Sat 221001 高2高3悲劇の日々/皆が熟睡の世界が好きだ/京都・六地蔵めぐり 4274回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 221001 高2高3悲劇の日々/皆が熟睡の世界が好きだ/京都・六地蔵めぐり 4274回

 高2の4月、始業式の後でクラス担任が紹介され、今井君の2年C組は、倫理の伊東センセになった。

 

 共学校なのに、共学クラスが6クラス、男子のみのクラスが4クラス。 今井君は3年連続して男子のみのクラスになった。むしろ男子のみのほうが気楽に快活に質実剛健に暮らせるとはいうものの、「共学校で3年連続男子のみのクラス」というのも、なんとなく屈辱というか、ミジメな気分であることには間違いない。

 

 15歳から18歳まで、おそらく人生で最も血気盛んな3年間を、何だか悔しい思いをかかえて過ごすのである。すぐ隣やそのまたお隣のクラスでは、どんどん熱いカップルが誕生している模様。ところが別学の男子クラスでは、ヤセ我慢の欲求不満が常に渦巻いていた。

 

 中でも悔しかったのが、体育祭と修学旅行と合唱コンクール。体育祭なんか、女子が作ってきたお弁当やらサンドイッチなんかに、男子グループが楽しそうにたかって1日中談笑している。我々は仕方がないから、体育祭をほとんどサボって、学食でソバやウドンをすすって馬鹿話に興じた。

 

 修学旅行の悔しさは言うまでもない。共学クラスの自由行動なんか、もうイチャイチャに次ぐイチャイチャ。行き先はおなじみ「京都&奈良」であるが、我々からみると目を覆うばかりの濃厚イチャイチャであって、昔の用語なら「あれは男女交際というより不純異性交遊ではないか」という有様だった。

(8月22日、「六地蔵めぐり」の日、京都山科の町には可愛い賀茂ナス君たちがたくさん晩夏の熱風に揺れていた 1)

 

 合唱コンクールのほうは、男女混成コーラスのほうが「男声のみ」の我々より、はるかに有利なのは間違いない。しかも共学クラスのほとんどは音楽選択クラス。ボクら2年C組は美術選択。ピアノを弾ける奴さえほとんどいなかった。

 

 今井君の意見で「棄権しちゃおうぜ」ということに衆議一決したが、担任の伊東センセが「それだけはカンベンしてくれ」と泣きそうな顔で頼み込んできたので、まさか倫理が専門の中年男性を人生の危機に追いやるわけにもいかず、バンドのリーダーだった助川君と相談して、「この不公平な合唱コンクールに泥を塗ってやろう」と決めた。

 

 今井君は、ホントに悪いヤツである。まず、課題曲は無視する。歌ってやらない。自由曲のほうは「あいうえお」。「あいうえお、かきくけこ、さしすせそそそそそ、たちつててとと。なにぬねの、はひふへほ、まみむめもももも、やいゆえよ、らりるれろろろろ、わゐうゑを、うん!!」で終わる。

 

 悲しいことに、ワタクシは今でもあれを歌えるのである。タイトル「あいうえお」は、漢字での表記は「愛飢男」。男子のみクラスの悲哀を歌い上げるモクロミだった。

 

 しかも諸君、それを歌いながら男子45人が、ステージの上で盆踊りみたいにぐるぐる回るでのある。夏目漱石の坊ちゃんクラス諸君よりはるかに悪質だ。「あいうえお」から「うん!!」まで、伴奏なし、アカペラの45秒。いやはや全校生徒の絶賛と、伊東センセの噛みつぶした苦虫と、他のセンセたちからの激しい叱責が待っていた。

(8月22日、「六地蔵めぐり」の日、京都山科の町には可愛い賀茂ナス君たちがたくさん晩夏の熱風に揺れていた 2)

 

 その「他のセンセ」たちの中に、数学の森山センセ(仮名)がいた。一応(仮名)ということにしておくのは、これから書くことがこのセンセの悪口に聞こえるかもしれないからで、いやはやワタクシがこの後の人生で数学に足を引っ張られ続けたのも、要するに森山センセ(仮名)のせいかもしれない。

 

(仮名)などと言っても、もちろん例えば「森」の字を「守」に替えるか、「山」の字を「川」に替えるかすれば、すぐ本名に帰着するはずであるが、まあ許してくれたまえ。森山センセ(仮名)は、「あの先生になったら、数学はもう終わりだ」という評価の定着したオカタであった。

 

 当時の数ⅡBは、数列・漸化式・空間ベクトル・微分積分の基礎までであったが、森山センセの場合、漸化式も空間ベクトルも微分積分も、全てマコトに聞き取りにくい猛烈な秋田弁。前歯に物が挟まっているのか、常に「チュッ」「チュッ」とそれを吸い込もうとする異音が入る。

 

 その「チュッ」を、我々は「ねず鳴き」と呼んでいた。清少納言「枕草子」の「うつくしきもの」の中に、「すずめの子の、ねず鳴きするに踊りくる」の一節があって、「ネズミの真似をしてチュッチュと音を出すと、コスズメたちが跳んで寄ってくる、なんて可愛らしいんだろう」というのであるが、森山センセのチュッチュはちっとも可愛らしくなんかなかった。

 

 しかも、ちょっと難しめの総合問題を解いていると、極めて高い頻度でお間違いになるのである。解きはじめて20分、何だかソワソワしはじめて絶句、ついには「これでは、解けませんね」「これではダメそうですね」とつぶやきながら、黒板いっぱいに書いてきた板書を、一気に消してしまう。我々は最初、「証拠隠滅」と呟きあった。

 

 こうして2年C組の悲劇は絶頂に達する。修学旅行では共学クラスの濃厚イチャイチャを見せつけられ、合唱コンクールでは「あいうえお」、体育祭の女子のお弁当もなし、数学は間違いにつぐ間違いのチュッチュで、ほぼ全員が睡魔に襲われて意識不明。高2の数学はまるまる1年、全員が「自学自習」と決めた。

(京都・国際会館駅で、「地下鉄バス1日兼」を購入。いよいよ「六地蔵まいり」に出発する)

 

 高3になって、ワタクシの配属されたクラスは理系医系クラスであったにも関わらず、数学はそのまま森山センセ。当然のように男子のみのクラス。ワタクシは高校3年間、ずっと男子のみクラスで、数学は森山センセだった。数十年前の思ひ出が、今もマコトに悔しいのである。

 

 しかしそれでもワタクシのクラスはたいへん優秀で、北海道大学やら東北大学やらの理系学部にバンバン進学した、国公立大の医学部に現役合格したヤツだって少なくなかった。数学を諦めて高3の11月に文転したヤワな今井君に比較すると、マコトに質実剛健な仲間たちだった。

 

 どうやら諸君、「もう授業なんか受けている場合じゃない」という21世紀の趨勢は、マトを射ているのかもしれない。結局、森山センセが担当した我々のクラスの合格実績の方が、キレッキレの授業をして評判の先生のクラスより、合格実績ははるかに上だったのだ。

 

「結局、自分でやるしかない」「自分でどんどん問題に取り組むのが一番だ」。睡魔に襲われ続けたあの森山クラスが、何よりいい実例じゃないか。

(京都山科・徳林庵。1550年創建。東海道の出入り口を守る地蔵堂とのこと)

 

 問題なのは、それでも「森山センセの授業が楽しくて楽しくてならない」と言い張り続けた、フシギな今井君の存在である。

 

 今井君は、森山センセの授業で睡魔に襲われなかった唯一無二の存在、または稀有な奇跡的存在。どうせ途中で「これでは解けませんね」の事態に陥る彼の板書を、爆笑しながらノートに書き写し続けた。「これはダメですね」という結論に至る、彼の思考と感情と諦念のプロセスがマコトに面白かった。

 

 他の44人は、「数学の時間は睡眠に当てよう」と、すでに4月上旬に決意する。そのぶん休み時間の10分を利用して、どんどん問題集を解いていく。昼休みも数学の時間。森山センセが教室に姿を見せるや否や、44人はぐっすりと眠り込み、今井君だけは目をランランと光らせて、森山センセのブラウン運動的思考と、ただ1人真剣に対峙したのである。

(京都山科、徳林庵にて。晩夏の猛暑の中、お参りの人は思ったよりずっと多かった)

 

 ワタクシは諸君、だからむしろ「みんながスヤスヤ眠っている場所で、自分だけがランランと目覚めている」というシチュエーションが大好きなのだ。

 

 40年にわたって夢中で見続けている文楽もそうだし、何と言っても「能」、観世流だろうが宝生流だろうが金剛&金春だろうが、どんな難しいお顔のオジサマもオバサマも、途中で客席を見渡せば、みんな幸せそうにスヤスヤ、グースカ高いびきのジーサマも少なくない。

 

 いやはや、能と文楽と守川センセ、おっとしまった「森山センセ」、みんながグースカ高いびき、その幸せそうな様子を横目で見ながら、自分だけがこの退屈極まりない世界に没頭している。その充実感といったら、他に例を見ないぐらいだ。

 

 そこへいくと、狂言はキライである。能なら「今ちゃんと起きてフォローしているのは自分1人だけ」という秘密の優越感でいっぱいになれるが、狂言となると、70%は最初から最後まで目覚めているし、60%はストーリーも完全にフォローできている様子。「オレだけ特別だ」感が希薄になる。

 

 例えば、初心者でもみんな確実に大爆笑できる狂言「六地蔵」がある。ストーリーについては、ぜひググってくれたまえ。ここであらすじを書いている余裕はない。実際に上演すれば30分ほどの大爆笑作品であって、もしかしたら「ヨウツベ」でもご覧になれる可能性がある。

(山科・徳林庵の六地蔵。早くも噴き出した大汗をぬぐいつつ、狂言「六地蔵」を思い出してただ1人ニンマリした)

 

 ふう、今日もこんなに書いて、やっとのことで本題にたどり着いた。ワタクシは今日、この「六地蔵」について書こうと考えて、深夜3時、というか早朝3時、いそいそ我がmac君を立ち上げたのであった。

 

 8月22日、16日の五山の送り火からずっと京都に滞在していたワタクシは、22日の「地蔵盆」の日に、京都人なら誰でも知っている(はず)の「六地蔵めぐり」に出る計画でいた。

 

 午前11時に猛暑の真っただ中を歩きはじめて、京都各所に点在する6つの地蔵堂をめぐる。完全に丸1日、丸1日かかっても完遂できるかどうか分からない。熱中症警戒の難行苦行であるが、せっかく地蔵盆の京都にいるんだ。どうしてもチャレンジしてみたい。

(六地蔵巡りで集めるべき6枚の「おはた」。1つの地蔵堂で1枚、6つの地蔵堂を廻らなければ、完成形の6枚にはならない)

 

 詳しくは明日以降の記事に譲るが、修学旅行では間違っても訪れない地味で小さな地蔵堂が6つ。山科・伏見・鳥羽・桂・常盤・鞍馬口、京都と地方を結ぶ6つの街道の出入口に、それぞれ6体のお地蔵様が並んでいて、その地蔵堂を一筆描きでグルリと一周する。

 

 それぞれの地蔵堂で、「御幡」をいただく。「御幡」と書いて「おはた」と読む。300円だったか、400円だったか、とにかくオサイフの中の百円玉数個で済むんだから、どうしても6つの地蔵堂で6つの御幡、しっかりいただきながら京都をグルリと歩きたい。

 

 清水寺に金閣銀閣、龍安寺に東福寺に天龍寺、最近の流行なら瑠璃光院に圓光寺に詩仙堂、そういう有名なお寺であれば、修学旅行の高校生でもナンボでも訪問するだろうが、さすがに「地蔵盆の六地蔵めぐり」、こりゃかなりのベテランじゃないと参加できない深い世界である。

 

「メンドーだから、タクシーを貸切にして6つの地蔵堂をパッパと巡っちゃおう」という人々もいらっしゃる。MKタクシーを貸切にすれば1時間4000円ぐらい? 5時間かかっても、まあ2万円。大汗かいてヒーヒー言うこともない楽チンな六地蔵めぐりができる。

 

 しかしそれじゃ、思ひ出にも何にもならないじゃないか。猛暑の京都で汗まみれ、常に熱中症の危険と戦いながら「コマスイ」ことこまめな水分補給に勤めつつ、山科 → 伏見 → 鳥羽 → 桂 → 常盤 → 鞍馬口、京都ぐるりの一筆書きをやって、6色の御幡を揃えてみたい。

(山科・徳林庵で「おはた」1枚目をゲット。もうお昼だが、ここからもう5枚ゲットしなければならない)

 

 別にワタクシは、こんなことで高校時代の「3年連続男子クラス」、あの暗い屈辱を晴らせるとは思っていない。しかし、修学旅行では決して味わえない、言わば「準ディープ京都」を丸1日散策してきたいのである。

 

 宝ヶ池のホテルを出て、地下鉄駅の自動販売機で「1日キップ」を購入。烏丸御池の駅で東西線に乗り換え、山科で下車。時計はすでに午前11時半。これからたった半日で、6つの地蔵堂を電車とバスで回る。出来るかどうか分からないが、可愛い賀茂ナス君たちが晩夏の熱風に揺れる山科の町を、汗をぬぐいながらゆっくりと歩きはじめた。

 

1E(Cd) Gregory Hines:GREGORY HINES

2E(Cd) Holly Cole Trio:BLAME IT ON MY YOUTH

3E(Cd) Earl Klugh:FINGER PAINTINGS

4E(Cd) Brian Bromberg:PORTRAIT OF JAKO

5E(Cd) John Coltrane:IMPRESSION

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