Sat 230603 新幹線が止まっちゃった件/梅田阪急で蕎麦と酒/文楽に熱く感激 4377回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 230603 新幹線が止まっちゃった件/梅田阪急で蕎麦と酒/文楽に熱く感激 4377回

 梅雨入りしたか or しないかのタイミングで、ここまで梅雨末期ライクな線状降水帯の豪雨になってしまうと、さすが日本の誇る鉄道網も各地で寸断されて、東京 ⇔ 大阪の行き来もままならない。

 

 昨夜は名古屋でも京都でも駅は大混乱に陥ったらしいし、東京 ⇔ 新大阪間を走行していた電車も次々と停止。近くの駅まで徐行して、何とかたどり着くところまでは出来たらしい。

 

 しかし問題はその後の対応だ。新富士や岐阜羽島、掛川や三河安城、近くにビジネスホテルもそんなに多く存在しない駅に停車して、「その後どうなるのか」を車内放送でチャンとしなければ、乗客の不安ははかりしれない。

 

 もちろんこんな時、車掌さんやアテンダントの女子職員や駅員さんに食ってかかったり暴言を吐いたりしても、要するにお互いに疲労が増すだけで、何のプラスにもなりはしない。

 

 しかし少なくとも、「これからどうなるのか」「乗客としてどう行動すればいいのか」「ビジネスホテルぐらい、手配してもらえるのか or もらえないのか」、もし分からなければ「分かりません」と正直に、出来るだけ早いタイミングで、しかも頻繁に情報提供をする努力は必要なんじゃないか。

(大阪・国立文楽劇場、ホールには巨大な人形のカシラ。3年マスクをつけていたが、とうとうマスクが外れて、すっきりマコトに勇ましい文七が現れた)

 

 人々の反応を見ていると、びっくりするぐらい鉄道会社に優しく、乗客に厳しい。これほど鉄道会社に優しい国民を、ワタクシは見たことがない。昭和の国鉄時代、何かというと国鉄が目のカタキにされた頃とは、まさに隔世の感がある。

 

「国鉄はタルんでいる」が流行語になり、有名な小説なんかにも「最近の国鉄はタルんでいるし」の一節があったりした。新聞もテレビも国鉄さえ悪者にしていれば、読者&視聴者を味方につけることができた。若い諸君、日本にもそういう時代があったのだ。

 

 ところが昨日&今日の国民の反応を眺めてみると、「大雨になるのは何日も前から分かっていたんだから、旅行を取りやめなかったアンタが悪いんだ」という主張が圧倒的に多い。「こんな時に鉄道会社を非難するのは筋違いだ」「悪いのは乗客」「自業自得だ」というスタンスだ。

 

 しかし諸君、「それでもどうしても行かなきゃいけない」という乗客も少なくないはずだ。おっしゃる通り「自業自得」なんだろうけれども、「万やむを得ず、不安を抱えながらも新幹線に乗り込んだ」という切羽詰まった人々への優しさも忘れないでほしいのだ。

 

 特に、女性とコドモと高齢者だ。「駅から一番近いコンビニまで、雨の中を歩いて10分かかります」という寂しい駅に深夜に到着、これからどうなるか何の情報も与えられないまま、1時間以上も経過して「朝まで列車内に留まることはできないかもしれない」という不確かな情報だけが与えられた時、その不安感ははかりしれない。

 

 日本語の理解できない外国人だって、多く車内に閉じ込められただろう。ワタクシは、フランス山間部の田舎町や、モロッコの荒れ地の真ん中や、ハンガリーやスロバキアやノルウェーの山の中で、似たような状況に追い込まれた経験があるが、いやはやあの静まり返った車内の不安感、思い出すだけで鳥肌が立つ。

   (3年間、暑苦しいマスクをつけてよく耐えた)

 

 平常時の新幹線は、明らかに過剰な情報洪水なのだ。東京から新横浜まで20分、のべつまくなし車内放送が入って、ラジオの放送局内にでも闖入してしまったかのようなありさまだ。

 

 同じ情報を、日本語・英語・中国語・韓国語で計4回も繰り返す。終わったかと思うと今度は車掌さんの声で、日本語と英語の案内が入り、それが終わると車内販売の懇切丁寧な案内があり、ついこの前までは英語のマコトにそっけない声でコロナ関係の案内も入った。

 

 あんなにのべつまくなし車内放送が続いていたのに、いざ何らかの理由で「運転見合わせ」なんてことになれば、今度は息苦しいほどの静寂が続き、意地でも情報を流さない。

 

 ワタクシなんかが提案しても、しかもこんなブログでの提案じゃ、おそらく誰も何にもしてくれないに違いないが、悪天候および事故発生時の車内アナウンスについて、鉄道各社はキチンとマニュアルを整備すべきだと思うし、もっと社内教育を徹底して、乗客の不安解消に努めるべきだと思うのだ。

 

 悪天候で停車、ないし事故発生で緊急停止、「その場合には、車掌またはアテンダントが、最低でも10分に1回以上の頻度で、真摯なアナウンスに努めること」。ついでに「平常時のアナウンスは、必要最小限に努めること」「過剰にならないこと」。この2点、JR各社は一致協力して改善に努めるべきだと考える。

(大阪駅、ウメキタの風景。関西空港や和歌山方面に大阪駅から直接行けるようになった)

 

 さて4月25日、京都に滞在中だったワタクシは、昼過ぎから大阪に移動した。今回の旅の本題は、国立文楽劇場での久しぶりの人形浄瑠璃である。あの日も朝から激しい雨の1日だったが、京都駅で関西空港ゆき特急「はるか」に乗れば、マコトに快適に大阪梅田・北エリアのド真ん中に到着する。

 

 梅田北エリア、省略形が大好きな大阪の人々はすでに「ウメキタ」と呼んでいるが、あらかじめ身体認証を登録しておけば、icocaもsuicaも出すことなしに、肉体1つでスムーズに改札を通れるようになっている。

 

 この10年、ワタクシが京都・大阪・神戸で数えきれないほどの公開授業をこなしている間、ウメキタ地区はずっと大規模工事の真っただ中だったが、どうやらその大工事にも終わりが見えてきた感じ。梅田ばかりが繁栄し、難波や神戸三宮が何となく心配にならないこともないが、とにかくウメキタ、さらに今後が楽しみだ。

(梅田の阪急百貨店で、まずは「なめこ蕎麦」をすする。オイシューございました)

 

 文楽まで3時間ほどの時間の余裕があったので、梅田・阪急百貨店の蕎麦屋に入って昼食をとる。しかし何しろ「3時間」だ。お蕎麦屋でお蕎麦だけすすって3時間、そりゃ無理な相談だ。

 

 まずは「冷たいなめこ蕎麦」、日本酒も1合。1合ぐらいなら、眠くなることもないだろう。しかしまだ2時間以上余っている。腹にもナンボでも余裕がある。致し方ない、「大盛り蕎麦を追加、日本酒ももう1合ください」ということになる。

 

 たいへん威勢のいいお蕎麦屋さんで、お客を送り出す「ありがとうございます」という声に特徴がある。「ありがとぉーーーーー」と「とぉーーーー」のところを息が続く限り長く引き伸ばし、息がもう続かないぐらいになってから、一気に一息で「ございます」を短くくっつける。

 

 その「ありがとぉーーーーー」&「ございます」を何度も何度も聞いているうちに、どうしても「もう1合ください」と店員さんに声をかけたくなり、3合目の日本酒もあっという間になくなった。

(梅田の阪急百貨店、お蕎麦屋に腰を据えた今井君は「大盛り蕎麦」を追加注文。文楽を見に行く前に日本酒3合を飲み干してしまった)

 

 梅田から難波まで地下鉄御堂筋線に揺られ、小雨の降りしきる難波から「黒門市場」を抜けて、文楽劇場までのんびり散策を楽しんだ。東アジアからの観光客が大挙してやってきた黒門市場は、どこもかしこも黒山の人だかり。立ち飲みの飲み屋なんかも満員で、とても入り込めそうにない。

 

 その「入り込めない」という大混雑が逆に功を奏したので、ここで「もう1合」「いや、2合」なんてことをやっていたら、間違いなく文楽劇場で爆睡の恥を晒すところだった。

 

 こうして勇んでやってきた3ヶ月ぶりの文楽は、近松半二が中心になって書いた「妹背山婦女庭訓」、第3段の「山の段」、またはもっと詳しく「妹山&背山の段」。初演は1771年(明和3年)、大坂竹本座。文楽の全ての出し物の中で、おそらくは最も大掛かりであり、最も手の混んだ段である。

 

 普段なら、太夫と三味線が舞台に向かって右側に控え、そこで浄瑠璃を語るのであるが、「山の段」では舞台に向かって右が「背山がた」、向かって左が「妹山がた」、それぞれ太夫2人と三味線2人、舞台の左右に分かれての掛け合いで語る。昭和の言い方で言えば「2チャンネルのステレオ放送」みたいな形式だ。

(文楽の後は、大阪・北浜の焼き鳥屋で日本酒の熱燗「燗ガエル」を痛飲。すぐ近くの「ラグビーの店」にハシゴした)

 

 舞台も、真ん中を流れる吉野川でシンメトリーに2分され、向かって右の「背山がた」が男の世界、向かって左の「妹山がた」が女の世界。男性の論理&感情と、女性の論理&感情が、舞台を2分してしっかりと対峙し、やがて合流&合一して、一気にクライマックスに至る。

 

 いやはや、文楽になんかちっとも興味がないであろう若い世代に説明するのはマコトに難しいが、「妹山&背山の段」だけはどうしても一度でいいから経験してほしい。

 

 ワタクシが眺めた日は、ちょうどNHKクルーが来て収録していたから、きっと近いうちにEテレ「古典芸能への招待」みたいな番組で放送するはずだ。ホントは劇場に来てほしいけれども、何しろ場所は大阪だ、豪雨で新幹線なんかが止まれば「自業自得だ」と厳しい声も飛ぶだろう。とりあえずはテレビ中継で構わない。

 

 男の世界を語るのは、豊竹呂太夫と竹本織太夫。女の世界を語るのは、竹本錣太夫と豊竹呂勢太夫。織太夫と呂勢太夫は若手の2大ホープであり、前者は豪快な語り口で聴衆をトリコにし、後者は落ち着いた端正な語りが身上で、綺麗に住んだ高音で客を魅了する。

(翌4月26日、京都・神泉苑近くの名店「喫茶チロル」にてカレーをいただく。詳細は、明日の記事で)

 

 まあここから先は「ちっとも分からない」「興味ネェ」でいいのだが、1970年代から1980年代の昭和文楽の全盛期、ともに人間国宝だった2人の太夫がいた。竹本津太夫、彼は豪快で豪放磊落な語りで聴衆を力強く引きずり回した。竹本越路太夫、彼の模範的で端正な語りは、おそらく文楽の歴史で最も美しかった。

 

 今の織太夫と呂勢太夫のライバル関係を見ていると、さすがに21世紀だ、スケールはグッと小ぶりになってしまったけれども、昭和期終盤の津太夫と越路太夫の競い合いを、ふと思い起こさせる気がするのである。

 

 あの時は、2人の横綱の間に割って入ろうとする第3極の大関格として、竹本文字太夫が台頭してきていた。のちの竹本住大夫であるが、彼はこの「妹山背山の段」について「こんな結構な段を語って、お客さんを眠らせてしまったら、それは太夫の責任や」と述べたのだという。

 

 そんな太夫さん憧れの「結構な段」、しかも当代を代表する人形遣いに三味線弾きが一堂に会し、若手太夫の2大スターが共演する状況だ。眠くなるはずはない。今井の授業で誰も居眠りなんかしないのと、まあ似たようなものかもしれんね♡

 

「直前に日本酒3合」の今井君も、一睡もしないばかりか、終盤では熱い涙を隠しきれず、近くの席のジーチャン&バーチャンたちと一緒に涙をぬぐった。

 

 夕方6時、ついに幕切れになって席を立つ時も、まだ言葉が出ないほど感激して、「どうしても若い人たちにこれを見てもらわなきゃ」と、熱く思いつめていたのだった。

 

1E(Cd) Goldberg & Lupu:SCHUBERT/MUSIC FOR VIOLIN & PIANO 1/2

2E(Cd) Goldberg & Lupu:SCHUBERT/MUSIC FOR VIOLIN & PIANO 2/2

3E(Cd) Wand & Berliner:SCHUBERT/SYMPHONY No.8 & No.9 1/2

6D(DMv) ALWAYS

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