Mon 220620 京都で大熱演/現高1は英語7年目/理想的な公開授業/散策の日々 4238回
前回の記事、大阪・なかもずでの公開授業の写真を見ても、やっぱり「ああ、ずいぶん復活してきたな」と思わずニンマリするのであるが、その翌日6月16日、京都駅前「キャンパスプラザ」の会場を訪れた時には、ワタクシのお顔はニンマリを通り越してダラシなくニッカリ、思わず口の端からヨダレが流れそうになった。
それにしても、長い2年だった。コロナ流行が始まった2020年2月中旬、まだニュースショーの統計でも「クルーズ船は除きます」の文字が大きく出ていた頃、我々の公開授業も次々と中止になって、ひどく寂しい3月を過ごした。
それでも夏にはいちおう復活して、ポツリポツリと公開授業スケジュールも入ってきたけれども、自粛ムードとキャパ1/2ルールの厳守があって、どこの会場もガラガラ感が強烈。その苦しさにもだんだん慣れてとうとう丸2年が経過、6月の関西シリーズには明らかな復活の兆しを感じる。
(6月16日、京都キャンパスプラザで公開授業。懐かしい大盛況が戻ってきつつある 1)
何回か書いてきたが、この2年の間に間違いなく「潮目が変わった」のである。10年前までの公開授業はイベントムードが濃厚、サイン会あり、ジャンケン大会あり、くじ引きあり、写真撮影大会ありだった。
マジメで控えめな今井センセは「こういうのは逆効果ではありませんか?」「ワタクシの公開授業時だけは、この種のイベント作りは控えてください」と、事前に文書でお願いしたりしたのだった。
今や諸君、受講生たちはホントにマジメに熱心に「授業」を受けに来るのである。表情にも雰囲気にも「熱い授業を期待しています」という期待感が漲っている。ある程度以上レベルの高い教材を与えても苦にしない。というか、逆に教材に手応えがないと、明白に落胆の空気が横溢する。
いやはや、生徒たちは優秀になったのである。何しろ小4から英語教育を受けてきた諸君だ。10年前の高1生は「英語は中1から始めました」「まだ4年目です」だったが、現高1はすでに「英語7年目」。10年前の「英語7年目」は大学1年だったんだから、英語の学力には大きな変化があって当然だ。
(6月16日、京都キャンパスプラザで公開授業。懐かしい大盛況が戻ってきつつある 2)
4〜5年前までの今井センセの公開授業で、一番人気があったのはテキスト「B」。文法語法問題をオモシロおかしく解説して、1問に10分、90分で7問。残りは英語学習法をこれまたオモシロおかしく説きまくって、要するに爆笑に次ぐ爆笑、会場は抱腹絶倒の巷と化した。
そのタイプの90分を展開するには、何と言っても「超満員」「湯気がもうもう」「酸欠状態」「椅子が足りなくなりました」の状況が絶対条件。スカスカ感&ガラガラ感覚が強烈で冷たいスキマ風がピューピュー、そんな空間で抱腹絶倒なんかありえない。
そこに襲ってきたのが、コロナの世界。ついでに「共通テスト」でひたすら長文長文、長文読解以外まかりならぬという雰囲気。キャパ1/2のガラガラ感の中で、入試本流から外れちゃった文法語法問題なんか扱っても、シラケた寂しい薄ら笑いがケラケラ、会場の隅っこで上がる程度になった。
(6月16日、京都キャンパスプラザで公開授業。懐かしい大盛況が戻ってきつつある 3)
そこで諸君、この潮目の変化をギュッと鷲づかみにした今井君は、舵を一気に本格的長文読解に切った。もともと今井センセは、駿台予備学校時代には長文読解に特化した講師であって、担当していた今井個人名の単科講座2つでも、いわゆる「受験を超えた超長文読解」をやっていた。
それがどうして今のような「文法大好き人間」になっちゃったかといえば、1997年から2005年まで「四天王」を務めた代々木ゼミナールの雰囲気に合わせたからである。
当時の代ゼミ生は「今まで怠けすぎて、英語が何もわからない」「とにかくゼロまで戻って、イチからやり直したい」という生徒が主体。テキストに長文問題なんか掲載すれば、最初からハッキリ諦める生徒が少なくなかった。
こういう予備校で生き抜くには、「文法をどう分かりやすく教えるか」が何より大事。いやそれ以上に、「生徒は英文法のどこが分からないのか」を把握するのが大事だった。
こうして諸君、人気講師として生き残るために、「とても長文どころじゃない」「とにかくゼロまで戻ってイチから教えなきゃ」と夢中になった。気がつくと、4つ担当していた今井個人名のサテライン単科ゼミは別として、他のレギュラー講座は全部「英文法A」と「英文法B」、英文法だけのセンセみたいになっていた。
(6月16日、京都キャンパスプラザで公開授業。懐かしい大盛況が戻ってきつつある 4)
そういう歴史があるから、東進でもそのまま文法中心の「C組」「D組」が今井の代名詞みたいになった。そうやって17年も東進で過ごすうちに、生徒たちの方でいつの間にかグイグイ成長してきて、「文法ばかりじゃ物足りない」「どんどん長文読解をやりたい」という雰囲気に変わってきたのである。
一方、東進のポスターを眺めてみると、今井センセについての宣伝文句は「予備校界の大スター」「抱腹絶倒の名講義を聴きのがすな!!」ということになっている。やっぱりワタクシのイメージは「抱腹絶倒系」なのだ。
(6月16日、京都キャンパスプラザで公開授業。懐かしい大盛況が戻ってきつつある 5)
しかし諸君、コロナ後のワタクシは本来の今井、元来の今井、長文読解の解説が抜群に上手いモトモトの今井に戻ろうと思っている。「思っている」どころか、すでにカンペキに戻りきっている。東大でも京大でも、旧7帝大でも早慶でも、何でもござれだ。
自分で言うのもなんだが、解説のレベルはすでに達人の域に達している。20年もむかし「あるレベルを超えれば、国語現代文の解説と英語長文の解説は、お互いに重なり合うのだ」「英語が伸びれば、国語も伸びる」「2科目同時に伸ばしたかったら、今井の英語を受講せよ」とまで言っていたワタクシだ。
(今年はアジサイもいつもの年より美しい気がする 1)
6月16日、京都キャンパスプラザに集結した200名の高校生諸君は、「こりゃ優秀だ」「こりゃ楽しそうだ」「こりゃ何を言ってもどんどん吸収してくれる」と、教壇に上がった瞬間に分かるような素晴らしい雰囲気。講師に対する強い期待感もヒシヒシと伝わってくる。
200名の内訳は、京都トップの堀川高校と嵯峨野高校、滋賀県トップの膳所高校とで、約8割を占めている。こんなに優秀なクラス、代ゼミどころか駿台予備学校時代にも、そんなにたくさん経験したわけではない。
もちろんワタクシは、そんな優秀な高校に通う生徒諸君ばかりが好きなのではなくて、「いま英語で苦労しています」と苦笑するタイプも完璧に守備範囲なのだが、いやはやこれだけ高い相手の期待感を感じると、こちらの気合もまた別格のものになる。
(今年はアジサイもいつもの年より美しい気がする 2)
使用したテキストは「標準レベル」の「D」。少し優しすぎるかもしれないと思い、終盤20分ほどは東京大学の長文読解問題を改題して作成リスニング問題も使用した。
高1生が半分近く存在する教室で、このリスニング問題は明らかに高度すぎるのであるが、それでも全員が夢中で聴いてくれた。それどころか、「ほぼ聴き取れた」と豪語する猛者も少なくないのである。
(東京・明治神宮で盆栽を眺める)
こうして諸君、ワタクシはこの6月の強烈な関西シリーズ、プロ野球で言うところの「死のロード」を、マコトに濃厚濃密な幸福感の真っただ中でこなし続けている。6月20日、今日で関西シリーズ11連発のうちちょうど半分が終了した。
朝から昼過ぎにかけては、京都と奈良を中心にウォーキングに励んでいる。ま、正確にいえばウォーキングというより観光とランチが主体であるが、とにかく今年は日本中どこでも花が美しい。アジサイの色づきもよかったし、ハナショウブの紫も鮮やかだった。
(東京赤坂「草月会館」の前に、草月流トップの作品が展示されていた)
明治神宮では、盆栽の展覧会も開かれていた。今年の2月4日、大徳寺芳春院にズラリと並んだ盆栽を眺めてから「盆栽も悪くないな」と思うようになったのだが、明治神宮の盆栽も決してヒケをとらない。
明治神宮で盆栽を眺めた同じ日に、そのまま青山 → 赤坂 → 霞ヶ関 → 銀座とウォーキングを続けた。その途中、赤坂の「草月会館」で草月流トップによるマコトに大胆な作品に遭遇した。
タイトルは見なかったが、まあ「混沌」というか「カオス」というか、今井君はどうもこの手の前衛芸術には余り縁がないようである。
1E(Cd) Ashkenazy:RACHMANINOV/PIANO CONCERTOS 1-4 2/2
2E(Cd) The State Moscow Chamber Choir:RACHMANINOV/VESPERS op.37
3E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION
4E(Cd) Sinopoli & New York:RESPIGHI/FONTANE・PINI・FESTE DI ROMA
5E(Cd) Dutoit & Montréal:RESPIGHI/LA BOUTIQUE FANTASQUE
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