Sun 211107 閉じ込められる恐怖/イチョウ2021/またオリ&パラをやりたい 4120回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 211107 閉じ込められる恐怖/イチョウ2021/またオリ&パラをやりたい 4120回

 山形から帰還したのが11月3日の深夜。新幹線の出発時刻間際まで、駅ビルの中の小さな飲み屋で山形の地酒を楽しんだ。

 

 山形の代表的なツマミといえば、かなり味の濃厚な「芋煮」であるが、さすがに電車まで30分あるかないかの状況で芋煮はきつい。プランBとして浮上するのが、玉こんにゃく。こちらは薄味で、短時間でもナンボでも食べられる。

 

 従業員は、大学生のアルバイトと思われる女子1人。ずっと奥のほうに店長のやうなものの存在を感じるが、何しろお客も今井君1人だから、「店長のやうなもの」が登場する気配は全くない。

 

 入店したのが1850分、しかしその10分後に「全館まもなく閉店となります」「出入り口も閉鎖になります」という恐ろしい館内アナウンスが流れた。いやはや今やコロナも土俵際に追い詰められ、ふとその存在さえ忘れてしまいそうな勢いなのに、さすが山形、商業施設の閉店は驚くほど早い。

(明治神宮、11月4日。雲一つない秋晴れが、マコトにおめでたい)

 

 今井君には「夜のビル内に閉じ込められた」という苦い恐怖体験がある。忘れもしない3年前の大阪でのこと。大阪駅前「グランフロント」の閉館直前、グイッと豪快な勢いでビル内に踏み込んだのはよかったが、その次の瞬間、全館完全閉館の時刻になり、まもなく照明も次々に消え始めた。

 

 だって仕方ないじゃないか。宿泊していたのが、グランフロント北館内のインターコンチネンタルホテル。「ホテル正面玄関」と言ふものもあるが、大阪駅からだと正面玄関までずいぶん歩かなければならない。グランフロント内を経由する方が遥かに近道だから、あくまで近道を選択して「グイッと豪快に」闖入してみたわけだ。

 

 しかし諸君、まさかその15秒後に照明が消え始めるとは想定もしていなかった。いやはや困った、というか全身に鳥肌がたつほど恐ろしかった。「このまま朝まで1人でこの薄明の中?」という恐怖は諸君、なかなかのものである。しかもあの時は真冬。大阪だって、暖房の切られた深夜はギュッと厳しく冷え込むだろう。

 

 ま、いろいろ手段を講じてワタクシは合法的に薄明の世界を脱し、というか、要するにホテルの人に連絡してようやく暖かいお部屋に帰還できたわけであるが、あの時の恐怖はまだ心の中でトロトロ不気味な音をたてて燃え続けている。

(代々木の森、11月4日。秋の気配もまだあまり濃厚ではない)

 

 というわけで、山形で地酒と玉こんにゃくを相手にホンの30分の小さな幸福を味わいつくそうとしていた今井君を、「全館19時で閉店になります」のアナウンスが震え上がらせた。

 

 11月の冷え込む山形で、バイトの店員さんと「店長のやうなもの」と合計3人、朝まで玉こんにゃくと鍋の底の芋煮の残りで過ごさなければならないとしたら、もちろんそれはそれですごく楽しそうだし、おそらく3人は永遠の友情で結ばれるかもしれないにしても、やっぱり少なからず億劫じゃないか。

 (青山・絵画館前のイチョウ並木。色づき始めていた 1)

 

 恐る恐る店員さんに「まだ大丈夫でしょうか?」「もう全館閉めるってアナウンスしてますよ」と尋ねてみた。すると、菩薩のような優しい笑みをマスクの中に隠したバイトさんは、「大丈夫です、この店は夜9時まで営業してます」と答えてくれた。

 

 菩薩の笑みは、マスク越しでも十分な効力がある。すっかりほっこり笑顔を取り戻したサトイモ閣下は、全館に鳴り響くジャスアレンジバージョンの「蛍の光」にジッと耳を済ましながら、熱い玉こんにゃく合計10個を丸のまま飲み込んで、喉の奥をしたたかヤケド、そのヤケドを冷たい生ビールで癒すという、マコトに不思議な山形の夕暮れを満喫した。

 

 こうして東京駅には、11月3日の深夜に帰着。豪勢にタクシーで渋谷区のオウチまで帰ると、もう日付が変わりそうな時間帯。右目の網膜周辺をグリグリ手術したのが1026日だから、まだ1週間ちょいしか経過していない。

 

 翌々日の5日には、もう沖縄にヒコーキでビューン、2泊3日の強行軍が待っている。7日に東京に帰って、翌8日から19日までは京都・大阪・奈良・西宮で計8回、怒涛の連続公開授業。予備校講師と言ふ職業も、なかなか過酷なものなのだ。

 (青山・絵画館前のイチョウ並木。色づき始めていた 2)

 

 そこで11月4日、久しぶりにスカッと晴天に恵まれた暖かい東京で、ワタクシもまた久しぶりに東京都内のウォーキングに出かけた。「右目の手術が必要だ」と判明したのが9月10日ごろ。あれからすっかりションボリして、歩きに出かける気力も失っていた。

 

 小田急線にホンの少し揺られて、静かな参宮橋の駅で降りれば、明治神宮は目の前だ。代々木の森にはまだあまり秋の気配がないが、イチョウだけは「心もち色づいたかな?」ぐらいのところまでは行っている。

 

 ただし今年のイチョウは、どうやら雨ばかりだった春から夏の天候不順が影響したのか、葉っぱも力強く成長しなかったようだ。日の光で透き通るような薄っぺらい葉っぱが、黄金色というより薄黄緑色に変わり、何だかもう一斉に力尽きてヘラヘラ地面に落ち始めそうだ。

(存分に活躍できなかった新国立競技場の勇姿。次のチャンスを虎視眈々と狙っているのではないか 1)

 

 絵画館前のイチョウ並木では、青山辺りの高校生たちが写生大会の真っ最中。みんな生真面目にイチョウの絵を描いているが、「黄金色より薄黄緑」の異変に気づいた生徒も少なくないようで、何人かの絵をチラッと眺めてみると、白い画面を印象派ふうの薄黄緑色に彩った絵が目立った。

 

 もっとも諸君、写生大会中の高校生の絵をチラチラ眺めながら歩くなんてのは、よくない趣味だ。ワタクシも高校生の頃の芸術科目には美術を選択。「書道の方が楽だぜ」という評判の中、あえて美術を選んだが、あのころ一番イヤだったのは、間違いなく屋外での写生であり、道ゆくオジサマ&オバサマたちの視線だった。

(東京・千駄ヶ谷には、まだオリ&パラの熱気が漂っている)

 

 そこでサトイモ閣下はウォーキングの速度を上げ、2020東京オリンピックの「つわものどもが夢の跡」をたどることにした。何はともあれ、オリ&パラをやり遂げて2ヶ月。コロナを土俵際に追い詰めて、人々は明るい笑顔で国立競技場を訪ねるようになった。

 

 千駄ヶ谷の新国立競技場、1964年以来60年近く東京のシンボルだった旧国立競技場の威容とは比較にならない軽さだが、まあとにかく2020のつわものたちの夢を支えてくれたことは間違いない。

(存分に活躍できなかった新国立競技場の勇姿。次のチャンスを虎視眈々と狙っているのではないか 2)

 

 誰も賛成してくれないことは分かっている。アホ呼ばわりさえされかねないことも知っている。しかしワタクシは、もう1度この場所でオリンピック&パラリンピックが開催されることを夢見るのである。

 

 2040年はどうだろう。19年後、今これを読んでいる人が18歳なら、2040年には37歳、25歳の人は44歳、みんなまさに世界の中心になってオリ&パラを運営する世代に成長している。

 

 コロナの真っただ中、猛暑の中のワクチン接種と同時進行で進んだオリ&パラ、強固な反対派をなだめながらやり遂げたオリ&パラを、20年後、もう一度カンペキな形で実施できたら、世界的大災害となったコロナを次の世代に語り継ぐ点でも、素晴らしいことだと思うのだ。

(東京・四谷で、ミライトワ&ソメイティを発見。20年後に再登場、思うぞんぶん活躍させてあげたいと思うのは、きっとワタクシだけだ)

 

 まあもちろん、どうせ絶対にやりませんわな。可能性0%。消極派・反対派・冷笑派の強硬さはまさに岩盤だ。「そんなことより、もっと他にやることがたくさんあるんじゃないでしょうか?」とサトイモの白昼夢は一蹴され、楕円球はゴロゴロ側溝を転げ落ち、一顧だにされずに海に流れていく。

 

 国立競技場は「負の遺産」とマスコミに見下げられ、懸命にワクチンにこだわってコロナと戦った2021年の熱気を記憶する者も、次第に減っていく。「しかしそれじゃジリ貧じゃないか」と思うのだが、そもそも2040年まで自分が生きているか、こんな危険な世の中ではそれさえ不安になってくる。

 

 仕方がないから、赤坂の「とらや」に立ち寄って酒まんじゅうを買い、大好物の酒まんじゅうを手に入れて心の底からホクホク、もうジリ貧も薄っぺらいイチョウの葉っぱもどうでもよくなって、秋の夕暮れの今井君はそのまま銀座を目指したのである。

 

1E(Cd) Karajan & WienerBEETHOVENMISSA SOLEMNIS 2/2

2E(Cd) Furtwängler & ViennaBEETHOVENSYMPHONY No.7

3E(Cd) Ralph TownerANA

4E(Cd) AnastasiaSOUVENIR DE MOSCOW

7D(DMv) DESPARADO

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