Wed 221019 夏の思ひ出・ホイ/しちじょう、ななじょう/難読地名「物集女」 4281回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 221019 夏の思ひ出・ホイ/しちじょう、ななじょう/難読地名「物集女」 4281回

 10月19日、秋の京都に滞在して3日目になる。いつまでも気温25℃超えの日が続き、「今日も夏日」「明日も夏日」と油断していたら、昨夜から急に冷え込んで、ホテルのラウンジにもずいぶん厚着の人が目立つようになった。

 

 今年の京都の紅葉は、どうやら早いのかもしれない。紅葉を楽しみにしている諸君、油断めさるな。「どうせ11月の下旬だろう」などとタカをくくっていると、「とっくに終わりましたよ」と笑われながら、干からびた落ち葉を踏んでカサコソ、寂しい思いをすることになりかねない。

 

 昨日のワタクシは、京都・蹴上(けあげ)のホテルから、鴨川と高野川沿いに散策してひたすら北上、出町柳・下鴨神社・北大路通り・松ヶ崎と歩き通して北山の京都府立植物園まで、合計13kmの道のりを歩き通したが、何だか意外なほど早く紅葉が進んでいた。

 

 まだ10月中旬の段階でここまで紅葉が進めば、貴船や鷹ヶ峰や大原あたりの紅葉は、11月10日ぐらいに盛りを迎えちゃうんじゃないか。

 

 今年のJR東海キャンペーンは、栂尾の高山寺らしいが、高雄・槇尾・栂尾、いわゆる「三尾」の紅葉だって、やっぱり11月初旬に終わっちゃうんじゃないか。もちろんワタクシはシロート。予想屋ではないから、一切保証するものではないが、昨日の長い散策中に感じたのは、「こりゃ早そうだ」という危機感だった。

(10月17日、雨の東山。まだ深い緑の中で、南禅寺の甍も冷たく濡れていた)

 

 それなのに諸君、ワタクシはまだ夏の京都の思ひ出を書き続けている。8月中旬から下旬の京都10日間は、そりゃ最高に楽しかったが、さすがにそろそろ記録をしめくくらなきゃいけない。本日は「夏の思ひ出・ホイ」とタイトルをつけて、書き残した若干の思ひ出の「落ち穂拾い」と言ふことにしたい。

 

「ホイ」とは、漢字で書けば「補遺」である。いくら今井君がオフザケ満載の駄洒落オジサマでも、まさか「ホイ」「ホイ」「ホイサッサ」と、おかしな手まねで踊り出すわけにはいかないのだ。

 

 そこでその「ホイ」「補遺」の1つ目であるが、まずは「しちじょう」か「ななじょう」か、その辺から説き起こしたいのである。漢字で書けば「七条」、京都の人なら100%間違いなく「しちじょう」ないし「ひちじょう」と発音する。京阪電車の駅もしっかり「しちじょう」と名乗っている。

 

 ところが諸君、「七条」と書いて「ななじょう」、「しち」じゃなくて「なな」、そういうヘソ曲がりも存在する。他ならぬバス停であるが、「これから修学旅行」という高校生諸君、もし三十三間堂や京都国立博物館あたりに行ってみる予定があるなら、市バスに乗って「ななじょう」を確認してくれたまえ。

(10月18日、平安神宮付近のサクラ。どうも今年の紅葉は予想外に早いようだ)

 

 今井君は16歳の高1の頃、「しち」か「なな」かにずいぶんコダワリがあった。それというのも、若き今井君の出席番号が7番だったからで、その7番を「ななばん」と発音するか「しちばん」と発音するかで、担任の平田先生と長く衝突が続いた。

 

 平田先生は、自衛隊出身の数学教師。新潟大学を卒業後、「オトコを磨こうと決意して自衛隊に入隊したんだ」という猛者である。このブログの初期にも何度か登場したはずであるが、文化祭の夜のトーチサービスを襲撃してきた暴走族集団を、たった1人で撃退してみせた、ホントのホントの猛者である。

 

 その彼に対して、今井君はあくまで「しちばん」で通そうとした。平田先生は、意地でも「ななばん」と言わせようとしたが、今井君も今井君で、何としても「しちばん」を譲らなかった。

 

「なな」という発音は、「N」の鼻音が重なって、女性的な響が強くなる。一方の「しち」は、「し」も「ち」も歯舌音。前歯付近の強い摩擦を基本とする男性系の音であって、16歳の男子としてはどうしても「しち」を基本としたかった。

(10月18日、京都・蹴上付近で。樹々はずいぶん色づいてきた)

 

 それにしても、コドモの頃の「いまい」にとって、「出席番号7番」は、かなり意外だった。あいうえお順で「いまい」、小学校から中学校まではずっと出席簿番号2番、ごく稀に3番、1番に「あいかわ」や「あいだ」がいて、「いまい」はその次、そういう時代が長かった。

 

 高1の時だって、全員男子の1年F組で、出席番号1番は「いかわ」だったのである。それなら「いまい」はその次、いつもの定位置の2番かいなと思っていたら、驚くなかれ諸君、「いかわ」の後に「いとう」が5人も続いた。

 

 出欠を取る先生方もたいへんだ。「いかわ」の後に「伊藤」が5人乱立する。「いとう」「いとう」「いとう」「いとう」「いとう」と続いて、やっと「いまい」。ホッと一息ついて「いとう」の呪いからようやく解放されるわけだ。

(8月25日、京都の夏の締めくくりに、宝ヶ池で冷やし中華をすすった)

 

 あの時の1年F組は、ホントに異様なクラスで、そのあとには「佐々木」が4人、佐藤が5人、ハメハメハ大王どころの話じゃなくて、会う人会う人みんな伊藤、誰でも彼でも佐々木と佐藤、大混乱の1年間になった。

 

 だからあの年、生まれて初めて「ファーストネーム優先」というアメリカ的体験を味わった。現大統領に向かって「ジョー」と呼びかけ、前大統領を「ドナルド」と呼ぶ。マコトに気恥ずかしいその世界を、今井君は高1で体験済みなのである。

 

 佐藤公郎というヤツがいた。「きみろう」では恥ずかしいので、みんな「ハムろう」と読んだ。「伊藤知之」は高校で初めてできた友人だったが、遠くから列車通学してくるそのトモユキは、朝食をコーヒー1杯で済ませてしまう顔色の悪いヤツだった。

 

 伊藤剛は、もちろん「ツヨシ」であるが、中学時代3年間を柔道部で過ごした猛者。夏の全校格技大会では1年F組の副将として活躍、体力に勝る3年生クラスを次々と撃破した。「あれよ&あれよ』といううちに決勝まで進み、残念ながら準優勝に終わったが、1年F組の質実剛健ぶりを全校に知らしめた。

 

 そもそも我が秋田高校は、戦前から格技の強豪として全国にも名が知られている(はずだ)。剣道部は、全国優勝4回を誇る古豪である。今年の日本は鉄道150周年に沸いているが、我が秋田高校もまた創立150周年を迎える名門。いやはや、OBとしてもマコトに誇り高いのである。

(8月24日、長岡京の名店「フルール」でスペシャルランチを貪った後、「ながてん」こと長岡天満宮を参拝する 1)

 

 さて、この辺で閑話休題しないと「補遺」も「ホイ」もなくなってしまうから、そろそろ「しちじょう」か「ななじょう」かの問題に戻らざるを得ないが、もちろん「しちじょう」が正しい。しかし諸君、ヘソ曲がりな市バス停留所の「ななじょう」にも、しっかり理由はあるのだ。

 

 駅は「しちじょう」、京都人の常識も「しちじょう」、でもバス停は「ななじょう」。その理由を、ワタクシは早速MKタクシーのドライバーさんに尋ねてみた。京都のタクシー運転手さんには、「京都検定」の最上位者も少なくない。疑問はすぐに運転手さんにぶつけてみるのが、京都通への近道である。

 

「よく分かりまへんが」と、京都人特有のイケズな謙遜ぶりを示した後で、「しちじょう」と言うと「いちじょう」と紛らわしくなるからやありまへんか?と、わかりやすく納得させてくれた。確かに「ななじょう」と言ってもらえば、「しちじょう(七条)かいな、いちじょう(一条)かいな?」という混乱はなくなる。

(8月24日、長岡京の名店「フルール」でスペシャルランチを貪った後、「ながてん」こと長岡天満宮を参拝する 2)

 

 運転手さんはさらに、「四条」を「よんじょう」と発音する場合もありますよ、と教えてくれた。もちろん四条は「しじょう」であるが、「しじょう」もやっぱり「しちじょう」「いちじょう」と紛らわしい。混乱を事前に回避するためには、違和感を我慢して「よんじょう」、なかなか親切な思いやりじゃないか。

 

 決して難読というわけではなくても、混乱を招く可能性があるなら違和感を我慢する。「世論」と書いて、正しくは「せろん」であるが、2022年の段階で99%のヒトが「よろん」と発音する。「よろん」は漢字で「輿論」が正解、本来「せろん」と「よろん」は別物で、対応する英単語も別々だ。

 

 しかしまあ、99%が「よろん」と言うようになったら、正しい側が間違った方に譲歩して、長いものに巻かれるのもまた正しい生き方なのかもしれない。頑固に頑迷に強がって生きるのは、むしろ周囲に混乱を招くだろう。

(8月24日、長岡京の名店「フルール」でスペシャルランチを貪った後、「ながてん」こと長岡天満宮を参拝する 3)

 

 一方で、「さすが京都だ」と嬉しくなるほどの難読地名も存在する。伏見から桂に移動中、「この区間だけはどうしても電車移動はキツそう」という所だけ、タバコ臭い個人タクシーに乗っていたら、幹線道路の標識に大きく「物集女」の文字が見えた。

 

 物集女? 何をどう考えたって「モノアツメオンナ」であるが、「ものあつめおんな」って、そんなこと言われてもヨソ者として困惑するじゃないか。「それって、どんな女子?」と怖気づいてブルブル、物陰でふるえているしかなくなってしまう。

 

 諸君、「物集女」と書いて「もずめ」と読む。正しくは「もづめ」のはずだが、ここもまた長いものに巻かれて「もずめ」ということにしておく。

 

「もずめ」とは「百舌鳥女」であり、室町期には「百舌鳥目」または「鵙目」と表記された。たくさんの古墳で有名な大阪・堺の百舌鳥(もず)あたりに住んでいた豪族が、中世前期に京都南部のこの辺りに移住してきたのが、「もずめ」の名の始まりであるらしい。

(8月24日、長岡京の名店「フルール」でスペシャルランチを貪った後、「ながてん」こと長岡天満宮を参拝する 4)

 

 ではどうして、「百舌鳥」から「物集女」と言い換えたのかであるが、まあ諸君、そこはモズという鳥の習性を考えてみたまえ(諸説あります)。

 

 むかしむかしから「モズの早贄(はやにえ)」と言って、モズは当面のあいだ食べる予定のない物でも、何でもかんでも集めてきて、しかもどこに何を集めたかを忘れてしまう。忘れっぽい人を皮肉って「モズ君」「モズさん」などと呼んだものである。

 

 そこで、百舌鳥が変じて「物集」。ではいったいなぜ「物集女」の「女」の文字がくっついたのかであるが、もともと「め」は小さい単位を意味する音声であって、それは「項目」「科目」の「目」、一丁目二丁目三丁目の「目」、1番目2番目3番目の「目」を考えれば分かる。

 

「花いちもんめ」の「め」も、そうだろう。「もんめ」の漢字は「匁」だが、大事なのは「め」の音。「一貫目」の「め」と、遥かな語源は繋がっているはずだ。

 

 そういう「目」の文字を「女」に変えて、小さな行政単位や集落の呼び名につけることも少なくなかっただろう。今でもおしまいに「目」のついた地名は日本国中に多く見られる。山形に余目、京都に五町目と笠目、秋田に五城目と西目、鹿児島にも西目、枚挙にいとまがない。

 

 以上、あくまで「諸説あります」ではあるが、こうして「物集女」についてウンチクを並べたところで「夏の京都ホイ」も、そろそろ締めくくりにしようと思う。

 

1E(Cd) Patti Austin:JUKEBOX DREAMS

2E(Cd) Richard Tee:THE BOTTOM LINE

3E(Cd) Brian Mcknight:BACK AT ONE

4E(Cd) Isao Tomita:Shin Nihon Kikou

5E(Cd) Ralph Towner:ANA

total m42 y814  dd27821