Fri 221014 鉄道150年に高校野球を思う/鉄道文化の衰退/高校野球これから 4279回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 221014 鉄道150年に高校野球を思う/鉄道文化の衰退/高校野球これから 4279回

 本日10月14日は「鉄道の日」ないし「鉄道記念日」であって、NHKでもBSでSL特集なんかを組んでお祭り騒ぎ。何しろ今年の記念日は「鉄道150年」。全国の鉄ヲタの皆様もさぞかし盛り上がっているだろう。

 

 かくいうワタクシは、何しろ父親が一生を国鉄に捧げたオカタ。彼の30歳代・40歳代・50歳代、SL動輪マークの金ボタンを6つも8つもつけた紺色の作業着で、毎朝嬉しそうに貨車や客車の職場に向かっていた。その息子ともあろうものが、国鉄ギライになるはずがない。

 

 結局ワタクシの国鉄好きは世界規模になり、「国鉄」と名前がついてさえいれば、フランス国鉄でもイタリア国鉄でも、スペイン国鉄でもドイッチェ・バーンでも、時刻表1つでナンボでも乗り回す類いのヤンチャな大人になっちゃった。

 

 ただし諸君、ワタクシが好きなのはあくまで「国鉄」であって、1987年:分割民営化以降の「JR」というおかしな名前のシロモノは、マコトに残念であるが、お世辞にも「好き♡」とは言えないのである。

 

「えーっ、ウソでしょ?」という内心の声もある。11年前には、不通になる直前の只見線の旅も出た。山口から津和野までSLの旅も楽しんだし、同じSLなら、雪の釧路湿原を往復した旅もブログに記録した。

(鞍馬口地蔵尊にて。8月22日20時から3時間、「小山郷六斎念仏」が奉納される。重要無形民俗文化財。ワタクシはこういう地元の小さなお祭りが好きだ 1)

 

 今年になってからも、長万部から小樽まで函館本線だの、酒田から大館&函館経由で小樽まで、日本海側の列車旅も満喫した。しかし、国鉄色の色濃く残っている鉄道なら大好きだが、利益のみ優先のジェイアールさまは、どうしても好きになれない。

 

 JRになる前の国鉄なら、ユネスコ世界文化遺産に推薦してもらってもいいぐらいの古色蒼然とした鉄道文化を、頑固に頑迷に固守していた。職員も、いわゆる「ぽっぽや」だらけ。食堂車もビュッフェも、駅弁も寝台列車も、「儲からない」「大赤字のモト」と分かっていても、それでも頑迷に死守してきた。

 

 もし国鉄全体が無理だったとしても、北海道の国鉄路線に関してだけは、利益も黒字も健全経営もみんな度外視して、一種のテーマパークみたいに残すことも可能だったんじゃないか。

 

 もしもこの45年、頑固&頑迷に路線保持に努めていたら、今頃は世界に類を見ない広大な20世紀文化遺産として、貴重な観光資源にもなっていたんじゃないか。

 

 しかし今や、オジサンのハゲ頭よろしく何でもかんでもハゲ散らかして、全国どこでも廃止&廃線の嵐。中国四国も九州も、あと20年もすれば、新幹線以外みんな廃止の憂き目を見かねない。

 

 特にJR西日本どのは、たいへん危険な縮小再生産路線を爆進中。三江線が廃止されたと思ったら、「地元の協力が得られないならバス路線に切り替える選択肢も考えなければ」と、恫喝的でたいへん冷酷な方針を平気で口にする。

 

 食堂車・ビュッフェの復活や充実は、もう夢のまた夢。今や駅弁さえ「コンビニでどうぞ」であって、「車内販売はございません」「あらかじめご了承ください」のアナウンスばかりが冷たく繰り返される。

 

 経営者の頭には利潤と黒字のことばかりあって、「自分たちはかけがえのない鉄道文化の担い手なのだ」「ここで譲歩して利潤優先一本槍になれば、20世紀の日本人が大切に育ててきた鉄道文化が、永久に永遠に葬られるのだ」という気概を、一切捨ててしまっている。

(ついに六地蔵めぐりの終点、鞍馬口上善寺にたどり着いた)

 

 さて、こうして鉄道文化の不可逆的な衰退を嘆くうちに、20世紀人間イマイは、全く同じ現象が高校野球の世界にも厳然と起こりつつあることを、ここでどうしても指摘しておかずにいられない。

 

 2022年夏、すでに高校野球の中継にほとんど興味がなくなってしまった今井君は、マトモにNHK中継を眺めたのはたった1試合だけ。あまりのことに呆れ果て、幼稚園児の頃から延々と夢中でテレビの前に座り続けた高校野球中継とも、どうやらこれでオサラバかもしれないと悲しくなった。

 

 オウチのソファに寝転がって眺めた試合は、2回戦「大阪桐蔭 vs 聖望学園」。まず一驚を喫したのは、外野手の守備位置である。レフトもライトもセンターも、ほぼ外野フェンスにピッタリくっつくぐらいの深い位置なのだ。

 

 それも強打者の時に限らず、1番から9番まで、どんなバッターの打席でも外野手はフェンスぎりぎりに守って、外野の間を抜かれて長打にならないように警戒を続ける。外野手が背走して懸命に打球を追うシーンも、3塁打を狙って俊足を飛ばすバッターランナーの雄姿も、ほとんど見られない。

(鞍馬口地蔵尊にて。8月22日20時から3時間、「小山郷六斎念仏」が奉納される。重要無形民俗文化財。ワタクシはこういう地元の小さなお祭りが好きだ 2)

 

 まあ、それはそれで守備サイドの作戦だ。致し方ない。問題なのは、それほどの極端な守備シフトが必要になるほどの、打力の驚異的向上である。

 

 これはもう「危険」の一言。まだ木製のバットだった昭和の時代は、ピッチャーの投げるボールも120km/h台か、せいぜいで130km/h台。そのぐらいの投球を木製バットで強打しても、よほどのことがなければ外野の前にポテンと落ちるヒットぐらいにしかならなかった。

 

 しかし今や、強豪校のピッチャーなら140キロ後半の剛速球が当たり前。そういう剛速球を、高性能の金属バットで強打する。しかも打者の肉体は、日々の3合飯とマシンで鍛え上げたプロ顔負けのむきむきボディ。あの打球が投手や内野手を直撃したらと考えると、恐ろしくて見ていられない。

 

 だから外野手の位置は、つねにフェンスぎりぎり。1991年までの甲子園に「ラッキーゾーン」というものが存在し、外野フェンスをググッと前に出してホームランが出やすい構造にしていたが、もし2022年の外野手を昔の甲子園に配置すれば、間違いなくラッキーゾーンの中に入ってしまう。

 

 もちろん主催者側でもそういう危険を考慮していて、金属バットを低反発のものに換え、ボールもあんまり飛ばないボールにして、危険を低減しようと検討はしているようだ。

 

 しかし諸君、21世紀の高校野球に関しては、もっともっと根本的な改革をしない限り、上記の「鉄道文化の不可逆的な大衰退」と同じ構造の衰退が避けられなくなってしまう気がする。

 

 今や高校野球は、高校野球という枠を完全に逸脱してセミプロと化し、プロユースと化している。若いライターさんたちが書きまくる取材記事にその傾向が顕著に現れていて、甲子園の時期が迫ると「ドラフト候補」「ドラ1候補」の有望選手のハナシが溢れかえるのである。

 

 もし甲子園がドラ1養成所であるなら、もうこんなキレイゴトはヤメにすべきだ。プロユースのリーグを新設して、あんな真夏の灼熱地獄で「アメリカなら虐待ですね」とシタリ顔のタレントさんたちに揶揄されるような野球大会は、別の形式に変更すべきだ。

(8月22日夜7時半、ついに「六地蔵めぐり」6枚目のお幡「鞍馬口地蔵尊」をゲット)

 

 前述の試合の話に戻れば、試合結果は19−0。勝者となったチームが放ったヒットは、何と25本。0点で敗北したチームのヒットはわずか2本。敗者と言ったって、元タイガース鳥谷選手の出身校であって。決して弱いチームではない。

 

 しかしもう途中からは「蹂躙」というコトバを思い浮かべるほどのやりたい放題。「せめてコールドの制度ぐらい持ち込むべきではないか」と、悲しい涙が止まらなくなった。ここまで蹂躙されては「ああ栄冠は君に輝く」「潔し、ほほえむ希望」どころの話ではないのである。

 

 もうすでに時代は、野球に特化した超強豪校でなければ、甲子園での蹂躙を避けられないところまで来てしまっている。普通の高校の部活動としての野球部が、あれよあれよを地区大会を勝ち進んで甲子園なんかに出ようものなら、セミプロ集団の餌食になりかねない。

 

 東北地方だけを見ても、そういう超強豪校が、青森に2校、岩手に2校、宮城に2校、福島に1校。近畿や東海でも同様に、「これはもう高校の野球部というよりプロユース」というチームが合計十数校、もう完全に固定されてしまっている。

 

 ズラリと並んだ左の強打者。140キロ後半のストレートや多彩な変化球を駆使できるピッチャーが5人も6人もいて、その5人6人が入れ替わり&立ち替わりノーノー寸前の快投を繰り広げる。

 

 ドラ1候補を追いかけるライター諸君は嬉しいだろうが、「雲は湧き、光あふれて」の世界を愛する昭和の高校野球ファンとしては、「左打者7人」「剛球投手5人」というプロユース軍団の蹂躙ぶりは、とても1日中熱中して眺めている気になれない。

(六地蔵めぐりが完了。山科・伏見・鳥羽・桂・常盤・鞍馬口、カラフルな6枚が揃った。ワタクシは、やっぱりカラフルが好きだ)

 

 ワタクシは、せめて「木製バットの復活」ぐらいは検討していただきたい。金属バットに切り替わって半世紀。木製バットの時代は、甲子園の外野手はググッと前進守備をするのが常識で、普段タイガースの選手たちが守っている定位置より10メートルも前に守っていた。

 

 だから甲子園の準決勝・決勝が終わるころには、レフトとショートの中間あたり、セカンドとライトやセンターの中間あたりの芝が薄くハゲてきて、「ああ、甲子園の夏もこれで終わりなんだな」という哀愁が、赤とんぼの襲来とともに訪れたものだった。

 

 外野に大飛球がとんで、背番号7や8や9が懸命に背走して、ジャンプしたその頭上を白球が抜けていく。1塁ベースを蹴ったバッターランナーが、躊躇なく2塁を駆け抜けて、3塁に猛然と滑り込む。「純白のタマ、今日ぞ飛ぶ」「ワコードよ、いざ」「まなじりは歓呼に応え」とは、そういう世界だったはずである。

 

 ついに「東北のチーム」が優勝して、「優勝旗が白河の関を越えた」というたいへんオメデタイ結果になった。どうだろう、この際、これを機会に、今後の高校野球のあるべき姿をしっかり考え直してみては。プロ入りなんか夢にも思わない、普通の高校の普通の選手たちが思い切り躍動できる空間に、我々は再び帰ってくべきなんじゃないか。

(鞍馬口地蔵尊にて。8月22日20時から3時間、「小山郷六斎念仏」が奉納される。重要無形民俗文化財。ワタクシはこういう地元の小さなお祭りが好きだ 3)

 

 こういうことをシミジミ考えたのも、実は8月22日京都での「六地蔵めぐり」の終盤であった。6つの地蔵尊のうちの5つめ「常盤地蔵尊」は、京都の名門校・嵯峨野高校のすぐそばだ。

 

 常盤地蔵で5枚目の「お幡」を手に入れてホクホクしていると、かき氷屋に集まったオバサマたちが「甲子園の優勝校が決まったよ♡」「初めて東北の高校だって」「パチパチ&パチー♡」と大騒ぎしていた。

 

 ワタクシが嵯峨野高校のグラウンド横を通りかかったのは、その直後である。午後4時、そろそろ夕暮れが近づいてきたグラウンドで、野球部の諸君が懸命にノックを受けていた。ノックバットを握るコーチに「お願いしまーす!!」と叫ぶ声も昭和のカホリ、マコトに爽やかだった。

 

 嵯峨野高校は、勉学の面でも京都屈指の公立名門校である。押しも押されもせぬ京都トップの堀川高校に「追いつけ」「追い越せ」「学べや学べ、やよ学べ」で、文武両道に励んでいらっしゃる。野球部だって、もちろん例外ではない。

 

 しかし今の甲子園の状況で、こういう選手たちが躍動できるチャンスは果たして残されているのだろうか。京都の野球の名門といえば、何と言っても平安高校。昔は甲子園に出て京都代表の平安のクジを引いてしまうと、みんな「もうダメだ」と肩を落とした。

 

 他にも近畿には私立強豪校がナンボでもひしめいていて、地元の生徒だけで頑張る公立高校が全国大会に出場できる可能性は限りなくゼロに近い。1990年以降は、北嵯峨高校と鳥羽高校のみ。猛暑の夏、こんなに泥だらけ&汗まみれで練習しても、下手をすれば蹂躙の夏が待っている。

 

 もちろん、プロ志向の選手も悪くない。素晴らしいことだ。しかし高校で野球部に入部する生徒の9割以上は、「野球は高校まで」「せいぜい頑張っても大学まで」と考えているんじゃないか。

 

 ワタクシは、そういうごく普通の高校生たちが、プロユースのエリート選手とは全く別の世界で、球数制限なんか気にせずに夢中で「腕も折れよと投げ抜く闘志」を発揮し、「ああ栄冠は君輝く」の熱唱に歓喜した後は、また本来の勉学に戻っていく、そういう世界が見たい。

(鞍馬口地蔵尊にて。8月22日20時から3時間、「小山郷六斎念仏」が奉納される。重要無形民俗文化財。ワタクシはこういう地元の小さなお祭りが好きだ 4)

 

 何というのか、要するに「エリートばかりに注目」という方向性は、必ず廃れると思うのだ。鉄道でも、エリートである新幹線ばかり優遇したせいで、20世紀の日本をあれほど華やかに彩った鉄道文化は見る影もない衰退に落ち込んだ。

 

 あるいは「お祭り」はどうか。青森ねぶた・阿波踊り・博多山笠・仙台七夕、そういう祭りのエリートばかりが盛り上がり、小さな村祭り、地味な町の神輿や山車、多くがどんどん衰退して、もう見る影もないんじゃないか。

 

 かつて日本の津々浦々まで、秋の村祭りがどんなに盛り上がっていたか、若い諸君にもお見せしたいぐらいだ。どんな小さな町や村のジーチャン&バーチャンから、若者や若夫婦や子供連まで、年に一度のピーヒャラドンドンに沸きたった。

 

 鉄道文化・高校野球文化・村祭り文化。根っこは同じところにありそうだ。エリートばかりをもてはやして、地域の中間層をないがしろにすれば、やがて文化全体が悄然と衰退してスカスカ、人々の生活の潤いは急速に消えていく。ワタクシは、それが悲しくてならない。

 

 せめて高校野球ぐらい、中学の同級生とか、中学の同級生の息子とか孫とか、近所の鈴木さんの親戚の子とか、高校の担任の先生の甥っ子とか、そういう身近な高校生が、この夏の一瞬にだけ全てを賭けて駆け回る、そういう聖地に戻ってほしいと思うのである。

 

1E(Cd) Art Blakey:NIGHT IN TUNISIA

2E(Cd) Walt Dickerson Trio:SERENDIPITY

3E(Cd) Surface:SURFACE

4E(Cd) Surface:2nd WAVE

5E(Cd) Enrico Pieranunzi Trio:THE CHANT OF TIME

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