Mon 220530 藤の花を眺めにいく/なぜ京都の藤か/大好物・からあげ弁当のこと 4227回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 220530 藤の花を眺めにいく/なぜ京都の藤か/大好物・からあげ弁当のこと 4227回

 4月25日、ちょっと京都まで藤の花を見に行ってこようと思い立った。

 

 まあ、贅沢ではある。つい5日前まで10日にわたる大旅行を続けていて、数えてみれば東京に帰還してから5日しか経っていない。それに、もしただ単に「藤の花を眺めに」ということなら、東京にも近郊にも藤の名所はナンボでもある。

 

 東京の亀戸天神は超有名だし、その亀戸天神のすぐ近くに「亀戸餃子」という餃子の有名店があって、「餃子以外のメニューがない」という驚きの店らしい。こりゃ是非ともいちど行ってみなきゃいかん。しかしそれとこれとは話が別だ。

 

 埼玉県の春日部にも藤の名所があって、春日部なら春日部でカレーの名店「ラホール」にも行ける。「ラホール」はワタクシが30年以上通い続けている名店であって、このブログで懸命に宣伝し続けた。そのせいでもないだろうが、食べログなんかのポイントもどんどん上がっている。しかしまたそれとこれとは話が別だ。

  (大好物、東京駅新幹線ホームで「からあげ弁当」を購入)

 

 春日部の藤の名所は、よほど藤の名所であることを誇りたいのか、駅の名前まで「藤の牛島」としている。「東武野田線」のイメージを東武鉄道自身が「何ときゃしなきゃ」と考えたのか、最近は東武野田線ではなく「アーバン・パークライン」と言ふおかしな名を名乗っている。

 

 ただの「牛島」でいいものを、何でまた「藤の牛島」と名乗るのか、よく分からない人もいるだろう。だって藤の季節はマコトに短いので、満開の季節は長くて10日、短ければ1週間、あっという間に色あせてしまって、1年間ずっと使う駅の名前に採用するのは気がひけるはずだ。

(からあげ弁当の主役たち。写真を撮る前に、思わず口の中に1ケ、ポイッとほうりこんでしまった)

 

 まあ諸君、これはきっと日本中にたくさん存在する他の「牛島」と、ハッキリ区別をつけるための工夫なのだ。何しろむかしは電車のキップを買うにも、自動販売機より駅員さんとの対面窓口が一般的だった。

 

 するとただ「牛島」と言っただけでは、他の牛島と混乱が生じやすい。しかもむかしのオバーチャンやオジーチャンは、その多くが激しく訛っていた。ちゃんとキレイに「ウシジマ」と発音できる人の方がマレ。むしろ「ウスズマ」、その所々に「ン」の鼻音が挟まって「ウスンズンマ」と聞こえた。

 

 駅員さんとしても、さすがに「ウスンズンマ」を即座に「牛島」と判断するのは難しい。しかもその「ウスンズンマ」、春日部近郊の「ウスンズンマ」だけではなくて、例えば遥かな秋田県にもウスンズンマが存在する。

 

「どっちの牛島ですか?」

「ん? どっちのウスンズンマ? ウスンズンマがそんなにたくさんあるのけぇ?」

「埼玉の牛島、秋田の牛島、どっちにしますか?」

「なぬ? そんたらむんずかすいごど、おらにはわがんねな」

とか、まあその手のすったもんだである。

(この日の京都は洛南散策、まずは竹田「城南宮」を目指す 1)

 

 もちろんこの場合、秋田の牛島は国鉄、埼玉の牛島は東武鉄道だから、切符売り場の混乱は滅多に起こらなかっただろうが、それでもやっぱり「藤の」牛島とハッキリさせた方がいいじゃないか。

 

 例えば青森県にも「横浜」があって、青森駅とか弘前駅とかの窓口で、笑顔のオバーチャンや、変に不機嫌なオジーチャンなんかが、ボソッと「ヨゴハマまんで」と口にする。すると20世紀中頃までは、やっぱり「どっちの横浜ですか?」という混乱があっただろう。そこで「陸奥横浜」、一発でわかるような工夫が重ねられた。

 

 下総中山とか武蔵小金井とか、尾張一宮とか肥前山口とか、駅名の前に江戸時代の旧国名がくっついているのは、みんな同じ工夫からである。鹿児島県の川内と宮城県の仙台でその種の混乱がなかったのか、今井君は今でも心配でならないが、まあ諸君、完全に本題から離れてしまった。

(この日の京都は洛南散策、まずは竹田「城南宮」を目指す 2)

 

 というわけで、と言ってもどういうわけだかサッパリ分からなだろうが、とにもかくにもワタクシは4月25日、京都の藤の花を眺めに行こうと、東京駅の新幹線ホームに向かった。

 

 亀戸の藤は、毎年見にいってちょっと飽きちゃったし、カレーも少し食べ過ぎた。日帰りの京都は交通費が無駄になるような気がするが、ちょっと我慢して往復とも「ひかり」に乗れば、「のぞみ」より片道5000円ほどオトク。今日は洛南の散策と決めて、竹田の城南宮と宇治の平等院を訪問することにした。

(城南宮は、今年3月に2度も訪問した。枝垂れ梅が盛りの頃、梅園はたいへんな人出だった)

 

 東京駅で、どうしても駅弁を買って行きたい。2020年春からずっと我慢してきた駅弁だ。2020年にはお店もみんな閉鎖されて、新幹線車内もガチガチの自粛ムード、とても「お弁当を食べながら」という雰囲気ではなかったし、2021年、ガチガチムードが少し和らいでからも、やっぱり飛び交う視線がコワかった。

 

 ようやく今年になって、新幹線ホームのお店もほぼ再開。新幹線の中でお弁当を貪り、お茶にコーラにビールにお酒、楽しげに旅をしている人も多くなった。さすがに「席を向かい合わせにして食事しながら談笑」は厳禁だが、何とか我々も一息ついていいようである。

(上の写真とほぼ同位置の定点観測、4月25日。花はとっくに散り、梅園内はほぼ無人だった)

 

 どうしても買いたかったお弁当が、今日の写真の1枚目&2枚目「からあげ弁当」。一瞬「かつあげ弁当」に見えないこともないから、昭和な今井君は昔懐かしい「かつあげ」について、思わずグーグル先生に質問し、今もなお「かつあげ」という犯罪行動がこの世に残存していることを確認したりしたのだった。

 

 新幹線に乗り込むやいなや、すぐにお弁当をあけて激しく貪るのである。「朝8時に唐揚げ弁当」というのは、小難しいヒトには「ちょっと違うんじゃね?」「唐揚げは、昼メシとか晩メシなんじゃね?」と首を傾げられそうだが、諸君、そういう固定観念を捨てないと、人生が楽しくならない。

(城南宮にて。藤の花を眺めにきて、美しかったのはむしろツツジの群落だった)

 

 しかも、こうして新幹線の発車前から弁当にガッつくのには訳があって、遠慮のカタマリであるワタクシとしては、新幹線車内が混み合う前に、このお弁当を平らげてしまいたい。

 

 東京のあとは6分で品川、その後15分で新横浜、そういう途中駅から乗り込んできた人たちが、きっと批判的なマナザシや哀しそうな目で。ワタクシの「朝の唐揚げ弁当」を眺めるだろう。

 

「そうですか、朝から唐揚げ弁当ですか」

「その大っきな唐揚げ5つ、ちょっとニオイがきついんですよね」

「でも、アナタが幸せなら、別に構いませんよ」

「いいんです。遠慮なく、めしあがれ」

 

 その手のニュアンスの視線が、ホンの一瞬こちらに向けられ、向こうの視線とこちらの視線が交錯したその瞬間、ワタクシは呆然として、口の中の唐揚げを咀嚼する元気も勇気も失くしてしまう。咀嚼しかけた唐揚げが、嚥下の勇気を失ったノドボトケのあたりで静止し、行き場を失ってカラアゲ君もまた呆然とするのである。

 (城南宮の藤の花については、明日の記事を参照してくんろ)

 

 そういうわけで、ワタクシは東京駅で購入した唐揚げ弁当を、品川に到着する前の6分間に一気に嚥下してしまわなければならない。ふと、写真を撮るのも忘れている。

 

 5ケあった唐揚げが4ケに減った段階で、ようやく「そうだ、ブログ掲載用の写真が少なくなってきてたんだ」と思い出し、我に返って4ケの写真を撮影し、しかもそれがひどくボケてしまった。

 

 これはあくまで「からあげ弁当」の名誉のために書いておくのであるが、標準的な「からあげ弁当」なら、必ず唐揚げは5ケ。「あれれ、6ケじゃなかったっケ?」とも思い直すのであるが、そこは諸君の方で今すぐ東京駅に出向き、今日のランチかディナーは「からあげ弁当」を貪って確かめてみてくれたまえ。

 

1E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du PréBEETHOVENPIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 5/9

2E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du PréBEETHOVENPIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 6/9

3E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du PréBEETHOVENPIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 7/9

4E(Cd) BarenboimBEETHOVENPIANO SONATAS 4/10

5E(Cd) BarenboimBEETHOVENPIANO SONATAS 5/10

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