Tue 230412 二十世紀男の新宿渋谷池袋/京都大原三千院、大根だきのお振る舞い 4346回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 230412 二十世紀男の新宿渋谷池袋/京都大原三千院、大根だきのお振る舞い 4346回

 今はどうなのか分からないが、20世紀の昔には「地方から出てきて東京で新生活を始めました」ということになれば、だいたいは東京から西に伸びる鉄道沿線のどこかの小さな町に、小さなお部屋を借りたものだった。

 

 池袋、新宿、渋谷。3つのターミナルからたくさんの私鉄がのどかな郊外に向かい、新生活の車窓にはサクラにハナミズキにツツジ、それらがやがてアジサイにとってかわられる頃、やっと新生活に慣れたぐらいの時期にはもう「このままでいいのかな?」という疑念が湧き上がってくる。「こんなことをやるために生きてるのかな」というヤツである。

 

 もともと首都圏で育ったヒトビトには意外かもしれないが、「このままでいいのか、いけいないのか」というハムレットの苦悩は、地方出身者の場合にはそれほど早い時期にムクムク、夏の入道雲よろしく急速に湧き上がる。

 

 入社式の2週間後。それどころか入学式直後、いや直後どころか直前、すでに「転職」「仮面浪人」と言ふ恐るべき単語が、暗い胸の奥の奥に巣喰い始めている。

 

 池袋駅の雑踏、新宿駅の混沌、渋谷駅ダンジョン、若き今井君なんかも、すでに数百年前♡のことになるが、3大ターミナルの真っただ中で行き場を失い、さっそく仮面浪人やら転職やらを考え始めていた記憶がいっぱいだ。

(2月12日、京都大原三千院の「初午 大根だき」のお振る舞いを満喫する 1)

 

 今井君の大学生活は、池袋で始まった。下宿先は、西武池袋線の石神井公園駅から徒歩20分ほどの小さな一軒家。その2階の6畳間に、本棚3つを運び込んで、たいへん貧しく、たいへん寂しく、約半年を過ごした。

 

 たった半年で千葉県松戸市に引っ越したから、池袋の記憶はマコトに短いものだが、それでも初めての東京1人暮らしだったんだから、やっぱり思ひ出は強烈だ。名画座「池袋文芸坐」に入り浸った日々だの、東口のコーヒー店で飲んだアイスココアだの、いやはやどうにも忘れがたいのである。

 

 その後15年ほど、池袋にはご無沙汰が続いた。池袋は別名エキブクロといい、ターミナル機能はほぼエキに集中。エキを利用しなくなれば、池袋との縁もほぼ皆無になってしまう。

 

 ワタクシが池袋に舞い戻ったのは、予備校講師としての新人時代。まず西口の河合塾池袋校、向かって左がラブホテル、向かって右が特殊浴場、恐るべきシチュエーションで予備校の最初の3年を過ごした。

 

 駿台池袋校も、1991年から1996年の6年間。代ゼミ池袋校には、2002年から2004年の3年間。朝7時半の池袋東口の吉野家で「特朝定食」を貪り、その勢いで朝から晩まで目いっぱいの熱演を貫いた。

(2月12日、京都大原三千院の「初午 大根だき」のお振る舞いを満喫する 2)

 

 渋谷については、何と言っても学部1年の夏からずっと、小劇場「ジャンジャン」だのライブハウス「エッグマン」だのに入り浸っていたから、今井君の渋谷歴は滅多なことで他者にヒケをとるとは思えない。

 

 しかし渋谷に予備校の校舎はなかったから、少しばかりオトナになってからは、渋谷にはトンと縁がなくなった。東急百貨店の東横店やら本店やら、109やらガングロ女子 → ヤマンバやら、東急文化がブワーッと激しく花開いていた頃の渋谷に「まるっきり縁がなかった」というのだから、やっぱり人生とはマコトに不思議な巡り合わせになっている。

(2月12日、京都大原三千院の「初午 大根炊だき」のお振る舞いを満喫する 3)

 

 1997年、超人気講師♡を務めていた駿台から、まだ全盛期の続いていた代々木ゼミナールに四天王♡として移籍したのをきっかけに、下北沢に大っきなオウチを借りた。

 

 その直前までは、埼玉県鷲宮町のマンションから1時間半もかけて都心まで通勤していたんだから、この引っ越しは今だに強烈な印象が残っている。

 

 下北沢からは、毎朝バスで渋谷に出た。「渋谷51系統」の東急バス、朝は2分に1本、昼間でも5分に1本、渋滞に巻き込まれることも少ない、マコトに便利なバスだった。当時はタクシーなどという魔法のジュータンに頼ることもしない、マコトにマコトに真面目な男だった。

 

 しかしこの10年、いや15年、渋谷の街はどこもかしこも激烈な大工事の真っただ中、いつ果てるとも分からない大工事の混沌の中、今や完全に渋谷ダンジョンに成り果てた。

 

 代々木ゼミナール講師の頃は、ちょっと人と待ち合わせるのも、必ず東急プラザ1階のケーキ屋前と決まっていた。

 

 そのずっとあと、東日本大震災直後の「計画停電」の真っ暗な渋谷の夜も、東急プラザ「ロゴスキー」のロシア料理で一息ついたものだったが、いやはや今や、コロナワクチンの大規模接種会場を訪ねた以外、渋谷からはもう10年も足が遠のいている。

(2月12日、京都大原三千院の「初午 大根だき」のお振る舞いを満喫する 4)

 

 さて、残るは新宿であるが、今日この話を始めたきっかけも、昨日のワタクシがホントに久しぶりに新宿東口を訪れたことだったのだ。この10年、新宿といえば全て西口、東口を訪れることはほぼ皆無だった。

 

 我々の誇る西新宿の校舎ももちろん西口だし、深夜にホテルのバーでくつろぐとしても、ハイアットリージェンシーかヒルトンか京王プラザか。だって東口には古色蒼然とした「新宿プリンス」以外、安心安全なホテルはなかなか思いつかない。

 

 デパートも、もちろん東口には伊勢丹があるが、伊勢丹は常に大混雑だ。軽い買い物なら小田急か京王か高島屋で済ませるし、今井君ぐらいの年齢になれば、ショッピングはいつでも軽く済ませるのが正しい流儀なのだ。ゴールデン街とか歌舞伎町とか、やっぱりさすがに東口はちょっと恐ろしい。

 

 20年も昔の新宿東口には「カメラのさくらや」の店舗がナンボでもあって、家電を買うなら新宿東口、テレビのCMでも「安さ爆発、カメラのさくらや」と、ダミ声の落語家さんみたいな迫力満点の歌声が響いていたものだが、その「さくらや」も、消滅してずいぶん長い年月が経過する。

(2月12日、京都大原三千院の「初午 大根だき」のお振る舞いを満喫する 5)

 

 今井君にとっての新宿東口は、何が何でも紀伊國屋書店本店だ。学部入学から卒業直後まで、夕暮れにはほとんど紀伊国屋にいた。どうも図書館が苦手だったので、その代わりに毎日1回本屋に行くのを習慣にしたし、塾講師のバイトでオカネがたまりだしてからは、渋谷ジャンジャンでなければ「紀伊国屋ホール」で芝居を観た。

 

 しかし気がつけば紀伊国屋本店、最後に訪ねたのはいつだっただろう。おそらく20年ぶり、あるいはもっと時間が経過してしまったかもしれない。

 

 頭がつかえそうになるほど天井の低い新宿の地下街を、西口から東口に抜けて紀伊国屋本店が近づくと、懐かしいカレーのカホリに包まれる。経営者は代わったみたいだが、カレーのカホリは遥かな遥かなワタクシの学部生時代とちっとも変わらない。

 

 思わずカウンターに座って懐かしいカレーを貪りたくなったが、しかし昨日のワタクシが新宿東口を訪ねた目的は、とあるデンタルクリニックでの歯の手入れであって、「歯医者さんに行く前にカレー」はさすがにエチケット違反。カレーは泣く泣く諦め、エスカレーターに乗っかって2階の新刊書コーナーに向かった。

(2月12日、京都大原三千院の「初午 大根だき」のお振る舞いを満喫する 6)

 

 いやはやこの新刊書のカホリ、10年ぶりか、いや20年ぶりか。紙とインクの匂い、さすがにこれほど大量の書物が積み上げられれば、さすがに強烈なものである。

 

 むかしむかしの神保町・書泉グランデ、むかしむかしの三省堂本店、むかしむかしの渋谷・大盛堂書店。地下のカレー屋に勝るとも劣らない強烈さで、今やすっかり年を重ねたワタクシを、学部生時代に引き戻してくれた。「書店で本を買う」という行動からはすでに10年以上も離れているが、このカホリ、やっぱり素晴らしい魅力があるのだ。

(2月12日、京都大原三千院の「初午 大根だき」のお振る舞いを満喫する 7)

 

 さて、こうして長々と書いてきて、ふと「あれれ、今日掲載する写真は何だったっけ?」と気づくのであるが、掲載予定の9枚すべて、本文とは完全に無関係である。

 

 写真の説明に終始する紙芝居タイプのブログを求めている人々にはマコトに申し訳ない。「読んで損した」「全く役に立たなかった」「タップするんじゃなかった」「何だこの記事は?」その他、好きなように批判してくれてかまわない。

 

 だって今日の写真は、すべて2月12日、京都大原・三千院の「初午 大根だき」の時のもの。今日が4月12日だから、ぴったり2ヶ月前の写真群である。池袋とも渋谷とも新宿とも、まさに何の関係もない。

(2月12日、京都大原三千院の「初午 大根だき」のお振る舞いを満喫する 8)

 

 しかしもし「何かの役に立つだろう」「役に立つ記事を読みたい」という人が、今井ブログをタップだかクリックだかしちゃったとすれば、それはやっぱり何かの間違いというか、運が悪かったというか、今井ブログのワナか沼にはまっちゃったというか、ただそれだけのことじゃなかろうか。

 

 どこまでもどこまでも「役に立たないこと」「単なる無駄以上に強烈で濃厚に無駄なこと」、そこにこそ今井ブログの価値を認めてくれるのでなければ、そりゃワタクシが困っちゃう。

 

 英語の時間に世界史の話に花が咲き、数学の時間に日本史の話題で盛り上がり、古文の時間にモーパッサンやチェーホフの話が盛り上がり、体育の授業中にタクラマカン砂漠横断の話題で熱狂する。それこそがホンモノの豊かな文化、それこそが豊穣の世界じゃないか。

 

 同じように、和菓子のアソートを開けたら大量のチョコとキャラメル、新宿の大きな書店の一角で大駅弁大会、渋谷109のエントランスで日本ソフトクリーム選手権、どうしてもワタクシはそういう驚きと意外性と驚愕を愛するのである。

(2月12日、京都大原三千院の「初午 大根だき」のお振る舞いを満喫する 9)

 

 英語の先生だから英語屋じゃなきゃいけないとか、予備校講師だから共通テストの速読の話題以外NGだとか、ホントにスミマセン、その種の狭苦しい発想の中に閉じ込められているから、なかなか学力が伸びないのだ。

 

 英語講師が英語屋のワクを乗り越えたその瞬間、「うぉ!!」と快哉を叫ぶぐらいじゃないと、学力はつかない。ついでに若い講師諸君、英語屋に終始することしかできなくて、「ボクは雑談はしません」とか、そんな偏狭な発想じゃ、残念ながら人気講師の座はホド遠い。

 

 本屋は本しか売っちゃいけないとか、ラーメン屋なんだから蕎麦もうどんもメニューに入れちゃいけないとか、その種の偏狭な発想こそが、文化&文明の貧困を招くんだと、諸君はそう思わないか。やっぱりワタクシ、意地でも驚きと意外性が好きなのだ。

 

 というわけで、写真は2ヶ月前の京都大原三千院の大根だき。箸がすーっと入るぐらい柔らかく、薄味醤油で長時間かけてグツグツ煮込んだ大根、オイシューございました。おお、まさにこの旨さこそ、常に今井の求めている豊穣の世界なのだ。

 

 半世紀前のデュークエイセスは「京都大原三千院、恋に疲れた女が1人」と歌った。一方の2月12日の京都大原三千院には、大っきな大根に満腹した中年男が1人、醤油くさいゲップをこらえながら、1人寂しく立ち尽くしていたのである。

 

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10

2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 3/10

3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 4/10

4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 5/10

5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 6/10

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