Fri 211217 教育関連の記事に昭和臭がする/医学部人気の話/早慶逆転の話 4146回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 211217 教育関連の記事に昭和臭がする/医学部人気の話/早慶逆転の話 4146回

 ワタクシは時々、「新聞雑誌の教育欄を担当するライターさんを、そろそろ総入れ替えしたほうがいいんじゃないか」と考える。

 

 内部事情はよく分からないが、「教育欄」というマコトに平穏で波風の立たないテリトリーで、担当するライターさんも長く固定化、同じような人が、同じような視点で、長年書き続けているんじゃないか。

 

 新聞でも雑誌でも「教育欄」を読んでいると、視点も思考プロセスも「20世紀人間丸出し」というか、とにかく古臭い。古臭いというか、もっとハッキリ言えば昭和臭く、20世紀臭い。

 

 マスメディアが古い昭和の視点で教育を論じ続ければ、その結果として醸成される世論が、21世紀の世論とはとても思えないほど昭和臭くなってしまうのもやむを得ない。

 

 今までもこのブログで何度も論じてきたが、例えば「医学部人気の理由」あたりに目いっぱい昭和臭が詰まっている。自慢げにライターさんが書きまくる「今は東大京大より医学部が人気です」などという話題は、教育の現場ではもう四半世紀も昔からの常識だ。

 

 しかもその医学部人気の理由を、ライターさんたちは「地位とカネと安定」に持っていきたがる。決まり切ったというか固定された専門家の話を引用しながら「安定した高収入が保証され、世間的にも高いステータスが確実に得られる」「だからどんなに厳しくとも、優秀な青年は医学部を目指す」というわけである。

(12月6日、宮城県仙台市「すし哲」を訪問。本日の写真は文章の内容と完全に無関係です)

 

 しかし諸君、医師を目指す理由が「地位とカネと安定」だったのは、遥かな遥かな昭和の時代。21世紀の若者たちは、「高級時計にも高級車にも関心がありません」という世代だ。地位やカネや安定にも大した魅力を感じない。「手に医術という職をつければ、一生食いっぱぐれナシ」という理由で医師を目指したのは、昭和ないし20世紀の日本の発想である。

 

 医学部志望の若者たちに、実際にインタビューしてみたまえ。彼らの口から「地位・カネ・安定」という単語が漏れることはほぼあり得ない。たとえそれがホンネであったとしても、その種の意地汚いホンネが口から漏れ出すことのないように、マコトに上品な教育を彼ら彼女らは受けている。

(無関係な写真でスミマセン。東北人のソウルフード「なめたがれい」の煮付けを満喫する。仙台「すし哲」にて)

 

 しかも「地位・カネ・安定」が彼女ら彼らのホンネであることは、今やマレである。多くの場合、「地域貢献」「国際貢献」「社会の役に立ちたい」「社会的弱者の側に立ちたい」という気高いコトバが、何の躊躇もなく口をつく。

 

 それをもし「キレイゴト」と断じるようなら、その人の心も精神も昭和のまま。ライターを続ける資格はない。医師を目指す若者たちの「貢献」に向かうココロは本物であって、だからこそ2浪しても3浪しても、何があっても医療従事者への夢を諦めない。

 

 これほど純粋な熱意に満ちた若者たちを間近に眺めながら、「どうせ欲しいのはカネと地位と安定でしょ?」とニヤニヤ、冷やかすような記事を書き続けるなら、ライターなんかサッサとヤメたほうがいい。世論を間違った方向に導くだけだ。

(左:白ぼたん海老、右:ぶどう海老。仙台「すし哲」にて。無関係でホントにすみません)

 

「学歴の早慶戦」に関する話も、完全に昭和のまんま。この数日、特に「朝の新聞」系の雑誌が書きまくっているのが、「早稲田の人気が慶応を上回りました」「早稲田が慶応を再逆転」というオハナシ。早稲田と慶応にダブル合格した場合、慶応よりも早稲田を選択する受験生が増えたと言うのである。

 

 しかしまず第一に、その話題で盛り上がる人はすでに少数派。実際の世論、実際の世の中の動向は「そんなツマラン争いより、地元の国公立大へ」であって、早稲田も慶応もほぼ首都圏ローカルになってしまっている。ライター諸君、東京にかじりついてないで、たまには首都圏から外に飛び出してみないか。

(2匹の海老のカシラを焼いていただく。繰り返しますが、無関係でスミマセン)

 

 確かに1990年代までは、早稲田の方が慶応より人気だった。巨大予備校の講座でも「早大英語」は300人教室5つでもまだ足りなかったが、慶大英語なら150人教室1つで十分だった。偏差値も、軒並み早稲田が上。早稲田政経が東大文系を上回った時代さえあった。

 

 それが2000年以降、オジサマ週刊誌その他で「早稲田の凋落」が喧伝され、慶応の人気が急上昇。2005年ぐらいからの早慶戦は慶応の圧勝、もはや「早稲田&慶応ダブル合格」で早稲田を選んだりすれば、「なんで?」「どうして?」とそれが非常識な選択であるような驚きの目で見られるようになった。

 

 2021年、ライターさんたちによれば「驚異の再逆転」が起きたらしい。「早稲田を選ぶ受験生がグイッと増えた」とおっしゃるのである。「実際に取材してみると」「ある慶応の1年生は」という前提で、「早稲田の方が偏差値が高いのに、両方合格して慶応に来ちゃったのは損だったかなと思っています」と述べたことになっている。

(閖上の赤貝を刺身で。大津波被害に苦しんだ閖上も10年かけて力強く復活した)

 

 いやはやライターさん、まずこれ、ホントに取材したんですか? そしてホントに取材した上でその回答を得たとして、それを日本を代表する新聞社系列の週刊誌に、大事件ででもあるように掲載する必要を感じたんですか?

 

 21世紀の青年諸君は、「どっちの偏差値が高いか」という理由で大学を選ぶようなことはしないように指導されている。たとえそういうことをしたとしても、初対面のライターさんに、平気でそんなホンネを漏らさない。

 

「あっちのほうが偏差値が2も高かったのに、こっちを選んで損した」、臆面もなくそんな恥ずかしい発言をしたのは、昭和中期から平成初期までの偏差値万能世代。卒業した学部の偏差値が2か3か高いだけの理由で、相手を上から目線で見るような世代は、もうとっくの昔に過去の薄闇に去った。

(閖上の赤貝をもう一皿。閖上とかいて「ゆりあげ」。おいしゅーございました)

 

 現代の彼女ら&彼らの選択基準は、あくまで「校風」。慶応ボーイか、早稲田マンか。慶応ガールか、ワセジョないし早稲田ウーマンか。ボーイ&ガールの世界か、マン&ウーマンの世界か。校風は全く違い、ボーイ&ガールは高収入&高納税な就職を目指し、マン&ウーマンは地域貢献を志す。

 

 予備校の進路指導で、そういう方向性が定着して20年以上も経過する、どちらの校風も素晴らしい。高収入で高額納税を続けるのも立派な社会貢献だし、最初から地道な地域貢献を志し、ノブレス・オブリージュの理想を追い求めるのも、もちろん喝采の対象だ。

 

 そういう若者の割合がどんどん増加している時代に、「今年は早稲田文学部の方が慶応文学部より偏差値で上回っている」「それなのに慶応を選んじゃった」「損したかもしれない」「失敗だった」、そんな時代遅れな青年のコトバを雑誌記事に掲載し、あたかもそれが多数派であるかのように書くことに、いったい何の意味があると言うんだ?

 

 この辺のインタビュー取材、もちろん「メイキングである」とは言わないでおこう。しかしホントにインタビューをたくさんやって、それに基づいて記事をお書きになったのだとしても、他の多種多様な反応には触れずに、あえて偏差値うんぬんに拘泥しているこの学生のコトバだけを引用した姿勢、それこそ21世紀にそぐわない昭和臭そのものじゃないか。

(牡蠣の串焼き。「すし哲」、4〜5年前にはわざわざ塩釜の本店を訪れたりしたが、この数年ご無沙汰が続いていた)

 

 ついでに、早稲田政経の入試改革についても一言。早稲田は政経学部の入試に昨年から数学を取り入れた。素晴らしいことである。しかしマコトに中途半端な導入であって、「数学Ⅰだけ」じゃ余り意味を感じない。大学側の意図がホントなら、数ⅡBどころか数Ⅲの微積分までギュッと導入しなきゃいけない。

 

 ライターさんたちによると、この数学導入が「早慶再逆転の原因」となったそうだ。「慶応に水をあけられて焦った早稲田が『どうにかしなきゃいけない』『志願者数の減少もやむなし』と考えて数学の導入を決断した」とおっしゃる。

 

 しかし諸君、「慶応との差を縮めたい」「どうにかしなきゃ」「再逆転を目指せ」とか、早稲田政経学部ともあろうものが、そんな情けない理由で数学を導入したのでは、絶対にない。

 

 数学を入試に導入した理由は、もちろん「学生諸君に経済学をもっとキチンと理解させたいから」「気持ちよく/楽しく/正しく経済学を学んで欲しいから」。数学なしの経済学じゃ、経済史と経済倫理ぐらいしか理解できない。そんな学部では、存在意義が皆無じゃないか。

(12月の仙台風景。右が蔵王連峰。真ん中あたりにわだかまっているのが雪雲である)

 

 実はもう1つ、教育欄に溢れかえる「富国強兵的な言辞」についても指摘しておきたいのだが、今日もまた長く書きすぎた。詳しくは次回にゆずるが、「役に立つ英語教育」「役に立つ国語教育」みたいな発想について、この10年20年のライターさんたちの責任は大きいと考える。やっぱりライターさん総入れ替えが必要なんじゃないか。

 

 何らかの既得権で固定化されたライターさんが増えてくると、「老害」という言葉は極めて差別的だから使用しないとしても、世論が昭和臭&20世紀臭でいっぱいになり、青年たちの実態と合わなくなる。

 

「英語教育も国語教育も数学教育も、みんな明治時代よろしく富国強兵政策の一環にすべし」。古い発想に縛られた老ライターさんに任せておくと、教育に関するそういう間違った世論を醸成してしまうことになりかねない。塾&予備校の現場から、大ベテラン今井として、近いうちにギュッと正論を申し上げたいと考える。

 

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