Mon 220606 雨ザーザー降ってきて/浪人時代の井谷那との遭遇/あっという間に 4231回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 220606 雨ザーザー降ってきて/浪人時代の井谷那との遭遇/あっという間に 4231回

 6月6日に梅雨入りとは、なかなかオシャレじゃないか。むかしむかしNHK「みんなのうた」で有名になった絵描き歌があって、作詞作曲は誰か不明のはずだったが、「6月6日に雨ザーザー降ってきて」のお歌は、今井君世代なら今でも誰もが歌えるはずだ。

 

「棒が一本あったとさ」「ハッパかな」「ハッパじゃないよ、カエルだよ」「カエルじゃないよ、アヒルだよ」と続くのである。そこで6月6日に雨ザーザー降ってきて、問題はその後の「三角定規にヒビいって」なのだが、小学生の今井君は「三角定規にヒビ」というのがなかなか理解できなかった。

 

 そのあとは、もう一気呵成にワケの分からんセリフになって、「あんぱん2つ 豆3つ」「コッペパン2つくださいな」と続き、最後に「あっという間に かわいいいコックさん」としめくくる。21世紀のオコサマたちは、あの不思議な絵描き歌を知っているんだろうか。

 

 まあそういうわけで、どういうわけだかちっとも分からないが、6月6日の東京は雨がザーザー降っている。雨ザーザーという意味なら、もう1週間も前から雨ザーザーであって、3〜4日前には雨ザーザーを通り越し、ヒョウがゴツンゴツン容赦なく関東平野を襲っていた。

(5月中旬、鎌倉を旅してきた。三井住友銀行のレトロな建物が気に入った)

 

 するとワタクシなんかは、やっぱりまたまた予備校の教室が心配でたまらない。きっと今頃は、大スター講師の教室を除いて、どこもかしこもみんな強烈にガラガラだ。

 

 予備校の熱気は5月中旬の夏期講習申し込みまで。その後は一気に講師の熱意が低下し、講師の熱意が低下すれば生徒の熱意も同じように急降下、そこに若いチューター&フェローたちの「つまらない授業は切っちゃえ」発言が追い打ちをかけて、状況は一気に悪くなる。

 

 20年前のワタクシは、そういう教室をたくさん横目で目撃してきた。200人教室に10人程度、150人教室に2人か3人、そういう教室に入っていくセンセがたの後ろ姿が何ともかわいそうだった。

 

 よせばいいのに、そういう教室にクーラーなんかをビンビンに効かせるから、異様に冷え冷えとした教室のドアを開いたセンセが「おはようございます」と挨拶したその声が、その場で瞬間冷却されて床に転がる音が聞こえそうだった。

 

 幸い今井センセは、絶対そういう事態に陥らないように、4月5月のうちにずっとタネを蒔きつづけていたから、6月になっても9月になっても11月になっても、全ての教室を熱い超満員に保つことができたが、その種の熱心な営業努力を潔しとしないセンセたちだって少なくなかった。

(元の神奈川県立美術館あたり。白いハスの花が咲き始めていた)

 

 生徒の立場の時代にも、予備校のガラガラ教室をたくさん体験した。今井君の浪人生活は、駿台・御茶ノ水の本部校舎。昔は今と違って、現役で東大に落ちてしまうと、1浪目も2浪目も必ず駿台、何が何でも駿台。東大を目指す浪人生が駿台以外に通うなんて、そりゃありえない相談という時代だった。

 

 今井君はたいへん優秀だったから♡、4月の入学時点で全国27番。浪人生の中で27番でも何の自慢にもならないが、とにかく27番。当時の駿台は「指定席制」がご自慢で、何しろ指定席は成績順に変動した。だから、「アイツがいま全国模試で何番か」は、座席を見れば一目瞭然だったのである。

 

 机は、2メートルちょいの長テーブルに4人。座席といっても、背もたれもない長いベンチで、そこに4人が並んで座らされた。1人につき50センチ程度、しかもクーラーなんか存在しなくて、暑い日にはサービスとして教壇の脇に2本の氷バシラが立てられた。

 

 そういう「ほぼ人権無視」の環境の中に、全国浪人生27番の今井君が、小さく詰め込まれて駿台のテキストに向き合った。ただし、現代文(当時は「現代国語」と呼んだ)と英語の授業はほとんど無視。だって諸君、「明らかに講師よりオレの方がよく出来る」と生意気に豪語していた頃なのだ。

(鎌倉から江ノ電で腰越へ。腰越から江ノ島まで歩くことにした 1)

 

 しかし数学の授業だけは、どうしても全てに出席しようと固い決意を固めていた。ついこの間も書いたが、中3から高1までの今井君は、数学が天才的によく出来て♡♡♡、中3の冬までに高校の数Ⅲまで、とりあえず基本はやったつもりでいた。しかしそういうバカげた先取りが災いすることは少なくない。

 

「年齢相応」ということがあるのだ。何でもかんでも天才的に先取りしていい気になっていると、いやはやとんでもないしっぺ返しを食らう。小学校から中学校を経て高等学校まで、人類の長い長い歴史の中で積み上げられてきた緻密な学年カリキュラムは、やっぱりビシッと筋の通った根拠があるのだ。

 

 我が姉上が勧めてくれた矢野健太郎の伝説の名著「解法のテクニック」であるが、そんなものを数Ⅰ・数学ⅡB・数Ⅲ、調子に乗って次々と撃破し、中3の分際で「微分だ」「積分だ」、「いやブルバキの数学原論だ」そういうバカげたことを言っていた。

 

 すると諸君、高1の夏頃には案の定、「マトモな基本をちっとも知らない」「基礎的な解き方が全くできない」、天才のつもりの今井君は唖然&呆然、気づくとほぼカンペキにポンコツになっちゃった。

 

 高3の段階ではもう目も当てられない。数学があんまりポンコツなので、11月になって医学部を諦め、文転して東大文系を目指すに至った。

(鎌倉から江ノ電で腰越へ。腰越から江ノ島まで歩くことにした 2)

 

 そういう反省に立って、浪人生として駿台に籍を置いたのであるから、数学は徹底的にイチから基礎基本、当時は副読本して必携とされた基本書「数学コメンタール」まで購入、とにかくイチから、数学の授業だけは意地でも出席することにして、4月5月はなかなか快調なスタートを切っていた。

 

 ところが諸君、人生とはマコトに難しいもので、「基本基本、意地でも基本」と念じている今井君の隣りの席に、困った生徒が出現したのである。ホントにイヤなヤツなので、とりあえず(仮名)ということで「井谷那 谷津男」としておく。

 

 今井君が27番、井谷那 谷津男が全国28番。4人がけのテーブルなので、4の倍数の井谷那は右の通路側に足を投げ出して余裕の態度、今井君は26番の女子生徒と井谷那に挟まれ、こじんまりと遠慮して固まっていた。

(鎌倉から江ノ電で腰越へ。腰越から江ノ島まで歩くことにした 3)

 

 どういうイヤなヤツかというに、彼はよほど数学に自信があるらしく、ノートを一切とらないのである。東大文系クラスでも、さすがにクラス200名全員が東大志望なのだから、テキストはそれなりに高度である。しかし井谷那、板書を書き写すことを一切しない。

 

 ほとんど鼻歌状態なのだ。50センチ幅のテーブルに腕を組んで肘をつき、講師の説明を楽しそうに聞き流している。50分で2問、きちんきちんと授業は進行したが、井谷那のすることはただ1つ、正解が示されると、彼が予習してきたノートに、赤いボールペンで大きくグルッと力強く丸をつけるだけなのだ。

 

 50分の授業で、大きな丸を2つ。27番の今井君は、28番の井谷那がグルッと大きな丸をつけ続けるのを、うらやましく横目で眺めていた。つまり彼は、予習の段階で東大文系レベルの問題をほぼ完璧に解いてくるわけだ。

 

 懸命に「ひたすら基礎」「基本&基本」と心の中で唱えている今井君をあざ笑うかのように、「そんなノートとってどうすんの?」という態度で、楽々全問正解しちゃってるわけである。

(江ノ島の入り口「貝作」で、イカ焼&釜揚げしらす。もちろんたっぷりの瓶ビール。これにまさる幸せはない)

 

 あの時代の駿台の数学科は、今では信じがたいほどの花盛りであって、ちょうど売り出し中の長岡亮介師や秋山仁師でも、「3N」として名高かった野沢師・根岸師・中田師の3人に頭が上がらなかった時代。3Nの授業が受けられるだけで、生徒の多くがウットリするぐらいの勢いだった。

 

 それなのに諸君、井谷那は一切ノートをとらない。彼の出身高校でも、彼の数学の能力はほとんど信仰の対象になっていたらしく、高校時代の同級生が休み時間になるとゾロゾロ、たったいまの授業についての井谷那の説明や意見を聞きにくる。

 

 みんな「御茶ノ水 ⇆ 藤沢」という定期券を持っていて、どうやら鎌倉あたりから通っている様子。むかしは「横浜校」みたいなオシャレなものはなくて、みんな御茶ノ水に集結していた。「さっき品川で乗り換える時にさぁ…」みたいな雑談が、全て湘南ボーイのすげー♡かっけーイントネーションなのである。

 

「オレが文系に進むって言った時、センセのすげービックリした顔が面白かったぜ」と、井谷那は背もたれのないベンチで胸を張り、彼の取り巻きの男子や女子が「そうだよな♡」「そうよね♡」と、当然のことのように笑顔で頷きあった。

(はるかな昔の井谷那の記憶を辿りつつ、小田急の特急で新宿に帰還した)

 

 今井君の肩身の狭いこと、こりゃもう救いようがない。「とにかく基礎基本」「中3から高1にかけての栄光の思い出は捨てるべし」と意気込んで、懸命に長岡・秋山・3N先生の板書を写し取る日々だったのに、こんな井谷那が隣りに座ったんじゃ、思わず昔なつかしい数学の栄光を思い出さざるを得なくなった。

 

 まあこんな状況で、6月6日ごろに雨ザーザー降ってきて、三角定規もコンパスもノートもみんなイヤになって、今井君は井谷那の自信たっぷりの横顔を見ないようにするために、池袋や飯田橋や高田馬場の映画館に入り浸り始めた。

 

 すると諸君、あんぱん2つ、豆3つ、コッペパンかじっているうちに、あっという間にかわいい劣等生。浪人時代を通じて結局ワタクシの数学は栄光の時代に復活することはなく、現役の時とおんなじ「きっと数学0点」「部分点さえおそらくナシ」という悲劇の3月が待ち受けていた。

 

1E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO

2E(Cd) Indjic:SCHUMANN/FANTAISIESTÜCKE CARNAVAL

3E(Cd) Argerich:SCHUMANN/KINDERSZENEN

4E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.1

5E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.4

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