Tue 230523 千葉&茨城県からの「野菜売りのおばあちゃん」/ネモフィラを見に 4367回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 230523 千葉&茨城県からの「野菜売りのおばあちゃん」/ネモフィラを見に 4367回

 本日5月23日、東京は昨晩の雨から急に冷え込んで、朝の最低気温は13℃。お昼過ぎになってもちっとも気温は上がらず、最高気温17℃の予想。外は冷たい雨が降り続いて、お天気リポートでは「3月下旬並みです」と、女子キャスターがいかにも寒そうに身体を縮めてみせる。

 

 ありゃりゃ、先週末の金曜日、同じお天気キャスターが「もう春のコートは必要ありません」とニッコリ、「週末は衣替えですね!!」と言いながら、キレイなピンクのスプリングコートを衣装ケースにしまい込む小芝居を演じていたのに、知らんぷりで今朝は「朝晩はコートが必要です」とおっしゃる。

 

 ま、その辺をあんまりキツく責めると、天気予報士の皆さまが可哀想だ。全ては天の配剤だ。「30年前に比べれば、それでもいくらかよくなりましたよね」と慰めてあげたほうがいい。

(4月17日、今年も茨城県の「ひたち海浜公園」、ネモフィラの丘を訪ねた 1)

 

 昨夜は昨夜で、NHK21時台の超有名天気予報士のオニーサマが、「ちばらぎ県」と言い間違いをなさった。ワタクシ、聞き逃しませんでしたぞ。若い諸君はご存じないだろうが、「ちばらぎ」とは千葉と茨城を一緒にくっつけた、昭和中期から後期にかけての造語。今ではすっかり死語のはずだ。

 

「ちばらぎ県 … 」と言ってしまった後で、慌てて「千葉県と茨城県では…」と言い直したから事なきを得たが、居間のテレビで一緒にテレビを見ていた大家族なら、「オジーチャン、いま『ちばらぎ県』って言ってたよ、おかしいね」と孫が笑い、オジーチャンは「そうだな、ちばらぎ県って、確かに言っちゃったな」と苦笑しただろう。

 

 もちろん超有名な彼はまだ30歳代にさえ見える若者であるから、「ちばらぎ」、そんな古色蒼然とした死語が頭の中にあるとは思えないが、昭和の昔のカッケー東京人の中には、近郊の豊かな田園地帯であった千葉と茨城をいっしょくたにして「ちばらぎ県」と呼び、いやらしいニヤニヤ笑いを浮かべる者も少なくなかった。

(4月17日、今年も茨城県の「ひたち海浜公園」、ネモフィラの丘を訪ねた 2)

 

 昭和の昔には、千葉と茨城からの早朝の電車で、新鮮な野菜を東京に売りにくる農家のおばあちゃんたちがいた。「いた」どころの話ではない。当時の常磐線、水戸・土浦・柏・松戸、確かに「ちば」と「いばらき」とを北から南に縦貫する電車であるが、朝1番や2番の電車は、野菜売りのおばあちゃんたちでギュー詰めだった。

 

 茨城と書いて正確には「いばらき」、あくまで「き」であって「ぎ」ではない。だから例え2県を短縮しても「ちばらき」であって「ちばらぎ」ではないはずだが、いやったらしい東京人は意地でも「ちばらぎから来る野菜売りのおばあちゃん」と呼んだ。昭和の小説やテレビドラマにも多く登場する。

 

 常磐線以外にも、千葉からの京成線や国鉄成田線・国鉄総武線も、野菜売りのおばあちゃんたちで満員。思えば、日本が一番活気に溢れていた時代で、特に常磐線でやってくるおばあちゃんたちの茨城ナマリは絶品。千葉県松戸で生活していた若き今井君は、おばあちゃんたちの発音を聴きながら、北関東コトバをマスターした(昨日の記事参照)。

(4月17日、今年も茨城県の「ひたち海浜公園」、ネモフィラの丘を訪ねた 3)

 

 茨城の最南端は、取手市。1984年、第一次「金足農旋風」があって、金足農がベスト4まで勝ち進んだ年だったが、その甲子園で優勝したのは、桑田&清原のいたPL学園を破った茨城の取手二高だった。

 

 取手を始発とする山手線タイプの近距離電車が「青電」。取手以北始発の電車、福島県いわき(当時は「平」という駅だった)・茨城県高萩・日立・勝田・水戸・土浦などを始発とする中距離電車が「赤電」。それぞれ青いから「青電」であり、赤いから「赤電」なのだった。

 

 20世紀までの日本では、欧米なら「グリーン」と呼ぶ色でも「あお」と呼んだ。その名残が「信号があおくなったら渡りましょう」という表現であるが、あれは青ではない。あくまでグリーンである。常磐線の「あお電」もやっぱりグリーン。今も短距離通勤タイプの常磐線にはその「あお」が残っている。

 

「あか電」のほうもマコトに微妙な色彩であって、赤とピンクの絵の具を混ぜて塗り、半年ぐらい直射日光にさらせば、きっとあの電車の「あか」になる。「どうしてこんなに褪めた赤にしたの?」と、小学校の図画工作の時間に先生に叱られるような、そんな「あか」だった。

   (ひたち海浜公園、チューリップも圧巻だ 1)

 

 その「あお電」「あか電」ともに、朝6時台までは野菜売りのおばあちゃんたちで超満員。背中に背負った野菜のカゴというか箱というか、そのあまりの巨大さに、見ているほうが悲しくなった。背負っているおばあちゃん自身の体重よりも、おそらくもっと重いのである。

 

 そんなに遠くから各駅停車の「あか電」「あお電」に乗ってくるのだから、おばあちゃんたちが千葉や茨城の駅に到着したのは、きっと朝4時台か5時台。ということは、あの大きな荷物を背負って家を出たのは、3時台という人だっていたはずだ。

(ひたち海浜公園、菜の花も満開。向こう側のネモフィラの青と、コントラストが美しい)

 

 その大きな荷物を、おばあちゃんたちは座席の後ろの窓枠にひっかけて乗っける。横一列の窓枠に、ズラリと四角い巨大な荷物が並ぶ。荷物はみんな濃紺の風呂敷に包まれているから、早朝の「あか電」「あお電」の窓は、風呂敷の濃紺に染まっていた。

 

 20世紀の常磐線は、100%上野が終点だから、ものすごい数のおばあちゃんたちが、上野の常磐線ホームを埋め尽くす。もちろん途中の北千住や日暮里で降りていくおばあちゃんたちもいるが、多くは上野から東京都内各地に散っていく。

   (ひたち海浜公園、チューリップも圧巻だ 2)

 

 そうして、背中にかついてきた夥しい野菜類を、昼前までに売りさばく。その様子はNHKの名作シリーズ「新日本紀行」にも描かれた。

 

 一方の東京の奥方たちも「千葉のおばあちゃん」「茨城のおばあちゃん」が売りに来てくれる野菜を心待ちにしていて、一番いい野菜を選んでその日の夕食の献立を決める。

 

 仲間のおばあちゃんたちが4人5人と集まって、街角に小さな市が形成されることもあるが、多くは1人ずつのおばあちゃんが独立独歩でお得意さんを回った。あんなに担いできた野菜類を、昼前までに見事に売りさばいて、昼過ぎから三々五々、再び「あお電」「あか電」で千葉と茨城に帰っていく。

 

「さんさんごご」と入力して「サンサン午後」と変換するような悪ガキも、その頃の日本にはたくさん存在し、そういう元気の塊のようなおばあちゃんたちを見て「ちばらぎのバーチャン」などと囃し立てた。遠い遠い昭和の時代の東京風景。おばあちゃんたちも楽しそうに笑ったものだった。

   (ひたち海浜公園、チューリップも圧巻だ 3)

 

 今井君は、「何て素晴らしい時代だったんだ」と、ふと溜め息をつくのである。小中学校の社会科の教科書では「このごろでは米が余るようになり、特に東京や大阪の近郊では、水田での米作よりも、野菜や果物のような生鮮食品の生産が盛んです。これを『近郊農業』と言います」などという記述になった。

 

 近郊には、優しい元気なおばあちゃんがいて、いつも笑顔の元気なオジーチャンが作ったナスやキュウリやスイカやトマトを、おばあちゃんが担いで都会に売りに行き、一方の都会では、お得意様の奥方やら悪ガキたちがそれを楽しみに待っていた。

 

「すごくおいしいね」「そりゃそうよ、茨城のおばあちゃんから買ったんだから」「そうか、あの茨城のおばあちゃんの野菜なら、おいしいはずだよね」。そういう会話がどこの家の夜の食卓でも弾んだ。そういう時代だった。

(ひたち海浜公園、「ヤグルマギクの小道」というのもある)

 

 今日の写真は、4月17日「ひたち海浜公園」でのものである。春はネモフィラの丘になってブルーに染まり、秋にはコキアの丘になって美しい赤に染まる。

 

 その「青と赤」のコントラストを思いながら、ふとワタクシは「あお電」「あか電」を思い出して、涙が出そうになる。すっかり時代は変わり、元気で優しいおばあちゃんも、働き者の笑顔のオジーチャンも、数年前の朝ドラ「ひよっこ」の中にさえ、ほとんど登場しなかった(気がする)。

 

 4月17日、ワタクシは東京駅から常磐線の特急「ひたち」に乗って勝田に向かった。「ネモフィラが見頃です」のニュースを見て、例年通りネモフィラの真っ青な丘を眺めに出かけた。毎年恒例の近場の旅である。

 

「東京駅から常磐線」と言っただけで、隔世の感がある。きっと昭和のジーチャン&バーチャンは信じない。「常磐線っつうもんは、上野からだっぺ」と、ムキになって怒り出すかもしれないが、今や常磐線は品川からだし、普通列車でもグリーン車がついている。野菜売りの早起きバーチャンたちを、一度でもいいからグリーン車に乗せてあげたかった。

       (勝田駅発、阿字ヶ浦行き)

 

 勝田の駅からは、タクシーで「ひたち海浜公園」を目指す。バスもあるが、何しろ大混雑だ。かつての「あか電」ほどではないが、コキアの時とネモフィラの時には、バスは敬して遠ざけたほうが無難だ。

 

 駅からネモフィラの丘まで、クルマはずっと一直線の道を走る。運転手さんに「この辺は、むかしはどんな風景だったんですか?」と尋ねると、むかし懐かしい茨城ナマリで「ずっと森と林だったっぺよ」と笑った。

 

 駅から太平洋の砂浜まで、地面はずっと砂地だ。砂地が大好きな松の林が続いていれば、さぞかしキノコなんかもよくとれたに違いない。それこそ昔のジーチャン&バーチャンの独壇場、孫たちをたくさん引き連れて秋のキノコ狩り、さぞかし楽しかっただろう。

(4月17日、今年も茨城県の「ひたち海浜公園」、ネモフィラの丘を訪ねた 4)

 

 ネモフィラの丘に到着、13時。昨年&一昨年はコロナの真っただ中で、ネモフィラの咲く様子もマコトに寂しげだったが、今や中国語と韓国語が渦巻き、4年前の賑わいがすっかり戻っていた。

 

 何しろバエにバエるブルー一色の丘の景色だ。すげード派手な衣装に着飾ってきた女子2人組が、代わりばんこにポーズをとっていたし、やっぱりここでもパパ活カップルがナンボでも大量に押し寄せて、オジサマが女子にポーズを指示し、女子もまた素直にそれに応じて、いやはや日本の田園風景は、すっかり別世界になってしまった。

 

1E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 1/2

2E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2

3E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 3/3

4E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

5E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 2/2

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