Sat 220521 記憶を否定するな/達成感こそ重要/1授業 → 1ニッコリの蓄積 4222回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 220521 記憶を否定するな/達成感こそ重要/1授業 → 1ニッコリの蓄積 4222回

 おそらく今ごろ、中高生は定期テストの勉強に夢中で取り組んでいるはずだ。学部生が7月か9月まで試験がないのに比較すると、いやはや、中高生はつらい。

 

 今は少し定期テストの制度にも変化があったのかもしれないが、もし昔ながらの制度が継続しているなら、5月が中間テスト、7月が期末テスト、10月が中間テスト、12月と3月が期末テスト。中高生の生活は、テスト&テストのテスト責めの日々なのだ。

 

 こんな厳しい日程の間を縫って、「学力テスト」「実力テスト」「模擬テスト」などというものまで侵入してくる。テスト責めというよりテスト地獄、テストの拷問の日々に、さらに小テストやら確認テストやらの足軽部隊も加わって、正直言って諸君、ワタクシは中高生の時代には絶対に戻りたくない。

 

 そう感じるのも、実は若き今井君が「テストの王者だったから」なのかもしれない。いやはや、今井君、強し。中学3年間、学年トップの座を譲ったことはほぼゼロ。1学年600人もいた当時の中学で学年トップを譲らないのは、いま自分で考えてもスゲーことだったと思う。

 

 しかし諸君、そうやって定期テストのトップをナンボ続けていても、世論の旗色はどうもよくないのである。「アイツは記憶力がいいだけだ」「記録力がどんなに優れていても、論理的思考力がダメなら、人間としてダメなんだ」と、先生方まで生徒の世論に同調、なかなか今井を絶賛してはくれない。

(長万部に到着。長い今井の人生で、長万部での下車は初体験だ)


 そういう風潮は、実力テストでトップになっても、全県や全国の模擬試験でびっくりするような好成績をとってみせても、ちっとも変わらなかった。ヒドくないか?

 

 どんなに論理的思考力を見せつけても、一様に「アイツは記憶力だけだ」と否定される。どんな優れた小論文を書いて賞賛されても、そんなことオカマイなし。どうしてそんな世論が固定されたかといえば、どうやら「今井は社会科が得意」というその点がいけなかったらしいのだ。

 

 確かに今井君、社会科なら小中高、どんなテストでも必ず満点をとる自信があった。だって地理でも日本史でも世界史でも、何でもかんでもスカッと脳細胞に吸収されちゃう。眺めた地図、読んだ教科書の文章、次から次へとみんな脳細胞に染み込んで、消そうとしても消えてくれない。

 

 その辺が20世紀後半から21世紀にかけて、寄ってたかって総攻撃の対象になった原因であって、「社会科は覚える科目じゃないんだ」「記憶より理解だ」「論理的思考力を身につけなければ意味がない」、そのタイプのご立派なご意見が支配的になった。

(函館から長万部までは、噴火湾の穏やかな海岸線が延々と続く)

 

 こうして世論は、「社会科なんかで得点を稼いでも意味がない」という方向性にグイッと傾いた。そのくせ大学の学部選択は法学部・経済学部・経営学部、「ありゃりゃ、文学部は?」であるが、「心理学だの社会学だのフランス文学だの、そんなのやったって就職はないぞ」と一蹴される日々が続く。

 

 こんな世論が支配的な中、せめて今井君だけでも「社会科が得意」という中高生諸君の見方についてあげたい。社会科得意、素晴らしいじゃないか。「記憶力がいいだけだ」と否定されても失笑されても、バリバリ社会科をやりたまえよ。

 

 かく言うワタクシ、「教育の目的は論理的思考力」とか「役に立つことを教えるべきだ」とか、要するにマスメディアが半世紀も1世紀も論じ続けてきたご意見に、グイッと反論があるのだ。特に諸君、「役に立つ」というコトバが大キライ。その富国強兵的な教育理念、古臭すぎませんか?

(長万部駅前。3階建て以上の建物はほぼ皆無。懐かしい昭和の春の風景だ)

 

 ワタクシの卒業した秋田市立土崎小学校は、何しろ1870年代の創立だから、その校歌には「お国のために尽くさばや」「勤皇 秋田の血を受けて」など、古色蒼然とした言い回しがズラリと並んでいた。

 

 さすがに「勤皇 秋田」は「文化 秋田」と敗戦後に改められたが、「お国のために役に立つ少国民」を目指す教育が、明治の富国強兵政策の中で無条件に求められていた。

 

「お国のために役に立つ」というんだから、国語も算数も理科も体育も、全ての科目が兵士教育の一環だ。外国語の能力を駆使してお国のために役立ち、算数&数学の能力を駆使してお国のために尽くさなきゃいけない。お国のために役立たない能力なんか、否定されて然るべきだ。

(長万部で最も目立つのが「かにめし本舗」。列車内を模した休憩室で駅弁を味わうこともできる)


 だから体育の中には、「軍事教練」なんてのも当然のように含まれる。みんなでハチマキをして、カケッコの後で腕立て伏せ、ホフク前進にタケヤリごっこ、次第次第に軍事色が強くなって、匍匐前進ができないと「お国のために役立たない」「ムダな少国民」と罵声が飛んだらしい。

 

 そういう昔話を父上&母上から聞かされるたびに、幼い今井君は、「役に立つ」というコトバへの嫌悪感が強くなった。「お国のために役立つ兵隊の養成」、そんな学校はイヤだ。ボクはもっと学校を楽しみたい。兵士の養成なんかに利用されるのはマッピラだ。

 

 そう思って、役に立つことを嫌悪し、役に立たないことばかり大好きになって、音楽でも美術でも国語でも英語でも、なぜか必ず「役に立たない」とハッキリ分かる方を選択するようになった。

 

 そういう趣味を捉えて、「変なヤツ」「だってそんなの全然役に立たないじゃないか」と失笑する友人も多かった。というか、ほとんどの友人たちが呆れ果てた視線を今井君を向けた。

 

 泉鏡花に人形浄瑠璃、ラクロにゴーゴリ、ゾラにヂュマ。おお、こりゃ役に立たない。そんなの、いくら読んでも眺めても、まるっきり何の役にも立たないのは分かりきっている。だからこそ、お国のために役立たないからこそ、今井君はますます好きになっちゃった。

(長万部駅前「かにめし本舗」には、何と駅弁の自動販売機も存在する)

 

 ワタクシはいま、教育の意味は「達成感の蓄積」「できた感の継続」だと信じている。子供たちは、日々たくさんの達成感を感じて育つべきなのだ。

 

 小学校の45分の授業の中で、「今日は三角形の面積が求められるようになった」「今日は逆上がりが出来るようになった」「今日はチェーンステッチが出来た」と、1時間で1つずつ、大きな達成感にガッツポーズをしながら育つべきなのだ。

 

 中学や高校の50分授業でもそうなので、「三平方の定理が分かった」「北海道の地図をバリバリ記憶できた」「50行の英語長文、一度もかまずに音読できた」その他、とにかく1時間に1回、ギュッとガッツポーズができればそれでいい。「お国のために役立つんだろうか?」と首を傾げる必要はないのだ。

(長万部駅と海岸の中間点、名店「GRASS」。この日も準・満員だった 1)

 

 そういう達成感を一番獲得しやすいのが社会科なので、平忠正に源行家でも、土佐坊に常陸坊海尊、梶原景時に畠山重忠に三浦義村、日本史のヒノキ舞台に出てこない人物の話も、みんな記憶しちゃって定期テスト満点、その知識が20年も30年も後に、大河ドラマを見ながら見事に開花。それで何が悪いんだ?

 

 ワタクシは今も、「役に立つ教育」「役立つ授業」という発想に違和感と嫌悪を感じる。それは、教える側の傲慢だ。

 

 教える立場として、「コイツらを役に立つ人間に育てるんだ」「そのことで日本を役に立つ国にする」という発想は、どうしても富国強兵的にしか見えない。そういう姿勢を背後から無責任に後押しするマスメディアもおんなじだ。

(長万部の名店「GRASS」、名物の無水カレー、おいしゅーございました)

 

「役に立つ英語」「役に立つ英語」、そう連呼して1世紀、役に立つ英語ばかり後押しして、例えばシェイクスピアへの興味、モームやディケンズやヘミングウェイへの興味、そういうかけがえのないものを無残に破壊してきたのは、マスコミの「役に立つか、立たないか」の判断基準だったと考える。

 

 というわけで中高生諸君、浪人生諸君に学部生諸君、いや大学院生や社会人の皆さま、ワタクシ今井は、「お国のために」「役にたつ」という前世紀のシバリから、若い皆さまを解放してあげたい。そう考えてすでに4半世紀、予備校という中途半端な舞台で悪戦苦闘してきた。

 

 その苦闘は、まだまだ続く。誰かがそれをヤメさせようとしても、絶対にヤメてあげない。教育の目標は、「役に立つ」ではない。達成感の継続である。授業の目標は、論理的思考力の醸成ではない。それは教える者の傲慢にすぎない。授業の目標は、もっとグッと具体的に、「1時間、1達成感」である。

(長万部駅と海岸の中間点、名店「GRASS」。この日も準・満員だった 2)

 

 それを「1時間、1ニッコリ」と言い換えてもいい。1日の授業が6時間あるなら、単純計算で1日6ニッコリ。朝「行ってらっしゃい」と送り出したコドモが、1日に6ニッコリもして帰ってくるなら、ママとして&パパとして、そんなにありがたい学校は考えられない。

 

 と言ふことは、1週間で約30ニッコリ、1ヶ月120ニッコリ、1年で1200ニッコリ。もしも「お国のために役に立つ」という視点で眺めたにしても、小中高の9年間で1万ニッコリの経験を積んだ若者軍団って、素晴らしいじゃないか。 

 

 それに対して、延々とムッとして「記憶じゃダメなんだ」「思考力が大切だ」とうつむいたまま、いざ大河ドラマを見ても、比企能員も和田義盛も平資盛も何にも知らない、その種のオトナを大量に育成するのって、それは人を幸福にする教育なんですかね。

 

 というわけで、今井先生の授業で目標にしているのは、1授業1ニッコリ。実際には1授業100ニッコリが今井のスタンダードだと考えて努力を続けているわけだが、授業を受ける側の諸君も、だからせめて「今井の1授業 → 20ニッコリ」を目標にしないか?

 

 例えば高校で6時間、塾で2時間、合計で8ニッコリ。帰り道、「今日は8ニッコリ」とニコニコしている生徒は、先生方の授業にケチばかりつけて文句だらけの生徒諸君より、圧倒的に魅力的だと思うのだ。そこに今井で20ニッコリが加われば、きっと無敵の若者が出来あがる。諸君、徹底的に連続ニッコリを心がけたまえ。

 

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