Sun 230507 沖縄から群馬、群馬から小倉/前橋への道/倉賀野/前橋の大盛況 4356回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 230507 沖縄から群馬、群馬から小倉/前橋への道/倉賀野/前橋の大盛況 4356回

 東進に移籍して18年、激しい東奔西走の中でも、短期間で見れば最も激しい移動が、この3月の「沖縄 → 群馬 → 小倉」ではなかっただろうか。諸君、ぜひ1度アタマの中で味わってみてくれたまえ。「沖縄 → 群馬 → 小倉」だ。

 

 3月9日、前回の記事で書いた通り、ワタクシは那覇で深夜までヤギの肉とスープを味わい、ブタの顔のコラーゲンを貪って、生まれながらの野性味を取り戻した。

 

 翌3月10日、那覇ハイアットリージェンシーホテルの部屋で目を覚ました今井君は、まだ泡盛3合の酔いにフラフラ身を任せていたが、とにかく昼前にはヒコーキに乗り込まなければならない身の上だ。

 

 ホントなら近くのステーキ屋でランチ、300グラムぐらいの牛の肉を胃袋に詰め込んでいきたいところだが、「昼前のヒコーキ」のプレッシャーは大きい。ステーキはサッサと諦めて、ホテル前からタクシーに乗り込んだ。

(東奔西走のさなか、新大阪駅構内「しおじ」の九条ねぎラーメンを堪能する 1)

 

 沖縄から羽田まで、帰りのヒコーキは2時間半しかかからない。この頃からコロナへの警戒は一気にしぼんで、プレミアムクラスのお客様がたは、みんな大声でマスクなしのおしゃべりに余念がないし、お弁当を食べ終わってからもマスクなしの会話は延々と続く。

 

 しかしワタクシは、このままずっと2週間も講演旅行が続く身の上だった。あのころは「マスクなし」なんてのはまだ夢のまた夢、プレミアムクラスの豪華なお弁当さえ断って、ひたすら大人しく羽田空港まで我慢に我慢を重ねたのである。

 

 羽田空港に到着、午後2時。本来ならこのまま渋谷区のオウチに帰って、お風呂でサッパリするところであるが、この日の今井君はそうはいかない。「群馬県前橋、19時から公開授業」というスケジュールが待っていた。

(東奔西走のさなか、新大阪駅構内「しおじ」の九条ねぎラーメンを堪能する 2)

 

「前橋」と言っても、関東以外の人にはピンと来ないだろうが、北関東には「群馬」「栃木」「茨城」という3県が存在し、この北関東軍団に「埼玉」なんてのも加わって組んず&ほぐれつ、近畿以西の人々にはほとんど区別もつかない。

 

 前橋というのは、そのうちで最も北西に位置する「群馬県」の県庁所在地であり、同じ群馬県の「高崎」と言ふ町と、激しいライバル関係を続けている。

 

 高崎のほうは明治時代以来の交通の要衝であって、ここで信越本線と上越線とが交わり、だから21世紀になっても、ここから北に向かう新幹線はほとんどがここで停車する。高崎駅前にはかつて大きな予備校の支店もあったし、今は電気量販店の大規模店舗が並んでいる。

 

 一方の前橋は県庁所在地であって、地元では「県都」として尊敬を集める。「県都前橋 糸の町」、群馬県人なら小学3年生でも2年生でも、ここが江戸期からの日本経済を支えた糸の町であることに、びっくりするぐらいのプライドを持っている。

(東奔西走のさなか、新大阪駅構内「しおじ」の九条ねぎラーメンを堪能する 3)

 

 江戸期までは「厩橋」と書いて「うまやばし」と読んだ。「うまやばし」が転訛して「まえばし」という発音になったという説が有力であるが、そこに「群馬県立前橋高校」という名門が生まれ、汽車で20分もかからない高崎の「群馬県立高崎高校」との強烈なライバル関係が生まれた。

 

 1970年代から80年代にかけて、その「前橋高校 vs 高崎高校」のライバル関係が、ラジオの深夜放送で話題になった。マエタカ(前橋高校) vs タカタカ(高崎高校)の激烈な対立は、TBSラジオ「パックインミュージック」木曜深夜、野沢那智と白石冬美の2人が多いに盛り上げ、ラジオ黄金期の象徴になった。

      (3月10日、群馬県前橋の大盛況)

 

 もちろんこういうライバル関係は、地方の活性化には欠かせないものなのかもしれない。長野と松本とか、富山と高岡とか、静岡と浜松とか、鳥取と米子とか、そういうのはマコトに微笑ましい。札幌や仙台や福岡みたいにカンペキに一極集中してしまうと、その地域の不公平に繋がりかねない。

 

 学部1年の時、ワタクシのクラスに群馬県立前橋高校の出身者が1名いた。彼の口癖が「世界に冠たる」で、英語の授業時間中にも、さかんに「世界に冠たるニッポンの…」みたいな和訳をつけた。

 

 その彼についたニックネームが「冠たる君」。誰がそんなニックネームをつけたのか、言わなくてもだいたい分かるだろうが、「冠たる君」ないし「カンタル君」、そう呼ばれていた彼が、今は立派に群馬を支える人材に成長したであろうことを信じるのである。

(3月14日の朝。金沢ホテル日航から早春の日本海を望む。詳細は、次回)

 

 しかし諸君、羽田から前橋までは、マコトに遠いのである。羽田から品川、品川から東京、東京で新幹線に乗り換えて高崎、高崎から「両毛線」というローカル列車に乗り換えてさらに20分。群馬の誇り「県都 前橋 糸の町」は、「ツル舞う形の群馬県」の県庁所在地であるにも関わらず、新幹線に見向きもされない寂しい町なのだ。

 

 そこでワタクシは一計を案じ、乗り換え&乗り換えの連続で時間とエネルギーをどんどん失っていくよりも、品川から1度も乗り換えのない直通電車で前橋を目指した。

 

 普通列車のグリーン車で一気に2時間。確かに各駅停車での2時間は強烈だけれども、「乗り換えなし」の魅力もまた素晴らしいじゃないか。前橋には17時過ぎの到着。前橋の改札口でスタッフと待ち合わせて、会場には17時半に着いた。

(3月14日、金沢から大阪に向かう特急サンダーバード車内で「のどぐろめし」を味わう。詳細は、次回)

 

 途中「倉賀野」という駅に停車する。「倉賀野」と書いて「くらがの」と発音する。はるかなはるかな昔、ここで越後上杉軍 vs 甲斐武田軍の大激戦があった。

 

 その大激戦の中で、勝利した上杉方は1人の重要な武将を失う。鬼小島弥太郎(おにこじま やたろう)である。上杉謙信がまだ「長尾景虎」を名乗っていた子供時代からの重臣・金津新兵衛と並ぶ名将だった。

 

「鬼小島」と入力すると、我がMac君は意地でも「鬼児島」と変換するから、Mac君的には「鬼児島弥太郎」なんだろうと思うが、その名将オニコジマが、倉賀野の攻城戦で戦死する。

(羽田から前橋に向かう列車車内にて「倉賀野」の駅に感激する)

 

 はるかな昔、NHK大河ドラマの名作中の名作「天と地と」の中で、倉賀野攻城戦が描かれたことがあった。上杉謙信が石坂浩二、武田信玄が高橋幸治、オニコジマが市村竹之丞だった。

 

 市村竹之丞は、後に中村富十郎を襲名した名優。その約10年前には同じNHK大河「源義経」で平知盛を演じ、「見るべきほどのことは見つ」と言い捨てて、みごと大碇を肩に壇ノ浦の海に沈んでいった。

 

「天と地と」のオニコジマは、倉賀野の城を攻略するために非業の最期を遂げたのであるが、敵方の将・武田信玄は「倉賀野など取られたとて、また取りかえせばいいだけのこと」とニヤリと不敵な笑みを漏らす。むかしむかしの視聴者は、思わず彼の「ニヒル」な魅力のトリコになったものである。

  (3月12日、新大阪駅にてドクターイエローに遭遇)

 

 群馬での公開授業は、それなりに頻繁に続いている。昨年も、前橋駅前の別の会場と、ずっとずっと(電車で45分)山の奥に入った「沼田」という町で実施した。

 

 しかし今回は「群馬大学附属中通り前」。確認したら、7年ぶりの実施だった。おお、あまりに懐かしいが、地元の優秀生を中心に約100名の参加。素晴らしい雰囲気で21時まで、ここでもまた最高の公開授業を体験させていただいた。

 

 終了後、本来なら前橋か高崎でたっぷり「懇親会」「お食事会」「祝勝会」を満喫するところであるが、何しろまずはコロナの心配、もう1つには翌日の今井君のスケジュールがあって、終了するやいなやワタクシは、タクシーに飛び乗って高崎駅を目指した。

 

 だって諸君、翌日は福岡の小倉で公開授業だ。いつまでも群馬のかぐわしい早春の風に吹かれているわけにはいかないのだ。高崎から最終の新幹線に何とか間に合って、東京駅に到着したのは23時半。翌朝9時にはもう、小倉に向かって出発しなければならないのだった。

 

1E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 1/4

3E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 2/4

4E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4

5E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4

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