Thu 220331 新年度の始まりにあたって/里芋ますます絶好調/大牟田での大熱演 4183回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 220331 新年度の始まりにあたって/里芋ますます絶好調/大牟田での大熱演 4183回

 こうして諸君、2021年度は終わり、2022年度が始まってしまう。卒業する者は卒業し、入学する者や入社する者は新たな道に進み、今井君は相変わらず同じ仕事を粛々と継続する。

 

 気がつけば、ブログを始めたのは2008年度であったから、年度代わりは14回目。東進に移籍したのは2005年度であるから、これでまるまる17年が経過した。

 

 17年前、代々木ゼミナールでの最後の仕事が2005年2月8日。翌2月9日にコペンハーゲン経由でベルリンに到着し、そのまま3月20日までヨーロッパ各地を旅して回った。東進での仕事の開始は帰国の数日後、あの春の公開授業はたった4回だった。

 

 しかしそれでも、移籍当初から八面六臂で激しく働いた。「C組」収録35回分、「B組」収録も35回分、当時は通年講座20回分に夏期講習5回・冬期講習5回・直前講習5回がプラスされて、1講座で35回がスタンダードだった。

 

 もし今のご時勢なら、あの時のようなヨーロッパ40日滞在なんかコロナのせいで夢のまた夢、100年近く時代を錯誤したロシアの悪逆非道も重なって、ヨーロッパどころかアジアの旅さえままならず、寂しい2月&3月を余儀なくされていただろう。

(3月7日、福岡県大牟田の会場には、約300名が詰めかけた。キャパ1/2ルールを厳守しても、こんな大盛況になった)

 

 あの春の公開授業は、ワタクシの記憶が確かならば、大阪京橋・愛媛県松山・埼玉県熊谷・東京吉祥寺の合計4回。今ではもう信じられないが、90分の公開授業をほとんど全て雑談だけで通してみせた。

 

 教材も、文法問題5題か6題のプリント1枚。「ホントにこれだけで大丈夫なんですか?」と、スタッフは目を丸くしたものだった。しかし諸君、代ゼミで8年の修羅場を生き抜いた直後の今井君は盤石。絶妙な大爆笑雑談のアソートで、新規受講生をゴッソリいただいた。

 

 しかし諸君、あの頃のワタクシは「代ゼミ四天王」の知名度を勘違いしていた。テングになっていたというか何というか、その知名度だけでナンボでも受講生が集まってくると思っていたら、吉祥寺でやっと150名、他の3校はみんな110名ちょい。長いヨーロッパ滞在から帰国した3月末、頭から冷水を浴びる思いだった。

 

 やっぱり諸君、ここでもワタクシは「3月が苦手」を痛感するのである。17年前の3月、ポカポカ陽気だったパリでは、もう冬のコートなんかいらない雰囲気だった。サンマルタン運河でも、リュクサンブール公園でも、まだ若かった今井君はセーターだけで闊歩していた。

 

 それなのに帰国した東京は、まさに花冷えの日々。宿泊した松山では時ならぬ氷雨になって、午後3時の薄暗いホテルにチェックインするなり、暖房の目盛を最大にしたのを記憶している。

(大牟田での熱演に向けて、福岡空港のステーキ屋で250グラムのヒレステーキを貪る)

 

 諸君、あれから17年が経過したわけである。自分でも唖然とするほど長く働いた。明日からは、正式に18年目に突入する。河合塾は3年、駿台では6年、代ゼミも8年で卒業したわけだから、どんなに東進での日々が長く続いているかを痛感する。

 

 実は諸君、ワタクシは「勤続20年」に憧れをいだいている。20年も同じ会社でしっかり全力で働いて、ヨレヨレになってついに退社する3月31日の夕暮れ、かつての部下たちがニコヤカに花束を渡し、暖かい拍手で送り出してくれるシーン、よく映画やテレビドラマにあるじゃないか。

 

 どうもこのごろ、鏡に映った自分の顔&カタチに、そういうムードが漂ってきたのだ。「20年、ホントにご苦労様でした」と、歓声と拍手と歌声で送られる老紳士の姿って、やっぱりどうしても絵になるじゃないか。

(大牟田のバス停「文化会館前」。昭和中期の大牟田は、九州屈指の繁栄ぶりだった)

 

 ところが諸君、どうしたものか今井君の仕事ぶりには、ちっとも衰えが見られない。2021年3月、これはハッキリ断言するが、予備校講師として過ごした長い過去の歴史の中で、気力&体力&精神力、間違いなく今こそ最も充実している。

 

 いやもちろん、「そんなもんが充実されても困ります」という意見もあるだろう。「ベテランや超ベテランの気力&体力&精神力なんかが充実されちゃったら、若手が成長するチャンスが少なくなっちゃうじゃないですか」、そういうわけである。

 

 しかし2022年度を迎えるにあたり、いやはやホントに困ったことに、最も成長の著しいのは、今井君の「実力」なのである。「気力」が充実しても、中身がなきゃ単なる困りもの。体力なんか充実されても、中身がスカスカじゃご退場いただくしかない。ところがさすがサトイモ男爵、この期に及んで「実力」のピークを迎えているようなのだ。

 

 確かに、オヒゲに白髪は増えた。お目目もちょっと眠そうだし、眉間には若干のシワ、お顔に若々しい輝きはさすがにない。しかしいったん口を開けば、もう諸君、そんじょそこらの若手や中堅に。今井君に太刀打ちできるほどの御仁は、まあほぼ存在しないと思われる。

(この先のスケジュールに備え、博多から新大阪に移動。早速なじみの串カツ屋に向かう)

 

 3月7日、ワタクシはその辺の絶対的自信を胸に、東京から福岡に向かった。ここから延々3月26日まで、自分自身でも経験したことがないほどの激烈な東奔西走&南船北馬、20日にわたる全国行脚が控えていた。

 

 東京 → 大牟田 → 西宮 → 岡山 → 那覇 → 淡路島 → 小倉 → 奈良 → 姫路 → 那覇 → 船橋 → 徳島 → 幕張 → 千葉 → 浦和 → 三鷹。かつて5年か6年前の夏、これよりはるかに緩い全国行脚で、口が回らなくなるほどのグロッキー状態に陥ったが、今年はむしろこの東奔西走を「もっと長く続けたい」と熱く願うほどであった。

 

 17年も同じところで働いていれば、迎えてくれる側にもすっかり馴染みの人々が多くなる。その辺も今井がますます張り切る原因かもしれない。大牟田でも西宮でも、那覇でも徳島でも、そういう懐かしい出会いがあった。

(3月8日、午後2時の串カツ屋。まだ「まん防」の真っただ中、新大阪駅構内なのに、他にお客の姿はなかった)

 

 3月7日、宿泊した博多のホテルから新幹線で大牟田に向かった。思えば大牟田や熊本、この17年の特に前半には、毎年4回も5回も訪問した馴染みの町であるが、2011年まではまだ九州新幹線がなくて、博多からなら在来線の特急で2時間もかかったし、熊本なら専ら熊本空港を経由していた。

 

 大牟田に到着すると、迎えてくれたのは主催者サイドの大ベテラン職員。年齢はワタクシとおんなじだ。「今井先生がいらっしゃるんだから、出席者400名はどうしても達成したかったです」とおっしゃる。

 

 しかし大牟田市最大の「大牟田文化会館」大ホールでも、そのキャパは600名。厳格な「キャパ1/2」を守らなければならない。すると涙をのんで出席者数を300名にしぼらなければならず、「ホントに申し訳ございません」と丁寧に何度も頭を下げられた。

 

 そんなことをおっしゃっても、このご時勢に大牟田で300名も集めていただければ、今井だって思わず涙が溢れるほど嬉しい。久留米や柳川や熊本や小倉からも受講生が来ていた。実際この大牟田での公開授業は、会社内でも「成功事例」として紹介されるほどのものだった。

(全面喫煙OKがタマにキズだが、串カツは旨い。もう10年以上通う馴染みのお店だ)

 

 するともちろんのこと、今井君の張り切りぶりも普通ではなくなる。2005年、17年前の移籍当初は、徹底的な雑談連発だけで激しく盛り上げていた今井君であるが、コロナのせいでスペースに余裕ができて、場合によっては生徒1人1人に机も与えられる状況の中、思い切り「マジメな授業」を行うのである。

 

 90分の授業で、使用するのは筑波大・早稲田大・名古屋大・大阪大などの長文読解問題。京大や東大の長文問題も登場するし、そこには「マクロの目での読解のヒント」なんかも入る。ナチュラルスピード7分のリスニング問題だって扱う。それでも爆笑が絶えない。 

 

 むしろ爆笑の頻度は、雑談ばかりだった時代より高いぐらい。「人気取りの雑談ばかり」と勘違いして離反していく生徒もむかし若干名は発生したが、今やどこまでも真剣な授業での大爆笑だ。途中で心が離反するような生徒は、ほぼ皆無。どこの会場でも、終了時の拍手のボリュームが半端なものではなくなっている。

 

 諸君、こうして始まる2022年度も、どんどん今井を全国行脚させてくれたまえ。重厚で硬派な長文読解の授業に、軽妙闊達な爆笑トークを巧みに織り交ぜ、ワンサと集まった生徒諸君を、ワンサと我々の仲間にしてみせようじゃないか。

 

1E(Cd) John ColtraneIMPRESSION

2E(Cd) John ColtraneSUN SHIP

3E(Cd) John ColtraneJUPITER VARIATION

4E(Cd) John ColtraneAFRICABRASS

5E(Cd) Bill EvansGETTING SENTIMENTAL

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