Sat 230513 スミレってスミレって/愛の水中花/本中華/嫉妬を歌ったアイドル 4359回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 230513 スミレってスミレって/愛の水中花/本中華/嫉妬を歌ったアイドル 4359回

 3月に始まったワタクシの「花活」は、別にNHK朝ドラの影響を受けたわけではない。実際、牧野富太郎を「万太郎」にかえた朝ドラを目撃したのは、今日までで2回だけだ。

 

 1回目は旅先で朝風呂から出たところで、松坂慶子どんが「分家のブンザイで!!」と怒鳴り散らすシーンだったし、2回目もオウチの朝風呂から出たところで、松坂慶子どんが「姉弟ではなくて実は従姉弟どうしなんだから、2人は結婚しなされ」と、話にならない無理を押しつける場面だった。

 

 今では松坂どん、あんな貫禄十分のおばあちゃんを演じているが、今井君がコドモの頃は(当たり前だが)まだ可憐な女子高生やら何やらを演じていて、確か出世作は、NHKが平日夜9時40分から20分間放送していた連続ドラマの1作「若い人」だった。

(4月2日、京都駅前の路上で美しいスミレの群落を発見 1)

 

 そういうことをしっかり記憶している人間がいるから、女優とかアイドルはマコトに辛い職業だと思うが、石坂洋次郎という作家が戦前に書いた長編小説に「若い人」と言ふのがあって、ブレイク直前の松坂どんが演じたのはそのヒロイン、16歳だか17歳だかの女子生徒「江波恵子」という役だった。

 

 女子生徒がヒロインなら、その相手役はむかしむかしのそのむかしから「先生」に決まっていて、石坂浩二が演する国語の「間崎先生」と、恋のライバル「橋本スミ子先生」との3角関係は、なかなか激しいものがあった。

 

 あんまり面倒くさいので、コドモだった今井君は3回目か4回目まで見てヤメちゃったけれども、とにかくそこでブレイクした松坂どんは、伝説の大河ドラマ「国盗り物語」で、斎藤道三の娘 → 「帰蝶」というか「濃姫」というか、ついこの間は川口春奈どんが演じていた例の役を、マコトに鮮やかに演じ切った。

(4月2日、京都駅前の路上で美しいスミレの群落を発見 2)

 

 その後は、歌謡界にも進出。「歌謡曲」と言ふ古色蒼然としたジャンルが全盛期で、まるまる1時間の歌謡曲番組が、1週間に4本も5本もあった。「ベストテン」「トップテン」「ヒットスタジオ」「ベストヒット83」、1980年代とはそういう時代だった。

 

 どうして「ベストヒット83」なのかというと、赤坂プリンスホテルからの生中継で思い切り視聴率を稼ぐだろうと言ふ前提だったテレビ朝日の看板番組は、視聴率1%台に低迷、「83」が「84」になる前に、サッサと打ち切りになっちゃったのだった。

 

 松坂慶子どんの「愛の水中花」は、まさにそういう時代の産物であって、「ハイレグのレオタード」という恐るべきカッコで舞台に登場した松坂慶子サマに、オヤジたちの熱い視線が集中。「わたしは、愛の水中花♡」と歌い上げると、オヤジたちの野太い大歓声が上がった。

 

 まさかあの水中花のヒロインが「分家のブンザイで!!」とか「従姉弟どうしなんだから、結婚せんかい!!」とか、そんな理不尽なことを怒鳴りまくる役を演ずるようになるとは、あの当時の誰が夢に見ただろう。

 

 あの頃の熱い視線のオヤジたち、そろそろ喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿、立派な高齢者として生きていらっしゃるに違いない。いやはや、世の中は恐ろしい。

(新幹線に乗る前に、ビール2本を購入。諸君、センヌキまで買わされるはめになっちゃった)

 

「私は、愛の本中華」という替え歌も流行った。今は亡き「大橋巨泉」というオジサマが「ハウス 本中華」のCMに出ていた頃である。「なんちゅうか、本中華」という名セリフを、タモリどんがそのままマネすると、どういうわけかそれだけのことで、深夜の日本中が笑い転げた。オールナイトニッポン、水曜日深夜である。

 

 いったいワタクシは何の話を書きたかったのかといえば、ちょうどそのころヒットした「すみれ色の涙」というお歌のことだった。岩崎宏美という名のアイドルシンガーが、「ブルーコメッツ」という人々の原曲をカバーしてヒットさせた。調べてみると1981年、レコード大賞だったか何だったか、「最優秀歌唱賞」を受賞している。

(京都、梅小路公園のそばで、古い古いマメ新幹線を発見する)

 

 さて2023年4月2日、ワタクシは早朝の新幹線で東京駅を出発、10時すぎに京都駅に到着した。毎年恒例にしている吉野山のお花見に行く予定だった。

 

 2日に吉野山、3日は平安神宮と府立植物園の枝垂れ桜、4日は仁和寺の御室桜。まさに花見三昧のスケジュールだったが、3者ともほんの15年前なら、4月15日過ぎが見頃の桜。21世紀になって、20世紀の常識が2週間も前倒しになってしまった。

 

 京都駅から吉野山には、近鉄電車で向かう。近鉄の特急指定券もとっくに手に入れていたが、京都発11時の特急だったので、京都でまるまる1時間、時間が空いてしまった。

 

 こういう場合に「コーヒーでも飲んで時間をつぶす」と言ふようなオトナな行動のできないワタクシは、「1時間もあれば、梅小路の公園までゆっくり散策できる」とほくそ笑み、京都駅前を西に向かってノンビリ歩きはじめた。

(京都梅小路公園、京都水族館の前で、大昔の京都市電と半年ぶりの再会)

 

 本日1枚目と2枚目の写真が、そのとき道端に発見したスミレである。「タキイ種苗」の本社前、東海道線や山陰線の電車が頻繁に行き交う道端に、こんなにキレイに咲いていた。いやはや、行き交う人がほとんど何の関心も居抱かないのが不思議なぐらいだった。誰も写真さえ撮ろうとしない。

 

 何しろコドモの頃の今井君は、今の朝ドラとは何の関係もなく「将来は牧野富太郎みたいな植物学者になろう」と決意して、植物図鑑に掲載されている春の雑草を、手当たり次第みんな集めて標本にしていた少年だった。

 

 それこそ「雑草という植物はないんだ」とばかり、「スズメノテッポウ」「ウシハコベ」「ノミノフスマ」「カラスノエンドウ」「ハルノノゲシ」「クサヨシ」「ホトケノザ」「ヒメスイバ」、何でもかんでも近所の原っぱから抜いてきて、正式なラベルまでついた本格的な植物標本を作りまくった。小学3年生の頃である。

     (奥千本から、吉野山のお花見を開始する)

 

 しかし、どうしても近所でスミレが見つからない。見つかっても、花の色の薄い「ツボスミレ」や「タチツボスミレ」ばかりで、植物図鑑に掲載されている本物のスミレ、あの長い葉っぱの、紫の濃い鮮やかなスミレ色のスミレ、「ツボ」とか「タチツボ」とか、そういう余計な部分のない普通のスミレが、どうしても見つからなかった。

 

 だから幼い今井君はホントに長い間、こういう普通のスミレに憧れ続けたのである。小学校を卒業するまで、とうとうスミレに会えなかった。中学校を卒業するまでも、やっぱり「ツボ」「タチツボ」ではない「ただのスミレ」を見ることがなかった。

 

 こうして1981年、「スミレって、スミレって」で始まるお歌「すみれ色の涙」がはやりだした頃になっても、まだ今井君はホントのスミレ色のスミレを眺めた経験がなかった。

      (吉野山、奥千本のあたりにて 1)

 

「スミレって、スミレって」「ブルーな恋人どうしが」「キスして & キスして」「生まれた花だと思うの」(作詞:万里村ゆき子)という歌詞はともかく、最後の最後に「そして、ひとつぶ、スミレ色の涙」と歌い上げられても、今井君の知っているスミレ色は小学館の植物図鑑のスミレの絵のスミレ色と、ツボスミレ & タチツボスミレの薄い薄いスミレ色だけだったのである。

 

 まあ諸君、詳しくはYouTubeでどうぞ。今日はたいへんですな。「ハウス 本中華」も見なきゃいけないし、「何ちゅうか 本中華」も見なきゃいけないし、タモリどんのオールナイトニッポン版「何ちゅうか 本中華」も探さなきゃだし、その前に「愛の水中花」も探さなきゃいけない。ドラマ「若い人」については、探してもどうやら無駄のようだ。

    (さわらびの 萌え出ずる春になりにけるかも)

 

 というようなわけで、4月2日の吉野山に出かける前に、「花活」まっただ中の今井先生は、タキイ種苗本社前のスミレの群落に感激してしまい、溢れる涙を抑えるのに必死。その楕円形の頭蓋骨の中では、40年以上昔の「スミレって、スミレって」が鳴り響き、悔しかったコドモの頃の思い出が渦巻いた。

 

 そこで諸君、諸君を吉野山の桜の中にお連れする前に、1980年代初期のアイドル事情について、ホンの少しだけ話ししたい。48人とか46人とか、男子でも女子でも大量動員で歌って踊るシステムが始まる前のマコトに厳しい時代、アイドルたちはどんなに下手でも1人でマイクを握った。

 

 もちろん2人とか3人とか、何とか逃げ道を見つけるアイドルもいたけれど、とりあえずは「ピン」が原則。売り出し方としては、カッケー先生との悲恋のヒロインとか、余命◯年を宣告された悲劇のヒロインとか、そういうドラマや映画を先行させておいて、その主題歌を歌謡曲番組にもってくるのが定石だった。

 

 少しぐらい歌が下手でも、テレビドラマの悲しいヒロインが「パジャマのままで走ってきたの」「青い湖を見ながら決心したの」ということになれば、500円のレコードぐらい、夢中になって買いに走る若者は少なくなかった。

      (吉野山、奥千本のあたりにて 2)

 

「すみれ色の涙」のオカタは、残念なことに事務所が「ドラマで売る」という方針をとらなかった。デビュー当初から「新人離れした歌唱力」と言ふものを前面に押し出してしまったせいで、そのころ流行しだしたカラオケで歌うのにも、なかなか難しい曲が多くなった。

 

 その後すっかり大人になってから、母性愛がテーマの曲が大ヒットしてアイドルの枠から外れた頃になって、大竹しのぶに続く「明石家さんまの恋人」と言ふ驚くべき役で連続ドラマに登場したが、まあ「時すでに遅し」の感が深かった。

 

 これを書きながらいろいろ調べてみると、やっぱりこれも事務所の方針だったのか、アイドル時代の彼女の曲には、やたらに「嫉妬」をモチーフにしたものが多い。19歳や20歳で濃厚な嫉妬ばかり歌っていたんじゃ、さぞかし苦悩の多いアイドル時代だったろうと思う。

 

 いやはや、ワタクシってどうしてこんなに研究熱心なのかいな? このブログを書くために、ウィキペディアからユーチューブから、2008年6月5日の「第1回」以来、ホントに丹念に調べまくって今回4369回を迎えるのだが、ずいぶんいろんな勉強をさせてもらった。

  (吉野山、奥千本から徒歩で降り、水分神社に到着する)

 

 例えばこの「すみれ色の涙」の元アイドル、ちょうど「愛の水中花」「なんちゅうか 本中華」の頃に20歳を迎えていらっしゃるが、最初に嫉妬をモチーフに歌ったのは「街であなたの車を見かけたの」「助手席のそのオトナ女子が好きなの?」というストーリー。裏切り者の「あなた」は、グッと艶やかな大人女子とデートの最中だったわけだ。

 

 その後は何故か「万華鏡」「摩天楼」みたいな漢字3文字のタイトルのヒット曲が続くが、どちらも裏切り者の「あなた」と、別の女子とのラブシーンを目撃したショックを歌っている。

 

 前者「万華鏡」では、「あなたの巻き毛に うずめられたマニキュア」、ドアの隙間から「一部始終」を目撃して、ショックのあまり夜の街をさまよい歩くストーリー。こちらは「CMソング」という当時の王道中の王道で、大ヒットまでは行かなかったが、「グランプリ候補になる」ぐらいのヒットにはなった。

 

 後者「摩天楼」は「あなたの部屋を訪ねたら バスルームから誰かの声」とワンランク濃厚になって、強いショックを隠しつつ、地下鉄を乗り継いで夜の街を彷徨うことになる。

 

 当時の彼女は20歳そこそこのはずだが、YouTubeでみる彼女のそれこそ「すみれ色」の衣装は、「こりゃちょっと背伸びさせすぎじゃありませんか?」というぐらい大人っぽい。

 

 どうしてこんなに激しく濃厚な目撃シーンと夜の彷徨シーンばかり歌わされたのか。考えてみるとやっぱり40年前のアイドルの精神年齢って、今のアイドルの精神年齢より数段上だったのか、そうだと見なされていたのか、そのどちらかなのだと考える。

(吉野山、水分神社にて。4月2日、この辺ももう満開だった)

 

 もちろん以上のようなクダらん話を、温暖化の進行に結びつけるつもりはない。そろそろ閑話休題して、読者の皆様を4月2日の吉野山にお連れしなければならない。

 

 ただし京都駅前の今井君の頭の中は、スミレ群落を発見した喜びでいっぱいなのだった。ちょうど梅小路公園は「よさこいコンクール」の真っ最中。1グループ30人ほどの若者たちが10数組、日頃の練習の成果をステージで見事に表現しているのだったが、ワタクシはもうスミレのこと以外何も考えられなくなってしまった。

 

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 9/10

2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 10/10

3E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 1/6

4E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 2/6

5E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 3/6

total m40 y273  dd28223