Fri 211203 揺れますね/串揚げか、串カツか/西宮で大奮闘/酒饅頭とクエ鍋 4136回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 211203 揺れますね/串揚げか、串カツか/西宮で大奮闘/酒饅頭とクエ鍋 4136回

 いやはや、関東も関西もよく揺れる。こんなに揺れてばかりいたんじゃ、とても落ち着いて仕事に集中なんか出来そうにない。同じ日に関東と関西でどちらも震度5クラスの地震がくるなんて、ここまでのワタクシの長い人生でも経験は皆無だ。

 

 首都圏は今朝の未明から、何だかひっきりなしにグラグラいっていた。午前2時台に2回、5分間隔で続けざまに「ほぼ真下から」という感じでドシンと来たが、震源は山梨県の大月付近とのことだった。

 

 大月といえば、我々の夏季河口湖合宿でワタクシにもお馴染みの町。最近は河口湖までバスで往復するから大月とはすっかりご無沙汰しているが、数年前までは夏休みの初日、甲府行き中央本線の特急「かいじ」を大月で降り、富士急行に乗り換えるルートを使っていた。

    (11月18日、阪急西宮北口での大盛況 1)

 

 こうやってもう17年、激しい全国行脚を続けてきたから、地震に襲われた町の名前が連呼されると、どこもかしこも馴染みの土地で、やっぱり心配でならない。

 

 午前10時近く、和歌山での地震の時には、東京でも緊急地震速報が出た。NHKBSで海外ニュースを眺めていたら、いきなり「地震です」「地震です」の連呼があって、もちろん今井君は落ち着き払ってガスヒーターのスイッチを切った。

 

 さすがに和歌山の地震で東京が揺れることはなかったが、岡山も倉敷も徳島も奈良も震度3の揺れがあったようだ。首都圏の人間としては、「茨城県南西部」「千葉県北東部」の地震が頻発するから、震度3ぐらいでは驚かないが、関西はかつて地震が少なかった地域。肝を冷やした人も少なくなかっただろう。

(浪花最古の創業、和菓子「高岡福信」。酒まんじゅうが有名だ)

 

 ワタクシが大学に入学した時、語学クラスの同級生には大阪や京都や神戸からきた人が少なくなかった。むかしむかしの受験生は、関西の人でも関東の大学を受験し、逆に関東の人間でも関西の大学を目指して、ごくごく普通に東西交流が行われていた。

 

 今や日本中どこでも地元志向で、すげー優秀な受験生もみんな地元の難関国立大を目指す。ついこのあいだ、網走刑務所前のバス停で出会った高校生グループも「時代は国公立大なんじゃん?」と談笑していたが、確かに時代の風は地元国公立。早慶とか関関同立とか、かつては全国区だった難関私大も、関東ローカル&関西ローカルの色を深めている。

 

 どうして高校生グループと「網走刑務所前のバス停」なんかで出会ったのか、そのロケーションの異様さに唖然とする人もいるだろうけれども、その謎解きはまた数日後のブログでどうぞ。今はただ、むかしむかし大学1年の語学クラスの同級生に「関西からの人が半分近く含まれていた」という事実だけに集中してくれたまえ。

  (酒まんじゅうは大好物。とりあえず3個買ってみた)

 

 その関西からの同級生たちが一様に驚いていたのが「東京は地震が多いなあ」「東京のラーメンはマズイなあ」「東京の食べものはマズイなあ」という3点。「ラーメン」と「食べ物」の件は、今もワタクシは同意しかねるが、「地震」の件は当時でも同感だった。

 

 繰り返すが「茨城県南西部」「千葉県北西部」が震源の地震は、そういう遥か昔からおなじみの頻発地震。特に学部生時代にワタクシが生活していた千葉県松戸市は、まさにその「千葉県北西部」だったから、日常的に真下からドシン、そのドシンの直後に大きなグラグラが来て、いやはや最初の頃は度肝を抜かれた。

 

 しかも当時の今井君のスミカは「築30年」に近い木造2階のアパート「松和荘」。トイレは汲み取り式、新聞屋さんが階段を駆け上がるたびに「スワ、震度5か?」と机の下に這い込みたくなるようなシロモノだった。

(大阪市役所そば浮かぶ牡蠣舟「かき広」。まだ入ってみる勇気が出ない)

 

 特に問題が大きかったのは、その狭苦しいアパートに当時から「本棚8つ」などという恐るべき蔵書を持ち込んでいたことだ。スチール製の一番安い本棚8つが、真下からの地震で同時にユサユサ大きく揺れるシーンは、思い出すだに恐ろしい。

 

 2つか3つなら懸命に抑えれば済むだろうが、何しろ諸君「本棚8つ」だ。タコかイカでもなきゃ、本棚を抑える手足が足りない。

 

 しかもアパートの床もベコベコ、ハダカ電球が大きくユーラユラ、あの頃の今井君に関心があるオカタは、ブログ内検索で「松和荘」を検索してくれれば、10年も前に書いた「松和荘時代」の思ひ出が、ずらずらナンボでも出てくるはずだ。

 

 まあそういう時代、大阪や京都から来た友人たちと話していると、「東京は地震が多いなあ」「関西は、滅多に地震なんか来んけどなあ」と余裕の微笑で言われたものである。

 

 今井君も別に東京を擁護しなきゃならない立場ではなかったから、「そういうもんかいな?」とニヤニヤ受け流していた。だから例えば「南海トラフ地震」の話題になると、意外な気分になるのである。

 

 しかし、鴨長明が方丈記に書いた「なゐ」「おほなゐ」は、1185年に京の都を襲った推定M7.4の大地震のことであるらしい。1946年、戦後直後の昭和南海地震も、M8.0。思えば「関西は地震が少ないからな」と友人たちが言っていた時代は、ごく短い平和な時代だったのかもしれない。

 (大阪・北新地、路地を入るとこんな楽しい雰囲気になる)

 

 つい2週間前まで「関西シリーズ」で大阪・京都・奈良・滋賀・兵庫を駆け回っていたワタクシとしても、やっぱりここはギュッと用心して、出張先での地震の際の行動をシミュレーションしておかなきゃならない。

 

 それほど大きな被害はなかったと聞いて、まあ一安心。大阪中の高級ホテルを派手に彩っていたクリスマス・デコレーションなんかも、倒れたりひっくり返ったりは一切なかったようだ。

 

 1115日から19日まで滞在したリッツカールトンホテルも、もちろん無事。昨日の記事に掲載したクリスマスツリーの写真をもう一度眺めてくれたまえ。

 

 真紅のバラは1本1本、全てホンモノの生のバラだ。枯れちゃったバラはすぐに新しいバラに取り替える。贅沢すぎる気もするが、豪華さはひとしおだ。

 

 まああんなのがひっくり返って台無しになっちゃったら、そりゃもちろん危険なだけじゃなく、せっかく元気になりかけた我々の心もしょんぼり、コロナへの抵抗力まで下がっちゃう。

(大阪・北新地、串揚げ「かな山」。おいしゅーございました)

 

 1118日のお昼、元気を持て余していたワタクシは、関西シリーズ最終日、大阪・北新地の高級串揚げ店を訪ねることにした。「串揚げ かな山」、地下1階の静かなお店で、ランチの時間帯は串揚げの他にトンカツ定食も提供している。

 

 もちろんワタクシは、せっかくの大阪だ、トンカツではなくて串揚げコースを注文。計12本の串揚げが、1本1本アツアツでカウンターに並べられる。

 

 この場合、「串カツ」と「串揚げ」の違いがおそらく問題になるだろう。あくまで「諸説あります」という条件付きだが、

 串カツは肉が中心、串揚げは野菜や魚介など食材のバラエティが豊富

 串カツは「例のソース」にこだわり、串揚げは「例のソース」にこだわらない

 串カツはサラリーマンの酒の友、串揚げはオバサマやオネーサマもターゲット

みたいなことらしい。

 

 ワタクシ以外、来店した全ての客が「ロースカツ定食」ないし「メンチカツ定食」をご注文。メンチカツは「フォアグラ入り」で、夢のようにデカいのが3個、こりゃ旨そうだ。しかしもちろん今井君の串揚げコースも1品1品が絶品。こりゃどうしても諸君、次の大阪訪問時は、夜のお酒も一緒に賞味したいのである。

    (11月18日、阪急西宮北口での大盛況 2)

 

 1118日の夜は、兵庫県西宮で公開授業。これももうすっかりおなじみの阪急・西宮北口駅前、出席者150名。300名入る大ホールで「キャパ1/2ルール」を厳守した。

 

 15日千里中央・16日梅田・17日奈良に続いて、やっぱりここでも「Sレベル」の超優秀生が6割も7割も占有、雰囲気はたいへん高級だ。ますます「教材ももっともっと高級なものに磨き上げなきゃ」の感を強くした。

   (阪急・大阪梅田駅のクリスマス・デコレーション)

 

 こうして、8連戦の関西シリーズが完了した。昨年は12月に関西シリーズがあって確か12連戦、京都のブライトンホテルに2週間の連泊をしたのだったが、今年は11月中旬でとりあえず関西の仕事はオシマイになる。スタッフにも「よいお年を」と声をかけて帰ってきた。

 

 18日の深夜、大好きな関西とのしばしの別れを惜しみながら、リッツカールトンの一室で酒まんじゅうを貪った。ワタクシはどうしたものか、酒まんじゅうが大好物。「ニコリともしない」ことが返って評判の老舗和菓子屋さんで昼間のうちに買っておいた。

(関西8連戦の〆に、クエ鍋を貪る)

 

「浪花最後の創業 名代酒饅頭 御菓子司 高岡福信」と奥ゆかしい看板がかかっている。もうもうと湯気のあがっているうちに食べたかったが、何しろポンポンは串揚げコース12本で満杯。仕事が終わるまで取っておくことにした。

 

 大阪の加盟校のスタッフが、十三駅前のおいしい酒まんじゅうを1箱、お土産にくれたことがある。もう4〜5年も前になる。十三と書いて「じゅうそう」、大阪府立トップ・北野高校がある駅だ。あの時はホントに嬉しかったし、おまんじゅうも旨かった。今日の「高岡」と、ぜひ一度並べて賞味してみたい。

(リッツカールトンホテルとも、しばしの別れを惜しんできた)

 

 1119日、こうしてとうとう東京に帰ることになった。いやはやとにかく別れがツラい。またすぐ京都大阪神戸で仕事がしたい。しかしスケジュール表を何度見直しても、12月には関西の仕事はないのである。

 

 悔しいから、梅田の店で「クエ鍋」を貪ってから帰ることにした。思えばこの2週間、思うぞんぶん関西の旨いものを食べさせてもらった。締めくくりのクエ鍋も、たいそうおいしゅーございました。何しろこの日はお酒つき。お燗をした土佐の高知の日本酒を2合徳利で4本痛飲、大満足で伊丹空港に向かい、無事に帰京を果たしたのである。

        (伊丹空港の夕陽)

 

1E(Cd) Gergiev & KirovTCHAIKOVSKYSYMPHONY No.6

2E(Cd) Argerich, Chailly & RSO BerlinTCHAIKOVSKYPIANO CONCERTO No.1 & RACHMANINOVPIANO CONCERTO No.3

3E(Cd) Gergiev & KirovRACHMANINOVSYMPHONY No.2

4E(Cd) AshkenazyRACHMANINOVPIANO CONCERTOS 1-4 1/2

7D(DPl) 文楽:冥途の飛脚「封印切の段」竹本越路大夫  恋飛脚大和往来「新口村の段」竹本越路大夫

10D(DMv) RUN FOR COVER

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