Mon 210927 秋シリーズ始まる/登場人物のお名前っ♡/ファーストネームの流行 4100回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 210927 秋シリーズ始まる/登場人物のお名前っ♡/ファーストネームの流行 4100回

「秋冬スケジュール」をここに公開しないうちに秋もすっかり深まって、昨夜の東京は最低気温が18℃。遥か南の海上に「大型で非常に強い台風」がトグロを巻いている。なかなか不穏な空模様だ。

 

 週末のワタクシは、ほぼ1ヶ月半ぶりの公開授業があって、北陸・富山に出張してきた。土曜日の夕方に富山に着いて、せっかくの富山だから旨いものをたっぷり貪ってこようと考えていたが、予定していた居酒屋で「予約で満員でございます」と、目一杯すげなく断られてしまった。

 

 仕方なく駅ビルの中の一番人気のないお店に闖入。お隣の「白えび亭」も、反対側のお隣の回転寿司も外に列ができているのに、ワタクシが闖入した居酒屋は超ガーラガラ。最初から最後まで、今井君以外のお客はダーレもいなかった。人気のなさでここまで際立つのも珍しい。

   (なおなお夏の思ひ出:京都迎賓館のお食事会場)

 

 それでも諸君、今や富山では、お酒も好きなだけ注文できるのである。東京でお酒が注文できなくなってからすでに半年が経過。どれほど人気のないお店でも、店員さんに「生ビール!!」とニッコリできるのは限りなく嬉しかった。

 

 ただしワタクシは「生ビール!!」よりも「瓶ビール!!」が好きな変わり者。サッポロ黒ラベルを1本、あとは富山の地酒300mlを2本、他に誰もいないのだから感染の心配もほぼゼロの状況で、すでにワクチン接種2回目を終えて20日経過のサトイモは、ホントにホントに久方ぶりの居酒屋を独占&満喫した。

 

 いやはや、楽しい夕暮れが過ごせた。もちろん1人なんだからチョー黙食。他の客が1人もいない店で、もしも今井君がベラベラおしゃべりしていたら、それこそその状況をそのままYouTubeにアップしたいぐらいである。

 

 注文した料理は、ドジョウの唐揚げ・ブリのアラと大根の煮付け・牛スジの煮込み。いやはや、どれもこれも塩気が強すぎて、瓶ビールにはまあよく合うが、口がすぼまるほどに塩辛い。1時間ほどかけて頑張ってみたが、ブリだけはどうしても飲み込めなくなって、ほうほうのていでホテルの部屋に逃げ帰った。

(富山、ガーラガラの居酒屋で単独の完全黙食。左、ブリのアラと大根の煮込み。右、ドジョウの唐揚げ)

 

 その「ホテル」は、富山で定宿にしているANAクラウンプラザではなくて、今回は初めて「ダイワロイネットホテル」と言ふものを試してみることにした。静岡県沼津や福島県郡山でこのチェーンは体験済みであるが、富山では初体験である。

 

 どうしてこの選択をしたかというに、富山のANAクラウンプラザの微妙な距離感がその理由。富山駅から徒歩15分。タクシーに乗るには近すぎるが、雨でも降ったらスーツも靴もぐしょぐしょになる。

 

 しかもコロナ発生以来、ANAクラウンプラザホテルのエントランスにタクシーが並ばなくなった。まあ富山では一番の高級ホテルだが、もしも帰りに土砂降りにでもなったら、北陸の秋の雷雨の中を15分、トボトボ歩いて駅に向かうことになる。

 

 フロント付近に「タクシーをご利用の方は必ず予約してください」の貼り紙があるが、降るか降らないか分からない雨のために、歩けばたった15分の距離で「タクシーを予約」だなんて、そんな横柄なことは臆病なサトイモには出来ない相談だ。

 

 しかも諸君、2ヶ月前の7月30日、夏シリーズでも富山に出張したワタクシは、ANAクラウンプラザのお風呂に浸かっていて、下水から吹き上げてくる異臭に悩まされた。年甲斐もなく神経質なヤツであるが、やっぱり夏のお風呂ぐらい、一切の不快なしに入りたいじゃないか。

 (なおなお夏の思ひ出:京都迎賓館、庭のお池の眺め 1)

 

 そこで今回は思い切って、富山駅前のダイワロイネットと言ふ世界を体験。ここはお風呂とトイレが完全に別になっていて、下水からの臭気と言ふ恐るべきものに悩まされる可能性は低い。駅からは、徒歩1分。1階にセブンイレブンがあり、朝食は同じ1階の回転寿司屋でふるまわれる。

 

 しかし、ここもまたビミョー。贅沢を言うつもりはないが、いやはや狭かった。「コーナーツインのシングルユース」ではあるのだが、部屋面積のほとんどがエントランスとベッドルームを結ぶ通路であって、テレビとデスクとベッドの間のわずかな空間をサトイモの大きな肉体が移動するたびに、必ず肉体のどこかをしたたか打ちつけるのである。

 

 部屋のテレビでお相撲を見て、新横綱・照ノ富士のお手本のような活躍と言動に感涙。土俵入りもまさに模範的であって、しっかりメリハリのきいた豪快な土俵入りは、おそらく日馬富士以来の出来ばえ。「こりゃ白鵬の居場所がなくなっちゃったな」と思っていたら、案の定、ウルトラ横綱・白鵬はあっさり引退の意向を発表してしまった。

 

 富山での公開授業は、翌26日日曜日、午前11時半にスタートの予定。深夜、午前2時ごろから富山では重苦しい雷鳴が轟き、激しい雨も降り出した。天気予報では「北陸から東海にかけて強い寒気が入り込み、大気の状態が非常に不安定」とのこと。いやはや迷惑なカミナリ様である。

 

 そのまま雷鳴を聴きながら、午前5時まで眠らずにいろいろ考え事をしていた。パラリンピックのこと、ナイジェリア女子バスケチームのこと、コロナ感染者数の動向のこと、甲子園出場選手のキラキラネームのこと。考えることは山ほどあって、スヤスヤおネンネなどという気持ちには、とてもなれなかった。

 (なおなお夏の思ひ出:京都迎賓館の庭のお池の眺め 2)


 ファーストネームの変遷は、日本だけではなく海外でもずいぶん激しいようだ。例えば欧米女子のファーストネーム、21世紀初期には母音「a」で終わる名前が席巻していて、Samantha・Julia・AmandaAlexaJessica、おそらくラテン系の影響だが、英米の女子も「a」で終わる名前が激増した。

 

 しかし諸君、TOKYO2020の出場選手を見る限り、SamanthaAmandaJessicaも余り見かけない。目立ったのが、Ashley。もちろん今井君が見た競技に偏りがあったのかもしれないが、次から次へと登場するAshleyに「あれれ、なぜ突然Ashleyが?」の驚きを禁じ得なかった。

 

 ワタクシは、欧米社会でのコミュニケーションにおけるファーストネームの重要性を痛感するのである。コミュニケーションは、相手のファーストネームをしっかり記憶し、しっかりファーストネームで呼び合うことが基本。それが出来なければ、スムーズなコミュニケーションは望み薄だ。

 

 バイデン氏との激烈な討論会で、トランプどんは相手に対して終始「Joe」「Joe」「Joe」と呼びかけた。一方のバイデン氏は相手から目を背けて、完全に聴衆の側に視線を向け、相手を右手で指差しながら「This man」「This guy」という表現を使い続けた。

 

 つまり、相手とのコミュニケーションを「拒絶した」または「あきらめた」「無理です♨︎」いう姿勢を示すには、ファーストネームを呼ばなければいいのである。

 

 あれほどの悪役&暴れん坊でもアメリカ国民の約半分がDonaldを熱く愛し続けたのは、目も合わせずに「This guy」と冷たく指さされても、憎むべきJoeを「Joe♡」と呼んで、熱いコミュニケーションを続ける人間臭さゆえである。

 

 もちろんそれを「作戦」「戦術」と見てもいいが、作戦や戦術として成立すること自体、ファーストネームを口にしながら相手とじっと目を合わせる重要性の揺るぎない証拠になるはずだ。

(なおなお夏の思ひ出:京都迎賓館にて。人間ワザとは思えない精巧な美に驚嘆する)

 

 だから諸君、今井君は参考書を書く時でもファーストネームには物凄く気を使う。もう10年も昔、「今井の英文法教室」を書いていた時、出版部の編集担当者がビックリするほどファーストネームにこだわった。

 

 PenelopeAlexaJeremiahを文法問題に登場させたら、「もう少し普通の名前でいいんじゃないですか?」と指摘されたが、「だって雑誌記事によれば、いまアメリカで一番流行しているのはその辺の名前なんですよ」と言って、頑として譲らなかった。

 

 ところが諸君、日本の英語教育では、「ファーストネームなんかどうでもいい」「そんなの枝葉末節だ」と考えられているらしい。センター試験でも共通テストでも、登場人物のファーストネームに世界の流行を考えた形跡なんかちっとも見当たらない。

 

 26日、まだ降り止まない雨の中、ホテルまで迎えにきてくれたスタッフとともに会場の「富山県民会館」に10時半に到着。今日の出席者160名は、高校受験を控えた中3生とその保護者である。控え室で早速、富山県2021年の高校入試問題を見せてもらった。

 

 いやはや、思わず噴き出したのであるが、やっぱりここでも登場人物のファーストネームに関する考慮なんか、全くなされていないのだ。とりあえずリスニング問題に目を通したが、おそらく問題作成者の世代が昭和中期生まれなのだろう。「登場人物のお名前っ」がそれを如実に反映していた。

 

 だって諸君、女子は「ユミコ」「ヨーコ」「ミナコ」。男子は「あきら」「Jim」「Tom」なのだ。「子」のつく女子が激減したと言われてすでに半世紀。クラスの名簿にユミコ・ユキコ・カズコ・アキコ・ノリコ・トモコ・サチコ・ジュンコが満載だったのは、おそらく昭和50年代までだ。

 

 ということは、今ワタクシの目の前にズラリと居並んだ中3生にとっては、これは母や父の世代を飛び越えて、祖父母の時代の流行だ。母親たちだって、クミ・ユミ・ナオ・ミホ・ミカ・ミキ・サキ・ミサキ・ユカ・ミドリの時代に、とっくに突入していたはずだ。

 

 80年代生まれの父親たちも、「ヒロシ」「ツトム」「マナブ」の一文字時代から「タカヒロ」「ヒロタカ」「マサユキ」「ユキマサ」の2文字時代に移行が完了。一世を風靡したヒロシが、地平線の彼方で影が薄くなりかけた時代の申し子たちのはずだ。

 (9月26日午前10時半、会場の「富山県民会館」に到着)

 

 誤解されては困るから言っておくが、21世紀でももちろんユミコ・ユキコ・ヨーコ・アキラ、みんな素晴らしいお名前だ。しかし現在の15歳世代を、ホンの少しでも時代のリアリティを反映したシチュエーション設定の英語に導こうと思ったら、枝葉末節に思えるところまでしっかり工夫すべきなんじゃないか。

 

 というか、枝葉末節だからこそ、問題作成者や教材作成者やら教師やらの本気度が透けて見えるのだ。「名前なんかどうでもいい」とすれば、じゃあ逆にサッサと名前を流行に合わせて、生徒諸君にリアリティを感じてもらえるように工夫を凝らせばいい。10分もかからないカンタンな作業さえ怠る人が、マジメに仕事に取り組んでいるとは思えない。

 

 ワタクシは、人形浄瑠璃・文楽を見続けてすでに40年。心中天網島は「小春&治兵衛」、曽根崎心中は「お初&徳兵衛」、冥途の飛脚は「梅川&忠兵衛」、他にも「お染&久松」「お半&長右衛門」「貫一&お宮」、日本近世の文学は、常にファーストネームで人口に膾炙してきた。

 

 ファーストネームを枝葉末節と呼ぶのは、深いコミュニケーションの軽視と拒絶の証左にすぎないのだ。そういうわけで諸君、次回の記事では、20世紀から21世紀にかけての日本の男子&女子のファーストネームの変遷について、ちょっと詳細に考察してみたいのである。

 

1E(Cd) JandóMOZARTCOMPLETE PIANO CONCERTOS vol.1

2E(Cd) Shelly Manne & His FriendsMY FAIR LADY

3E(Cd) Duke Ellington THE ELLINGTON SUITES

4E(Cd) Bill Evans TrioWALTZ FOR DEBBY

7D(DMv) GLI SPECIALISTI

10D(DPl) 喜多流 頼政(喜多六平太 森茂好)/ 喜多流 弱法師(友枝喜久夫 松本謙三)

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