Mon 211220 お茶づけあれこれ/ヴィネガー・ショック/予備校生の頃の話 4147回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 211220 お茶づけあれこれ/ヴィネガー・ショック/予備校生の頃の話 4147回

 どうも相性のよくないレストランが連続して、しょんぼりしがちな2週間だった。ワタクシはメシとの相性についてマコトに敏感なので、高い店で高いものをいただいてもダメなものはダメ、安い店で安いものを貪ってもピッタリなものはピッタリ、たいへん素直な人間なのだ。

 

 前々回だったか、そのまた前の回だったか、「府中酒場」の写真を掲載した時には、「今井先生って、こういう店にもいらっしゃるんですね」と目をむいて驚いてくれた人もいたけれども、正直言って「府中酒場」みたいな店こそピッタンコだし、我が人生で一番好きなのは「お茶づけ」、この世で今井に一番ピッタンコなのは意地でもお茶づけだ。

 

 そのお茶づけについても、今井はたいへん気難しいので「お茶漬け」ではなくて「お茶づけ」じゃなくちゃイヤなのだ。「お茶漬け」とわざわざ漢字をあてて「漬」にしている商品が多いが、漬物の漬という漢字を当てられると、プーンと漬物の濃厚なカホリが漂ってくるようでイヤなのだ。

 

 ついでに、「出汁茶漬け」みたいなものもイヤ。鯛やら鮭やらタラコやら明太子やら、いろんなものを乗っけてから出汁をかけて召し上がる。わさびを溶く人もいれば、三つ葉を乗っける人もいらっしゃる。おお、見た目はマコトに豪華であるが、ワタクシはその豪華さがキライなのだ。

(今年の東京は、イチョウがいつまでも美しい。12月中旬、黄色からオレンジ色に変わっていった)

 

 ワタクシにとってベストなのは、最もシンプルなお茶づけであって、メシ+煎茶、メシ+ほうじ茶、夏ならばメシ+冷たい麦茶、メシ+冷たい烏龍茶。シャケの切り身や焼きタラコや明太子が小皿に添えてあってももちろん構わないが、何もわざわざそいつらをメシの上に乗っけて味や色を濁らせてしまうことはない。

 

 しかも諸君、問題なのはお茶づけをかきこむ速度なのであって、茶碗ないし丼がぬるくなるまでのんびり&ゆったり茶づけを掻き回しているようなのは言語道断だ。茶碗なら5口、丼でも10口、喉はなんとか通ったが、食道と胃をヤケドしそうになるぐらいのスピード感が必須だ。

 

 そういうことは一緒に食事をしている人にも全て要求するから、今井の前でシャケや鯛の身をメシに乗っけたり、お茶じゃなくて出汁をかけたり、わさびをお茶に溶いたり、そういうことをされただけで胸がムカムカする。

 

 言語道断なのは、「お茶づけを咀嚼する」という行動。諸君、お茶づけとは、咀嚼を省略して嚥下運動に集中する食物であって、その点ではうどんと相似形である。

 

 いつだったか、今はなき藤田まことどんが、「うどんはかむものやない」「うどんをかんだら、うどんじゃなくてダンゴや」「うどんは飲むものやで。喉を通過する感触を楽しむんや」「どんな熱いうどんでも4口ですすりきります」と豪語し、実際にテレビカメラの前でそれをやってのけた。

 

 お茶づけとなれば、もうそれは絶対の必要条件であって、お茶づけをクチャクチャ咀嚼するような人がいらっしゃったら、今すぐにマナー教室に通って人生をイチから学び直していただきたい。

(東京・千鳥ヶ淵。今年の春には3分咲きの桜の下でボートを漕いだ。諸君、あと3ヶ月で桜が咲き始める)

 

 そのぐらい大好きなお茶づけなのに、先週の月曜だったか火曜だったか、高級♡和食レストランでのランチ中に「お茶づけ吐きそうになる」という人生初の粗相をした。

 

 お茶づけがマズかったのではない。コメはそのお店ご自慢の「栃木の星」。ふっくら加減もピッタンコ、「こりゃお茶づけにうってつけ」と、お茶づけ大王はさっそく熱いほうじ茶をかけ、高速でサラサラ&サクサクやり始めた。

 

 いちおう断っておくが、高級であろうがなかろうが「お店でゴハンにお茶をぶっかけてサラサラ」という行動は、実際にはこれもまた言語道断。若い諸君は、とりあえずおヤメになったほうがいい。

 

 ワタクシぐらいの年齢になり、お店の従業員さんたちより年齢が明らかに10歳は上、ボーシもスーツもコートもクツも「どうみても高級オジサマ」、もちろん態度も物腰も高級オジサマ、お店の予約も完全個室、そういう状況をビシッと取り揃え、店の人が「それではどうぞお召し上がりください」と個室のドアを閉じた瞬間に、おもむろにお茶をザバッとやる。

 

 しかし平河町のこのお店、ちょっと凝りすぎて「刺身に醤油をつけさせない」という困ったことをしてくれた。鯛の刺身の上には数の子が乗っかって、「数の子の塩味で鯛の刺身を召し上がってください」とニコニコ、濃厚なお醤油を愛する今井君をギュッとしょんぼりさせてくれたのだ。

 

 もう一種類のお刺身は、マグロ。しかしマグロにもまたお醤油ではなくて「バルサミコ」が塗ってある。今井の天敵は、酢とマヨネーズ。お醤油なしの生魚とバルサミコがタッグを組んで、ワタクシの胃の腑を強烈に攻め立てていた。

      (上野公園に佇むオオワシ君の勇姿)

 

 そこへ、熱い茶づけを一気にかきこんだ。「栃木の星」は1ツブ1ツブが長く太いのが特徴。いつものコメなら、塩味なしの生魚とバルサミコの攻撃ににもがき苦しむ胃や食道もやすやすと受け入れるのだが、この日のコメは大袈裟なことを言えばアズキの半分ぐらいの大きさ。我が人生初、「お茶づけを吐きそうになる」という激しい粗相を経験をした。

 

「メシとの相性が悪い」という日々は、12月5日、宮城県仙台市の夜から始まった。悪口を言うことになるから店の名は書かないが、要するに宿泊していたホテルのレストランである。ここでもやっぱり原因は、酢。酢の好きなシェフが腕を振るうと、まずサラダに酢、魚に酢、肉にも酢。悪夢のヴィネガー攻めは2時間近く延々と続いた。

 

 そのくせ翌日は寿司屋に出かけ、「すし哲」の寿司を腹いっぱい食べるあたりが矛盾の激しいサトイモらしいが、酢の中でも寿司の酢なら別に大丈夫、ただしカウンター席で酢飯の匂いがモロに鼻を突くような席なら、「すみませんが」と訳を言って席をかえてもらう。

 

 ま、せっかく仙台に久しぶりの出張旅行をしたのだから、「すし哲」に癒されてよかった。あのままヴィネガー・ナイトの思い出だけ抱えて帰京すれば、仙台への足が遠のきそうだった。「すし哲」のひと時でホッと一息、次の仙台出張を楽しみに待っている。

(冬ざれの上野・不忍の池。水鳥の群はヒッチコック映画並みだ)

 

 平河町のランチの後は、しょんぼりした胃袋と食道を慰めるために、とりあえず上野まで散策することにした。平河町から麹町・一番町・九段・神保町を通って神田駅まで1時間ほど。もうずいぶん長く首都圏で生活しているが、自分でも意外なことに、神田の駅から電車に乗ったのは初めてだった。

 

 浪人して御茶ノ水の駿台予備校に通った1年、家族の都合で埼玉県大宮市で生活していた。大宮から御茶ノ水までは京浜東北線と総武線を利用した。京浜東北線で大宮から秋葉原まで1時間、秋葉原で黄色い総武線電車に乗り換えれば、御茶ノ水まで2分もかからない。

 

 春4月から5月の末までそのルートをつかい、行き帰りで岩波新書を1冊読み上げるのが日課だった。いやはや電車の中での読書のほうが生活の主体になり、5月までで30冊も読んじゃった。

(神田駅。神田から電車に乗ったのは、自分でも意外なことに人生初体験だった)

 

 6月ごろから、秋葉原じゃなくて神田で乗り換える方が好きになった。秋葉原からの総武線は昔ながらのギューヅメ電車。たった2分ぽっちでも、あのギューヅメは非人間的だ。せっかく半分ぐらいまで読み終えた岩波新書の中身が、ニュルッと口からハミ出そうになる。

 

 そこで、秋葉原からもう1駅、神田まで行ってオレンジ色の中央線快速電車に乗り換えれば、やっぱり御茶ノ水まで1駅、2分。そろそろ東京に慣れてきた今井君は「こっちのほうがいいや」とニコニコ、6月7月はそれで通した。

 

 しかし「東京慣れ」とはマコトに恐ろしいもので、秋葉原乗り換えを神田乗り換えに変更するような知恵がつけば、次にやってくるのは「駿台の授業なんかより、名画座で2本たったの300円、安い映画を見た方がいいや」である。

 

 7月中旬からは駿台の授業にはちっとも出なくなり、読破した岩波新書ばかりが本棚にたまり、学力はちっとも向上しないが、映画の知識は同世代の誰にも負けない。要するに困ったサトイモ青年が急速に出来あがっていった。

 

 まあだから諸君、浪人なんかしないでサッサと現役で第一志望に合格することを強くお勧めして、ヴェネガーショックから立ち直りつつある本日の記事を締めくくろうと思う。

 

1E(Cd) MartinonIBERTESCALES

2E(Cd) Bruns & IshayFAURÉL’ŒUVRE POUR VIOLONCELLE

3E(Cd) CollardFAURÉNOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 1/2

4E(Cd) CollardFAURÉNOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 2/2

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