Mon 211004 一郎とヒロシから、龍雅と涼磨へ(名前の流行について・男子編)4102回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 211004 一郎とヒロシから、龍雅と涼磨へ(名前の流行について・男子編)4102回

【1】 ナンバー系の長い全盛

 東洋でも西洋でも、何しろ昔は目いっぱいの子だくさんだから、最初の子や二番目の子ぐらいまではいろいろ凝った名前をつけていた両親も、名付け親を買って出た親戚・祖父母も近所の世話役も、3番目ぐらいから飽きてきて、5番目ぐらいになるともう精も根も尽き果て、名前に工夫する気さえ消え果てる。

 

 そこで古代から中世近世を経て近代までのマコトに長い間、「ナンバー系」のファーストネームが世界を席巻することになった。長男から順番に、1・2・3・4・5・6、学校の出席番号よろしく、生まれた順番にマコトに気持ちよく数字が並んだ。

 

 古代ローマなんかでも、5番目がクウィンタス、6番目がセクストゥス、7番目がセプティミウス、8番目がオクタヴィアヌス、それぞれ「5番」「6番」「7番」「8番」を示す序数が元になっている。ローマ帝国皇帝に昇り詰めた人でも、こういう一種の手抜きで名付けられた人が少なくない。

 

 近代の日本なら、もちろん一郎(太郎)・二郎(次郎)・三郎・四郎・五郎・六郎であって、源義経なんか「九郎」だし、鎌倉時代には仇討ちで有名な「曽我十郎」なんてのもいた。

 

 11番目とか15番目とかはどうしてたんだろうと心配になるが、まあその辺はちゃんと文献を当たってくれたまえ。今井君にも父方に「四郎」という名の伯父がいた。もちろん今井四郎兼平が伯父な訳はないので、伯父は山形県の平凡な警察官であった。

 

「郎」とは何だったのかについては、もちろん「一族郎党」の郎であって、中国の古い官名であるとともに、「恋人や妻がパートナーである男子を呼ぶ呼称」であって、要するに大事な男子の総称である。

 

 そこで「郎」の代わりとして「男」「夫」「雄」も使われ、「生」とか、稀に「魚」の文字が当てられることもあった。男子であることを示す「男子マーカー」ないし「ジェンダー接尾辞」の基本形である。ジェンダー接尾辞のその後の発展については、後に詳しく辿ることにしたい。

 

 ワタクシの母方の伯父は「一夫」であるが、いったん「一夫」と名付けられたからには、その家庭を支えることに一生を捧げる運命になる。その類いのジェンダー感覚が、つい最近まで名付け行動に根強く絡まりついていた。

(9月29日、伊丹空港の「551 HORAI」にて「豚まん + 揚げ焼きそばセット」をいただく。本文とは100%無関係でございます 1)

 

【2】 形容詞・形容動詞・動詞1文字系の全盛

 昭和初期のナンバー系隆盛期に、ほぼこれと並行して「形容詞1文字系」の大流行があった。ワタクシもその片棒を担いでいる「ひろし」であるが、宏・広・弘・博・寛・浩・大・煕・裕、ありとあらゆる漢字1文字で「ひろし」がクラス名簿の半分近くを占領していた気がする。

 

 きよし・たけし・やすし・たかし・まさし・ただし・あつし・さとし・ひとし。昭和初期から後半にかけて、プラス志向の形容詞1文字隊が日本全国を跋扈。それに「ゆたか」「あきら」の形容動詞系も加わった。

 

 プラス志向の「動詞1文字系」もほぼ同時期に大流行している。おさむ・つとむ・まなぶ・すすむ・とおる等の「コツコツ系」「勢い重視系」と、みのる・しげる等の「結果重視型」が多かった。「たける」みたいなやたらカッカしたヒトや、正反対に「ゆずる」というマコトに奥ゆかしい態度優先のヒトもいらっしゃった。

 

 いくら何でもさすがに「ねばる」「ゆでる」「ぬかる」「めくる」「おどる」はないだろうが、「ひかる」「かける」「あゆむ」など、21世紀になってから大流行している例もある。動詞系の流行は、まだまだ勢いがあり、今後どんな動作や態度が躍り出てくるか、予想はマコトに難しい。

 

 ワタクシの母方の叔父に「ゆたか」がいたが、もう1人の叔父は「しげる」である。兄弟3人が「ナンバー系」「形容動詞系」「動詞系」にキレイに分かれた。3人とも昭和最初期の生まれであって、いやはや、まるで名付けの標本のような家庭であった。

(9月29日、伊丹空港の「551 HORAI」にて「豚まん + 揚げ焼きそばセット」をいただく。本文とは100%無関係でございます 2)

 

【3】 ナンバー系とプラス志向1文字系の融合

 昭和中期から、ナンバー系とプラス志向1文字系の融合が流行した。

 

 健プラス一郎で「健一郎」、浩プラス二郎で「浩二郎」、潤一郎・慎太郎・裕次郎・純一郎・孝太郎・進次郎・真二郎・健三郎・拳四朗・周五郎・大五郎・潮五郎・金語楼、作家や政治家やタレントさんの名前をあげればキリがないが、ただのナンバー系もイヤ、1文字系も軽すぎてイヤ、するとこういう融合系が多くなる。

 

 しかしやっぱり「逆に重々しすぎて恥ずかしい」というヒトも登場して、ここから「郎」なり「朗」なりの男子ジェンダー接尾辞を省略しちゃおうという方向性が生まれる。この辺からやっと昭和中期に突入して、健一・周一・光一・研二・修二・浩二・謙三・悠三の時代がくる。

 

 しかし諸君、この時代から子だくさんの時代は終わりを告げ、また長男至上主義の家庭構成にも終焉が来て、もう一とか二とか三とか、そんなナンバーにこだわる必要がなくなった。

 

 昭和中期にはそこいら中に六郎や七郎や八郎がいて、ずらっと居並んだ丸刈り男子がタクアンとメザシと味噌汁だけの朝食を奪い合っていたし、テレビでは「春日八郎」というオジサマが、「別れの一本杉」「赤いランプの終列車」「お富さん」を熱唱していた。

 

 愚かしい兄弟ゲンカの絶えないそういう子だくさんを、祖父母も若い夫婦も理想と考え、兄弟ゲンカを目を細めて眺めていたが、今や子供はせいぜいで1人か2人。そういう家庭に1とか2とか、わざわざ出席番号みたいな数字を持ち込んでも余り意味を感じない。

 

 すると、例えば一の代わりに「市」、二の代わりに「次」「士」「治」「司」「史」「嗣」「志」、三の代わりに「光」「充」「満」「造」「蔵」、その種のプラス志向の文字を使ってもいいじゃないか。

 

 足利3代将軍は「義満」、徳川3代将軍は「家光」、ともに「みつ」がついている。3代であることと関連があるかどうかは、これもまたキチンと文献にあたっていただきたいが、「みつ」を「三」ではなく「満」や「光」の字で暗示する意図が存在した可能性は否定しきれない。

 

 すると昭和後期の名付け行動においても、信一の代わりに信市、浩二の代わりに「浩史」、義三じゃなくて義光、孝三じゃなくて孝充、ナンバーを明確に示す数字が、こんなふうに男子のお名前から次第に消滅していった。

(9月28日、兵庫県明石での大奮闘の後、大汗をぬぐいながら大阪に戻る新快速電車を待った。駅のホームから眺める明石城が美しかった。本文とは全く関係ございません)

 

【4】 プラス志向2文字連合の全盛

 こんな経過をたどって、1970年代から80年代まで、男子のお名前は「プラス志向2文字連合」の全盛を迎えるのである。例えば前出の「義光」は、名付ける者の願いによって前と後が入れ替わり、「光義」にもなりうる。孝充も「充孝」と入れ替えて「みつたか」。ナンバーの影響は微塵も残らない。

 

 こうして諸君、弘和と和弘、博貴と貴博、明正と正明、春隆と隆春、幸昌と昌幸、芳崇と祟芳、好孝と孝好、嘉隆と隆嘉、もう組み合わせは自由自在であって、現在40歳代半ばから50歳代の男子のお名前は、4音の2字熟語が圧倒的に多いはずだ。

 

【5】 男子マーカーの紆余曲折

 さて、ナンバー系の減少とともに目立たなくなっていた男子マーカーないしジェンダー接尾辞であるが、実は水面下で紆余曲折を続けていた。

 

 だって諸君、そうじゃないか。男子マーカーと言ふものは、はるか中世から面々と長い歴史を続けてきたのだ。そんなにカンタンに消滅したりはしない。

 

 近世なら、「右衛門」「左衛門」「兵衛」「之介」。近代になって「兵衛」は「平」や「兵」に変形し、「彦」「作」「吉」「太」「助」「介」「亮」が進出した。逸平・恭平・冬彦・駿作・由吉・浩太・涼介・大輔、日本文学全集の作家や登場人物には、この種の男子マーカー付のお名前が多数登場する。

 

 もちろん「郎」「男」「夫」「雄」など、かつてナンバー系隆盛の一役を担ったマーカーも活躍を続けたので、勝男・毅郎・文雄・静夫なんかも、和彦や幸吉や駿太や耕作や健介に負けずにクラス名簿を彩り続けた。

(2021夏の思ひ出:最終回。猛暑の京都迎賓館にて 1)

 

 そして20世紀終盤、こうしたジェンダー接尾辞の流行に大きな変化が起こる。まずやってきたのが、「や」と「き」と「ご」と「と」の大攻勢であった。

 

「や」は、漢字を当てれば「也」「哉」「矢」「弥」「彌」があって、あだち充「タッチ」ももちろん達也と和也の活躍で出来ている。文也・達哉・星哉・聖矢・誠弥、いやはや、響きもたいへんカッケーし、「ママ、どうして僕はセイヤなの?」「パパがクリスマスにコクってきたからよ、うふ♡」なんてのは、申しぶんないじゃないか。

 

「き」も、マコトに漢字が多彩。「樹」「喜」「基」「輝」「希」「起」「気」「生」「騎」「毅」と並べば、ワタクシみたいなヒロシなんか、どこか遠くにすっ飛ばされそうな勢いだ。ユウキとゲンキとダイキ、平成御三家の大活躍も、なるほどと頷ける。

 

 甲子園の出場選手のファーストネームを一覧するに、興毅・航輝・龍騎・涼樹・優希、こりゃやっぱり彦左衛門や太郎兵衛やヒロシやアツシの出る幕は全く感じられない。

 

「ご」は、男子マーカーとしては歴史も比較的長い。そもそもこれはナンバー系の「5」、五郎の5がスタートと思われる。しかし5は「伍」「吾」「悟」「呉」「梧」「児」などに姿を変え、大吾・健悟・秀悟・東伍など、ジェンダー接尾辞として機能することが多くなった。

 

「と」も、やっぱり歴史は長い。しかし近世近代においては「人」一辺倒だったのが、20世紀終盤以降これに「斗」「翔」「跳」「登」「途」「都」が加わって、一気にカッケー名前に変貌した。

 

 昔のハルトは、まあ晴人か治人あたりに限定されていたが、いまや春翔・晴翔・波留登・陽翔・春途・晴斗であって、ハルト以外にも和斗・龍翔・琉登が並び、さらに周斗・秀翔・球飛となると、シュートにキュート、野球やサッカーで大活躍して欲しいと願った父の願いがここに凝縮されることになる。

(2021夏の思ひ出:最終回。猛暑の京都迎賓館にて 2)

 

【6】 新しい男子マーカーの出現と発展

 新しい男子マーカーの出現と流行は、21世紀に入ると「ま」と「が」と「る」が中心になってくる。

 

 まあ、何しろ甲子園の高校野球を見ながら考えたことであるから、若干の偏りがあるのは確かであって、「たいが」がずいぶん多かったのは、おそらくそれだけ熱心なタイガースファンが多いせいでもあっただろう。

 

「る」についても「琉」の字の使用頻度が非常に高い傾向があった。今年17歳とか18歳とかになった男子の両親は、古くは豊見城や沖縄水産、最近なら興南や沖繩尚学の甲子園での大活躍を眺めながら大人になった世代。別に沖繩県民でなくても、「息子が野球をやるようになったら、あんなふうに活躍してほしい♡」という願いもあったのだろう。

 

 しかし諸君、今や新しい男子マーカーの流行は、圧倒的に「が」と「ま」に移行したようである。「が」は「河」「我」「雅」「芽」「賀」「峨」、「ま」は「馬」「真」「舞」「麻」「磨」「摩」「蒔」。やっぱりヒロシや大左衛門の出る幕はなさそうだ。

 

 さすがにまだ「魔」はほとんど見かけないが、かつて我が子を「悪魔ちゃん」と名付けようとした親についての大騒動も、今なら許される範疇に入ってくるかもしれない。

 

 こうしておそらく甲子園だけでなく、ラグビーもサッカーもバレーもバスケもテニスも、龍雅と大我、拓磨と和真、憧馬と涼舞と斗真が切磋琢磨しあう場になっていくだろう。

 

 よく考えないで名前の流行を眺めていると、ふと「キラキラネーム♡大流行」という言葉が口を衝いて出るのかもしれないが、諸君、以上の歴史を大局的に眺めれば、実はこれら美しい名前の大発生は、「プラス志向の1文字 + 男子ジェンダー接尾辞」と言ふ、ごくごく基本的な構造の範疇を出ていないことになる。

(2021夏の思ひ出:最終回。猛暑の京都迎賓館にて 3)

 

次回目次

1.    女子マーカー・ジェンダー接尾辞の変遷

2.    マーカーの融合からネームジェンダーの融合

3.    近未来のファーストネーム

 

1E(Cd) KremerMOZARTVIOLINKONZERTE Nos.  & 

2E(Cd) JandóMOZARTCOMPLETE PIANO CONCERTOS vol.2

3E(Cd) The BeatlesA HARD DAY’S NIGHT

4E(Cd) The BeatlesBEATLES FOR SALE

7D(DMv) ALVAREZ KELLY

10D(DPl) 能:金春流 実盛(桜間道雄 森茂好)/ 金春流 葵上(桜間金太郎 宝生新)

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