Tue 221115 バッカリ食べの日々/イスタンブールの記憶/ウェブリブログのこと 4295回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 221115 バッカリ食べの日々/イスタンブールの記憶/ウェブリブログのこと 4295回

 最近は少し穏やかになったが、ホンの6〜7年前まではワタクシの食欲旺盛ぶりは甚だしく、特に「気に入れば同じものをナンボでも食べる」というバッカリ食べの悪習は、しばしば周囲の人々を驚嘆させ、ハラハラさせたものである。

 

 マルセイユや広島での「生牡蠣48個」、唐津やブエノスアイレスでの「400gステーキ ×2」、ブリュッセルでの「ムール貝60個を13日連続」、この辺は明らかに常軌を逸していて、自分でも思わず「オマエ、大丈夫か?」と自らに問いかけたものだが、いったん気に入ってしまえば、もうどうにも止まらないのだった。

 

 ある意味、周囲へのサービス精神もあったのだ。旅先の人々が呆気にとられるほど、その土地の自慢のものをワシワシ咀嚼して嚥下してみせる。すると最初は呆気にとられていても、やがて嬉しそうな称賛の笑顔になって、きっと彼ら彼女らはオウチに帰ってから「すごい日本人を見たよ」と家族に語りかけるだろう。

 

 家族だって、嬉しくなるに決まっている。普段は不機嫌なパパが仕事場から帰ってきて、「すごい日本人がいたよ、マルセイユの生牡蠣を4ダース、あっという間に飲み込んだんだ」「毎日毎日やってきて、ムール貝60コ平気で平らげるんだ。もう2週間近く、毎日来るんだ」と熱く話し始める。

 

 息子でも娘でも、そういうパパの話を聞いて、きっと翌朝それをクラスメートたちに話すだろう。「へえ、日本人って、身体は小さいのにすごいんだな」とクラスの話題になれば、担任の教師もそれを伝え聞いて「もっともっと日本について話題にしなきゃな」と、職員室さえも盛り上がるだろう。

   (10月21日、金沢で公開授業。出席者、130名)

 

 確かニースの海岸に近いレストランで、ワタクシは貝類3段盛りを何度も注文した。そのテンコ盛りの貝類の上に、大っきなカニが1匹ドッカと乗っかっていた。そのカニをやおら掴み上げて貪ろうとした瞬間、隣のテーブルの中年女性が2人、声を揃えて「ガッシュ!!」と叫んだ。

 

 あれだけ遠慮会釈のない大声で「ガッシュ!!」を叫んだのだ。彼女たちが旅から帰ったその日のうちに、ニースの旅の土産話は「驚くべき日本人」に集中するに違いない。

 

 旅先のワタクシがこういう食欲を発揮するのは、まあそんなことを思った上でのサービス精神の発露でもあるのだ。というか、何しろ子供の頃からお調子者の今井君、「きっとみんなビックリするだろうな」と思うと、もう嬉しくて嬉しくて、牡蠣でも肉でも貝類でもカニでも、とても中途半端でやめることなんか出来ない。

(京都から金沢へ移動中、琵琶湖の向こうに近江富士がキレイに見えた)

 

 しかし何とも寂しいことに、この2年か3年、その強烈な食欲、または異様な「バッカリ食べ」が、どうも影を潜めつつある。もちろんコロナのせいで旅に出るチャンスがほとんどなくなったせいでもあるが、「胃袋が縮み始めたかな」「好奇心が減退しちゃったかな」と、思わず首を傾げるのである。

 

 例えば、今年の初め、「一生に一度ぐらいは並外れた贅沢でもしてみるかな」と考え、金沢の高級料亭でカニづくしを試してみた。高級なカニ料理ばかり10品、個室で次々と供されるのである。

 

 NGK48こと生牡蠣48コならペロリと平らげる今井君なのに、あの時はカニ料理10品中5品目を過ぎたあたりから「そろそろ降参するかな」とゲッソリし始め、6品目の「酔っ払いガニ」で思わず胃袋が裏返りそうになった。

 

 最後のシメの「カニ雑炊」までくると、もうホントに「あと1口飲み込んだら胃袋が裏返しになるぞ」という緊迫&切迫した危機感に背筋が通りついた。何しろ「大量の小エビを溶けるまで煮込みました」というビスク系の雑炊だ。あれから10ヶ月、いまだにワタクシは甲殻類にうなされることがある。

(金沢の会場、公開授業開始1時間前。なかなかコロナは終息しない。席と席の間にはたっぷり空間を開けなければならない)

 

 イスタンブールでは、そういうバッカリ食べの対象が「エズメ」だった。エズメサラダともいう。パプリカとニンニクとトマトをひたすら刻んだシンプルな料理だが、その真っ赤で濃厚な辛さが気に入った。

 

 イスタンブールのヨーロッパ側、巨大なモスクやジャーミーが林立し、名物・鯖サンドの屋台がズラリと並んだあたりに船着場があって、そこから船に乗って15分、アジア側にわたると、そこは「カドキョイ」である。カドキョイのレストランに連日入り浸って、来る日も来る日もエズメを食べまくった。

 

 もちろんシシケバブもずいぶん貪った。イスタンブール中央駅に街頭する「シルケジ駅」の周辺にシシケバブの名店がたくさん並んでいて、乱暴な今井君は焼けた鉄串に直接口をつけ、一気にヒツジ肉を引きちぎった。トルコの人々が目を丸くして、暗黒の中世からやってきたような乱暴な日本男の食欲を見守っていた。

    (金沢からの帰り道、こんな駅弁を買ってみた)

 

 しかしそれでも、やっぱりバッカリ食べの対象はエズメだったのである。エズメ、エズメ、ひたすらエズメ。今や日本にもトルコ料理のレストランはたくさんあるから、諸君も一度エズメを体験してみたまえ。「これを3皿も4皿も連日平らげ続けたサトイモ」に、きっと驚嘆すると思う。

 

 イスタンブール滞在2週間で、一番気に入っていたレストランが、イスティクラール通りの裏にあった。イスタンブールの中心・タクシム広場から、緩い下りの坂道が金角湾に向かって続いている。それがイスティクラール通りである。

 

 気に入ってしまったレストランは、イスティクラール通りから薄暗い狭い道を抜けて、1本向こう側の大通りに出たあたり。そういう「飲食店の並ぶ薄暗く狭い道」を地元では「パセジ」と呼ぶ。何のことはない「passage」のことであるが、今でもあのパセジの風情が懐かしい。

(金沢で買った駅弁は、カニとサーモン。苦手な酢飯だったが、なかなかオイシューございました)

 

 あんな平和なイスティクラール通りで昨日、爆弾テロが発生した。容疑者50名が拘束され、死者6人、重軽傷者80人以上。マコトに悲惨な事件である。

 

 もしワタクシが呑気に3皿目とか4皿目のエズメを注文し、「そろそろ白ワインから赤ワインにいくかな」みたいなことをやっていたら、爆弾テロに巻き込まれていた可能性だってある。いやはや、2020年を境に、世界は大きく変わってしまった。

(10月22日、京都・鞍馬へ奇祭「鞍馬の火祭り」を眺めに出かけた。詳細は、次回の記事で)

 

 というわけで、思わず自分のイスタンブールの旅行記を読み返したくなり、10年以上前に設定した今井の第2ブログ「ウワバミ文庫」を開こうとすると、諸君、やっぱり時代の急激な変遷を示す「お知らせ」を発見した。

 

「ウェブリブログは、2023年1月31日をもって、サービスを終了いたします」と、マコトに寂しげにおっしゃっているのである。「とうとうこの日がやってきたか」であって、感慨はマコトに深い。

 

 ワタクシが2008年6月5日にこのブログを開設した時には、まずウェブリブログを利用した。その後しばらくして「どうもここは、突然サービスを終了しそうだな」という気配を感じ、危険を避けるために、今のアメーバにお引越しを敢行した。2009年だったか2010年だったか、初冬のことだった。

 

 とは言ってもウェブリブログ、ブログの世界の老舗の1つだ。ワタクシがアメーバに移行した頃から、ブログ世界はツイッターやらインスタやらに押されて一気に衰退し、2015年には某・アメリカ映画の中で「もうブログは死語よ」のセリフまで登場したが、ついにこの日がやってきた。

 

 諸君、今井ブログはまもなく4300回に達し、あと3年で5000回を達成する予定。何とか今のブログ世界が、ワタクシの5000回達成まで生き延びられるように、もっともっとどんどん、いろんなブログを読んでくれたまえ。どうかこの世界に、力を貸してくれたまえ。

 

1E(Cd) Krause:BACH/DIE LAUTENWERKE・PRELUDES&FUGEN 1/2

2E(Cd) Krause:BACH/DIE LAUTENWERKE・PRELUDES&FUGEN 2/2

3E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 1/3

4E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 2/3

5E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 3/3

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