Tue 230516 吉野山の桜/奥千本から降りていく/一目「3」千本/柿しるつの謎 4360回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 230516 吉野山の桜/奥千本から降りていく/一目「3」千本/柿しるつの謎 4360回

 吉野山のお花見は、この10年ほぼ毎年恒例になったけれども、今までは必ず大阪から奈良に入ることにしていた。大阪・近鉄阿部野橋駅から2両編成の特急「吉野」に乗り込めば、終点の吉野まで乗り換えなしで行ける。

 

 だから2023年4月2日、京都から吉野に入るのは初めてだった。同じ近鉄電車だけれども、京都からだと橿原神宮で1回乗り換えが必要。でもまあ、大阪の梅田あたりに宿泊して、わざわざ阿部野橋まで行く面倒を考えれば、橿原神宮での乗り換え1回ぐらいは大したことはない。

 

 思えばこの3年、ずいぶん国内旅行を楽しませてもらった。コロナのせいで観光客が激減したのを利用して、鞍馬の火祭りも、東大寺のお水取りも、京都五山の送り火も、廬山寺の節分の「鬼ほうらく」も、同じ節分の天龍寺・聖護院・千本釈迦堂の豆まきも、みんなみんな余裕たっぷりに満喫できた。

 

 しかしコロナがとうとう収束し、終息の気配が濃厚になって、余裕の国内観光もそろそろオシマイになりそうだ。4月2日、京都から吉野への特急もほぼ満席。家族で座席をクルリと回転させ、「飲食しながら談笑」という昔なつかしい光景だって、再開していた。

(吉野山・吉水神社からの「一目千本」。とうとう満開の一目千本を見ることができた)

 

 吉野に到着、13時。日暮れが18時ごろだから、まあ5時間はあるが、ワタクシの計画では一気にいちばん山奥の奥千本まで上がって、後は奥千本 → 上千本 → 中千本 → 下千本と、ひたすら山を降りてくるルート。3時間あれば十分に踏破できるけれども、やっぱり「13時から」ということになると、少し急いだ方がいい。

 

 駅前からタクシーに乗る、これはいつも通り。バスもあるが、「上千本」までしか行かない。ロープウェイもあるが、これは「下千本」までしか行かない。しかもスキー場のゴンドラみたいな小さな空間に、数十人がギューヅメになってゆらゆら大きく揺れていく。見た目にいかにも剣呑だ。

(近鉄・吉野駅。いつもは大阪阿部野橋からだが、今年は京都からのルートを選んだ)

 

 昨年は4月7日だったか8日だったか、NHKの朝のニュースで「吉野山の桜が見頃です」という女子アナの一言を信じて吉野山を訪れた。しかしタクシーの運転手さんはプッと噴き出して「もうとっくに終わってますよ」「奥千本しか花は残っていませんよ」とおっしゃった。

 

「地元の店の馴染みになって、『桜はどうですか?』って電話をかけて聞くぐらいじゃないといけませんね」と、そうおっしゃるのである。「なるほど、そういう積極性が必須なんですかね」と答えたが、お花見みたいなあくまでノンキであるべき娯楽に、「積極性」はどうも似合わない。

 

 そこで今年は勝負をかけて、20世紀には4月中旬どころか4月下旬が見頃だった吉野山に、4月2日に訪れることにした。ホントにホントにウソではなくて、もし20世紀の人間に「4月2日の吉野に行きました」と打ち明けたら、真顔で「雪は残っていませんでしたか?」と問い返されただろう。

    (吉野山、上千本あたりから奈良盆地を望む)

 

 タクシーは20分ほど走って「奥千本」に到着。源義経が追っ手を逃れてしばらく隠れていたほどの山奥であるが、ここまで山を上がってきても、もう桜は5分まで咲いている。

 

 昨年は「ここだけしか花が残っていない」という悔しさを味わった。しかし今年は大丈夫だ。ここから上千本 → 中千本 → 下千本と、山を下りながらどこまでも満開の桜を満喫できる。

 

 このブログにももう何度も書いているが、今井君がコドモの頃は、桜はもっとピンクが濃かった。日本中のソメイヨシノが、この数十年の間にどんどん白っぽく、色が褪せてきたように思う。

 

「花の色は 移りにけりな いたずらに 我が世にふる ながめせしまに」。小野小町は気づかぬうちに進んでしまった自らの容色の衰えを嘆いたわけだが、ソメイヨシノの容色も同じように、20世紀から21世紀の繁栄の夢をいたずらに追ううちに、どんどん白っぽく衰えてきたように感じる。

(吉野山、上千本にて。今年はぴったり満開の日だった。赤い若葉も美しい 1)

 

 しかし吉野山は違う。この山には様々な種類の桜が入り混じって生きていて、例えばヤマザクラは赤いねっとりした色の若葉も花と同時に伸びてくるから、山全体の色が濃厚なのである。「上千本」から奈良盆地を見下ろすあたり、濃厚なピンクの桜と山の緑のコントラストが美しい。

 

 近畿の人はマコトに粘り強く、この険しい山を下からズンズン登っていらっしゃる。ワタクシみたいな軟弱なサトイモは、「タクシーで一気に山のテッペンへ」「そこからはひたすら山を下るだけ」という安易なコースを選択するが、多くの近畿人は「フモトからテッペンへ」という困難をあえて選んでいらっしゃる。

 

 初めて吉野山にチャレンジした時、ワタクシは駅から徒歩で「下千本」まで上がったあたりで「もういいや」「これ以上がんばったら息絶える」とばかり、さっさとその辺の蕎麦屋に入って酒を飲み、ついでだからもう1軒、別の店でイノシシ鍋をつつきながらまた酒を飲み、奥千本どころか「中千本だの上千本だのまで上がっていくのは、ただのモノ好きだ」とまで罵言を吐いたが、いやはやつくづく恥ずかしいことをした。

(吉野山、上千本にて。今年はぴったり満開の日だった。赤い若葉も美しい 2)

 

 さて、それでも中千本まで降りてくると、さすがに今の辛抱強いワタクシでも「喉が渇いた」とか、余計な弱音を吐くのである。するとまず、何とかいう展望台のあたりに「しいたけ飯」と大書した看板の茶店があり、冷たいビールなんかもこれ見よがしに並べてある。

 

 そこは何とか「シイタケの混ぜご飯なんか、食べてられるか」の暴言を吐いて通過するのであるが、このあたりから今井君を悩ませるありとあらゆる誘惑のワナが待ち受けている。

 

 古今東西を問わず、苦悩の聖人君子が砂漠や荒野やツンドラみたいな場所で厳しい修行していると、誘惑の悪魔たちが大挙して出現し、やれ酒だ、やれゴチソーだ、やれ若く美しい女子だ、そういうワナで堕落へ堕落へと誘うのである。

 

 今井君はといえば、「若く美しい女子」の誘惑のワナは大丈夫、滅多なことでハマることはない。まさに難攻不落、堅守の名城だ。そこにはガツンと強固な自信があって、おお、サトイモ聖人というか、セント・サトイモというか、この楕円形人間はそこはマコトに頑丈にできている。

 

 しかし諸君、そのぶん前2者(酒&ゴチソー)にはマコトに弱い。というより、「誘惑はないかなー♡」「ワナはないかなー♡」と鵜の目&鷹の目、誘惑がなければ腹をたて、ワナがなければムカついて、「ワナも誘惑もない場所になんか、2度と来るもんか」「サイテーだ」とプリプリ&プンプン、怒りを路傍の小石にぶつけ、力いっぱい小石を蹴って、靴を2足も3足もあっという間にダメにする。

(吉野の名酒ヤタガラス、漢字で書けば八咫烏。毎年ここで升酒をいただく)

 

 そういうわけだから諸君、「中千本」まで降りてきて、升酒を振舞っている造り酒屋「ヤタガラス」の前まで来ると、「こりゃシメた」とばかり店先に座り込み、清酒に濁り酒に、升酒を2合も3合もぐいぐいやって、たまった鬱憤を晴らすことになっている。

 

 ただし今年は「清酒は売り切れました」「濁り酒しか残ってません」と言われてまたまたプンプン&プリプリ、その残っていた濁り酒をぐいっとやって、すぐ近所の吉水神社まで「一目千本」を眺めにいった。

 

「一目千本」というのは、文字通り「一目で千本の桜が見られます」という名所である。この数年、毎年のようにここにその絶景を眺めにきて、しかし毎年のように裏切られた。

 

 毎年毎年「ほとんど散ってしまいました」というタイミングになり、吉野の山に薄赤いデンブみたいに張りついた春の桜の名残を見て、がっかりして帰るのが恒例になっていた。

 

 デンブを知らない人は、明日あたり近くの百貨店のデパ地下にでも出かけて「デンブって売ってますか?」と係りの人に尋ねてみたまえ。漢字で書けば田麩、正式には桜田麩(さくらでんぶ)であって、間違っても諸君、「臀部」はやめたまえよ。

(吉水神社からの「一目千本」。どうしても「一目3000本」のはずだ)

 

 上の写真で確認してくれたまえ。手前から奥にかけて三角形の桜の山が3つ連なっていて、手前が「中千本」、真ん中が「上千本」、一番奥が「奥千本」。桜田麩の絶景の山が3つ、一目で眺められるから「一目千本」と名付けられたのである。

 

 ワタクシなんかはマコトに理屈っぽいので、「千本ずつ3つなんだから、1000 ×3でどうしても3000本。『一目三千本』と改名すべきではないか」と、灰色の脳細胞はその論理的思考を停止できなくなるのであるが、どんなに論理的であっても「語呂のよさ」みたいな感性には勝てないのである。

 

 さて、そうこうするうちに夕暮れの気配も近づいた。「ワナ」「誘惑」「酒」「ゴチソー」みたいなものには、どうやら吉野山ではありつけそうもない。

 

 向こうからは、どうみても50歳代以上のオジサマが、ド派手なカッコ&メイクの20歳代女子と「パパ活」の真っ最中、そのアリサマを眺めてワタクシは早く山を降りたくなり、夕暮れの迫る下千本のあたりを早足で吉野駅に向かった。

(もうすっかりお馴染みの「柿しるつ」。その謎を解くのは、諸君に任せた)

 

 途中、もうすっかりお馴染みになった「柿しるつ」の店に立ち寄る。「柿しるつって、何ですか」「おいしそうですね、柿しるつ。何か新しいスイーツですか?」であるが、もちろん諸君、その謎は諸君自身が解決してくれたまえ。来年4月になったらすぐに、吉野の山に分け入らなきゃいけない。

 

 例えば「Kaki Shilt」みたいな単数形があって、その複数形が「Kaki Shilts」なのかもしれない。下手をするとそれを46個か48個集めて「Kaki Shilts 48」みたいなことになるのかもしれない。ワタクシはもうこのお店のお馴染みサン。今年も2個のKaki Shiltsをゲットして、意気揚々と吉野の駅に到着した。

(近鉄京都駅の地下街で、スペイン語の嵐に包まれつつ、黒豚ヒレカツ定食を味わう。オイシューございました 1)

 

 あとは諸君、またまた近鉄電車に揺られ、橿原神宮で乗り換えて京都を目指すばかりである。宿泊したのはこれもお馴染み「宝ヶ池プリンスホテル」であるが、ホテルにチェックインする前に、近鉄京都駅の地下街でヒレカツ定食をいただいた。

 

 しかしやっぱりコロナはほぼ収束ないし終息、何の変哲もないそのトンカツ屋さんも、スペイン語を話す(たぶん)(まちがいなく)中南米からの団体客でパンパンの満員。団体は30人ほどで、お店の中はスペイン語の響きに破裂寸前だった。

(近鉄京都駅の地下街で、スペイン語の嵐に包まれつつ、黒豚ヒレカツ定食を味わう。オイシューございました 2)

 

 いやはや、京都のオーバーツーリズムは、こんなフツーの店まで破裂寸前まで追い詰めるのだ。ただしまあ、「儲かりますな」というのもまた間違いない。

 

 お会計の時に、中南米団体の会計係サンと一緒になったのだが、彼ら彼女らのお会計はマコトに凄まじいお値段になっていた。そりゃ、次々とビア、次々と白ワイン、次々と赤ワイン、ウェイターもウェイトレスも目を回すぐらいに飲みまくったら、凄まじいお会計も当然だ。

 

 静けさ&穏やかさをとるか、「儲かります」をとるか。こりゃまた難しい問題に直面するのであるが、ワタクシとしては「致し方ない、自分たちもまた負けずに海外に足を向けなきゃ」という思いを強くしたのである。

 

1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES4/6

2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 5/6

3E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 6/6

4E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2

5E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 2/2

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