Sun 220403 大ピンチ、ズンボに穴/ズンボを求めて右往左往/沖縄浦添で大熱演 4186回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 220403 大ピンチ、ズンボに穴/ズンボを求めて右往左往/沖縄浦添で大熱演 4186回

 山陽新幹線の新大阪—岡山間が開業したのが、1972年の3月15日。昨日の記事で紹介した「ネコジャラ市の11人」がちょうど放送中の出来事だ。その後の博多までの開業が続いて、新幹線は完全に水や空気と同じぐらい当たり前の存在になった。

 

 3月9日、岡山で大満足の公開授業を終了したワタクシは、岡山駅のコンビニで缶ビールとウィスキー水割りを1コずつ購入して、九州からやってくる新幹線「みずほ」に乗り込んだ。

 

 いやはや、ホントに便利になった。新大阪まで、たった45分。「さくら」か「みずほ」を選択すれば、普通車指定席でも、座席の豪華さはグリーン車とほとんど変わらない。

 

 ただし岡山でも広島でも、この便利さのせいで「訪問客が宿泊してくれない」というマイナス面もずいぶんあるんじゃないか。昔の岡山出張なら、迷うことなく岡山宿泊を選んだ。しかし新幹線でたった45分なら、別に岡山に泊まらなくても、大阪どころか京都までだってカンタンに帰れてしまう。

 

 3月9日のワタクシは、だから岡山に宿泊する気は全くナシ。そりゃ岡山で大祝勝会やら大懇親会が開催されていた時代なら別のこと、いまや「懇親会は厳禁」「祝勝会なんかモッテノホカ」という厳しいご時世。それならサッサと大阪に引き上げて、同じホテルに連泊する方が得策だ。

 

 というか、何度も繰り返して書くが、3月7日から3月26日までの約20日間、ほぼ1日も休みなく東奔西走を続ける毎日。この翌日には、午前中から沖縄に移動しなきゃいけない。この夜のうちに大阪のホテルに戻って、明朝の伊丹空港移動に備えなきゃいけなかった。

 

 というわけで9日深夜の今井君は、大阪リッツカールトンホテル最上階のお部屋で、美しい夜景を眺めながら夜の酒盛り、というか「月下独酌」を満喫することになった。こういう寂しい夜が続くのも、決して悪いものじゃないのである。

(大阪駅前「リッツカールトンホテル」最上階からの夜景。余裕の「月下独酌」だったが、この直後に大ピンチに陥った 1)

 

 ところが諸君、翌朝8時のワタクシは、思わぬ異変に気が付いて呆然とするのである。異変とは何ぞや? おお、我が大切きわまりないスーツのズンボに、ポッカリ大きな穴があいているのを発見したのである。

 

 こりゃいったい、どう解決したらいいんだ? 数時間後に、沖縄へのヒコーキは飛び立つのである。替えのズンボなんか、もちろん持参していない。たとえ1週間の出張でも、今回みたいに20日連続の激烈な出張でも、今井君が持つのはビジネス用の革カバンが1つだけである。

 

 すでに読者の皆さんにはお馴染み「予想の5倍重いカバン」であるが、どんなに予想より重くても、その中に替えのズンボが入っていないことはもちろんである。

 

 見れば見るほど、ズンボの穴は大きい。夢のように大きい。長いコートを着ているから、旅の途中はゴマかせるが、いったんコートを脱げば、ズンボのあらぬところにポッカリ空いた穴は、おそらく一目瞭然。公開授業は、コートを着たまま頑張るしかないようだ。

(大阪駅前「リッツカールトンホテル」最上階からの夜景。余裕の「月下独酌」だったが、この直後に大ピンチに陥った 2)

 

 20日間の出張は、まだ始まったばかりだ。もし東京のオウチに帰れれば、別のスーツは何着も存在するが、いま大阪にいて、今日は沖縄、翌日は淡路島の洲本、翌々日は福岡の小倉で朝からダブルヘッダー。南船北馬の最もキツいスケジュールの真っただ中で、最大のピンチがやってきた。

 

 何とかそこを凌ぐことができれば、小倉ダブルヘッダーの後に1日お休みがないこともない。そこで東京に帰ってスーツをチェンジすればいい。

 

 確かにそうではあるのだが、それもまた不安。何しろ2022年に入ってからまるまる2ヶ月、炭水化物の暴飲暴食でウェスト周りは言語道断に膨張した。「チェンジ」が容易か否か、はたまたチェンジしたスーツが今度はウェストのあたりで破裂する羽目に陥るか、事態は予断を許さない。

 

 そうする間にも、沖縄行きヒコーキの出発は刻一刻と迫る。ホテルで今すぐお裁縫セットを手に入れて、穴の周りを応急処置で「かがる」と言ふ手段も考えられる。何しろ今井君は小学校の家庭科はずっと「5」で通したツワモノだ。黒っぽい糸で「かがる」、別に不可能なわけじゃない。

 

 しかし、とにかく出発だ。手配しておいたタクシーが、もうホテルのエントランスまで迎えに着ている。今さら「かがる」も何もあったものじゃない。

 

 ズンボの穴がこれ以上拡大しないように、万全の注意を払いながらキュッと内股で部屋のドアを閉め、チョー内股でエレベーターに乗り込み、スーパー内股でチェックアウトを済ませ、何食わぬ顔でエントランスのタクシーに乗り込んだ。

(3月10日、沖縄県浦添での公開授業。つまり、大ピンチは見事に切り抜けたのである)

 

 まあ、これで伊丹空港までヒト安心だ。何しろ長いコートでズンボの穴はパーフェクトに隠れている。コートさえ脱がなきゃ、ズンボの穴が公衆の視線にさらされることはない。

 

 しかし諸君、コートとは、どうしても脱がざるを得ないものである。しかもヒコーキに乗り込んで、偉そうな顔でプレミアムシートにどっかと腰を下ろせば、その瞬間に「アナ♡急拡大」という大惨事に至らないとも限らない。

 

 これから向かうのは3月の沖縄だ。もう桜の季節はとっくに終わって、ハイビスカス色の初夏を迎えている。この日の予想最高気温は26℃。26℃の沖縄で、「意地でも冬コートを脱ぎません」と意地を張れば、「どうしました?」「何かあったんですか?」の質問ぜめにあい、挙げ句の果てに表六玉のレッテルを貼られる。

 

 そこで一計を案じた今井君は、伊丹空港から那覇の「洋服の青山」に電話した。手頃なスーツを一着、または安いズンボを一着、「これから3時間後ぐらいに購入すれば、今日中の裾上げは間に合いますか?」というわけである。

 

 やっぱり諸君、短足の人間はこういう場合にもたいへん生きづらい。長—いアンヨの持ち主なら、こんなピンチでも「裾上げ」などという問題に悩まずに済む。しかしワタクシのような超短足サトイモの場合、裾上げを怠ると播州赤穂のトノサマの「刃傷・松の廊下」みたいな泥沼の悲劇に立ちいたる。

 

「お買い上げから1時間ほどお待ちいただければ、裾上げだけなら完了します」との返答で、伊丹空港のサトイモどんはホッと安堵の胸を撫でおろした。これで質問ぜめからも表六玉扱いからも逃れられる。新しいスーツか新しいズンボで自信たっぷり&正々堂々、沖縄の街を闊歩できる自信がついた。

 

 ただし「お袖のほうはお直しできません」とおっしゃる。すると若干の問題が発生して、足が短きゃ腕も短い今井君は、両方のお手手が袖の内側にスッポリ隠れてしまい、両袖は「ゾウさんゾウさんお鼻が長いのね」という惨憺たる有様で、肉体の両脇にぶら下がることになる。

 

 そりゃ余りにみっともないだろうから、ズンボだけ購入してとりあえずピンチを脱出し、それでこの先の3日か4日をしのいだら、「いったん東京に帰ってチェンジ」という選択肢にワタクシは傾いた。

(沖縄県浦添の控え室で、おいしいチーズケーキをいただいた)

 

 沖縄に到着して、すぐにタクシーで駆けつけたのは「RYUBO」。かつては沖縄唯一のデパート(確か三越・那覇店)だったのが、今はテナント集合体として営業を続けている。いきなり「洋服の青山」に駆け込むのは、ちょっと気が引けたのである。

 

 しかしやっぱりテナント集合体の商業施設では、品揃えが圧倒的に不足する。タイムリミットがぐんぐん迫っていたこともあって、RYUBOをあっという間に諦めたワタクシは、再びタクシーに乗り込んで「洋服の青山・那覇新都心店」に駆け込んだ。

 

 こういう洋服の量販店に足を踏み込むのは、1997年以来のことである。1997年の夏、駿台から代々木ゼミナールに移籍した春に、他の先生方の服装が異様にド派手なのに圧倒され、「こりゃ服をたくさん買わなきゃ」と焦りまくった今井君は、世田谷区梅ヶ丘の「アオキ」だったか「コナカ」だったかに駆け込んだ。

 

 あのとき慌てて買い込んだジャケット10着とズンボ10本で、この25年を生き抜いてきたわけだ。代ゼミの他のセンセたちの服が、まさかゼロ2つ分も違う高級品ばかりだとは、1997年の今井は知る由もなかった。それほど当時の駿台の同僚たちは、地味なカッコで授業に臨んでいた。

 

 1997年の夏の初め、代ゼミ本館のエレベーターの中で、英語の某センセに「は?」と、ワタクシの着ていた服を鼻で笑われた。「コナカ」「アオキ」「青山」の類いは、代ゼミのセンセたちの選択の埒外というか、問題にならないというか、要するに25年前の予備校講師って、異様に高い給料をもらっていたのだ。

 

 しかし今井君のタンスの中は、あの時のジャケット10着と、あの時のズンボ10着でずいぶん潤った。それでもちょっと悔しい思いはしたから、スーツはその後すべてZEGNAで揃えてきたが、今回の穴騒動のスーツもまたZEGNA。久しぶりに量販店回帰も、またいいじゃないか。

 

 25年ぶりの量販店は、「世代が1つも2つも若くなっていた」という印象。家族に連れられて「フレッシャーズ」のスーツを作りに着た大学生が主役で、入学にシューカツに就職に、いやはやワタクシから見るとまさに息子や娘の世代である。

 

 恥ずかしいというか、いたたまれないというか、場違いな晴れの舞台に闖入してしまったというか、「フレッシャーズ」とは程遠い消費期限直前オジサマは、大急ぎで手頃なズンボを1着、試着もそこそこに「裾上げ」をお願いし、逃げるように店を出た。

(購入したズンボの裾上げを待ちながら、隣の店でランチを貪る。まだピンチは去っていない、箸袋の写真のピントがあっていなくても、許してくれたまえ)

 

「裾上げ」完了まで1時間、「洋服の青山」のお隣のお店に入ってランチで時間つぶしをした。店の名前は「一鮮満」、これで「いっせんまん」と発音し、慶良間諸島の魚介料理を自慢にしている。

 

 おそらく夫婦2人でやっているのどかなお店で、時計を見れば午後2時すぎ、残っていたお客のグループも次々と去って、静まり返ったお店の中でワタクシは「ゴーヤチャンプルー」を注文した。単品のつもりだったが、ちゃんと「単品で」と言わなかったせいで、しっかり定食が運ばれてきた。

 

 ま、いいじゃないか。旨い味噌汁と山盛どんぶり飯を胃袋に流し込みながら、心の中で何度も何度も「セーフ!!」「セーフ!!」「セーフ!!」と繰り返した。ズンボの穴騒動も、これでなんとか切り抜けられる。

 

 午後3時ちょいで裾上げが完了すれば、「東京に帰ってチェンジ」もせずに26日まで、新ズンボで全国行脚を繰り広げることも可能だ。25年ぶりで闖入した紳士服量販店の思い出だって、また25年も経過して「あの時はピンチだったな」と、激しく噴き出しながら思い出せることだろう。

(裾上げを待ちながら貪ったゴーヤチャンプルー。今後25年、おそらくこの味を忘れない)

 

 那覇近郊・浦添での公開授業は、出席者120名。主催塾の中学部校舎に、収容できる大教室があったから、今回の会場はそこになった。

 

 今日3枚目の公開授業写真に今井君が写っていないのは、別にズンボの異変が再発したのではない。10分近くかかるリスニング教材を全員に聴かせている間に、自分自身で1枚、後ろからそっと撮影したからである。

 

 浦添は、この7日後に公開授業を実施した東風平(こちんだ)と同じ塾の主催。スタッフとはもう10年以上の付き合いで、何度もともに泡盛を飲みながら語り合い、ヤギ汁を貪った中である。「コロナが収まったら、ぜひカラオケにでも行きましょう」と笑いあって、終了後の今井君はおとなしくホテルに退散した。

 

 こうして大ピンチの1日は無事に終了した。ハイアットリージェンシーホテルの深夜のお部屋で、昨夜の大阪とちっとも変わらない月下独酌を満喫しながら、「そう言えばこの30年、どんなピンチも見事に乗り切ってきたもんだな」とニンマリ、沖縄の夜は静かに更けていった。

 

1E(Cd) CHET BAKER SINGS

2E(Cd) Art PepperSHOW TIME

3E(Cd) Maceo ParkerSOUTHERN EXPOSURE

4E(Cd) Max RoachDRUMS UNLIMITED

5E(Cd) Tommy Flanagan TrioSEA CHANGES

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