Sun 221106 手応えがあったのに vs ダメだと思ったのに/船岡山での大ポカ 4291回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 221106 手応えがあったのに vs ダメだと思ったのに/船岡山での大ポカ 4291回

 不思議なもので、「手応えがあった」「うまく行っている」とホクソ笑んだ時には、結果的にあんまりうまく物事が運んでおらず、「手応えがない」「なんとなくうまく行かない」「いろいろ細かなミスをしたかも」と苛立っているような時にこそ、実は求めていた以上の結果が出ていることが少なくない。

 

 模擬試験なんかでもしばしば経験するのであるが、「得意科目はいつも通り思い切り得点を稼いだ」「苦手科目も、4問中2問で完全解答」「もう1問も部分点2/3」、いかにも「手応えあり」な場合、待ちに待った模試成績が戻された時に「なーんだ」と失望するケースが多い。

 

 いまだに「4問中2問完答」の表現が出てくるところをみると、今井君はまだ数十年前の東大入試の失敗を引きずっているのであるが、高3の8月、わざわざ東京会場まで出向いて受験した河合塾「東大入試オープン」がまさにそれだった。

(京都・船岡山の麓、名店「一麦七菜」できつねうどんをいただく。オイシューございました)

 

 当時はまだ「河合塾&Z会共催」みたいな臆病なことはやっていなくて、オープン模試はあくまで河合塾単独の開催。21世紀の「即応オープン」の「即応」、そういう無駄な文字は入っていなかった。

 

 あの時の会場は、東京・茗荷谷の拓殖大学。道を挟んだ真向かいに跡見女子大学のキャンパスがあって、秋田高校3年の今井君は、初めて乗車する地下鉄丸の内線の中でビクビク、池袋 → 新大塚 茗荷谷、たった2駅でたどり着く拓殖大学が、ずいぶん遠く思われたものだった。

 

 高3の夏の今井は、高校ではまだ理系&医系クラスの一員。「東大の理Ⅲに進みます」と、ハタから見ても自分で考えても明らかにアホなことを言いはりつつ、「志望をワンランク現実味のある所に下げようかな」とグングン気弱になっていた時期である。

 

 生意気にも「ワンランク下げた志望」を今になってここに書くのはヤメておいたほうがいいのかもしれないが。北国の旧帝大医学部とか、近畿圏の公立大医学部とか、時代劇のヒーロー「長崎帰りの医者」を目指して長崎大学とか、何しろ意志薄弱な今井君、考えることもメチャクチャだった。

     (10月20日、快晴の京都で船岡山に登る)


 というか、「東大オープン」を申し込んだ6月か7月の時点で、今井君はすでに「文転」を真剣に考え始めていた。

 

 何しろケアレスミスをバンバン多発する注意力散漫なイタズラ少年だ。その事実を正面から見据える限り、万が一めでたくお医者さまになんかになったりしたら、日々取り返しのつかないミスを連発しそうで、自分自身恐ろしくなった。

 

 だから8月の東大オープンだって、理系のクセにあえて文系で申し込んでいたのである。もちろん「国語と英語は任せてくれたまえ」「オレは出題者よりもずっと優秀なはずだ」「だって出題者って、河合塾なんかで講師をやってる人なんだろ?」、まさに恐るべき生意気コゾーをやっていた。

 

 問題なのは、もちろん数学。理系&医系クラスに在籍して、何しろ「理Ⅲ志望」と言い放っていたヤツだから、文系数学ぐらいスラスラ4問とも完答しそうなものだが、当時の今井君の数学は絶不調。むしろまだ手をつけていないはずの日本史&世界史のほうが自信があった。

 

 おかしなプライドが邪魔して「数学のいちばん普通の解き方ができない」「他者に感激&感動されるようなビックリ解法しか求めない」と言ふ絶望的な状況。「満点しか目指さない」とウソぶきつつ、実は部分点すら獲得できない超スランプに陥っていた。

 

 というわけで、やっとたどり着いた茗荷谷の拓殖大学で、理系&医系のワタクシは、首都圏中の文系の秀才がズラリと集まった大教室に入った。さすがに東京、しかも文系だ、真夏のファッションもマコトにオシャレである。

 

 女子なんか平気でサンダルにタンクトップ、強い冷房に「寒い」「寒い」と青くなって、それでも仲間どうしこの上なく楽しそうにおしゃべりしている。言語道断なことに「熱々カップル」なんてのも多数存在して、試験開始直前までギュッと手を握りあったりしている。

    (10月20日、快晴の京都で建勲神社へ 1)

 

 そして諸君、ここでやっと今日のテーマに回帰するのであるが、あの8月の「東大オープン」、大いに手応えを感じたのである。国語は、カンペキ。英語も、カンペキ。「間違いなく出題者の想定する模範解答より優秀な答案を書いた」という実感さえあった。

 

 絶不調の数学でも、2問はマコトに平凡な解法、だからこそ出題者が求めている最も好ましい解法であって、大きな真っ白い解答用紙を、地道で地味な計算式で黒く埋め尽くした。

 

 いわゆる「手応えがあった」「今日はホントに充実していた」というヤツである。帰り道もこの上なく愉快だった。

 

 熱々カップル諸君の多くが打ちひしがれた様子で、近くの「純喫茶」みたいな不純なところに立ち寄る姿を眺めつつ、快哉を叫ぶ気分で、「よっしゃ、ホンキで文転するぞ」「これで4月から東大駒場の文Ⅲだ」と、ガッツポーズしながら丸の内線に乗り込んだ。

 

 そして、そういう場合こそ、実は全然ダメなのである。「うまく行った」「快調だった」「手応えがあった」という感触を、ワタクシは今もなお全く信じない。

 

 むしろ「ダメだった」「軽くいなされた」それどころか「恥ずかしい明らかな大ポカを3つも4つもやった」とガッカリして帰る時のほうが、最終的な結果はずっとマシなのである。

(10月20日、快晴の船岡山からの比叡山。手前には五山送り火「妙」と「法」が見える)

 

 こういう太古の思い出を書くのも、実は10月20日、京都滞在5日目のワタクシもまたそんな体験を繰り返したからで、朝から失敗続き、情けない大ポカもやらかしたが、いやはや最後の最後に、大感激&大感動の結末が待っていた。

 

 この日の朝食は、いつもの通りマコトに順調。オニオンにレタスに豆料理、サーモンにベーコンにオムレツ2つ、我が人生最高の朝メシを心ゆくまで堪能して、朝9時の京都市営地下鉄でに乗り込んだ。

 

 今ではもう2週間も前のことになるが、10月下旬に入った京都の街は、いつもの年より紅葉がずいぶん早めな感じ。すでにハナミズキもサクラも葉っぱは赤く色づいて、もう半分は落葉が進んでいた。

 

 蹴上の駅から地下鉄に乗り込んで、烏丸御池で乗り換え、烏丸線を北上して鞍馬口の駅で降りた。あとは一条通りを真っ直ぐ西に進んで、船岡山を目指したのである。

 

 鞍馬口から船岡山へは、徒歩で30分から40分程度。船岡山には「建勲(けんくん)神社」があって、ワタクシはこの日の朝から催されるはずの「船岡大祭」を間近で眺めようと考えていた。

    (10月20日、快晴の京都で建勲神社へ 2)

 

 建勲神社は、織田信長&信忠の父子を祀っている。船岡大祭は、永禄11年に信長が入洛した日を記念する祭で、仕舞やら舞楽やらが奉納されることになっている。

 

 信長・秀吉・家康が大活躍する時代あたりから、ワタクシは日本史があんまり好きではない。しかも船岡大祭では、大キライな火縄銃がバンバン発射されたりもするが、まあせっかくの快晴の秋の京都だ、火縄銃ぐらい我慢して大祭を満喫しようと、出発前から大いに楽しみにしていた。

 

 どうして「火縄銃が大キライか?」であるが、ワタクシは火薬を使った飛び道具の出現以来、人間どうしの戦いが「堕落した」としか思えないのである。

 

 ホメロスの世界や「平家物語」の世界が宗教的に見てさえ美しいのは、火薬を使用した大量虐殺を全て排除しているからである。トロイは優秀な弓矢隊をそなえ、堅固な城壁の上からギリシャ軍に向けて雨&アラレと弓矢の雨を降らせるが、火矢は放っても、いやらしい火薬の使用はしない。

 

 だからこそ、ヘクトルとアキレスの死闘は限りなく美しいので、あれほど正々堂々とした英雄どうしの死闘の中に、火薬のニオイや濛々とした硝煙が立ちのぼるのでは、せっかくのスーパーヒーローが2人とも情けなく色あせてしまう。

 

 平家物語が大好きなワタクシが、信長秀吉家康の時代をあんまり好きになれないのも、火薬のニオイとケムケムのせいである。英雄たちの戦いは、あくまで剣と槍、薙刀と組み討ちで行われるべきであって、弓矢でさえ卑怯な飛び道具と考える人もいる。

(船岡山の麓、うどんの名店「一麦七菜」。オイシューございました)

 

 ところが諸君、驚くじゃないか。鞍馬口駅から延々と歩くこと約1時間、船岡山の建勲神社に到着してみると、「船岡大祭」を訪れたらしいヒトは全くいらっしゃらない。船岡山全体が深閑と静まり返って「お祭りって、何のことですか?」と、むしろ今井君に問いかけるような様子なのである。

 

「あのー、お祭りは?」とオズオズ、建勲神社のオカタに尋ねると、「はい、お祭りは昨日でした。盛大に執り行われました」と、皮肉なニヤニヤ笑いとともにお答えになる。

 

「は?」と面食らったワタクシであるが、確かに改めてカレンダーを眺めてみるに「船岡大祭、10月19日」としっかり記載されている。お祭りは昨日。火縄銃バンバンも昨日、大キライな火薬のカホリも昨日。ワタクシはお祭りの日を1日間違って、祭りの後の深閑とした神社で呆然と立ち尽くすことになった。

 (京都ゑびす神社にて。スローなお祭りが始まっていた 1)

 

 こういう大ポカの日には、他にもいろいろ小ポカが相次ぐものである。若い読者諸君も気をつけたまえ。小ポカは、お弁当選びの失敗、カノジョやカレシとの待ち合わせ時間や場所の間違い、蹴つまずいてドリンクをひっくり返すとか、可能性はナンボもワラワラしている。

 

 10月20日のワタクシは、ランチの選択もうまくいかなかった。本来は大好きになったお蕎麦屋「ゆきもと」を再訪しようと盛り上がっていたのに、その「ゆきもと」をヤメにして、船岡山の麓の人気うどん屋さんに計画を変更した。

 

 そのうどん屋さんが「失敗だった」などと言ふのでは決してない。うどんは、たいへん旨かった。今日の写真の1枚目、「一麦七菜」のきつねうどん、いわゆる「甘ぎつね」のきつねうどんに九条ネギがたくさん乗っかって、我が人生最高のきつねうどんと言ってもよかった。

 

 しかしこの日のワタクシが求めていたのは、「いろんなツマミを少しずつ味わいながら、いろんな種類の日本酒を満喫」「そして最後の〆に旨いうどんが楽しめたらサイコー」という世界。うどんだけ腹一杯いただこうという素直なハラペコちゃんではなかったのである。

 (京都ゑびす神社にて。スローなお祭りが始まっていた 2)

 

 こうしてワタクシは、大っきな胃袋にうどんと油揚げとネギだけ詰め込んでしょんぼり、船岡山の麓から大混雑の京都市営バスに乗り込んで、祇園のゑびす神社を目指した。

 

 10月20日は「二十日ゑびす」である。昨年は11月のゑびす神社で「湯たき」やら「焼きミカン」やら、京都ならではの神事を楽しんだ。船岡大祭で1日間違える大ポカ、うどん屋さんでもツマミに日本酒を満喫できないしょんぼり、この「うまく行かない」という苛立ちの感覚を、二十日ゑびすで一気に取り返そうと考えた。

 

 しかし諸君、苛立ちの解決を性急に求めても、なかなかうまくは行かないものである。模擬試験が思い通りにならない場合でも、過去問研究が全くはかどらない場合でも、決して焦る必要はない。

 

 むしろ「うまく行かない」「思い通りにならない」という焦慮のカナタにこそ、爆発的&感動的な何かが待っていてくれるのである。船岡山からゑびす神社まで、修学旅行生でごった返す市バスで我慢したゴリヤクは、この直後にしっかりワタクシを待っていてくれた。

 

 いわゆる「大逆転」「奇跡の大逆転」であるが、その激烈な大逆転の中身については、おそらく次回の記事の写真1枚目でハッキリ提示できるのではないかと考える。

 

1E(Cd) SPANISH MUSIC FROM THE 16th CENTURY

2E(Cd) The Scholars baroque Ensemble:PURCELL/THE FAIRY QUEEN 1/2

3E(Cd) The Scholars baroque Ensemble:PURCELL/THE FAIRY QUEEN 2/2

4E(Cd) Corboz & Lausanne:MONTEVERDI/ORFEO 1/2

5E(Cd) Corboz & Lausanne:MONTEVERDI/ORFEO 2/2

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