Sat 230318 日本中大混雑/徳島にたどり着く/天龍寺の節分会/聖護院の節分会 4336回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 230318 日本中大混雑/徳島にたどり着く/天龍寺の節分会/聖護院の節分会 4336回

 昨日は、夕暮れから雨の山口で仕事。山口の公開授業についてはまた後日詳述するとして、広島のホテルに深夜のチェックイン。今朝10時に広島を出発して、徳島に移動。広島から岡山まで40分、岡山から徳島まで、直通の特急列車で2時間、乗り継ぎを合わせて3時間の長旅だった。

 

 先ほど午後2時、徳島のホテルに無事チェックインした。「明日は徳島マラソンがあります」と言ふことで、徳島市内のホテルは3ヶ月も前から軒並み満室。止むを得ずスイートルームを予約することになったが、その広大さたるや、驚嘆に値する。部屋の端から端まで歩くだけで、ANA Pocketのポイントが貯まっちゃうぐらいだ♡

 

 それにしても日本中、どこもかしこも観光客で物凄い大混雑になっている。広島もスーパー大混雑、岡山も広島に負けず劣らずスーパー大混雑。駅の中なんか、あらゆる方向から人の濃厚な流れが押し寄せてきて、真っ直ぐ歩くことが困難だ。

 

 広島から岡山までの新幹線も満席。キチンとお隣の席に、他のお客がいらっしゃる。びっくりしたのは「岡山から徳島までの特急も満席」という事態で、ワタクシの隣にも徳島までずっと、難しいお顔のオバサマが座っていた。

 

 普段なら、四国の特急列車というのは「ガーラガラ」がスタンダード。「隣の席が埋まっている」なんてのは、今まで経験したことがない。それが本日は、全車両・全席が売り切れの異常事態。まさか徳島マラソンのせいでもないだろうから、やっぱり今や日本中、空前の旅行ブームなのだろう。

     (2月3日、京都・聖護院の節分会 1)

 

 もちろんそう言っている今井君自身、その「空前の大混雑」の一翼を担って、日々旅にして旅を住処としているわけだから、別に文句を言える筋合いでも立場でもないし、苦情を言うつもりも皆無であるが、それにしてもこのリベンジ旅行ブーム、もう少し何とかならないものか。

 

 今朝の広島駅なんか、サイトで予約したチケットの受け取りにさえ、長蛇の列に並ばなきゃいけなかった。どのぐらいの長蛇かというに、ズラリと並んだ十数台の券売機の前に、長蛇は4重5重に折れ曲がってトグロを巻いていた。

 

 中国語系のグループもいれば、韓国系に東南アジア系にインド系もいる。もちろん欧米系や中南米系も、巨大なスーツケースを1人で3つも引きずりながら、長蛇の列に加わってくる。彼らは「素早い行動」「すばしこい行動」をあまり好まないから、長蛇は一向に前進しない。

 

 ついでに日本人グループもまた、素早い行動のお好きでないオジサマ集団やらオバサマ軍団がこの時期には多いし、いかにもすばしこそうな若者たちも、いったん集団や軍団として数名が寄り集まると、長蛇の前進を阻む要因になりがちだ。

 

 というわけで、広島駅の長蛇の真っただ中で、今朝の今井君はピンチに陥った。サイトで予約した新幹線の出発まで残り7分、その段階でまだワタクシの前に、欧米軍団3、オバサマ軍団2、若者集団1、券売機の前を占領しておしゃべりに余念がない様子だった。

     (2月3日、京都・聖護院の節分会 2)

 

 それでも何とか間に合わせたからこそ、ワタクシは今こうして無事に徳島に到着し、広大きわまる所を知らないスイートルームで、こんな駄文を書き連ねていられるわけだが、いやはや大ピンチ、新幹線のドアが閉まりかけた所でギリギリ間に合った。

 

「旅慣れた(ということになっている)今井先生らしくもありませんね」と、首をかしげる読者もいらっしゃると思う。「先生なら、全部チケットレスにして予約、昔ながらの紙のキップなんか、全く必要ないんじゃありませんか?」というご意見は、なるほどごもっとも、いつものワタクシなら間違いなくそうする。

 

 しかし今日の旅には、「四国」が絡んでいる。四国の旅は、そう安々と完全チケットレスなんかさせてはくれない。別に無人駅じゃなくて、特急が停車するレベルの比較的大きな駅でさえ、「夜8時以降は駅員がいません」などということが珍しくない。

 

「サイトで購入したキップは、JR四国の券売機ではお受け取りになれません」なんてのもある。「この駅では、キップはホームで車掌が受け取ります」というアナウンスが流れることもある。紙のキップが常識、チケットレスなどという怪しいことは、まだ許されていません、そういう雰囲気である。

 

 まさか県庁所在地の駅で「カードは使えません」と言われるとは、21世紀もすでに半ばに近づいた今、予想もつかない。ところが案の定、徳島県徳島市、徳島マラソンに阿波踊り、そんな大イベントを連発する徳島の駅でも、「ICには対応していません」と駅員さんが厳しい顔をなさるのである。

     (2月3日、京都・聖護院の節分会 3)

 

 日本中のこんなリベンジ大混雑を眺めていると、2月3日の京都がホントに懐かしくなる。あの日は早朝に豊岡を出て、早春の田園の雪景色や、濃霧におおわれた「水墨画のように幻想的な」山や川の風景を眺めながら2時間、京都ゆき特急「きのさき」には、乗客は両手で数えられるほどしかいなかった。

 

 当初は終点の京都駅まで乗っていく計画だったが、「二条で降りようかなかな」「円町で降りた方が便利かな」と、途中からそわそわ悩み始め、結局そのまた手前の嵯峨嵐山の駅で下車した。亀岡を過ぎて保津峡の眺めを満喫していると、列車はあっという間に嵯峨嵐山に着いた。

 

 ここから天龍寺までは、徒歩10分ほど。天龍寺に向かって、間違いなく明らかに京都の地元の人たちが三々五々、マコトに嬉しそうにおしゃべりしながら天龍寺に向かっていく。

 

「さんさんごご」と入力して「サンサン午後」と変換を返してくるようでは、2013年に神戸で購入して以来まるまる10年、忠実にワタクシを補佐してくれたこのMac君も、さすがに寄る年波には勝てないのかもしれない。今年あたり、新しいのに切り替える覚悟をしておかなきゃいかん。

     (2月3日、京都・聖護院の節分会 4)

 

 で、なぜ「明らかに」京都の地元の人たちなのかというに、彼ら彼女らは手に手に「福笹」を持っている。ただの観光客が、まさかあんな大きな福笹をふりふり歩いたりはしないだろう。故郷まで持って帰るのは至難のワザだ。

 

 昨年1月10日、京都えびす神社に「十日えびす」を見に行った。「商売繁昌、笹もってこい!!」というあれである。巫女さんたちが太鼓に合わせ舞を舞ってお清めをして、ただの笹ははじめて福笹になる。お清め料というか初穂料というか、三千円とか五千円とか、そこですでにそれなりのオカネがかかる。

 

 その福笹に、いろんなオフダやら縁起物のお飾りをくっつける。お飾りは「吉兆」と呼ばれ、宝船・小槌・米俵・鯛・小判・烏帽子など実にバラエティ豊か。そのオフダやお飾りにも1つ1つオカネを納めて、福笹の初穂料を合わせれば、おそらく1万円札1枚ぐらいはマコトにはかなく消えていく。

 

 十日えびすが1月10日だから、あれからまだ3週間しか経過していない。ところが京都の人は2月3日の節分に、またまた手に手に福笹をふりふり、お寺や神社にやってくる。京都人としてチャンと生きていくには、どうやらずいぶんオカネがかかるようだ。

     (2月3日、京都・聖護院の節分会 5)

 

 冷たく「末社」と呼ぶのは申し訳ない気がするが、天龍寺ほどの巨刹となると、「巨刹に所属する」というか「巨刹の管轄下にある」というか、そういう小さな寺社の数も多い。普段は門を固く閉じているそういう寺社が、節分の朝はみんな一般に公開され、人々はここでオフダをもらって福笹に結びつけていく。

 

 羽振りのいいお金持ちのお大尽には、昔は(今でも)ヘラヘラ笑いの取り巻きがたくさんいて、彼らを一般に末社と呼んだ。「末社をたくさん引き連れたお大尽」みたいな表現が、明治・大正・昭和初期の大衆娯楽小説なんかでは、ほぼ定番になっていた。

 

 豆まきの舞台のそばでは、お神酒や甘酒が(もちろん)無料でふるまわれる。ひどく冷えこんだ朝だったので、観光客も地元の人々も、たいへん嬉しそうに甘酒をすすり、お神酒で顔を真っ赤にしているオジサマやらオジーチャマやら、何しろ節分の豆まきを見に来たんだから、例外なくマコトに嬉しそうに笑っている。

 

 豆まきの盛大さには、恐れ入る。雪国の田舎育ちの今井君にとっては、豆まきといえば幼稚園や小学校低学年のヒトコマに過ぎなかった。画用紙とクレヨンで赤鬼青鬼のお面を作り、お面に輪ゴムを通して耳に引っ掛け、狭い教室を駆け回りながら、お互いに豆を数個ずつ投げつけて、すぐに終わりになった。

 

 だからいまだに豆まきには、クレヨンの匂いの記憶が結びついている。分別盛りのオジサマ&オバサマたちが、押しくらまんじゅうみたいに歓声をあげ、お坊さまや鬼や山伏が投げてくれる福豆を夢中で奪い合う姿は、ほぼ想像を絶する思いだった。

     (2月3日、京都・聖護院の節分会 6)

 

 天龍寺「西山艸堂」の湯豆腐で、冷え切った肉体を温めた後は、豆まきのハシゴで聖護院に向かった。

 

 その道々、「それにしても今の湯豆腐って」と、ふと首をかしげてしまうのだった。だって3500円もしたのだ。忙しそうな店員のオバサマが次々と3品ほど料理を運んできて、最後は豆腐の鍋に火をつけて、わずか20分でおしまいになってしまった。

 

 いやはや、福笹以上に湯豆腐は、オカネがかかるのである。京都人であることもオサイフの負担は大きいが、観光客であることもまたオサイフに大きな負担がかかる。漱石じゃないが「とかくにこの世は生きにくい」。

     (2月3日、京都・聖護院の節分会 7)

 

 聖護院の豆まきは、午後1時から。天龍寺が朝早くだったから、ハシゴも可能なのである。このあとさらに千本釈迦堂に回り、ハシゴにハシゴを繋いで豆まき3連発を計画している。

 

 午後からと言ふこともあって、聖護院の豆まきはさらにグッと人出が増え、赤鬼と青鬼が並んで福豆を撒いてくれる正面には回れなかった。それでも何とか人混みをかき分け、正面に向かって右側、黄鬼と山伏がズラリと立ち並んだ舞台の前で、ワタクシもたくさんの福豆を獲得した。

 

 まだ「コロナ第8波」「いやいや油断は禁物だ」の声が強く残っていた2月3日、京都人も観光客も、激しく争って福豆を奪い合う。「あんなに福笹にオカネをかけたんだ」「こっちは湯豆腐に大枚をはたいたんだ」、とても大人しく福豆を他者に譲るような心境にはなれないのだった。

    (節分の日の須賀神社に、懸想文売りが登場)

 

 聖護院のすぐそば、「須賀神社」でも節分のお祝いが最高潮、上の写真の「懸想文(けそうぶみ)売り」が登場していた。

 

 懸想文とはもちろん、むかしむかしのラブレターのこと、近世江戸期以降は、恋文に似せた形式で何となく縁起のいい言葉を書き連ね、これを縁起物として売るようになった。

 

 詳しくはググってもらうしかないが、「懸想文」を売るのは、武家の時代に貧困に陥った公家の人々のお小遣い稼ぎだったらしい。

 

 うまく恋文が書けなくて困っている人のために、和歌やら何やら奥ゆかしい知識を活かして恋文を代筆し、それで小金を手に入れていたのだと言ふ。今も昔も誰にとっても、「とかくにこの世は生きにくい」ものであるようだ。

 

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 6/10

2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 7/10

3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 8/10

4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 9/10

5E(Cd) Miles Davis:KIND OF BLUE

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