Sun 220213 鴨すきやき/23分で32回もの「甘い」/商売繁昌、笹もってこい 4167回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 220213 鴨すきやき/23分で32回もの「甘い」/商売繁昌、笹もってこい 4167回

 京都・京阪電車の「神宮丸太町」駅のすぐそばに、「八起庵」という鳥料理屋があって、冬の間は鴨のすきやきがマコトに旨い。気に入ると恥ずかしくなるほど何度も繰り返し通うのがワタクシの悪癖であって、この半年ですでに3回も座敷に上がった。

 

「半年で3回」を、多いと見るか少ないと見るかはお任せするが、少なくとも今井くんのオウチは東京・渋谷区にあって、京都在住でもないサトイモ男が「半年で3回」といえば、その頻度は相当なものだと思う。

 

 というか、まん延防止でお酒も出ないというのに、今年になってから1月に1回、2月にも1回。お店のオネーサマも一瞬お目目をキラリと光らせて喜びを表現してくれた。すでに「ほぼ馴染み客」の一角を占めつつある。

 

 創業者で今も立派に店の大将を務めていらっしゃるオジーチャンも、今井君が帰る時には満面の笑顔で店先に姿を現し、お土産に大っきなゆで玉子と、1袋の玉子ボーロを手渡してくれる。

(神宮丸太町「八起庵」の鴨すきやき。驚くなかれ、鴨肉の下はことごとく青ネギだ)

 

 何しろ神宮丸太町の駅のお隣だ。京都御所からも歩いて行けるし、出町柳からも三条や四条の駅からも近い。ということは、京都大学も同志社大学も至近の距離。ワタクシは今後も京都でお仕事があるたびに、この店での夕飯を満喫しようと考えている。

 

 ただし諸君、もちろん鴨すきやきは絶品だけれども、もしも「ネギが苦手」というオカタがいらっしゃったら、その「ネギが苦手」という事実をどう店の人に理解してもらうか、その辺の人間力も試される。

 

「苦手だから」「キライだから」といって、「何も言わずに鍋の中のネギをみんな食べ残す」というのは、さすがに失礼にあたる。京都の人のネギ好きは、中途半端なものではないのだ。

 

 ラーメンもイノシシ鍋も、お蕎麦もクマ鍋も、みんなネギまみれ。むしろネギを食べるのが主で、ネギのために他の食材も利用する、そのぐらいの勢いだ。

 

「ネギを食べない」だの「ネギはキライです」だの、そういうワガママを口にするヤツバラは、不動明王やら赤鬼やらが熱い真っ赤な炎のタイマツを掲げ、憤怒の表情で地獄の底まで追い立てる。

(わがままオヤジが「ネギはキライです」などとホザイてみたまえ。おっかない赤鬼さんに地獄の底まで追いかけられる。詳細は3〜4日後の記事で)

 

 もしもネギがキライなら、そのことをどう店の人に理解してもらい、どう温かく優しく許していただくか、その辺の工夫が必要だ。今井君はそういうコミュニケーションの達人であって、鴨肉だけ食べてネギを食べ残しても、店のオネーサマは笑って許してくれるし、赤鬼がガオーッと叱りに来ることもない。

 

 コドモの頃から、ワタクシは野菜のほとんど全てがキライ。ニンジンがその筆頭、トマトとネギとナスとピーマンが続き、シュンギクにセリにパクチーにニラ、いやはや赤鬼だけじゃなくて、青鬼と黒鬼と白鬼、鬼軍団が大挙して今井君の野菜ギライを責め立てにやってくる。

 

 だって仕方ないじゃないか。「野菜を食べないと身体を悪くしますよ」と、親やセンセや先輩&後輩や同僚に言われ続けて数十年、ちっとも身体は悪くならない。

 

 むしろ野菜大好きでムシャムシャ&ワシワシ、ナベ物の全野菜やら、今井君用のサラダさえ取り上げて、みんな無言で食べ尽くすタイプの人の方が、なんだかんだワタクシより、健康面で負けている気がする。

 

 あえて言えば、「野菜を食べないから、そんなにアタマが悪いんだ」ともしも言われれば、しぶしぶというかしょんぼりというか、ネギの1つもかじってみるかもしれないし、レバニラ炒めのニラを残さない努力ぐらい始めてみる可能性は残っている。ただし不承不承、ネギの輪っかをストローみたいにして日本酒でも啜り上げる程度だと思う。

(鴨肉に火が通ると、その下の青ネギ軍団がますます存在感を増してくる)

 

 そもそも21世紀の日本人は、野菜の「甘さ」を強調しすぎるのだ。ネギ食って「甘い!!」、生のダイコンやカブをかじって「甘い!!」、生のタマネギをかじっても「甘い!!」、みんなギョロメをむき出して、その甘さを絶賛するのが定番になっている。

 

 テレビ番組では糖度計まで持ち出し、「静岡の芽キャベツって、糖度13.6。実はミカンやキウィやクレープフルーツより甘いんです!!」と絶叫。NHKで2月7日に放送された「うまいっ!!」では、23分間の芽キャベツ特集で合計32回も「甘み」「甘さ」「甘い」を繰り返した。天野ナニガシがMCの番組だ。

 

 わざわざ数えた今井も変なヤツだが、23分で32回も「甘い」とは、さすがに限度を超えていないか。ダイコンやタマネギに対して「ちっとも辛さを感じませんね」って、むしろダイコン閣下やタマネギ入道への侮辱になるんじゃないかと危惧するが、テレビでは「ちっとも辛くないですう♡」が、絶対的賛辞と考えられているようなのだ。

 (京都えびす神社「十日ゑびす」、今年も盛況だった 1)

 

 幼い今井君が「甘いでしょ?」に最初にムカついたのは、父・三千雄の言葉。ニンジンを意地でも食べさせようとした父が「ニンジンは甘くて旨いんだぞ」と繰り返したのに激しく反発、それ以来どんな小さなニンジンの切れっ端でも、何が何でも取り除けて食べないワガママ人間になって今に至る。

 

 1990年代までは、まだこれほど「甘い♡」「甘い♡」「やわらかーい♡」の大洪水ではなかった。たまに鮮魚の刺身について「甘い!!」と形容すれば、それが「意外なほどの新鮮さ」に対する絶賛として通用するぐらいだった。

 

 だから、お寿司屋さんがカウンターの馴染み客に「甘いでしょ?」と新鮮さをアピールするぐらいまでは許容範囲。しかし「芽キャベツ」を材料に23分で32回も「甘い」を連発すれば、残念ながらそれは「日本語の乱れ」であり「味覚の乱れ」「表現の乱れ」であって、そろそろ誰かがキチンと声をあげなきゃいけない。

 (京都えびす神社「十日ゑびす」、今年も盛況だった 2)

 

 分水嶺は、日本テレビ「どっちの料理ショー」あたりだったと思う。司会は、関口宏と三宅裕司。1997年から2006年まで放送というのだから、まさにぴったり今井の代々木ゼミナール時代に重なり合う。1つの食材を2つのチームが料理に使用して、「どっちが旨いか」を競い合った。

 

「モヤシ」がテーマの回があって、まだいくらか若かった関口宏どんが、番組の冒頭モヤシを1本サクッとかじって「甘いっ!!」と叫んだ。「へえ、甘いんだ」、今ならどんなグルメ番組でも当たり前の反応が、「意外だ」「まさかモヤシが甘いなんてことがあるの?」というニュアンスでスタジオに広がった。

 

 日本人の味覚が「甘さ」一辺倒になり、「辛さ」「苦さ」を一方的に排除する方向性を持ったのは、この20年ほどのことなんじゃないか。諸君、日本国民は短時間のうちに一挙に一辺倒になり、大政翼賛的に一方向を向きすぎるという、マコトに悪い癖をもっている。

 (京都えびす神社「十日ゑびす」、今年も盛況だった 3)

 

 教育論についても全く同じことで、大学入試なんかを眺めていると、ホントにこの20年のうちに「論理的思考力」一辺倒に変わってしまった。「理系脳」なら全てヨシ、論理的思考に徹しようとしない文系脳は、今や排除と侮蔑の対象になりかねない。

 

 しかし諸君、ホンの20年前には、中学でも高校でも先生たちの多くは「何でも理屈で割り切れると考えちゃいけないぞ」と、シミジミ温かく生徒たちに語りかけていた。

 

「1+1は、2じゃないぞ」みたいな表現も当時の定番、「答えは1つとは限らない」「正解がいくつも存在するのが本来の人間世界のあるべき姿だ」「何でも方程式で割り切れると思うなよ」という発想が、教育現場の主流だったはずだ。

 

 というか、中学から高校に至る6年の青年期を担当する教育者は、その種の「多様性重視」をこそ、辛抱強く生徒諸君に伝えるべきなんじゃないか。「甘い♡」一辺倒、「論理的思考♨︎」一辺倒、そうやって一辺倒を貫いた結果、ついに今の「共通テスト」みたいな情けない入試が出来あがってしまった。

 (京都えびす神社「十日ゑびす」、今年も盛況だった 4)

 

 ワタクシは、関西の「十日えびす」が大好きだ。今宮えびす・西宮えびす・京都えびす、その「3大えびす」に、1月10日になると関西中の人々がどっと詰めかけ、「福娘」たちから福笹を買い求める。

 

「商売繁盛で、笹もってこい!!」の掛け声も賑やか。「商売繁盛」はむしろ「商売繁昌」と書いた方が、関西の人の気持ちと心意気が伝わる気がするが、いやはや、マコトに威勢がいい。

 

 ただし「笹もってこい」と連呼されても、そのへんに生えていたテキトーな笹をもっていくのではなくて、巫女さんたちがチャンとお祓いしてくれた「恵比須さま公認の笹」以外はダメなのだ。笹13500年ほどを「初穂料」として納めないと、ホントの福笹は手に入らない。

 

 だから正確には「商売繁昌で、笹もってこい」というより「商売を繁昌させたければ、3500円払って笹を買ってこい」なのであるが、そうやって手に入れた公認の笹に、さらにいろんな小飾りを付け加えていく。

(京都えびす神社から、八坂神社まで徒歩10分もかからない)

 

 大阪では福娘たち、このあいだ訪問した京都ゑびす神社では巫女さんたちがズラリと居並んで、小飾りを笹に結びつけてくれる。代表的な小飾りは、熊手・箕・宝船・サイコロ・俵・鯛・大判小判・千両箱など。それぞれになかなかのお値段がついている。

 

 眺めていたら、これに商売繁昌・交通安全・家内安全・合格祈願など、各種のオマモリも定番。多種多様な人々が願う多種多様な幸福を、恵比須の福笹はマコトにおおらかに全て受け入れてくれるわけだ。

 

 そうやって小飾りやオマモリで。たった1本の福笹はズッシリと重たくなり、大阪の人も京都の人もみんな嬉しそうに福笹を捧げて恵比須神社を後にする。

 

 初穂料と小飾りとオマモリで、おそらく合計の金額は1万円を下らないのであるが、人々は豊饒で多種多様な幸福、無数の方向性と無数の可能性の象徴としての福笹を掲げ、満面の笑みを湛えて家路につく。

 

 いやはやホントに嬉しそう、ホントに楽しそうだ。芽キャベツやカブやダイコンを生でかじって「甘い!!」と絶叫する大政翼賛的ギョロメや、何でもかんでも論理で正解をたった1つにまとめてしまう思考の貧困とは、明らかに次元が違う。

 

 来年の1月10日にはワタクシも、大切な人生の多種多様な繁昌のために3500円を払い、大っきな福笹を手にして福娘たちの前に並ぼうと考えている。

 

1E(Cd) IncognitoADVENTURES IN BLACK SUNSHINE

2E(Cd) IncognitoWHO NEEDS LOVE

3E(Cd) Luther VandrossDANCE WITH MY FATHER

4E(Cd) Luther VandrossNEVER LET ME GO

7D(DMv) ANNA KARENINA

10D(DMv) DRAGGED ACROSS CONCRETE

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