Wed 230607 アイドル♡娘義太夫/どうする?どうする?堂摺連/再び大河のこと 4381回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 230607 アイドル♡娘義太夫/どうする?どうする?堂摺連/再び大河のこと 4381回

 女子アイドルの歴史はマコトに長く、近代&現代だけにしぼっても、13歳14歳のお子様アイドルから、20歳25歳に成長して「そろそろアイドルは卒業」「ミュージカルに挑戦してみたい」と発言するぐらいまで、ありとあらゆる形態の女子アイドルたちが、感受性の強い男子諸君を夢中にさせてきたのである。

 

 1960年代から1990年代にかけては、「ピン」のアイドル主流の時代が長く続き、いわゆる「カワイコちゃん」が広いステージを独占して歌い踊れば、会場を埋め尽くした数百数千の男子諸君が、その野太い声を揃えて声援を送った。

 

 世紀末から今世紀初頭にかけて、おそらく「ピンの時代」が長く続きすぎた反動だったのか、一気に人数がワラワラ増加し、46人も48人も女子校のクラス全員みたいにステージ全体に展開して、「おやおや狭すぎて転げ落ちやしませんか?」と不安になるほどだが、まあそれも時代の趨勢と要請なら、やむを得ないのである。

(5月30日、明月院のハナショウブ。今日は「接写」を中心にご覧ください 1)

 

「ピンの時代」でも、「ピンでは厳しいかも」というアイドルたちを2人組セットで売り出す手法があって、古い順に「こまどり姉妹」「ザ・ピーナッツ」「ピンクレディ」「ウィンク」と並べれば、さすがに「こまどり姉妹」は古色蒼然としすぎて返って強い興味を呼び、読者の指はふとYouTubeを求めてピクピク動き始めるかもしれない。

 

 2人組でも難しそうなら3人組、だんだん数が増えていって、近代日本ならもちろんキャンディーズ、アメリカのミュージカルの世界なら「Dream Girls」であり、頑張っているうちに2人のうちの1人、3人のうちの1人に「ピンとして売り出そう」というチャンスないし僥倖ないし誘惑が訪れることもあった。

(5月30日、明月院のハナショウブ。今日は「接写」を中心にご覧ください 2)

 

 そういうアイドルの系譜をさらに遡って、昭和初期 → 大正 → 明治 → 江戸末期まで探ってみると、何と言ってもクローズアップされてくるのが「女義太夫」ないし「娘義太夫」の世界である。

 

 大作家・志賀直哉も、娘義太夫に夢中だった一人。あんな難しい顔で難しい小説を書きまくり「小説の神様」とか言われていたくせに、実はいい年をして当時のアイドル♡娘義太夫に夢中になり、彼女の艶姿を見ようと寄席や芝居小屋に通い詰めた歴史がある。

 

 正岡子規と並ぶ俳句界の巨匠・高浜虚子どんもまた、娘義太夫にカッカと真っ赤に燃え上がり、代表作「俳諧師」の中にも娘義太夫が登場する。

 

 彼が夢中になった娘義太夫、その名は竹本小土佐(ことさ)というらしいが、例えば15歳とか16歳といっても、明治時代の年齢は一般に「数え年」だ。数え年とは、「生まれた瞬間に1歳、次のお正月で2歳」という数え方だから、21世紀の「満年齢」より2つほど上になる。

 

 だから、数え年15歳とは満年齢13歳、数え年16歳なら満年齢14歳。文学の世界で立派に名を成した大小説家なり大俳諧師であっても、満年齢13歳14歳のアイドルに夢中になってしまう。男子とは、そのような生き物なのである。

(5月30日、明月院のハナショウブ。今日は「接写」を中心にご覧ください 3)

 

 そのアイドル史を、さらに江戸後期や江戸前期まで遡ってしまうと、ついには出雲阿国にたどり着き、そこから先は諸君の関心の範囲外になっちゃいそうだから、まあここまでにしておこう。

 

 しかし今をときめく北野武、カンヌでも激烈なスタンディングオベーションを受け、いつまでも拍手が鳴り止まなかった彼も、その祖母である「北野うし」という女性は、娘義太夫のアイドル太夫であったのであって、芸名を竹本八重子といった。

 

 若い諸君は、浄瑠璃とか文楽とか義太夫とかいうと「カンケーネェ」とすぐにソッポを向くだろうが、ホンの100年アイドル史を遡れば、そこには意外なほど現代に強く結びついた世界が待っている。世界の巨匠・北野武の映画にも、娘義太夫の世界の影響が色濃く残っているのかもしれない。

 

 もっとも、ワタクシにとっての北野武は、どこまでもビートたけしなのであって、1980年代の木曜日深夜を席巻した「ビートたけしのオールナイトニッポン」については、横に陣取った放送作家のケラケラ笑いがうるさいのが玉にキズだった以外は、水曜夜のタモリとともに深夜放送の金字塔と言っていい。

(5月30日、明月院のハナショウブ。今日は「接写」を中心にご覧ください 4)

 

 さて、その娘義太夫であるが、基本としては義太夫を語る太夫が1名、その脇で三味線を演奏する娘が1名、計2名セットが一般的。三味線の担当が見つからなければ、ギターの弾き語りよろしく、太夫自身が三味線を弾きながら義太夫を語るケースも多かった。

 

 女子シンガーソングライターが続々登場したのは、1960年代後半から。70年代80年代には「ニューミュージック」というジャンルがあっという間に日本のステージを席巻したが、実は明治初期の段階で、娘義太夫がその素地をしっかり築いていたのである。

 

 人形浄瑠璃とか文楽とかいうことになると、太夫も三味線も舞台の向かって右側に控え、ステージでは人形遣いの操る人形たちが激しい情念の世界を描いていくのであるが、娘義太夫の場合は一般に「素浄瑠璃」と言われる形式で、人形も人形遣いも一切なし。全ては太夫と三味線、娘2人が舞台中央で演じるのである。

(5月30日、明月院のハナショウブ。今日は「接写」を中心にご覧ください 5)

 

 客席を埋め尽くすのは、ジーサンからオヤジ、「書生」と呼ばれる青年たち。少年もいるが、そういう場所に出入りする少年は、当時は例外なく許すべからざる「不良少年」だから、ファンの中心をなすのは、要するにアイドルに夢中のオヤジたちである。

 

 オヤジが100人も200人もつめかけた寄席や芝居小屋の薄暗い空間で、ステージ嬢の娘2人は身をよじって義太夫を語る。さぞかし芝居小屋は蒸し暑かっただろう。

 

 父を殺された恨み、カレシに捨てられた苦しさ、母と生き別れになった悲しさ、ダンナが廓の女郎に夢中になっているウラミ&ツラミ、それを身も世もない激しさで語るうちに、全身汗まみれ、美しく結った日本髪も乱れ、クシもカンザシも外れて、紅潮した顔を熱い涙が止めどなく流れ落ちる。

(5月30日、明月院のハナショウブ。今日は「接写」を中心にご覧ください 6)

 

 そんなふうにして30分も40分も語り続け、客席のオヤジたちも「どうなることか」「どうなることか」と、息を飲んで舞台上の娘義太夫を見つめ続けている。

 

 そうしていよいよクライマックス、あまりの興奮に、娘はとうとう言葉につまり、つぎのセリフがどうしても出てこない。

 

「セリフ」と言ったって、要するに台本をそのまま読めばいいだけのことなのだが、それでもやっぱり感動と興奮と涙と汗で、ただ台本を読み上げることさえ不可能な状況に陥る。「どうしていいのか、分からない」。舞台の彼女は、そんなふうに厳しく追い詰められるのだ。

 

 その時だ。芝居小屋の薄闇を埋め尽くしたオヤジと青年の集団が「どうする?」「どうする?」と大声で叫び出す。「この娘、いったいどうするんだ」「太夫、ここからどうするんだ?」。男たちも感激のあまり、いま舞台で語られているのがフィクションであるのを、思わず忘却するのである。

(5月30日、明月院のハナショウブ。今日は「接写」を中心にご覧ください 7)

 

 そういう彼らに「どうする連」という皮肉なアダ名がついた。漢字で書けば「堂摺連」。娘義太夫に夢中になって、年甲斐もなく我を忘れるオトコたち。それが「どうする連」。「連」とは、「連中」のこと。坪内逍遥はシェイクスピアの訳文で「children」を「コドモ連」と訳した。さすがですな。

 

 昨年の春、「次の大河ドラマは『どうする家康』です」という情報を耳にした時、ワタクシは「おおそうか、『どうする連』の復活か」と、ポンと膝を打ったものである。

 

 1年で約50回、毎回毎回1つずつのエピソードを中心に据えて、1エピソードのクライマックスを迎える開始後30分ごろ、主人公の困り果てた表情をアップにして「どうする?」「どうする?」「どうする家康?」と、ナレーターが囃し立てるように畳みかければ、50回、なんとか脚本の辻褄は出来上がる。

(5月30日、明月院のハナショウブ。今日は「接写」を中心にご覧ください 8)

 

 昨日も書いた通り、20世紀中の大河ドラマには国民的大作家の書いた小説が「原作」として存在し、原作小説が50回を貫く棒のようなものとして全てを支えてくれるから、その太い柱が崩壊しない限り、大河はその源流である子役時代から、上流・中流・下流へと滔々と淀みなく流れ下った。

 

 そして最終回、大河の河口からポンと主人公をあの世の海に送り出し、

「オヌシらと過ごした一生が、ワシは本当に幸せであった」

「あなた、気を確かにお持ちくださりませ」

「との、どうぞお気をお確かに」

「もう、目が見えぬ」

「あなたぁ」

「とのぉ」

と、みんなで熱い涙を流せば、年末の日本中のお茶の間は、みんなみんな感動に酔いしれた。

 

 そしてパパもママも息子も娘も「来年も大河を見よう」と両の手を固く握り、マコトに素晴らしいタイミングで「来年の大河は…」と番宣になり、「今年は武田信玄でしたが、来年は平清盛です」「良いお年をお迎えください」と、あとは紅白歌合戦や「ゆく年くる年」に繋げばよかった。

(5月30日、明月院のハナショウブ。今日は「接写」を中心にご覧ください 9)

 

 しかし諸君、21世紀には、貫く棒のごときもの、太く頼れる柱が不在で、ほぼ脚本家に丸投げのように見える。ただの丸投げならまだいいが、丸投げしといていろいろな方向から「要望」「要求」「ちゃちゃ」「不平不満」が入る。これじゃ脚本家がたまらない。

 

 こうして毎回1エピソード完結形式 → 毎回同じタイミングで「どうする?」「どうする?」というタイプの脚本が増える。

 

 これは諸君、朝ドラと同じ作り方だ。朝ドラなら、1つのエピソードが15分の番組中13分経過時点で解決、しかし残り1分30秒、電話がジリリリーンと鳴って、受話器をとったヒロインが「えっ?」と驚きの表情、次のエピソードに繋がったところで、8時15分を迎える。

 

 しかしこういう構成の仕方は、「大河」という概念にふさわしくないのだ。必要なのは、貫く棒のごときもの、太く高く頼れる柱、他のな所からの要望や要求やチャチャに影響されない、首尾一貫した主人公の人生観なのである(まだ続きます)。

 

1E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.2 & No.6

2E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.3, No.5 & No.8 

3E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.9

6D(DMv) AGAINST THE CLOCK

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