Sun 230604 古文の世界へゆっくりシフト/名店・喫茶チロル/ドイツ語を読む人 4378回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 230604 古文の世界へゆっくりシフト/名店・喫茶チロル/ドイツ語を読む人 4378回

 何だか自分の中で、英語講師から古文のセンセへの脱皮が、確実に、堅実に、ごくごくゆっくりと進行しているような気がする。

 

 一昨日の記事の締めくくりが、徒然草第41段。昨日の締めくくりは、4月国立文楽劇場の人形浄瑠璃「妹背山婦女庭訓」に関する長々とした述懐だ。こりゃもう半分、古文のセンセになりかけている。

 

 もしも今井のブログに、大学受験情報やら、英語の出題傾向の分析やら、ありもしない「受験テクニック」の披露や解説を求めている人がいたら、きっともう怒り心頭、「カンケーねーことばかり書いている」「読んで損した」「タップするんじゃなかった」とか、さぞかしお腹立ちだろうと信じる。

(4月28日、東京南青山「根津美術館」にカキツバタを見にいく 詳細は明日 1)

 

 でも、もう英語の講師は、完全にAIさまたちにお任せした方がよくないか。AIさまたちなら、例えば発音だって一度学習してしまえば、アメリカ発音・イギリス発音・オーストラリア発音、すべて2度と間違えたりしない。

 

 下手をすれば、というかもしもそういう需要があれば、21世紀テネシー州の中年男子に特徴的な発音とか、20世紀終盤のダブリン下町の10歳代女子の発音とか、シドニーの港を散歩中の中国系移民の発音とか、そんなんだって高速学習して指導にあたれるはずだ。

 

 正式なキングズ・イングリッシュだって、高齢のアフリカ系アメリカ人男性のスラングだって、アメリカ社会に溢れるテレビCMに独特の言い回しだって、一度学習したら、今を生きる現地の人々より、はるかに正確に使いこなせるようになる。

(4月28日、東京南青山「根津美術館」にカキツバタを見にいく 詳細は明日 2)

 

 もっと言っちゃえば、例えばAIさまにシェイクスピアの作品に関する全ての情報を学習させ、シェイクスピアがもっと長生きしたら書いたであろう40作目や50作目を書かせたらどうなるか。やがてAIシェイクスピアが、ほとんど無限にシェイクスピア劇を高速生産し始めるかもしれない。

 

 その「シェイクスピア」を、ブロンテやへミングウェイやスタインベックやオースティンに応用すれば、いやはやマコトに刺激的な英米文学の世界が誕生するわけで、今さら英米文学の学者なんか必要とする人はいなくなる。

 

 さらに話を進めるなら、同じようにして「ベートーヴェン交響曲 第10番」やら「第11番」を夢想することも、「ブラームス交響曲 第5番」「第6番」を夢想することも無茶ではない。「ゴーギャンがもしタヒチではなく日本に流れ着いていたら描いたであろう絵」を夢想することだって可能なのだ。

 

 中1の頃の今井君は、御多分に洩れず星新一のショートショートに夢中になったが、その中に「神」という佳品がある。巨大コンピュータに世界中の神の情報、歴史上全ての神についての情報を学習させる。その結果がどうなるか、どうやらAIさまたちが、そろそろ現実に見せてくれそうだ。

(4月28日、東京南青山「根津美術館」にカキツバタを見にいく 詳細は明日 3)

 

 世界が急速にそちらの方に進んでいくとすれば、「いわんや予備校の英語講師においておや?」であって、文法の知識も曖昧、書いた英作文はネイティブのチェックが必要、日本語訳の「こなれた日本語」にヤタラこだわるかと思えば、彼の発音をAIさまが認識してくれない、その種の日本人英語講師なんてのは、まもなく駆逐されるに決まっている。

 

 せめて「ルックスで勝負」ぐらい出来ればいいが、その類いのセンセはやっぱり短命に終わる。大ベテラン今井は、長年にわたってこの世界を眺めてきたが、ルックス勝負で20年も30年も生き抜いた人を見たことがない。イケメンの彼らにだって、やがて容赦なく老醜が忍びよるのだ。

 

 例えば「Stephen」という男子の名を、ふと間違って「ステファン」と発音したりする。するともうそれだけでダメなので、あんなに激しく声援していた彼のファンたちは、ばらばらと櫛の歯が缺けるように去っていく。だって、そのレベルのセンセのファンを意地でも自称するのは、やっぱりカッコ悪いじゃないか。

(4月28日、東京南青山「根津美術館」にカキツバタを見にいく 詳細は明日 4)

 

 その点、古文のセンセは違う。ワタクシのイメージでは、まだ中年のオジサンであるうちは、まだまだ古文を若者たちに教える資格と品格が十分とは言えない。

 

 50歳を超え、60歳を超え、アラウンド70歳となり、経験やら挫折やらを気が遠くなるほど積み上げて、優しい滋味あふれる笑顔を絶やさず、静かで落ち着いた日本語の発音ができる高級ジーサマにならない限り、古文を語るには時期尚早なのだ。

 

 だから今もなおワタクシは、まだまだ完全に未熟者だ。今でも些細なことにイライラするし、ちょっと何かあればムカつくし、路上の小石は蹴とばすし、車内放送がうるさすぎると「車内放送がうるさすぎませんか?」と、車掌やアテンダントさんに声をかけたりする。まさに未熟者の証拠だ。

 

 まだまだ、研鑽に研鑽を積んでいかないと、古文のセンセを名乗るのは許されない。知識とか学問の深さとか、そういうことではない。優しさだ。ジーサンとしての高級さ高邁さ、高い品格だ。

 

 最近のアラウンド60歳は「アラウンド還暦」ということで「アラカン」、アラウンド70歳だと「アラウンド古希」だから「アラコキ」、そういうマコトに無慈悲な呼び方をするらしいが、まさに必要なのはそうやって着実に年齢と経験を蓄積し、優しさと滋味を蓄えていくことであるらしい。

(4月28日、東京南青山「根津美術館」にカキツバタを見にいく 詳細は明日 5)

 

 4月26日、23日からの3泊4日の京都滞在もまた、一切の留保条件なしに楽しい日々だった。夕暮れの新幹線を予約していたから、ホテルから駅のオフィスに荷物を送ってしまい、午後からは旅の締めくくりの散策を満喫することにした。

 

 地下鉄東西線「二条城前」の駅で降り、目指したのは老舗喫茶店「チロル」。ここのカレーをどうしても食べたかった。カレーの写真は昨日の記事の最後に掲載してあるから、どうかご覧いただきたい。タマゴの具合も、カレーの辛さも、期待した通りの「オイシューございました」だった。

 

 たいへん雰囲気の良い店で、向こう側のテーブルでは「アラコキ」どころか「アラキジュ」ないし「アラサン」と思われる高級オジーチャンが、分厚いドイツ語の本を熱心に読んでいらっしゃる。アラキジュとは「アラウンド喜寿(=77歳)」、アラサンとは「アラウンド傘寿(=80歳)」、まあそういうことである。

(東京・日本橋の名店「レストラン 東洋」。創業60年の歴史を誇る。詳細は明日の記事で 1)

 

 おそらく自宅の書斎から持参したと思われる古色蒼然とした「独和辞典」を引き引き、1行1行をマコトに大切に読み進めていらっしゃる。「速読」とか、そんな幼い無慈悲な世界とは完全に無縁の、優しく高貴な読書である。

 

 使っていらっしゃる独和辞典は、昭和中期の文学部独文科を席巻した博文社「木村相良 独和辞典」だ。木村謹治・相良守峯、2人の東京帝国大学教授が編纂した名著である。

 

 木村教授のほうは、秋田県五城目町の出身。我が秋田県立秋田高校の先輩だ。相良教授は山形県鶴岡市、鶴岡南高校の出身、我が父・三千雄は鶴岡南のライバル・酒田東高校の出身。お2人とも今井君から見ればマコトに偉大な先輩であり、岩波文庫のドイツ文学には欠かせない2人なのだ。

 

 今ではもう信じられないが、昭和の時代までは、ドイツ語やフランス語を夢中で勉強する人は少なくなかった。「木村 相良」の独和辞書は、カタカナで「キムラ サガラ」と呼ばれ、大学1年2年の定番としてすっかり定着していた。

 

 ワタクシも大学の第2外国語にドイツ語を選択したが、担当の根岸教授は「木村 相良」をあまりオススメにならず、クラス全員が三修社「現代独和辞典」を買わされた。

 

 根岸先生も、今思えば懐かしい。「単位をなかなか認めてくれない」ということで評判は悪かったが、ホーフマンスタールの詩がご専門で、まあドイツ文学者独特のロマンチスト。18歳19歳の学部1年生50名に、カセットテープに合わせて「ローレライ」を合唱させたりした。

(東京・日本橋の名店「レストラン 東洋」。創業60年の歴史を誇る。詳細は明日の記事で 2)

 

 今「チロル」の隅っこのテーブルで、高級そうなオジーサマが分厚いドイツ語の原書を開き、ドイツ語の辞書をめくっていらっしゃる姿を眺めていると、「やっぱり理想のオジーチャマ像はこれだよな」と、我が意を得たりの気分だった。

 

 大学の先生でいらっしゃったのか、それとも海外駐在員としてドイツ生活が長かったのか、それともアラキジュないしアラサンの年齢になってから、ふと学部生時代や院生時代を思い出して、久しぶりのドイツ語を読んでいらっしゃるのか。いずれにしても、素晴らしい高級オジーチャンと出会った。

 

 読んでいらっしゃったのは、ベルトルト・ブレヒト「三文オペラ」だった。ワタクシは学部1年の夏に河出書房の緑色の全集本で読んだきりのブレヒトであるが、オジーチャンは原書の横にすっかり日に焼けた岩波文庫版を置いて、時々それを参照しながら午後の読書を続けておられた。

 

「21世紀にブレヒトを読むことに、果たして意味があるだろう」ないし「そんなの読んで何の役に立つの?」みたいな、下卑た無粋なことを言いなさんな。役に立たないものに夢中になることこそ、21世紀でも最も賢く高貴な生き方だと、なぜ理解できないんだ?


(東京・日本橋の名店「レストラン 東洋」。創業60年の歴史を誇る。詳細は明日の記事で 3)

 

「これからオウチに帰って、久しぶりにレクラム文庫のE.T.A.ホフマンでも読むかな」と、今井君もふと思いたった。ホフマンの「黄金の壺」、ドイツ語なら「Der Goldne Topf」、1814年の作品。何が役に立たないと言って、これほど役に立たなそうな幻想小説が、他に考えられるだろうか。

 

 そんなことを考えて、「チロル」をそろそろ出ようとしていた時だった。店のドアが開いて、なかなかシャープな感じの女子が1人、颯爽と入店していらっしゃった。こうしてまだ「チロル」の話は続くのであるが、さすがに今日もまた長く書きすぎた。続きはまた明日の記事で。

 

1E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 3/3

2E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

3E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 2/2

6D(DMv) THE POISON ROSE

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