Sun 230409 マニュアルを嫌悪する/驚きと意外性が命/パパ活の人々にゲンナリ 4345回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 230409 マニュアルを嫌悪する/驚きと意外性が命/パパ活の人々にゲンナリ 4345回

 寿司屋や天ぷら屋のカウンターに座って、「何かおキライなものは?」とか「何か苦手なものはございますか?」と尋ねられると、今井君は必ずニターッとヨダレを垂らしそうな表情で苦笑しながら、「決まり切ったコース料理がキライです」と答える。諸君、これはウソではない。

 

 だって、定番コースの観光バスがつまんないのと同じように、あるいはツアーの海外旅行がつまんないのと同じように、誰か他人がレールを敷いたディナーなんか、つまんないに決まっている。

 

 要するにワタクシは、他人の言うことを聞くことが全て大キライ。ゲゲゲの鬼太郎の歌に出てくる「言うコト聞かない悪い子」とは、要するに今井君のことなのだ。

 

 予備校の授業にも「マニュアル」というものが存在し、春4月初旬、ちょうど今頃の時期に「全講師研修会」の類いがあって、新年度のテキストとそのマニュアルが配布される。

 

 すでに4半世紀も昔の話になるが、若き今井先生はまさにその「全講師研修会」の場で、マニュアルに頼った授業を排撃する1時間近い大演説を行った。司会を務めていた大先生が「若手講師の皆さんから、何かご意見はありませんか?」と、英語講師300人に向かってふったので、今井はギュッと挙手して立ち上がった。

 

 舞台は、駿台・御茶ノ水本校。駿台英語科を代表する大先生たちがヒナ壇にズラリと勢揃いしたヒノキ舞台。まだ4年目の準・新人講師が1時間、好き放題にしゃりまくったのだが、大先生の皆さまも、大勢の事務方も、誰1人として制止しなかったんだから、「反マニュアル」の大演説、よほど迫力があったに違いない。

(2月12日、京都大原「志野 松門」でヒレカツを満喫する。オイシューございました 1)

 

 そのぐらいワタクシは、入口と出口が最初から分かっている茶番が大キライなのだ。読み始める前に結末が分かっている小説だの、出会いと別れが冒頭で規定されている恋愛関係だの、他人の足跡をそのままなぞってみる人生だの、その類いのものに何ら魅力を感じない。

 

 要するにワタクシはオトナになっても「言うこと聞かない悪い子」のまま、他人の言うことをきくのはどうしてもイヤなのだ。

 

「こうしなさい」「こうすればラクですよ」「こうしたほうが間違いがありませんよ」と、親や先生や先輩や後輩が、優しく後ろから擦り寄ってアドバイスしてくれるのはありがたいが、この世にはアリガタ迷惑ということも少なくない。

 

 今井君のことをよく分かっている人々は、だからもうすっかり諦めていて、「どうせ言っても聞かないから」「どうせアドバイスなんか無視するから」と、最初からアドバイスする気もなくしている。いやはや、こりゃいいや。ただしこの境地を獲得するまで、半世紀近い長い時間を要した。

(2月12日、京都大原「志野 松門」でヒレカツを満喫する。オイシューございました 2)


 マニュアル・定番・お決まりコース・ツアー旅行、ワタクシはその類いのものを全て拒絶する。珍道中の苦難を伴わない楽々コースなんか、何の妙味もないじゃないか。スリル満点の苦しい珍道中ナシの居眠りコースに、いったいどんな楽しみがあると言うんだ?

 

 人生の妙味は、「驚き」というか「サプライズ」というか、要するに「意外性」の一点に凝縮されるのであって、驚きのない日々は、単なる苦痛に過ぎない。

 

 ワタクシは、曲線的非論理やら論理の飛躍やらを偏愛し、これからもコース料理と、マニュアル的授業と、定番ツアー旅行を拒絶し続ける。「どこに行き着くか分からない」というミステリー性を失った瞬間、人生は完全に無味乾燥、脆く醜くボロボロ砕けおちて、生きている感激なんか雲散霧消してしまう。

  (2月12日、京都大原。1月の大雪がまだ残っていた)

 

 だから今井の授業、これからもスゲー面白いはずだ。「システムに落とし込んで」みたいなコース料理には絶対にしない。「何が起こるか」「どんな方向に進んで行くか」、毎回毎回恐るべきスリルに満ちたものにして差し上げる。

 

 ディズニーに行かなくなってもう20年も経過するが、さすがに諸君、スペースマウンテンでもビッグサンダーでも、もう暗記するほど経験すれば、昔あれほどスリルに満ちたエンタメであったものも、意外性も驚きもカケラもなくなってしまう、

 

 どこかで「あれれ!?」「あれれ!?」と叫びたいじゃないか。ビッグサンダーに乗ったと思ったのに、いきなり宇宙の旅に転換するとか、いきなり地底探検やインディ・ジョーンズに方向転換するとか、「ありゃりゃ、こりゃ何なんじゃ?」と、カップルで互いに顔を見合わせる瞬間ぐらいあったっていいじゃないか。

(2月12日、京都大原「志野 松門」でヒレカツを満喫する。オイシューございました 3)

 

 そこいら中で見かける「パパ活」のお2人について、ワタクシが苦言を呈したいと思うのは、その辺の事情である。いやはや、いやはや、この2〜3年、滅多やたらに「パパ活」の情景を見かけることが多くなった。

 

 もちろん、ワタクシが悪いのかもしれない。東京や京都、大阪や博多や札幌でワタクシが出没するお店は、「ふぐ」「うなぎ」「天ぷら」「寿司」「焼肉」、まさにパパ活カップルの出没しやすいお店と一致してしまう。

 

 それにしてもパパ活の人々、あまりに定番、あまりにマニュアル通り、あまりにコース料理的で、店でふと目が合った瞬間、「おっ、こりゃパパ活だ!!」と噴き出してしまいそうになるほど、マコトにご丁寧にマニュアルをなぞっていらっしゃる。

 

 驚きの「お」の字も、意外性の「意」の字も、一切ヌキ。「こりゃ何が何でもパパ活だ」「こりゃ絶対にパパ活だ」と、周囲の全ての人々に見抜かれるようでは、せっかく極端に年の離れたカップルのウイウイしさも、みんなみんな台無しだ。

 

 パパ50歳代後半、女子20歳代前半。もしそれが定番パパ活でなければ、たちまち対話型AIが一編の小説に仕立てあげてくれる。場合によっては不朽の名作にだってなりかねない。

 

 しかし諸君、不朽の名作の不可欠の要素は、やっぱり何が何でも「驚き」と「意外性」。日本のマスメディアがお得意の「論理的思考」でカップルを眺めてみるに、うーん、やっぱりどうしても意外性の「意」の字も見当たらない。

 

 カンタンに言ってしまえば、もう将来に何の夢もない中高年男子と、何か夢破れて生活の破綻しかけている女子。マニュアル通りに進まないやりかけの人生にウンザリして、定番通りのコースで当たり障りなくゴマかそうとしているようにしか見えない。

(京都の名店、YAMATOYA。若い諸君には多少シキイが高いかもしれないが、ジャズ喫茶の超老舗だ。雨降りの午後にでも1人で訪問してみたまえ 1)

 

 京都の某人気和食店で出会ったパパ活隊もそう。神戸の某老舗ジャズ喫茶で出会ったパパ活隊もそう。まさにマニュアル通りのパパ活丸出し、新鮮な驚きも意外性もゼロどころかマイナスなありさまなのだ。人生の大ベテラン今井は思わず、彼ら彼女らの人生指導に乗り出しかけたほどだった。

 

 というか、ホントは昨年の夏の終わりに東京・御茶ノ水の某名門ホテルで見かけたパパ活隊の話から始めたかったのだ。

 

 しかしその話をするには、昨夏の終わりの今井君が、なぜ御茶ノ水の某名門ホテルの地下カフェにノコノコ出向くことになったのか、その辺の話までしなきゃいけなくなるから、今回は遠慮する。これまた「某」老舗有名出版社の出版物で、今井君のプロフィールに重大な間違いを発見したのが発端だったのだが、まあその話はどこか別の機会にするチャンスがありそうだ。

(京都の名店、YAMATOYA。若い諸君には多少シキイが高いかもしれないが、ジャズ喫茶の超老舗だ。雨降りの午後にでも1人で訪問してみたまえ 2)

 

 でもあの時の気色悪さと言ったら、あり得なかった。ワタクシの隣のテーブルに、こんな場所にいるなんていかにも不似合いな20歳代前半の(と思われる)ゴスロリ女子が1人で座っていて、5分ほどして中高年男子が姿を現した。「待った?」というそのセリフが、いやはやもう我慢ならないほどイヤらしかった。

 

 オジサンは、おそらくすでに熟知しているであろうメニューを毛むくじゃらの汚い手でペラペラとめくり、「お茶にする?」「パフェもあるよ」「あっ、かき氷もあるねえ」と、女子のほうに覆いかぶさるように全身を傾ける。ゴスロリ女子は、おそらくオジサンの体臭を避けるように、「ですます調」で受け答えをする。

 

 うひゃ、こりゃダメだ。ワタクシはすかさず従業員さんに合図して、出来る限り遠くのテーブルに席をかえていただいた。実はワタクシ、この某名門ホテルには25年も昔の駿台講師時代からお馴染みで、一時はほぼ毎晩ここのバーに通っていた。今でもこのぐらいの要求なら、すぐに通るのである。

(京都・出町柳のクラシック喫茶「柳月堂」。リスニング席で2時間ほど過ごした。会話は一切不可。覚悟して入店のこと 1)

 

 京都の某人気和食店では、ワタクシは実に旨いランチを楽しんでいた。まさに岸朝子先生の名セリフ「オイシューございました」にふさわしいランチだった。パパ活隊・京都バージョンとの遭遇は、マコトに幸せなランチが終わりかけていた頃だった。

 

 女子は「いかにも」な和服、オジサンは「いかにも」なオジサンスタイル。しかし諸君、どうしてこういうパパ活隊って、オジサンが女子に覆いかぶさるようにメニューの説明を始めるんだろう。

 

「おいしそうだね」「あっ、お酒もあるんだね」「ええっ、お茶でいいのぉ?」。一方の女子は、やっぱり「ですます調」の受け答え。御茶ノ水の時と同じように悪寒を感じたワタクシは、他のテーブルにかえてもらおうとテーブルを物色したが、考えてみればもうランチは食べ終えていたのだった。

 

 その時である。メニューの説明を終えたオジサンが、盛んに彼女の写真を撮影し始めた。観光地に増殖し続けるマコトに迷惑な「高級カメラオジサン」でもあったわけだ。

 

「ハイ、笑ってぇ」「笑って」「もっと笑ってぇ」と、ですます女子に盛んに要求する。ですます女子もすっかり慣れた様子で、テーブルの上に肘をついてニッコリ、オジサンの要求のままにいろいろポーズをとってみせている。いやはや、いやはや、ワタクシはあの「笑って」のキモ悪さを、2ヶ月経過した今でも忘れることができない。

(京都・出町柳のクラシック喫茶「柳月堂」。リスニング席で2時間ほど過ごした。会話は一切不可。覚悟して入店のこと 2)

 

 神戸の某ジャズ喫茶のパパ活隊は、せっかくのジャズ喫茶の雰囲気さえブチ壊しにしてしまった。2月のワタクシは、大学学部生の頃に入り浸ったジャズ喫茶の懐かしい雰囲気をその店に見出して、だからこそ京都から神戸まで連日のように通っていたのだが、あれ以来神戸、すっかり足が遠のいてしまった。

 

 やっぱりオジサン、メニューの説明をしながら「ですます女子」に「覆いかぶさる」のである。「ケーキもあるよ」「ホントですか?」「ケーキ、ここの名物なんだよ、見てごらん」「わぁ、いいですね」。諸君、このタイプの人々がいると、ジャズ喫茶や名曲喫茶の奥ゆかしいルールや美しい雰囲気なんか、もう完全に台無しだ。

 

 というわけで2月中旬のワタクシは、別の店にその「奥ゆかしいルールと美しい雰囲気」を求め、雨の降り続く京都の街を徘徊した。熊野神社付近のジャズ喫茶「 YAMATOYA」、出町柳の名曲喫茶「柳月堂」、そういう店を訪ねて回ったけれども、まあいろんな事情があるんだろう、「ここだ!!」「毎日ここに通おう!!」とポンと膝を打つような店には、なかなか出会えずに終わってしまった。

 

 要するにワタクシ、世界中にも滅多にいないほど、マコトに気難しいオジサマなのである。それにしても諸君、今日はずいぶん「某」だらけの記事になってしまった。

 

 むかし内田百間は、その「某」=ナニガシを登場人物に設定して「甘木」という名前をよく使った。「某」の字を縦に分解して、上の「甘」と下の「木」に分けただけのことである。

 

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4

2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4

3E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1

4E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.2

5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10

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