Fri 220826 大宮で予備校バブルの歴史を思う/京都大と名古屋大の全問を解説 4259回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 220826 大宮で予備校バブルの歴史を思う/京都大と名古屋大の全問を解説 4259回

 10日間ほどブログの夏休みをいただいて、京都で「地蔵盆」を満喫してきた。正直言って「地蔵盆って、何?」と首をかしげる無教養な今井君ではあったが、連日36℃超えの猛暑の京都で、丸一日かけて「六地蔵めぐり」も体験。いやはやマコトに楽しかった。

 

 昨日夕暮れにやっと東京に帰ってきて、気がつけばブログはもう10日も放り出したまま。「書かなきゃ」「書かなきゃ」と思いつつ、10日も遊び呆け、遊び疲れて、日付が変わるごろまでお酒も飲み続ければ、もう書く気力は全く残っていなかった。

 

 ブログ上のワタクシは、7月18日の博多から長崎県諫早あたりで宙ぶらりんになっていた。小さな貨物コンテナの中のすきやき弁当を平らげ、博多に到着し、博多のホテルで1時間ゆっくりして、長崎行き特急「かもめ」で諫早に向かった。

   (久々で訪問した諫早。駅はすっかり変わっていた)

 

 諫早には、ずいぶん長い間ご無沙汰していた。10年以上むかし、昭和天皇もかつてご宿泊になった「道具屋」というフシギな名の旅館に泊まり、光栄にもその昭和天皇ご宿泊の超スイートルームに案内され、ネットが繋がらなくて苦労したが、あれからしばらく1年に1度は諫早で公開授業を続けていた。

 

 実は今年の2月、諫早と長崎で2日連続の公開授業が予定されていたのだが、コロナ第6波のせいで急遽中止になった。だから今回はそのリベンジというか何というか、まあとにかく久しぶりの諫早だった。

 

 諫早の駅は、長崎新幹線開業を控えて大きく変貌してしまった。前回訪ねた時は、「いかにも」と深い溜め息が出そうなほど典型的な田舎の駅だったが、おお、素晴らしいじゃないか、今度もまた「いかにも」と溜め息が出そうなほど、典型的な地方の新幹線駅に姿を変えていた。

 

 公開授業は、18時半スタート、20時終了。出席者120名。相変わらずの「キャパ1/2」だが、「夕暮れから豪雨の恐れ」「列車が運転見合わせになる可能性」と報じられる中、出席予定者のほぼ全員が熱心に詰めかけてくれた。スタッフの皆様の奮闘に感謝する。

 

 普通ならそのまま長崎に宿泊するところだが、ワタクシは20時半の特急「かもめ」で博多に戻るのである。何しろ翌日は埼玉県大宮で公開授業だ。ヒコーキの便数が圧倒的に多い福岡に帰っておいた方がいい。

(翌日のランチは福岡空港のステーキ屋で豪華ヒレステーキを満喫。オイシューございました)

 

 諫早を出ると間もなく、予報通りの豪雨がやってきて、大きな雨粒が列車の窓をたたいた。仕事直後の汗まみれの肉体には、本来ならギュッと冷えたビールを3缶も4缶も流し込みたいみたいところだが、残念ながら諫早駅の売店はもうとっくにしまっていた。その代わりに博多まで2時間半、大きな雨粒を眺めて渇きを癒すことにした。

 

 博多到着は23時近くなった。もう居酒屋に出かける気力もないし、何しろコロナ以来、23時過ぎに開いている居酒屋を探すのもたいへんだ。コンビニでお弁当にビールに日本酒、そういうものをタンマリ買い込んで、結局午前2時過ぎまで泥酔して過ごすことになった。

 

 翌19日は、午後のヒコーキで羽田に戻った。羽田着16時。羽田から京急線で品川へ、品川でJR「上野東京ライン」に乗りかえれば、公開授業開始の1時間前、18時ちょうどに大宮に到着できるのである。

 

 大宮駅の西口は、20世紀終盤から21世紀初期にかけての「予備校バブル」を象徴するような街である。

 

 1980年代の初期まで、大宮には予備校はたった1軒しかなかった。「一橋学院 早慶外語」である。今もなお健在で営業を続けていらっしゃるのか分からないが、当時の埼玉県の高校生は「今度の日曜日に模擬試験を受ける」ということになると、こぞって大宮の「一橋学院 早慶外語」に向かった。そういう穏やかな時代もあったのである。

(埼玉県大宮の夕焼け。下に見えるのが、後述の駅前テナントビル「ARCHE」。大宮繁栄の象徴の1つだった)

 

 80年代中頃から「マンモス予備校」の支店が、次々と大宮駅西口に開校を始めた。300人近くも詰め込んだ大教室、黒板の文字をオペラグラスで追う生徒たち、マイク片手に面白おかしく語りかける講師、その後すっかりお馴染みになるその種の巨大予備校を、むかしはマンモス予備校と呼んだ。

 

 そのマンモスがひっくり返るシーンをCMに採用したのが「志学塾」。ケント・ギルバート氏をイメージキャラクターに「転ばぬ先の志学塾」がキメゼリフ。マイクなしのマジメな少人数授業を売り物に、ずいぶん話題にもなった。

 

 すると、すでに駿台と代ゼミが進出していた大宮西口に、「慶応ゼミナール」という名の少人数予備校が進出した。深夜の時間帯にずいぶんテレビCMも流れた。合格掲示板の前に立ち尽くした地味な女子学生が「あきらめないで、よかった…」と涙を流しながら呟くシーンがキメ。深夜の時間帯のテレビは慶応ゼミナールに乗っ取られた感さえあった。

 

 どこから生まれてどこで成長したのか分からないが、とにかく大宮駅西口は慶応ゼミナールの校舎がポコポコ&ポコポコ、「あれま、また慶応ゼミナールかいな?」と住民が唖然とするほど、慶応ゼミナールだらけになっちゃった。

 

 そんな大ブームも、1990年代の初期から中期にかけて少しずつ収束していった。大宮駅西口は、駿台&代ゼミのマンモス2校が、それぞれ別のターゲットを設定して静かな戦いを繰り広げる駅前風景に戻った。

(7月22日夕暮れ、那覇のお蕎麦屋で独酌。予備校の歴史をひとりシミジミ振り返った。詳細は次回 1)

 

 ちょうどその頃、河合塾が反対側の東口に大宮校を開設した。今では信じがたいことだが、あんなに商売上手な河合塾も、1992年まで大宮に校舎を持っていなかったのである。

 

 今井君が予備校の世界に登場したのは1991年だから、大宮関係で言えば、まず駿台と河合塾、1997年から代ゼミの大宮校に出講。約10年にわたり、週一日大宮校に出続けて、大宮駅西口はすっかり馴染みになった。

 

 というか、ワタクシは18歳の時に1年だけ大宮駅西口に住んでいたことがあって、当時の住所を記憶しているが、大宮市桜木町2丁目、その後駅前の再開発があって、その住所は今では「ソニックシティ」という高層ビルのフモトになっている。

(7月22日夕暮れ、那覇のお蕎麦屋で独酌。予備校の歴史をシミジミ振り返った。詳細は次回 2)

 

 再開発の波は大宮駅正面にも及び、戦後のドサクサの雰囲気がまだ残っていた一帯に「アルシェ」という巨大テナントビルが完成、ちょうどその頃から「バブルがはじけ」、「失われた20年」がそれに続いた。華々しくオープンした大宮アルシェも、高いテナント料が負担になって撤退する店が相次いだ。

 

 そのワンフロアをドーンと借り上げて開校したのが「城南予備校 大宮校」だった。まるでアルシェ全体が城南予備校であるかのような大きな看板を出して、かつての慶応ゼミナールブームを思い起こさせるような勢い。「本気なら、城南予備校」のキーフレーズは、テレビCMや電車の戸袋広告でお馴染みになった。

 

 確か20世紀中頃に川崎駅前でスタートした地味な中堅予備校だったが、90年代の予備校バブルに乗って「あれよ&あれよ」という間に校舎を拡大。駿台にも河合塾にも、カケモチで城南予備校の授業を担当するセンセがいらっしゃった。

(7月22日夕暮れ、那覇のお蕎麦屋で独酌。予備校の歴史をひとりシミジミ振り返った。詳細は次回 3)

 

「最近見ないな」と思って調べてみたら、おお、何と言うことだ、あれほどのブームだった城南予備校が、「2019年をもって全校舎閉校いたしました」ということになっている。かつてCMに櫻井翔や多部未華子まで登場させていたのに、時の流れは余りに速い。

 

 7月19日夕暮れ、博多から駆けつけたワタクシが、講師控え室の窓から眺めた大宮アルシェにも、だから当然「城南予備校」の看板は見当たらない。慶応ゼミナール、城南予備校、行く川の流れはたえず、淀みに浮かぶうたかたは、久しくとどまることがない。

 

 大宮での公開授業は、19時スタート、20時半終了、出席者150名。校舎での開催だが、もちろん「キャパ1/2ルール」は変わらない。それでもやっぱり今井君は燃えに燃えて、開始10分ですでに汗まみれ、最近はハンカチを2枚持参して汗を吹きまくるが、その2枚もあっという間にぐしょぐしょになった。

 

 汗まみれのまま、ワタクシは電車に飛び乗ってオウチに帰る。大宮から新宿まで直通の「湘南新宿ライン」で30分ほど、その30分でも汗は乾かず、ネクタイをほどこうにも、汗で濡れた結び目が一向に緩んでくれない。

(7月22日夕暮れ、那覇のお蕎麦屋で独酌。予備校の歴史をひとりシミジミ振り返った。詳細は次回 4)

 

 こんなに疲れていても、翌20日は吉祥寺スタジオで2022年京都大学の全問を解説。翌々日21日は、同じ吉祥寺スタジオで名古屋大学の全問を解説。設問だけの解説でも良さそうなものなのに、何と今井君は問題文全文をキチンと全訳した上での解説でないと気が済まない。

 

 ついでに、模範解答もまた全て板書する。模範解答例を画面に表示して読み上げるだけでもいいかもしれないのだが、諸君、今でも大学入試はアナログだ。黒板にチョークで京大や名古屋大の模範解答を書きまくれば、ふと腱鞘炎の危険を感じることもあるけれども、そこはそれ、あくまで「模範演技」。「解答用紙にキレイな読みやすい文字を書く」という模範だって示さなきゃいけないのだ。

 

1E(Cd) Kirk Whalum:IN THIS LIFE

2E(Cd) Kirk Whalum:CACHÉ

3E(Cd) Kirk Whalum:COLORS

4E(Cd) Kirk Whalum:FOR YOU

5E(Cd) Kirk Whalum:HYMNS IN THE GARDEN

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