Sun 230312 とらふぐ城、4度の攻防戦/ふぐは大阪/フグをめぐる人間模様 4333回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 230312 とらふぐ城、4度の攻防戦/ふぐは大阪/フグをめぐる人間模様 4333回

 大阪・心斎橋「とらふぐ城」を初めて訪ねたのは1月23日、2回目の訪問は1月30日。間にはホンの1週間しか空いていなくて、この頻度を考えると、よほど今井君は「とらふぐ城」がお気に入りなのだ。

 

 このままだと「我が居城」と呼び、一国一城のアルジとして「とらふぐ城」に君臨しかねない。マコトに厄介な今井ふぐ右衛門は、1月30日の後もさらに2回の城攻めを繰り返し、2月13日までわずか半月で計4回「とらふぐ城」を攻囲&強襲したのである。

 

 この執拗さは、まさにオスマン帝国のコンスタンチノープル攻略戦に勝るとも劣らない。白子焼きを含む「金色コース」を2回、白子焼きの代わりに焼きふぐが加わる「天守コース」1回、最もスランダードな「本丸コース」1回、戦略も戦術も多種多彩、ふぐ攻め大将の名をほしいままにした。

(大阪心斎橋「とらふぐ城」。今井ふぐ右衛門は、この城を巡って1月から2月、計4度の大攻防戦を繰り広げた 1)

 

 もっとも、今井ふぐ右衛門のフグ歴は、そんなに長くはないのである。あまり裕福な生まれでも育ちでもないから、コドモの頃に親に連れられてフグを堪能するような幸福には恵まれなかった。

 

「親に連れられて」の経験は、一番のぜいたくで町のお寿司屋さん。それも「カウンターに座って1貫ずつ注文」などという贅沢な経験はむろん皆無であって、「松」「竹」「梅」なら必ず「梅」、「特上」「上」「並」なら必ず「並」、まだ回転寿司のない時代だったから、まあそんなところだったのである。

 

 その他の外食は、デパート最上階の大食堂のみ。回転寿司ついでに「ファミリーレストラン」と称するものも存在しない時代、秋田県秋田市は県庁所在地のクセに「デパートの最上階が3階」という驚くべき田舎町で、秋田の2大百貨店「木内」「本金」の3階こそ、幼い今井君の夢の舞台なのだった。

(大阪心斎橋「とらふぐ城」。今井ふぐ右衛門は、この城を巡って1月から2月、計4度の大攻防戦を繰り広げた 2)

 

 そういう幼年期と少年期があるから、やがて学部生に成長して上京してきても、ヤング今井がフグを口にするのはまだまだ先、そのうち「課長 今井ふぐ作」「部長 今井ふぐ作」「取締役 今井ふぐ作」ぐらいに出世したら、せめて一生に一度ぐらいはフグの美味を味わってみたいと夢見ていた。

 

 初めてのフグ体験は、30歳代中ごろである。幼年時代の夢、少年期&青年期の憧れは、別に部長や取締役に出世しなくても、駿台予備校の超♡人気講師になった程度で実現したし、それが世紀魔Ⅱの代々木ゼミナールとなると、人気講師たちの贅沢ぶりもまたほとんど常軌を逸していた。

 

 当時の予備校講師諸君が、「常軌」と言ふものをどのぐらい逸していたかというに、たとえば赤坂とか六本木の高級ホテルの豪華なお部屋を、1年単位で契約してリフォームしちゃうとか、スーパーカーを2台も3台も買って都内を乗り回すとか、いやはや、貧乏育ちの今井君なんかが思いつくカテゴリーをはるかに逸脱していた。

 

 そういう雰囲気に乗せられて、だから代ゼミの頃の今井君も細々と「ちょっとは贅沢してみるか」と、慣れない高級店なんかにも出入りを始めちゃった。30歳代終盤から40歳代前半にかけて、今思えばホントに馬鹿馬鹿しいオカネの使い方をした。

(戦いの先陣は、熟成させたてっさ。歯ごたえ、味ともに、ワタクシには絶品に思えた)

 

「ちょいと贅沢」の中にフグも含まれていて、当時かなりの頻度で出入りしていたのが、赤坂の「大友」。その後「大友」はやがて六本木に店舗を移し、いつの間にかどこに行ったのか姿も見えないが、分厚く切った山盛りのブツ切りがマコトに美味だった。

 

「日本で2番目においしいフグの店」と暖簾に出ていて、しかし「それなら一番はどこ?」と尋ねるのもまたエゲツないから、黙ってその「2番目においしいフグ」の味を何度も噛みしめた。

 

 何と言っても旨かったのは、七輪の火でオバーチャンの仲居さんが焼いてくれる焼きふぐ。オバーチャンはきっと戦前から東京で生活している上品な人で、絶妙な味付けの焼きふぐを2人前もペロリと平らげながらの世間話は、この上なく楽しかった。

 

 六本木に店舗が移ってからは、あのオバーチャンと顔を会わせることがなくなった。何しろご高齢だったから、きっと六本木移転をきっかけに、仲居さんをやめてしまったんだろうと思う。

 

 オバーチャンの後には、女子大生ぐらいの年齢の若々しい仲居さんたちが採用され、いかにも着慣れない着物を着せられて座敷に登場、困惑気味の表情で、でも頑張ってフグを焼いてくれた。

 

 しかしもともとワタクシは、六本木という街があんまり好きではないし、仲居のオバーチャンとの会話が出来なくなってしまっては、いくら着物女子が頑張ってくれても、あの焼きフグの味わいはもう望めないから、いつの間にか「大友」から足が遠のいた。懐かしい大友、どこに行っちゃったんだろう。

(てっさの前に、先陣ないし先鋒としてフグ湯引きが登場、これも決して侮れない)

 

 そういうわけで、フグと言ふ魚類との付き合いも、長いあいだ途絶えていた。もっとも、5〜6年前の早春に、博多だったか小倉だったかの出張のついでに、下関「春帆楼」を訪ねたことはある。

 

 下関春帆楼は老舗中の老舗であって、1895年、日清戦争を終結させた下関条約が締結されたのもここである。しかしそんな名門でランチのふぐコースをつついてみても、目の前には伊藤博文やら李鴻章やらの面影がチラチラするばかりで、なかなかフグに集中できなかった。

 

 大阪では、ふぐを「てっぽう」と呼ぶのである。読者諸君ももちろんご存知だろうが、フグの毒にあたってコロリと死んでしまう悲劇を、鉄砲のタマにあたってコロリと死んでしまう様子に引っ掛ける。だからてっぽうの刺身なら「てっさ」、てっぽうのチリ鍋なら「てっちり」、大阪の人の大好きな省略形で呼ぶ。

 

 一度このブログでも紹介したが、昭和の「NHKみんなのうた」に「さっさか大阪」という名曲があって、「梅新、上六、なんやろな」「梅新 = 梅田新道で」「上六、つまりは上本町の六丁目」と続いた。大阪の短縮形は、彼ら彼女らの誇りなのである

 

「バタバタバイクのおっちゃんは、あれはシャツイチ、シャツ1枚」「ホンマにさっさか、さっさか大阪、ええ町や」と続く。作詞:阪田寛夫。阪田寛夫は1925年大阪市生まれ、「さっさか大阪」の放送は1969年、学生運動の激化に伴い、東京大学の入試が中止になった年である。

(中堅に控えるのが、フグ唐揚げ。4個のうち2個を平らげてから、写真の撮り忘れに気づく、そのぐらい旨い。真ん中に写っているイモの唐揚げがまた旨い)

 

 以上、ふぐについて思いつくままに書いてきたけれども、どうやら諸君、ふぐは、大阪で食べるもののようだ。東京のふぐは、無駄に高いばかりである。着物姿のキレイな女子大生のバイトなんかに大事なオカネが流れてしまって、肝腎のふぐがないがしろになっている気がする。

 

 そこへいくと大阪のフグはマコトにリーズナブル。大阪人自慢の「安くて、早くて、旨い」が最も実現しやすいのがフグなんじゃないか。「とらふぐ城」、一番高い「金色コース」でも1人9000円、スタンダードな「本丸コース」なら、お酒を4合飲んでも1万円を下回る。

 

 これが東京の着物女子が焼いてくれるコースなんてことになれば、3万円とか5万円とか、いやはやフグとは何のカンケーもないところで費用がかさんで、あっという間にすっからかん。「もう2度とフグなんか食べるもんか」という悲しい決意に直結しかねない。

(とらふぐ城の副将は、焼き白子。この日はちょっと焼きが足りなくて、ナマ感覚だったのが残念)

 

 大阪・心斎橋のフグ屋で2時間か3時間、ゆっくりヒレ酒を味わいながら長居していると、大阪の庶民の楽しくも物悲しい会話が聞こえてくるのも、また悪くない。いちおう「完全個室」ということになっていても、間を隔てるのは薄い障子やフスマ1枚だ。隣のお部屋の会話はみんな筒抜けなのである。

 

 ある時のお隣は、中年サラリーマンとキャバ村嬢の「同伴出勤」だった。東京六本木とか大阪難波には「キャバ村」という施設が林立しているらしくて、本当は「村」ではなくて「クラ」なのだが、今井君はそういう施設を嫌悪ないし敬して遠ざけているので、詳細は全くわからない。

 

 何でも、中年男子が分厚い財布の大金を払えば、20歳代やら30歳代やらの若々しい女子たちが限りなく優しくしてくれるらしい。

 

 コロナ初期から中期にかけて、「夜の街」とか「接待を伴う飲食店」という専門用語がニュースショーを占拠したが、あの悪の巣窟 → 3密を煮詰めた飲食店こそ、そのキャバ村である。

 

 ワタクシは「払ったオカネの威力で若い女子に優しくしていただく」という交換条件に全く魅力を感じないので、かつて代ゼミの同僚に無理やり連れていかれた1回か2回を除けば、そういう施設利用の経験は全くない。

 

 しかしそれでも、ネット情報やら週刊誌情報やらに勤勉に接していれば、我が教養も限りなく高まっていくので、「同伴出勤」とはどのようなことか、まあ知識としてのみ、ワタクシの灰色の脳細胞にギュッと深く沈潜している。フグ屋の個室の隣からの会話に耳を凝らしつつ、「おお、これが同伴というヤツの実例か」と、頰を紅潮させる今井君なのだった。

(攻防戦の潤滑油は、もちろんフグのヒレ酒。普通は火を入れてアルコールを飛ばすが、さすが今井大将軍は「アルコールもそのまま」を定番とする)

 

 またある時は、お隣の個室に中年サラリーマン軍団がやってきた。2月上旬のこと、「歓送迎会」という世界かと思ったが、話を聞くうちに、これはどうやら接待、A社のお偉方の接待を、B社の若手担当者が任された様子である。

 

 B社の若手は、「自分は難波のキャバ村情報に詳しい」と、盛んに接待の場をフグ屋からキャバ村に移動させようとする。A社のお偉方は陽気な笑い声で受け流しながら、「自分はあんまりそういう村に関心がない」と伝えようとしている。

 

 ところがB社の若手社員は、「そういう村に関心がない」というオジサマがこの世に存在するはずがないと信じきっている様子。徹底的にしつこく、どこにどんな村があって、そこにどれほど魅力的な女子が居並んでいるか、甲高い声で詳細な説明を展開。パワポを使用した社内ミーティング並みの熱心さで、難波に展開するありとあらゆる村の魅力を説明し続けるのであった。

(あれえ、またてっさ?であるが、てっさは今井大将軍にとってデザートに該当。てっちりのあとのデザートに、てっさ1枚を追加する)

 

 またある時の隣室は、どう考えても「風鈴2個」。長時間濃厚に煮込んだ筑前煮か、発酵に発酵を重ねた魚醤かフナ寿司みたいな、いけない雰囲気ムンムンの中年カップルのお2人だった。

 

 風鈴2個とは、つまり「ダブルのフーリン」ということであって、魚醤タイプでもフナ寿司タイプでも、長い時間ギュッと濃厚な沈黙が支配し、その濃密な沈黙がふと破られて、突然激しいセリフのやりとりに移行する。

 

 そういう場面を想像してみるに、個室のフグちゃんたち、てっさ君も、焼きフグちゃんたちも、てっちりチームも、さぞかし緊張と興奮と感激にブルブル震えていただろう。いやはや、平和なとらふぐ城の住人たちも、決して安穏に日々を送っているわけではないのだった。

 

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4

2E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1

3E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.2

4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10

5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10

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