太郎」だ、名作を選りすぐれば素晴らしい名作ばかりのはずなのだが、あいにく今井君の脳裏に今も残っているのは、その「アラ&スカ」ぐらいなのである。

 

 あの時なぜ作者のサトウサンペイは、福島の須賀川を選んだのか。同じスカなら、なぜ須賀川で、なぜ横須賀ではなかったのか。

 

 横須賀という港町をマンガに選択することを、もしかすると昭和の朝日新聞の雰囲気が躊躇させたんじゃないか。「横須賀海軍カレー本舗」で「辛口・黒カレー」を口に運びながら、ワタクシはふとそんなことを考えていた。

(マスコット「スカレー君」は、ここでも頑張っていた。もちろんカモメだが、駅前で見たスカレー君(前回の記事参照)より、少しカッパっぽい気がした)

 

 試しに、北原白秋が作詞した「横須賀市歌」の歌詞をここに示しておこう(作曲:山田耕筰)。なお北原白秋作詞の市歌は、現在は歌われていない。戦後になって堀口大学の作詞による新しい横須賀市歌が作られ、北原白秋バージョンは廃されてしまったらしい。

 

 難しくても何でもいいから、とりあえず1番から3番まで、3コーラス分を一読してくれたまえ。昭和中期から後期にかけての朝日新聞に、やっぱり横須賀という街の雰囲気はしっくり合致しなかったのかもしれない。

 

「旭日(きょくじつ)の輝くところ 儼たり 深き潮

艨艟(もうどう) 城と浮かび 清明 富士は映れり

勢へ(いきおえ)我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ」

 

「金鉄の貫くところ 鏘たり(しょうたり) 響け軍都

工廠 光赤く 営々 人は挙れり(こぞれり)

勢へ我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ」

 

「聖恩の普ねき(あまねき)ところ 儼たり 見よや東亜

天業ここに高く 皇国 護り康し

勢へ我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ」

 

 艨艟「もうどう」は、「広辞苑」によれば「いくさぶね」のこと。「儼たり」は「げんたり」、手加減のない厳しいさま。「鏘たり」は「しょうたり」または「そうたり」、「大辞泉」によれば「玉や金属が触れ合って高く美しい音の響くさま」または「勢いが盛んなさま」。

 

「ホントにこれ、北原白秋ですか?」と、思わず呻きたくなる難解語彙の連続だ。「昔の人って、さぞかし国語の勉強たいへんだったんだろうな」と、ふと溜め息が出る。

(京急線で、横須賀から久里浜に移動。久里浜港から、いよいよ船で東京湾を横断、房総半島に向かう)

 

 前回記事の「雨が降ります 雨が降る」やら、下に示した「城ケ島の雨」やら、心やさしい童謡&唱歌を書いた北原白秋が、いったん軍都・横須賀の繁栄を描くと、まるで人が変わったみたいに強烈に難しい言葉を使いまくるのである。

 

雨は降る降る 城ケ島の磯に 利休鼠の雨が降る

雨は真珠か 夜明けの霧か それとも私の忍び泣き

船はゆくゆく通り矢のはなを 濡れて帆あげた ぬしの船

 

 どうだろう、ワタクシが「昔の人は国語の勉強たいへんだっただろうな」と言う意味は、決して「難しい言葉をたくさん勉強してズラズラ並べなければならなかったから」ではない。その逆なのである。

 

 むしろ、こんなにガチガチの漢語やら難解語句やらをパンパンに詰めこまれた頭で、これほど情緒豊かな心やさしい詩や物語も、さらりと笑顔で書けなければならなかったこと、そちらの方である。

 

 そしてついでに、読者の能力の高さにも感激するのだ。市歌の歌詞でさえ難解語彙が溢れかえっているのに、心温まる物語に感激し、かわいい童謡や唱歌も心から味わい尽くすことが出来たなんてのは、今の国語教育からは考えられないハイレベルじゃないか。

 

1E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 2/3

2E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 3/3

3E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

6D(DMv) BLACK WATER

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