Wed 221130 大学合併のネーミング/東京医科歯科大の思ひ出/東工大の思ひ出 4299回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 221130 大学合併のネーミング/東京医科歯科大の思ひ出/東工大の思ひ出 4299回

 毎度おなじみの一言であるが、「今、京都に滞在中」。11月26日に宝ヶ池のホテルにチェックインし、北野天満宮・大覚寺大沢池・圓通寺・上賀茂神社・真如堂と回って、昨日29日は雨の京都の散り紅葉を眺め、それでもまだ京都にいる。今日はこれから琵琶湖西岸を歩いてこようと思う。

 

 今年の京都は、紅葉の当たり年である。これほどキレイな紅葉は、滅多なことでは見られない。快晴の昼もよし、ライトアップの夜もよし、冷たい雨の豪勢な散り紅葉も、掛け値なしに美しかった。

(京都は、滅多にない紅葉の当たり年。11月28日、真如堂にて)

 

 コロナの3年、それでも意地でも京都の紅葉を眺めにきたが、温暖化の影響か、紅葉する前にチリチリ茶色く縮んで枯れてしまったり、まだ青いまんまで何となく黒ずんでしまったり、思う存分「キレイだな」と感激するレベルには至らなかった。それが今年は久しぶりに、この上なく見事に紅葉してくれた。

 

 マコトにクラシカルな修学旅行隊とも出会う。最近の修学旅行はグループ単位の自由行動が多いらしく、5〜6人の小グループで貸切タクシーを乗り回す豪華なスタイルばかりかと思っていたら、さすが晩秋の京都&奈良、制服姿の高校生が200人も300人も恐るべき隊列を作って、黙々と巨刹の境内をゆく。マコトに勇ましく、かつ頼もしい。

 (京都は、紅葉の当たり年。11月27日、宝ヶ池にて 1)

 

 ところで諸君、東京医科歯科大と東京工業大がタッグを組み、合併して新大学に生まれ変わるにあたり、新しい大学名を一般に募っている。

 

 かく言う今井君も、名付けのセンスには自信があって、2匹のネコに「にゃごろわ」「なでしこ」と名付けた才能はさすが。長きにわたって大学受験生のための授業を担当してきた実績もあるわけだから、医科歯科大と東工大の記念碑的な合併にふさわしい名前を思いついて、我が名を後世に残すのも悪くない。

 

 ところが、ちっともアイディアが浮かばない。噂によると「イカシカメカ」とか「イカメカシカ」とか、世の中はとっくに大喜利の状況。「イカメカシカ、略してイカメシ大学」と来られると、「ははあ、そう来ましたか」「参りました」「世の中には才能のある人がナンボでもいらっしゃるんですね」と、潔くシャッポを脱ぐ歯科ないのである。

 (京都は、紅葉の当たり年。11月27日、宝ヶ池にて 2)

 

 東京医科歯科大、東京工業大、どちらもワタクシにはいろいろ深い思い入れがあって、この懐かしい2つの大学名、消えて欲しくないというのがホンネである。

 

 まず、古い古い話で恐縮であるが、今井君のコドモ時代には「第1志望:東京大学文Ⅰ」「第2志望:東京医科歯科大」という人々が少なくなかった。

 

 1970年代までは、3月3日ごろに入試を行う国立1期校グループと、3月23日ごろに入試を実施する国立2期校グループとがあって、前者の代表が東京大学、後者の代表格が東京医科歯科大学だった。

 

 文系の優秀な学生は、まず東大文Ⅰを目指し、しかしもし東大文Ⅰがダメだったら、2期校グループ最難関の東京医科歯科大を受験する。いやはや、医学部が今みたいに思い切り難化する前の時代には、そんな生意気な受験も存在したのである。

     (東京医科歯科大の勇姿。10月28日)

 

 当時の国立大受験は、900点満点が標準。英国数それぞれ200点ずつ。それにプラスして、文系なら社会2科目200点、理科1科目100点。理系なら理科2科目200点、社会1科目100点。ちょっと勤勉な受験生であれば、文系でも理系でも大した違いはなかったのである。

 

 だから例えば浪人生で、駿台予備校の文系トップのクラスなら、「社会は世界史と日本史」「理科は物理と化学」「何でもござれ」という猛者が少なくなかった。

 

 かく言う今井君だって、まさに社会は日本史と世界史、理科は物理と化学、「場合によっては社会で地理。理科で生物選択に変更もOK」という猛者の1人。「1期は東大文Ⅰ、2期は東京医科歯科大」という猛者グループの一員となっていた。

 

 しかも諸君、「どっちも合格」という羨ましい人々も少なくなかったのである。「どっちにいくの?」「合格してから考える」とニヤニヤ、平気でイカシカを蹴る人だって多数いらっしゃった。むかしむかしのそのむかし、東京大学文科Ⅰ類には、それほどの魅力とパワーが残っていた。

(10月28日、順天堂病院から東京医科歯科大方面を散策 1)

 

 一方の東工大であるが、ワタクシが予備校講師として初めて模擬試験の制作を依頼されたのが「東工大実戦模試」。やっぱり忘れられない思い出の大学である。

 

 もう20年も昔のことになるが、当時の東工大入試は「長文問題」と言ってもせいぜい40行ぐらいの短めの文章がスタンダード。英文の中にいきなり日本語文が2つ入っていて、それを「適切な英文に訳しなさい」という英作文問題が含まれるのが特徴だった。

 

 ワタクシが初めて作成した「東工大実戦模試」の問題、今も我がMac君の中に保存されている。いやはや、懐かしい。しかも、大ベテランとなった今読み返してみても、自ら惚れ惚れするほどの良問じゃないか。

(10月28日、順天堂病院から東京医科歯科大方面を散策 2)

 

 1969年、学生運動が激化して、東京大学の入試が中止に追い込まれた。東大を目指していた受験生はやむなく他大学受験に変更。もう半世紀も昔のことであるが、今井君より1世代上の人々の、その時の苦悩を描いた小説が庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」だった。

 

 当時の日本で、押しも押されもしない受験トップ校は都立日比谷高校。今の開成や灘高に該当する日比谷の3年生が小説の主人公で、さすがに今読んでみるとあまりの古色蒼然ぶりにひっくりかえりそうになるが、まあ諸君、もしも図書館で見つけたら、十数ページでいいから読んでみてくれたまえ。

 

 東大の入試が中止になった以上、日比谷高校の生徒諸君は他の選択肢を選ばざるを得ない。主人公は近所のオバサマにつかまって、いったいどこを受験するのか問い詰められる。

 

「京大?」「一橋?」「まさか東工大じゃないでしょう?」と矢継ぎ早に問い詰められる場面、なかなか強烈であって、今こうして京都のホテルに滞在していて、手元に実際の文庫本がなくても、しっかり思い出せるぐらいである。

 (御茶ノ水、神田川・丸ノ内線・万世橋の風景。10月28日)

 

 その小説の中にも、東工大の存在がビシッと示されている。「きみ、エンジ、にあうよね」という台詞であるが、同級生どうしの志望校の探り合いがあって、東工大志望者は「エンジ、にあうよね?」と尋ねられると言うのである。

 

「エンジが似合う」と言われれば、今ならおそらく早稲田カラーのことになるだろうが、当時は「エンジ、ニアう」でエンジニア志望、だから東工大志望、そういうマコトにつまらんダジャレの世界だったわけだ。

(10月28日、浅草橋あたりを散策中「肉ソン大統領」のネーミングに感動する)

 

 というわけで、イカシカメカやらイカメカシカやら、恐るべき才能が披露されている医科歯科&東工大合併のネーミングであるが、今井君は3日も4日も京都の紅葉を眺めながら呻吟した挙句、決定打がちっとも出なくて困り果てた。我が才能もここに極まれり、思わず絶望を感じるほどである。

 

 メディカルのMと、エンジニアリングのEと、デンタルのD、その3つをくっつけて「MED東京」。せいぜい思いついたのがその程度では、さすがに才能の枯渇を思い知らされる。

  (東京・馬喰町あたりで、大学の旗の専門店を発見)

 

 むしろワタクシは、どうしてこの合併に一橋大が加わらなかったのか、そちらのほうが不思議で不満でならないのである。

 

 もし一橋大がギュッと熱く参加していれば、もう鬼に金棒。東京大学から東京大学の名を奪い取り、「こちらこそ真の東京大学」「君たちは『駒場大学』と『本郷大学』に分裂したまえ」とさえ豪語できたんじゃないか。いやはや、ワタクシの夢想はそういう方向に、情けなく雲散霧消していくのであった。

 

1E(Cd) Münchinger & Stuttgart Chamber:BACH/MUSICAL OFFERING

2E(Cd) Jochum & Concertgebouw:BACH/JOHANNES-PASSION 1/2

3E(Cd) Jochum & Concertgebouw:BACH/JOHANNES-PASSION 2/2

4E(Cd) Schiff:BACH/GOLDBERG VARIATIONS

5E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR 1/2

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