Sat 230401 自画自賛/ピッカピカより、ボッロボロ/東京vs大阪の春巻き対決 4342回
新年度の記事を書き始めるにあたって、とりあえずは諸君、3月のワタクシ自身について、自画自賛させてくれたまえ。うぉー、すげー頑張ったじゃないか。
3月4日から23日にかけて、ほぼ自宅にさえ帰らない、八面六臂の出張の連続。帰ったのは群馬県前橋から深夜23時50分に到着した3月10日と、横浜から深夜23時10分に到着した3月16日の2回だけ。しかもその翌日には、11日は小倉へ、17日は山口へ、ともに早朝の新幹線で旅立っている。
これほどの東奔西走と南船北馬、20歳代や30歳代の若手にだって、肉体的にも精神的にも滅多にやり切れるものではないと思うが、ワタクシのような大ベテランにして、マコトに見事にこんなオデュセイアの旅をやり通したんだから、そりゃ何が何でも自画自賛の対象だ。
(大阪心斎橋「大成閣」の春巻き、2月1日。こりゃ絶品だ。この中身の充実ぶり、春巻きだけで満腹になっちゃう 1)
しかも諸君、前回も書いた通り、ついにオデュッセイアをやり抜いた後は、「本を1冊、6日で完成させる」という離れワザもやっちゃった。
3月23日の千葉で激しい東奔西走を完了させた後、翌24日にはどうしても外せないお役所での手続きがあり、今井君が最も苦手なお役所の事務手続きを終わらせて、3月25日朝、モーレツな覚悟の上で執筆を開始。A4版文書75枚、文庫本に換算して約200ページの本を、ホントに6日で書き上げちゃった。
ということは、1日につきA4版文書12枚分ちょい、文庫本換算33ページちょいの計算であって、まあちょっと考えれば「大したことないじゃないか」なのであるが、いやはや実際に6日で書き上げてみれば、その疲労と充実感たるや、並大抵のものではなかった。
(大阪心斎橋「大成閣」のランチ麻婆定食。これに春巻きをプラスで注文すると、翌日の体重が3kgは増える)
春休みって、ホントに素晴らしいものである。むかしむかしそのむかしから、ワタクシが「ようし、書くぞ」とはりきったのは、たいてい春休みだった。
宿題だってないし、やらなきゃいけないことだってないし、静かに放っておいてもらえるし、雪も融けて、桜も咲いて、卒業式も終わって、それで何か書き始めなきゃ、おかしいじゃないか。
例えば英語の長文読解問題1問、その解説を1日で1問、一気に書き上げる。すると6日で6問の解説が完成し、約200ページの分厚い参考書が出来上がるわけである。
共通テストレベルの幼稚きわまりない文章だと、解説を書くのも心の底からうんざりさせられるが、せめて名古屋大・京都大・東京大・早稲田大ぐらいのちゃんとした英文なら、解説を書く心も頭もギュッと集中して、集中すればするほど執筆のスピードが上がる。
こうして、2022年度末から2023年度はじめにかけて、不肖サトイモ坊主はホントに素晴らしい精神集中を満喫できた。諸君、「ヒマだなあ」「やることないなあ」という状況ほど、人にとってツラく厳しい場面はないのだ。集中してハイペースでハイレベルな仕事をこなしてみたまえ、こんなに楽しい日々は他に考えられない。
(大阪心斎橋の名店「大成閣」。ランチも孤独なビジネスマンでいっぱいだ)
さて諸君、今日から新年度に入っちゃった。4月1日が土曜日、4月2日が日曜日だから、おそらく新学期も入社式も4月3日であって、新入生も新入社員も今頃は、たいへんな緊張感に包まれていることだろう。
何しろ若き今井君は、入学式は「こんな大学に来るはずじゃなかった」と冷たい涙にくれ、入社式は「そもそも社会になんか出たくなかった」「ずっと原稿を書いているはずだった」「ずっと図書館の中で生きていくはずだった」と、延々とワガママを言い続けた馬鹿者だったから、「新年度」などというコトバを聞いただけで、いまだに嫌悪感が走る。
(大阪心斎橋「大成閣」の春巻き、2月1日。こりゃ絶品だ。この中身の充実ぶり、春巻きだけで満腹になっちゃう 2)
だから「ピッカピカ」なんてのは、そのコトバを口にした人間に、今でも冷たいバケツの水でもぶっかけてやりたい気分になる。
「ピッカピカの、1年生」。今井君が「電通」という恐るべき会社に就職した当時、小学館のコドモ雑誌のCMとして大流行したキャッチコピーであるが、いやはや、なんともおぞましい。
ボクチンは、小学校でも中学でも高校でも、大学でも新入社員の時も、「ピッカピカの1年生」などと言われてニヤニヤされるのが何よりもイヤだった。ホントに最初の最初から、もう薄汚れた上級生として扱ってほしかった。
(神戸元町「別館 牡丹園」の春巻き。ここもやっぱり大阪流。というか、神戸のほうが先なのかもしれない 1)
「ボッロボロの、上級生」。それこそ今井君の憧れ。新入生諸君、新入社員諸君、どうだい、ワタクシと同じ思いの人はいないかね。「ボッロボロの、上級生」。そんなふうに、早く周囲にそういう嫌悪の視線で見られたくないかね。学部1年の時も、新入社員の時も、今井君の憧れは、まずそれだった。
きっとそれが、何もかもうまくいかなかった原因なのである。知識も経験も実績も何にもないくせに「ピッカピカ」を拒み、生意気にもいきなり「ボッロボロに見られたい」。そりゃダメだ。ピッカピカと見られることを、我慢に我慢を重ねて耐えながら、可及的速やかにボッロボロに成長していく。それしかないのだ
(神戸元町「別館 牡丹園」の春巻き。ここもやっぱり大阪流。というか、神戸のほうが先なのかもしれない 2)
日本の人ならば、まずピッカピカの段階で、「首都圏 vs 関西圏」の対立ないし対決を経験しなきゃいけない。入社式でも入学式でも、東京出身の人と大阪出身の人で、まず「エスカレーターのどっち側に乗るか?」の対立からスタートする。
東京は、「左側が常識だろ、右側は空けなきゃ」であり、大阪の人は「ナニ言っとるんや、右側が常識やで。左側を空けるんや」。
世界の常識は、明らかに大阪の味方。世界中ほとんどどの都市に行っても、右側に乗って左側をあける大阪方式だが、最近の日本では、京都や神戸まで裏切って、だんだん東京式に変わりつつある。大阪式はいま、日本で孤立しつつあるようだ。
(東京の春巻き。ワタクシは大阪派だが、東京の皮のパリパリぶりも、まあそれなりに捨てがたい)
そして諸君、何と言っても食生活の東西対立が、ピッカピカ生活の悩みのタネになる。東京から西に行ったヤツも、関西から東にきたヤツも、その食生活や食文化の違いに苦しみ、思わず「故郷に帰りたい」と漏らすようになる。
それが最も如実に現れるのが「春巻き」なんじゃないか。そう思って思い切りニヤニヤした今井君は、大阪と神戸の春巻きの写真を撮影した2月上旬から、ずっと虎視眈々と、年度がわりのこの日を待ち受けていた。
だって諸君、大阪の春巻きと、東京の春巻き、思わず「これが同じ名前の食べ物か?」と絶叫するほど、大きさも外見も中身も、だから旨さの判断基準も、全く次元が違うのである。
今井君の判定は「明らかに大阪の勝ち」「神戸ももちろん勝ち」「東京のカンペキな敗北」なのであるが、それでもエコジな関東人は「意地でも関東のパリパリ感が勝ち」と言い張るかもしれない。
(再び大阪・心斎橋「大成閣」の春巻き。この具だくさんぶりを見よ)
しかし近畿には「春巻き定食」という定食さえ存在して、「春巻きとはこういうものでなければならない」という信念と哲学と伝統がある。春巻き2つで丼メシ1杯カラッポにできるぐらいの春巻きでないと、近畿人は春巻きとは認定しないのだ。
だから、ワタクシが最も親しくしている近畿人は、東京で初めて春巻きを口にしたとき、苦笑して眉間に深いシワを寄せた。
あの時、彼はまだ20歳前後。眉間にシワのよる年齢では絶対になかったから、彼の顔に初めてシワを刻ませたのは、大阪と東京の春巻きの間に横たわる、フォッサマグナのごとき深い深い亀裂の認識だったのである。
(左、東京の春巻き。右、マクドナルドのアップルパイ。この記事のために、わざわざ購入した。おお、そっくりだ。ついでにアップルパイで口の中を大ヤケド。明日からしばらく口内炎に苦しみそうだ)
「マクドのアップルパイみたいやな」と、彼は笑いながら呟いた。確かに諸君、あれから数百年が経過、ワタクシは今日の日のブログ記事を書くために、あえて近くのスーパーの春巻きを買い、あえてウーバーでマクドナルドのアップルパイも届けてもらったのであるが、確かに両者の酷似ぶりは言語を絶するのである。
この類いの東京 vs 大阪の対立は、4月3日のピッカピカから先、おそらく半年は続く。我が憧れの「ボッロボロ」が実現するのは、ピッカピカ対立が一段落する晩秋か初冬のころだ。
まあ諸君、耐えて耐えて耐え抜いて、尊敬される落ち着いた2年生・3年生・4年生になるのを待ちたまえ。まあとりあえず近くの店に、春巻き定食でも食べに行きますか?
1E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 1/2
2E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2
3E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.3, No.5 & No.8
4E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.9
5E(Cd) Miles Davis:KIND OF BLUE
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