Thu 230209 福の日の思ひ出さまざま/土浦・代々木・西新宿/写真は紅葉の奈良 4320回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 230209 福の日の思ひ出さまざま/土浦・代々木・西新宿/写真は紅葉の奈良 4320回

 世間の人々は語呂合わせが大好きで、2月22日は「にゃんにゃんにゃん」だからネコの日、その日ももう2週間後に迫っているが、本日は2月9日だから、おそらく「ニクの日」で、ステーキ屋さんもすき焼き屋さんも焼肉屋さんも、どこもきっと大サービスをしてくれるだろう。

 

 ついでに2月9日はフタツとクだから「フクの日」でもあって、福の神の皆さまもたいへん忙しい。つい1週間前には「鬼は外」「福は内」でオウチの中に呼び入れられたばかりだ。福々しい福の神様を徹底的におだてあげて、もっともっといい年になるように、みんなでお願いしようじゃないか。

 

 かく言うこのワタクシも福の神の一種であって、優しい今井大明神を神棚に祀ってひたすらお祈りすれば、きっと福が舞い込んでくる。お祈りとは「ひたすら音読」ということであって、1991年に河合塾や駿台で授業を担当しはじめて以来、その発言に一切ブレはない。

    (2022年11月28日、奈良・春日大社にて 1)

 

 フクの日の思い出として、まず1996年と1997年、2連続の2月9日が思い出される。駿台予備校での終盤の日々、2月9日のワタクシは茨城県土浦まで出かけて「筑波大直前講座」を行なった。寂しい城跡の中の講演会場「亀城ホール」で、筑波大の過去問を2年分、4時間かけて無我夢中で解説した。

 

 特に1996年2月9日は、翌日に手術と入院を控えていて、何となく決死の覚悟。鼻の奥に大っきなポリープがワンサと出来てしまい、そのポリープ軍というかポリープ群を全て切除してしまわないと、鼻呼吸が困難になっていた。

 

 それは諸君、マコトに由々しき事態であって、鼻呼吸ができないと、ヒコーキの中の気圧の変化に対応できず、耳にも鼻にも頭の奥にも激痛が走る。

 

 何しろ当時は週1回の福岡出張があり、当時の今井君は駿台・福岡校のエース格を務めていたから、どうしてもヒコーキを利用しなければならなかった。片道5時間半の新幹線通勤なんか、意地でもイヤだった。

       (久々に、奈良・興福寺を訪問)

 

 だからあの年の2月9日は、「いよいよ手術だ」「いよいよ入院だ」と、大きな不安をかかえつつ「筑波大直前講座」に出講した。

 

 今でも記憶しているが、目の前には筑波大を真剣に志望する生徒たちがズラリと150人。若き今井君は千葉県の駿台・柏校でもやっぱりエース格だったが、さすがに県境をまたいで「土浦会場」となると、知った顔はほとんどなかった。

 

 あの夜は柏駅前の「三井ガーデンホテル」に1泊して、ホテルから直接病院に向かった。鼻の奥の内視鏡手術がまだ普及し始めたばかりの頃で、東京・新橋の東京慈恵会医大病院が、その分野の手術で有名だった。

 

「リラックスしたほうがいいですから」ということで、FMラジオの音楽を聴きながらの手術だったが、部分麻酔で意識はカンペキに残っており、鼻の奥でドリルが回る音が頭蓋骨内にビンビン響き、ポリープを鼻の奥から削り取る音もガリガリ明瞭に聞こえて、その音で気が遠くなりそうだった。

    (奈良の名物プチホテル・古っ都ん100%)

 

 翌年1997年のフクの日も、やっぱり茨城県土浦で筑波大直前講座。しかしこの年は、駿台から代々木ゼミナールへの移籍がもう決まっていて、駿台での最後の授業がこの講座になった。

 

 ホントは、懐かしい御茶ノ水本部校舎で駿台時代のフィナーレを飾りたかったのだが、何しろ自分の浪人生時代から通算7年、長々とお世話になった駿台を裏切って代ゼミに移籍する身なのだ。贅沢なことは言っていられなかった。

 

 またまた150人の筑波大受験生が目の前にズラリと並び、午前に1年分、午後にも1年分、筑波大の過去問を2年分ビシッと解説して、駿台に別れを告げた。

 

 その後は柏に移動して、駿台・柏校のスタッフ諸君と居酒屋へ。深夜まで深酒をして、泥酔したスタッフの皆さんから「代ゼミでも頑張ってください」とエールをいただき、ちょっと贅沢をしてタクシーに乗り込んで、当時生活していた埼玉県東鷲宮のマンションに帰った。

    (2022年11月28日、奈良・春日大社にて 2)

 

 いま思えばあの年は、マコトに激烈なフクの日だったのであって、その翌日は世田谷の下北沢に、新しいオウチを探しに出かけた。何しろその後の代ゼミでの日々は「1日90分授業 × 5コマ、週6日勤務」という激務が予定されていたので、埼玉県の奥から毎日往復するなんてのはとても無理な話だった。

 

 ところが諸君、下北沢のオウチがほぼ決まって埼玉県に帰ってみると、「父が亡くなった」という留守番電話が入っていた。まだケータイを持ち歩く習慣が常識ではなかった時代、宅電の留守番電話で父の死を知ったのは、夜11時を過ぎていた。

(春日大社「萬葉植物園」にて、キャンディみたいなクチナシの実が可愛かった)

 

 当時の両親のオウチは、宮城県仙台市。すぐにタクシーで仙台に向かうべきだったかも知れないが、タクシー数社に連絡して「これから仙台まで行ってくださいますか?」と交渉すると、すべてすげなく断られた。結局、翌朝始発の新幹線で仙台に向かい、父に対面したのは朝9時過ぎのことだった。

 

 父、70歳。NHKの漫才番組を眺めつつ爆笑し、爆笑が突然途切れたと思ったら、もう心臓が止まっていたのだという。ガハガハ明るくよく笑う父の、若すぎる死だった。早いもので、あれからもう25年以上が経過した。

    (2022年11月28日、奈良・春日大社にて 3)

 

 どうもワタクシの「フクの日」は、激烈になりやすいようである。そこから8年、「四天王」として代ゼミに君臨した今井君であったが、2005年の2月9日は、その代ゼミを辞めて東進への移籍が完了した日なのである。

 

 2月8日午前、代ゼミのフィナーレを飾る授業は「名古屋大学予想問題演習」。その直前には「早稲田大学予想問題演習」もこなし、いやはやさすがに2月の上旬だ、駿台では筑波大、代ゼミでは早稲田に名古屋大、緊張感あふれる直前講習やら直前ゼミやらで、年度の締めくくりを続けていた。

 

 あの年の2月8日、東京は小雨。フィナーレの授業が終わっても、駿台の時みたいに送別会を企画してくれるスタッフもなく、マコトに寂しく西新宿「シズラー」にて単独サヨナラ会を実施。サラダバーと白ワイン2本だけの、穏やかなサヨナラ会だった。

    (2022年11月28日、奈良・春日大社にて 4)

 

 もう18年も昔のことだから、代ゼミ最後の授業に出ていた18歳の生徒諸君は、今では36歳になっている。時の経過とは、驚くほど速いものであって、2023年2月、ワタクシの前に座って授業を聞いている生徒は、ちょうどあの頃生まれた赤ちゃんたちなのである。

 

 そして2005年のフクの日、単独サヨナラ会から24時間後の今井君は、成田空港からスカンジナビア航空のヒコーキに乗ってコペンハーゲンを目指した。コペンハーゲンからベルリン、ベルリンからミュンヘン・ウィーンへ、懐かしいヨーロッパ40日の旅の始まりだった。

    (2022年11月28日、奈良・春日大社にて 5)

 

 要するにあの辺が、ちょうどワタクシの折り返し点だったのであって、18年前のフクの日以来、マコトに激烈ではあるが、穏やかで幸福な日々が続いた。2匹のネコがやってきて、約15年をワタクシとともに生き抜き、やがて静かに天国に旅立った。2008年にはこのブログが始まって、今日で4320回を迎える。

 

 もう1度ぐらい、折り返し点があってもいいような気がする。実はワタクシとしては、5年前の2018年6月26日、ブログ10年連続更新 → 3652回達成の日を、とりあえず第2の折り返し点に設定していた。

      (夕暮れの奈良・興福寺にて。11月28日)

 

 しかしついつい「ここからは、ブログ2次会」などと言いだし、気がつけばあれからすでに4年半、700回もこれを書き続けて、折り返し点をはるかに逸脱してしまった。

 

 するとやっぱり、次の折り返し点は5000回達成の日にするしかない。つまりまだ700回も書かなければならないことになり、どんなに早くても2年後のフクの日あたりが目標になるのだが、果たしてそれまでブログの世界がもつかどうか。今井自身はビンビンで大丈夫だが、今はむしろ、風前のトモシビのブログ世界の存続のほうが心配なのだ。

 

1E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 10/10

2E(Cd) Carmina Quartet:HAYDN/THE SEVEN LAST WORDS OF OUR SAVIOUR ON THE CROSS

3E(Cd) Alban Berg Quartett:HAYDN/STREICHQUARTETTE Op. 76, Nr. 2-4

4E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE

5E(Cd) Fischer & Budapest:MENDELSSOHN/A MIDSUMMER NIGHT’S DREAM

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