Sun 230205 シュールな午後3時/圓通寺の思ひ出/和菓子と画家のオジーチャン 4319回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 230205 シュールな午後3時/圓通寺の思ひ出/和菓子と画家のオジーチャン 4319回

「初老」とは、もともと正式には40歳のことであるから、ワタクシはとうの昔に初老を過ぎて、中老というか準老というか、いや真老・古老・大老、高校生や大学学部生から見たら、とっくにジジーの域のど真ん中に達しているのかもしれない。

 

 しかしまあそこは見栄を張って、見た目はまだまだ初老というより中年ないし壮年、そういうことにしておきたい。肉体も食欲も出世欲もまだまだビンビンであって、ことあるごとに「もうヒト花、咲かせたい」「もうヒト旗、あげたい」と、ほとんど口癖のように言っている。

 

 そのヒト花やらヒト旗やらがどんなことであるか、そこんトコロは秘密というか企業秘密というか、今井は企業ではないから正式には「自営業秘密」であって、何もこの場で自ら暴露して恥をかく必要はない。少なくとも3種類のヒト花とヒト旗を準備中、読者諸君も大いに楽しみにしていてくれたまえ。

(京都北山、圓通寺。苔の枯山水と、比叡山の借景が美しい 1)

 

 しかしとりあえず11月27日日曜日、午後2時半を過ぎた頃に、京都滞在中のワタクシは、宝ヶ池のホテルを出て、静かな北山の散策に出かけた。11月下旬にしては、まだうらうらと暖かい午後だった。

 

 予定していたルートは、宝ヶ池 →「赤本」の教学社 → 妙満寺 → 円通寺 → 深泥池 → 大田神社 → 上賀茂神社。寂しい中年やら初老の男なんかが、ふと思いついて午後の散策に出て、いろいろな思いがけない事件に遭遇するというのは、暢気な昭和の短編小説の定番ストーリーだった。

 

 京都は150万人もの人が生活する大都市であるが、宝ヶ池や岩倉あたりまでくると日曜日の午後なんかはマコトにひっそりと静まり返る。確かに妙満寺から円通寺への緩い山道を辿っていっても、出会う人はほとんどいない。

 

 とりあえず円通寺と書いたが、気持ちとしては「圓通寺」、出来れば旧字体を使いたい。後水尾上皇ゆかりの穏やかな寺で、比叡山を借景にした枯山水の苔庭が美しい。

 

 叡山電車「木野」または「京都精華大」駅から徒歩10分ほど。借景の比叡山が正面からの夕陽に映える、午後遅い時間帯に訪れるのが理想だろう。だから11月27日のワタクシも、ちょうど午後3時に到着するように圓通寺の坂道を登っていった。

(ここも比叡山の借景で有名な妙満寺。11月27日の散策は、ここをスタートとした)

 

 初めて圓通寺を訪ねたのは、1998年の秋。もう25年も昔のことである。オレンジに染まった比叡山と、庭の緑の苔の対照があんまり美しかったので、あのころ勤務していた代々木ゼミナールの全ての授業で、授業中の雑談の1つとして圓通寺の紹介を続けた。

 

 2002年秋のことだったか、代々木本校の浪人生の授業で、まさにその圓通寺の紹介の話の最中に、席を立って不満げに超満員の教室から出て行く一人の男子学生がいた。呼び止めて理由を尋ねたところ、「受験英語に関係のない話なので」と、吐き捨てるように言って教室のドアをバタンと閉めた。

 

 受験に直接関係のない話が始まると、無視してサッサと教室をあとにする学生の出現。どうやらあの頃が、豊かな昭和の浪人生文化の終焉、終わりの始まりだったような気がする。あまりのショックに、まだ若き今井君は圓通寺の紹介をそれっきりヤメにしたし、あれを境に授業中の雑談も少しずつ遠慮するようになった。

 

 それでもやっぱり圓通寺は大好きで、あれから4半世紀のうちに少なくとも5回は借景の庭を訪れた。寺の住職はマコトに狷介なオカタで、「借景の庭以外の写真撮影は禁止する」の貼り紙を要所要所に貼り付け、観光客が無遠慮にパシャパシャやるのを絶えずみっちり監視していらっしゃる。

 

 それでもなお、意地でも境内の写真を盗撮しようとするオジサマ&オバサマ&外国人は多数存在し、住職はその現場を捉えると、すかさず貼り紙を指差して「書いてある♨︎」「書いてある♨︎」と、厳しい気合いで撮影を中止させるのである。

(京都北山、圓通寺。苔の枯山水と、比叡山の借景が美しい 2)

 

 こういう狷介さは、今井君の理想の老い方、作家の内田百閒を髣髴とさせる。文化勲章をくれるというのを「イヤだから、イヤだ」と固辞し、野良猫を家にあげてニコリともせずに餌を与えて可愛がり、その猫が姿を消してから3年泣き暮らし、歯の治療もせずに一日一食、昼食の蕎麦を歯茎で噛み切ってすすり続けた。

 

 かく言うワタクシも、2匹のネコが死んで以来4年をシクシク泣き暮らしたが、なかなか「禁客寺」の域には達しない。内田百閒の「禁客寺」は、客嫌いの百閒が小さな自宅に掲げた額であって、客の来訪は禁止とした。

 

「世の中に 客の来るこそうるさけれ とはいうものの お前ではなし」(太田蜀山人)

「世の中に 客の来るこそうれしけれ とはいうものの お前ではなし」(内田百閒)

そういう人である。

(京都北山、圓通寺。苔の枯山水と、比叡山の借景が美しい 3)

 

 圓通寺のご住職は、この夕暮れも「書いてある」「書いてある」を連発し、無遠慮なカメラおじさんたちを撃退し続けていた。今井君もその類い → 不躾なカメラおじさん仲間と思われたか、中庭の廊下で真っ赤なカエデの紅葉を眺めていた向こう側の廊下から、住職はジーッとこちらを見つめておられた。

 

 そしていきなり「そのカエデは、この世に1本しかない」と、中庭越しに不思議な言葉をかけてこられた。「この世に1本しかないカエデ」。いかにも狷介な住職が、中庭の静かな空間にその一言を投げかければ、何かマコトに奥深い哲学なり宗教の極意なりを感じるのである。

 

 しかし諸君、この一言はごくごく世間的な意味あいだったので、「普通のイロハモミジが、何らかの変異で世界で1本しかないカエデになった」みたいな話なのである。確かに、ありふれたイロハモミジと比較すると、1枚1枚の葉が厚くて艶やか、実に美しいモミジなのであった。

(冬ざれの深泥池。京都で最も有名な心霊スポットの1つである)

 

 それをきっかけに、ご住職と今井君の雑談は、もう尽きるところを知らない。狷介な大老と、狷介な初老ないし準老の丁々発止は、おそらくハチャトリアン「剣の舞」に引けを取らない激烈さ。ご住職はもう他の参詣者に見向きもしない。

 

 1時間近い丁々発止は、地上の西から東、はてしない過去から果てしない未来、広大無辺の宇宙を覆い尽くして、いつ果てるとも知れなかった。その中身については、いろんな個人情報も含まれるから、ここに詳細を詳述するのは遠慮する。しかしこうなるともう「撮影禁止」も「書いてある!!」も何もあったものではない。

 

 ご住職は丁々発止に夢中、今井君も丁々発止に必死、そのスキをついて、何人ものカメラおじさんたちが無遠慮に境内の撮影に励んでいたのだが、まあいいじゃないか、きっかり午後4時、ワタクシはおいとまをつげて、ようやく激しい剣の舞から解放されたのだった。

 (大田神社。紅葉のグラデーションが美しかった 1)

 

 こういうふうで、この日はマコトにシュールな夕暮れを経験した。この後もなお、様々な京都のジーチャンとの丁々発止に巻き込まれたのである。

 

 圓通寺から、寂しい山道を超えて深泥池(みどろがいけ)へ。京都最大の心霊スポット♡深泥池、平安から戦国&幕末に至る京都の闇が凝縮したような深泥池に到着したのは、もう午後4時半に近かった。

 

 深泥池のほとりに、1軒だけポツンと営業している和菓子屋さんがある。屋号は「夛賀良屋」、「夛」の字は「た」と発音、だから屋号は「たからや」と読む。おじーちゃん1人でやっているらしくて、開けるとピンポンが3度鳴る仕組みの引き戸が、もうガタピシいって開けにくい。

 

 ここを訪問するのはすでに3回目か4回目か、どうしても食べなきゃいけないほどの味ではなくても、深泥池あたりを散策すれば、必ずここに立ち寄って、栗餅におはぎにりんご餅、そういう素朴な和菓子を2つか3つ購入したくなる。

 

 ここのオジーチャンは、圓通寺のご住職とは全く真逆のタイプ。狷介さより、ささやかで静かで穏やかな人生終盤の孤独を、どこまでも遠慮がちに満喫していらっしゃる。和菓子の方もマコトに優しい味で、おじーちゃんの生き方がそのまま素直に表現されているようである。

 (大田神社。紅葉のグラデーションが美しかった 2)

 

 和菓子の袋をぶら下げて、深泥池から上賀茂神社に向かう。途中、5月のカキツバタで有名な大田神社があって、何しろ「カキツバタで有名」なんだから、紅葉の時期には森閑と静まり返っている。観光客の姿は全くない。

 

 しかし、ここの紅葉のグラデーションは見事であって、もしも諸君、彼氏なり彼女なりを深く感激させたいのであれば、嵐山や祇園や東山の紅葉の名所なんかより、秋の深まった大田神社の紅葉を、ワタクシは自信をもっておすすめする。

 

 午後5時近くなって、11月27日の散策の終点:上賀茂神社に近づいたが、ここでまたたいへん個性的なオジーチャンに遭遇した。趣味で描き続けた世界の風景画が、ある程度の枚数に達したので、小さなギャラリーでついに初めての個展開催に漕ぎつけたという画家ジーチャンである。

     (上賀茂神社、午後5時に到着)

 

 彼は、徹底的に気さくジーチャンなタイプ。ギャラリーの入り口で待ち受けていて、ふと今井君と目が合って、するともう意地でも離してくれない。「さあどうぞ」「さあどうぞ」「さあさあどうぞ、さあどうぞ」。いつの間にかギャラリー内に引っ張りこまれ、世界中の定番観光地の風景画を1点1点コマゴマと説明してくださった。

 

 どれもみんな、今井君のこの20年の数々の旅を思い出させてくれるものばかり。パリにローマ、ロンドンにイスタンブール、エアーズロックにキンデルダイク、どの絵を見ても画家オジーチャンと話が合って、ついつい20分も30分も熱く話し込んでしまう夕暮れのワタクシなのであった。

 

1E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 5/10

2E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 6/10

3E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 7/10

4E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 8/10

5E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 9/10

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