Mon 220509 「潟」さまざま/博多と酒田と堅田/松尾芭蕉の象潟/鳥海山と月山 4210回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 220509 「潟」さまざま/博多と酒田と堅田/松尾芭蕉の象潟/鳥海山と月山 4210回

 日本海側の地名には「潟」が多い。潟とは、遠浅の海岸で干潮の時には陸地になり、満潮になれば海中に隠れるような土地のこと。ヨシ・アシなど、沼沢地を好む植物が成育する低湿地である。「潟」、その複雑な漢字が書けなくて、恥ずかしい思いをする人も多いだろう。

 

 何と言っても「新潟」がそうであり、秋田の「大潟村」は、もともと日本第2位の面積を誇った「八郎潟」というごく浅い湖を、オランダの「ポルダー」に倣って干拓した広大な農地である。あれほど広大でも、干拓前の最大深度はたった4メートル程度だったという。

 

 はるかに遠く離れた「博多」も、もともとは「泊潟」と書いたと言われる。諸国からたくさんの船がこの遠浅の潟にやって来て停泊。停泊する潟だから泊潟(はくかた)であって、そこから「伯方」「博多」に派生したという説が有力だ。

 

 その辺をNHK「ブラタモリ」ではマコトに断定的な番組作りをしてしまっていたが、あくまでバラエティ番組なんだから、「諸説あります」で済ませればよくて、あんまり目くじらを立てて批判とか非難をする必要はない。

 (秋田から酒田に向かう列車から、鳥海山の全貌を望む 1)

 

 日本海側というのは、砂丘と「潟」が順番に出現する地形になっている。津軽の十三湖付近がそれであり、南下して秋田砂丘があり、象潟と酒田があり、酒田の南には広大な「庄内砂丘」があり、安部公房が名作「砂の女」の舞台にしたと言われる。その南に新潟が続き、そのかなたに鳥取砂丘と博多が存在する。

 

 その途中の滋賀県、琵琶湖西岸の「堅田」はどうか。これもあくまで「諸説あります」であるが、もともと琵琶湖沿岸の低湿地で、やっぱりアシ&ヨシの成育地。もとは「潟田」だった可能性が指摘される。

 

 壬申の乱、源平の戦い、織田信長に明智光秀の時代を経て、干潟の湿田だった「潟田」から、優れた田んぼの広がる「堅田」へ、その願いが地名に込められたのだという説もある。

      (羽越本線、酒田の駅に到着する)

 

 山形県「酒田」は、これもやっぱり「諸説あります」がマコトに残念だが、もともと「砂潟」だったと言う人がいる。砂だらけの潟、砂丘があって砂だらけ、しかも大河・最上川の河口地帯はアシ&ヨシの生い茂る低湿地。酒田はまさに「砂潟」であって、そこに江戸時代の大商業&港湾都市が成長した。

 

 酒田(砂潟)の南には、砂越(さごし)という駅もあり、やっぱりこの辺りはもともと砂だらけだったことが想像できる。ワタクシのファミリーヒストリーの父方は、その砂だらけの酒田から、陸羽西線の列車で30分だか40分だか内陸に入った山村。その寒村の村長一家が、我がルーツなのである。

(酒田駅「0番線」。我が父方のルーツは、0番線から「陸羽西線」に乗って6つ目「清川」の駅に近い)

 

 母方のルーツである秋田市に宿泊して、父方ルーツの酒田まで南下するには、JR羽越本線を利用する。かつては多くの急行列車や特急列車が行き来して、夜には東京への夜行列車も快走、大阪まで一気に走り抜く寝台特急も走っていた。

 

 今や羽越本線は「見る影もない」と言ふアリサマ。秋田から酒田までは特急「いなほ」がまだ残っているが、午前中に1編成、夕方にもう1編成しかない。江戸時代の秋田と酒田は、河村瑞軒の東回り航路&西回り航路の重要な港湾都市として繁栄したはずだが、今やその往来はマコトに心もとない状況だ。

  (陸羽西線、今では1日たった4本しか走ってくれない)

 

 その中間点に「象潟(きさかた)」という町があって、もちろん松尾芭蕉「奥の細道」でも有名。まず日本三景の1つ:松島に感激した芭蕉どんが、象潟も決して松島に劣らないと感じて「松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとし」とおっしゃった。

 

 そこで芭蕉どんは「象潟や 雨に西施が 合歓の花」と一句をひねる。合歓と書いて「ねぶ」と読む。葉っぱに触るとギュッと縮む「ねむ」の木の花である。西施(せいし)とは「中国4大美女」の1人。「ひそみにならう」の語源になったスーパー美女、李白どんも彼女を題材に詩をつくり、「荘子」にも言及がある。

   (象潟に停車。「きさかた」と読んでくれたまえ)

 

 おお、話がどこまでも広がってしまうので、あとは諸君でググっていただくしかないが、「ひそみにならう」の「ひそみ」は、漢字で「顰」と書き、持病である胸の発作に苦しんだ西施どんが、眉の間に深いシワを寄せた様子が「顰」。それがあんまり美しいので、ごく普通の女子たちも、西施の「顰」のマネをした。

 

 しかし諸君、「4大美女」に入るほどの美女の顰だから異様に美しく見えたのであって、そうでない女子たちの顰は、いやはや、さすがに困った光景だ。そこで「顰みに倣う」→「むやみに他者のマネをするのは愚かでござるよ」という意味になった。

 

 中国4大美女は、西施・楊貴妃・王昭君・虞美人。ただしさすがに人口の抜群に多い国だから、「王昭君じゃなくて別の人がいい」「虞美人よりもっとキレイな人がいたよ」と喧々囂々。3人目からは別のノミネートがあって定まらないが、西施と楊貴妃は不動のメンバーである。

 

 だから諸君、松尾芭蕉ほどの男子が象潟で西施を思ったのは、よほど象潟が美しかったのである。19世紀初頭の大地震で、海は隆起して陸地になってしまい、今では全く面影がしのべないが、もともと象潟の「潟」で想像がつくように、ここは遠浅の海に無数の小島が浮かんだ絶景の地であった。

 

 象潟の「象」のほうは、別にこの辺でアフリカゾウが「パオーッ」とお耳パタパタ大暴れしていたと言ふ訳ではなくて、「象」という漢字には「刻む」という意味がある。岩や粘土に「かたどって刻み込む」という意味で象形文字。象潟は、海が岩を刻み込むように陸地に食い込んでいるから象潟なのである(諸説あります)。

 (秋田から酒田に向かう列車から、鳥海山の全貌を望む 2)

 

 その象潟に、「奥の細道」では鳥海山を右手に見ながら、酒田方面から北上していく。しかしその道中、鳥海山は雨のせいでその姿を見せない。「雨もまた奇なり」と、芭蕉一行は雨上がりの鳥海山の絶景を期待し、浜辺に野宿する。

 

 野宿の一行が夢に見たのは、雨の翌朝に一転して空が晴れ上がり、朝日に照らされた鳥海山の姿を映す遠浅の海に小舟を浮かべ、西行や能因法師も愛した象潟の絶景に酔いしれる朝である。

 

 しかし実際の鳥海山は、どこまでも恥ずかしがり屋、どこまでも内気な4大美女みたいに、雲の向こうに隠れたままだった。きっと胸の持病で苦しむ西施のヒソミみたいに、「悲しむ女子」「恨む女子」「憎む女子」の美しさなんだろう。芭蕉どんはそう想像して、例の有名な一句をひねりだした。

 (秋田から酒田に向かう列車から、鳥海山の全貌を望む 3)

 

 以下、芭蕉の記述をホンの少し分かりやすく書き直せば、古文の苦手な諸君でも、若干の興味を持っていただけると信じる。

 

酒田の港より東北のかた、山を越え、磯を伝い、砂(いさご)を踏みて … 日影やや傾くころ、汐風、真砂(まさご)を吹きあげ、雨朦朧として鳥海の山隠る

 

「雨もまた奇なりとせば、雨後の晴色また頼もしきと … 苫屋に膝を入れて、雨の晴るるを待つ … 朝日、花やかにさし出るほどに、象潟に舟を浮かぶ」

 

「能因島に舟をよせて ... 向こうの岸に舟を上がれば、『花の上 漕ぐ』と詠まれし桜の老木、西行法師の ... いかなる事にや。この寺の方丈に座して … 風景、一眼の中に尽きて、南に鳥海、天を支え、その影うつりて江にあり」

 

「秋田に通う道はるかに … 江の縦横一里ばかり、おもかげ松島に通いて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は恨むがごとし。寂しさに悲しみを加えて、地勢タマシーを悩ますに似たり」

(不思議な作家・森敦の「鳥海山・月山」(文春文庫)。「モリトン」と呼ばれた森敦(もりあつし)、詳細はググってくれたまえ)

 

 こういうふうで、秋田で幼年時代から少年時代の18年を過ごした今井君でさえ、今まで鳥海山の勇姿の全貌を眼前にしたことは一度もなかった。小学校4年生の遠足でも、父母&姉上と出かけた象潟の花見の旅でも、小5の夏の象潟の海水浴でも、鳥海はやっぱり西施の顰を続けていたのだった。

 

 2022年4月17日、特急「いなほ」がひたすら南下を続け、羽後本荘の駅に接近した時、前代未聞に美しい春の鳥海が、中腹まで真っ白な雪をかぶった姿で眼前にその全貌を現した。能因と西行と芭蕉が熱い憧れのホノオをメラメラ燃やしたその絶景を、ついにこの目で見ることが出来たのである。

(鳥海山が車窓の後方に去ったころ、さらに南の車窓に月山の姿が現れた)

 

 この春の旅のワタクシは、ホントに恵まれていた。日本文学史の1500年、その飛鳥・奈良・平安の昔からギュッと姿を隠していた名山の、その全貌を間近に凝視できただけではない。

 

 象潟の駅を過ぎ、秋田&山形県境を過ぎると、「まさか」と思っていた遥かかなたの南の方角に、鳥海とはまた完全に別の姿の雪の山が接近してきたのである。

 

 間違いなく、あれは月山(がっさん)。鳥海山と月山の全貌を一度に拝めるなどというのは、おそらく奇跡に近い幸運と言ってよかった。

 

1E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSEIN DEUTSCHES REQUIEM 1/2

2E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSEIN DEUTSCHES REQUIEM 2/2

3E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.1

4E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.2

7D(DMv) THE RHYTHM SECTION

total m54 y409  dd27437