Tue 230314 暖かすぎる/訃報相次ぐ/桜攻略10年/西宮と大阪京橋の大盛況 4334回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 230314 暖かすぎる/訃報相次ぐ/桜攻略10年/西宮と大阪京橋の大盛況 4334回

 3月に入ってから日本中どこも異様に暖かく、東奔西走&南船北馬しながら、ワタクシはすでに汗まみれである。

 

 5日前の那覇で汗まみれだったのは不思議はないとしても、那覇から群馬県の前橋に直行して、ここでも汗まみれ。前橋から福岡県小倉に飛んで、ここでももちろん汗まみれ、小倉から山口、山口から広島、広島から金沢、どの街でも確実に汗まみれになって、脱水症状寸前のありさまで、旅を続けている。

 

 こんなに暑苦しい春は初めてだ。ニュースショーのキャスターたちはみんな笑顔で「暖かいですねえ」と慨嘆し、「サクラが楽しみです」と笑顔で頷きあっているが、諸君、この温暖化はマコトに深刻、あんまり不都合すぎて、4月アタマに吉野の桜を見に行く気も失せてきた。

(2月1日、兵庫県西宮で公開授業。この頃から、懐かしい熱気が戻ってきていた 1)

 

 そもそも、「4月アタマに吉野の桜」というプランの立て方自体が異様なのだ。20世紀までは、吉野の桜は4月中旬に咲き始めるものだった。だから初めて吉野に出かけた10年前、ワタクシは4月15日ぐらいに照準を当ててプランを練った。しかし残念なことに、桜はもう盛りを過ぎていた。

 

 だから2回目の訪問では、5日早めて4月10日に照準を早め、「10日ならちょうど満開だろう」とタカをくくった。ところがその4月10日、またまた桜はほとんど散ってしまっていた。

 

 昨年は「ならば4月5日だろう」と考え、思い切りプランの照準を早くして確実を期した。ところが吉野の桜の満開は、まるで滑り台かウォータースライダーを滑るように、スイスイ&グングン満開の日を早めていて、あんなに早く訪れたのに、花が残っていたのは一番標高の高い「奥千本」だけだった。

 

 こういう10年だったから、今年のワタクシは「こりゃ4月の上旬のそのまた前半部を狙っていかなきゃいかんね」と前頭葉も後頭部もカッカと燃え盛り、3月から4月へと年度が変わるあたりに照準を移動。その頃の京都のホテルを予約して、京都から一気に吉野を攻略ようと考えた。

(2月1日、兵庫県西宮で公開授業。この頃から、懐かしい熱気が戻ってきていた 2)

 

 しかし諸君、この分ではどうやら、今年も吉野の桜に先を越されそうだ。かつては大海人皇子が吉野にこもり、源義経も雪の吉野を静御前とさまよい歩き、後醍醐天皇は吉野の南朝で京の北朝と対峙した。

 

 しかし常に吉野は難攻不落、サトイモ大将の10年にわたる猛攻にも、巧みに身をかわして、なかなか満開の桜を眺めさせてくれない。

 

 吉水神社からの「一目千本」だって、今まで4度の攻撃では、いつも「一目千本 → ほぼ葉桜」「一目千本 → みんな葉桜」の連続、ここかと思えばまたまたあちら、滅多なことではその全貌を見せてくれない。

 

 一昨年は「NHKニュースにしてやられる」という痛い目も見た。朝のニュースショーで「奈良県吉野の桜が見頃を迎えています」と人気女子アナがニッコリ、「それなら行くべ」と勇躍吉野の駅に着いた今井君は、乗り込んだタクシーの運転手さんに笑われた。

 

「テレビのニュースなんかじゃダメですよ」と彼は笑った。「3日も4日も遅れてますよ」「もう上千本あたりまで終わってます」「奥千本まで上がっても、ちょっと残っているというぐらいです」と笑顔でおっしゃるのだった。

 

 運転手さんのアドバイスによると、「地元に馴染みの店を作って、見頃になったら店の人から電話連絡してもらえるようにでもしないと、なかなか見頃の桜を見ることはできませんね」。関西コトバでそう言い放って、山のてっぺんの「奥千本」に呆然サトイモを置き去りにし、タクシーは悠然と山を下っていった。

(1月31日、大阪京橋で公開授業。出席者220名の大盛況だったが、写真はこれ1枚しかなかった。スミマセン)

 

 今年はもう、それどころではなさそうだ。東京で3月14日に桜が開花。平年より10日も早い。

 

 そのあまりの異様さにうんざり、そうかと思えば、大江健三郎死去、扇千景死去、陳建一死去(全て敬称略といたします)と訃報ばかり相次ぎ、アメリカでは銀行の訃報が2つ。ますます暗い気持ちで、つい先ほど金沢から大阪に到着した。

 

 大江健三郎については、あんまり偉人すぎてワタクシなんかがコメントできるようなレベルの人ではないが、陳建一:享年67歳というのは、いくら何でも早すぎないか。

 

 つい1ヶ月前のワタクシは、どういうわけか大阪と神戸で滅多やたらに中華料理ばかり貪っていたが、あれも一種の虫の知らせなんだろうか。伝説の名番組「料理の鉄人」、まだワタクシは駿台予備校講師の時代だが、あんなに忙しかった駿台時代にも、「料理の鉄人」だけは何が何でも見逃すことがなかった。

 

 番組の人気があんまり高かったので、同僚講師の1人が自らの単科講座に「料理の鉄人」をもじった命名をしたりした。名付けて「英語の鉄人」。新進気鋭というか、当時まさに売り出し中の女性のセンセだった。

 

 いやはや、その後に経験した代ゼミでは、どの単科ゼミも恥ずかしくなるようなド派手なネーミングだったが、さすが駿台講師、こういう直球のキマジメさも、逆の意味でちょっと気恥ずかしいかもしれんね。まあ要するに「料理の鉄人」、そのぐらいの人気番組だった。

(2月2日、大阪から特急「こうのとり」で兵庫県豊岡に向かう。お弁当は大好きな「淡路屋」特製、「ひょうご日和」。オイシューございました)

 

 さて本日の写真についてであるが、ホントにスミマセン、まだブログの上の今井は1月下旬の関西をウロウロしているのである。

 

 1月31日、大阪・京橋で公開授業。出席者220名。この頃から少しずつコロナ前の盛況が戻りつつあって、「湯気の出るような大盛況!!」「おしくらまんじゅうみたいな大盛況!!」みたいな勇ましいご報告はできないが、あまりに寂しかったコロナの3年を、ここから挽回できそうな雰囲気になってきた。

(岸朝子センセの「オイシューございました」が名セリフとして定着したのも、「料理の鉄人」だった。「ひょうご日和」、ホントにオイシューございました)

 

 出席者諸君の学力の高さにも驚かされる。大阪市内の公立トップ3校の在籍生が全体の7割を占め、実名を言ってしまえば北野・天王寺・大手前高校。残り3割には、近畿圏屈指の私立高校の名前がズラリと並んでいる。

 

 だから授業で使用したテキストも、7種類あるワタクシのテキスト♡ラインナップのうち、難しい方から3番目のDタイプ。初対面の高2生やら高1生200名超を相手に、大阪大・神戸大・名古屋大レベルの長文読解問題を60分で1問。大ベテラン今井にとっても、これはなかなかやりがいのあるお仕事だ。

(福知山を過ぎると、特急「こうのとり」の車窓は懐かしい雪国の風景にかわる)

 

 翌日2月1日は、兵庫県西宮で公開授業。高級住宅地♡西宮には、北から阪急・JR・阪神の3つの駅が並んでいて、この日の会場は阪神の西宮駅前、出席者・約110名。

 

 使用したテキストは、ラインナップ7種のうち、難易度ちょうど中間のCタイプ。「ちょうど中間」と言っても、実際の難易度は高い。偏差値にして65は下らない難関大の長文読解問題を、約40分で解説しきる。

 

「では、残りの時間は何をしてるの?」であるが、その辺はまさに企業秘密であって、ここで明らかにする訳にはいかない。興味があれば、諸君もぜひ公開授業に参加してみればいいのだ。

(豊岡駅前、2月3日午前7時。こんな雪景色を眺めながら、公開授業翌日のワタクシは、早朝の特急で京都を目指した)

 

 さらに翌2月2日は、兵庫県豊岡で公開授業。前日まで宿泊していたのは、大阪梅田のウェスティンホテルだったが、大阪から豊岡まではJRの特急列車で3時間近くかかる。21時を過ぎれば、もう大阪に引き返す列車はないから、ウェスティンをチェックアウトして、この夜は豊岡に宿泊するしかない。

 

 豊岡への特急は、福知山線経由の「こうのとり」、神戸と姫路を経由して播但線を北上する「はまかぜ」、京都からの「きのさき」の3種類があるが、この日のワタクシが選択したのは「こうのとり」。大阪駅のホームで購入した駅弁「ひょうご日和」をつつきながら3時間、一路豊岡を目指したのだった。

 

 豊岡での滞在について、またマコトに感動的だった公開授業については、また次回の記事で詳細を示したい。

 

1E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 1/3

2E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 2/3

3E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 3/3

4E(Cd) Sonny Clark:COOL STRUTTIN’

5E(Cd) LET’S GROOVE

total m20 y137  dd28087