Fri 210924 マラソンにケニア選手がいない現実/相手チームへの大喝采が理想 4099回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 210924 マラソンにケニア選手がいない現実/相手チームへの大喝采が理想 4099回

 オリンピックとパラリンピックの谷間の8月、ワタクシは当然のように甲子園の高校野球を眺めていた。2018年の金足農旋風を、1990年代から予備校の全授業で予言していたワタクシだ、あんまり興味はなかったが、見ればまた何らかのインスピレーションが得られるかもしれないと思った。

 

 思えば諸君、あんなに盛り上がったパラリンピックだって、ごくごく冷静に考えれば、心の底から悲しくならざるを得ない状況は少なくなかった。

 

 だって、「マラソンなのにケニア選手が見当たらない」「陸上の長距離なのに、ケニアもエチオピアも選手が1人も見当たらない」というのは、やっぱり激しい違和感があった。

 

 オリンピックと比較すると、パラリンピックはどうしても先進国対抗戦の趣きが強くなりすぎるのだ。特に団体競技は、どの競技でも欧米と北東アジアの対抗戦だらけだった。

 

 目立つのは、ドイツ・カナダ・フランス・イギリス・アメリカ・オーストラリア・日本。スペイン・スイス・デンマーク。あとは前回リオデジャネイロ大会の遺産を生かしたブラジルと、アフリカ代表みたいな形で南アフリカ。やっぱりケニアとエチオピアの影は薄かった。

(いまだに夏の思ひ出:京都御所そばの「とらや」テラス席でかき氷。蚊取り線香の強烈なカホリに悩まされた)

 

 そのへんが、ワクチンの分配と同じで甚だ不平等なのかもしれない。チームの選手全員の車椅子を揃え、メンテナンスを繰り返し、競技場の確保とメンテナンスをするにも、どうしてもたいへんなオカネがかかる。選手と関係者がどんなに熱意をもって取り組んでも、平等な戦いにするのはマコトに困難だ。

 

 ワタクシは、夢見るのである。パラリンピックのマラソンでも、オリンピックと全く同じようにケニアとエチオピアの代表選手が先頭集団を逞しく引っ張っていくレースが見たい。もちろん日本選手の活躍は素晴らしいが、パラリンピックがもっともっと平等に戦われるようになってほしい。

 

 応援もそうだ。もしも小中学校の児童&生徒がパラスポーツの応援に行くなら、決して自国選手の応援一辺倒になってほしくない。応援の生徒を50%&50%に正確に分け、どんなに自国選手を応援したい生徒が多くても、先生を中心にしっかり生徒に語り聞かせ、開催国の相手方になってしまったチームの選手たちに、夢中で熱く平等な声援を送ってほしい。

(いまだに夏の思ひ出:京都・西本願寺南側「坂安」でハモ料理を満喫。そのお隣がこの豆餅屋さんだった)

 

 実はワタクシは、民放テレビ主催のバレーボール大会を嫌悪するのである。要するに8チャンネルというかフジテレビ系列であるが、せっかくの世界大会に丸い地球の反対側から外国チームを呼び寄せておいて、贔屓の引き倒しというか何というか、大音量の「ニッポン♡チャチャチャ!!!」をやりすぎると思うのだ。

 

 体育館の密閉空間でスピーカーを大音量に設定し、DJふうの実況中継を館内で流しっぱなしにする。観客は全員スティックバルーンを打ち鳴らし、味方のアタック成功だけならともかく、相手チームのミスにも数千数万のスティックが大歓声とともに激しく打ち鳴らされる。

 

 相手チームはというに、イタリア・ブラジル・ドミニカ、どこもみんな強豪国とは言え、地球の裏側から15時間もかけて日本にやって来てくれた好敵手ばかりである。大音量のDJふう実況中継では完全に敵視され、拍手も歓声も全て日本チームに集中、自分たちのミスに会場全体が大喝采、そりゃやっぱり悲しすぎるんじゃないか。

(いまだに夏の思ひ出:真夏の京都御所。セミ時雨が激しかった)

 

 話がパラスポーツになると、ワタクシの涙腺はさらに緩くなって、自国チーム一辺倒の応援だけはどうしても見たくない。テレビの実況中継が自国に傾きすぎると、相手が可哀想で&可哀想で、思わず音量をゼロにして、こっそり外国選手に歓声をあげるのである。

 

 NHKみたいな極めてセンスのいい放送局でも、録画した実況中継を冷静に眺めてみると、水泳でもバスケでもテニスでも、実は民放と択ぶところがない。一方的な自国優先の絶叫を繰り返していたのである。

 

 もちろん、国民としての感情からして明らかに致し方ないのだが、世界中からリキッドタイプのδバチ(スミマセン、前回の続きです)の大災害を冒して集まってくれたパラアスリートを迎えるのに、準国営放送としてやっぱり贔屓の引き倒しとしか思えない中継が多くはなかったか。

 

 もしワタクシが教師として小・中学生の応援団を会場に連れて行くとしたら、2ヶ月ぐらい前からしっかり&ジックリ子供たちに語り聞かせる。そうじゃなきゃ、遠来の選手たちに失礼じゃないか。少なくとも、「敵」ではなくて「相手」。せめてそのぐらいは徹底したい。

 

 相手方を応援することになった50%の生徒たちには、連日たっぷり相手国の研究を促し、その国の音楽を聴かせ、テレビのドラマやバラエティやCMを見せる。現地の絵本や童話を取り寄せて、現地のコトバで聴かせたい。そのぐらい、スマホ1つでカンタンに出来そうじゃないか。

 

「相手国が好きで好きでたまらない」

「大きくなったらその国駐在の外交官になりたい」

「もし医師になったら、その国の医療の発展に尽くしたい」

そんなふうに堂々と発言するようになってから、意気揚々と競技場に引率したい。

(いまだに夏の思ひ出:入るつもりのなかった京都迎賓館。完全な貸切状況で1時間、外国要人の気分を満喫した)

 

 そのあたりが、TOKYO♡2020で実現できたかどうか。何しろ無観客だったのだから何とも言えないけれども、もしも国立競技場に満員の観客が入っていたら、はるか地球の反対側からやってきたパラアスリートに、平等に熱い声援を送ることができたかどうか、甚だ心許ないのである。

 

 いや、もちろんこれはキレイゴトだ。甲子園の高校野球でも、プロ野球でもJリーグでもW杯予選でも、応援はいつでも圧倒的に地元ビイキ。「アウェイでやられたことをそのままホームでやり返す」が基本なのだろうが、キレイゴト優先の今井君は、開催側のそういう意識がやりきれないのである。

 

 それどころか、

「アウェイでされたからこそ、ホームでは絶対にやりかえさない」

「アウェイでされたことを反面教師にして、50%♡50%の応援を意地でもキープする」

「その正々堂々こそ我々のやりかただ」

と豪語する方が、圧倒的にカッケーなじゃないか。

(いまだに夏の思ひ出:京都迎賓館。相手チームの選手たちも、このぐらいの厚遇でお迎えしたい)

 

 例えば諸君、オリンピック女子バスケで強豪ナイジェリアが活躍。予選リーグ・グループBで日本は、ナイジェリアを103 - 82、圧倒的な100点ゲームで撃破、ベスト8に進出した。実況アナも解説者もほぼ絶叫に近い声援を日本チームに送り続けた。ナイジェリアはグループ最下位で敗退したのである。

 

 しかし、考えてみてくれたまえ。相手は「ナイジェリア女子」である。ナイジェリアは、いまだに「ボコ・ハラム」が隠然と力を維持して、理不尽な活動を続けている。

 

 女子高等教育全般は彼らの中では公然と否定され、女子中高生が集団で安全にスポーツに取り組むなどということが許容される状況にはない。放課後にみんなで体育館に残り、1人か2人のコーチについて「暗くなるまで練習」なんてのは、おそらくたいへんな危険を伴うはずである。

 

 もちろんナイジェリア代表の選手たちは、アメリカ在住とかフランス在住とか、極めて恵まれた環境で生活している人が少なくないだろうとは思う。

 

 しかしその辺の報道はほとんどない、祖国を離れてどんなに苦労して練習してきたか、報道は全く見当たらない。8月の第1週、日本チームの銀メダルに熱い涙が止まらなかったけれども、敗退して帰っていくナイジェリアの選手たち1人1人の表情も、もっともっと画面に大映しにしてほしかった

 

 ま、以上がワタクシのキレイゴト。では甲子園の高校野球はどうか。いやはや、以上の話とは完全に別次元の深い感慨に、8月中旬の今井君は深々と浸っていた。どういう感慨かは次回の記事で詳説するが、何とワタクシの脳細胞は「キラキラネームの成り立ち」を探求していたのである。

 

1E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.3

2E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.4

3E(Cd) MenuhinBRAHMSSEXTET FOR STRINGS No.1 & No.2

4E(Cd) BaumannMOZARTTHE  HORN CONCERTOS

7D(DMv) CON AIR

10D(DPl) 能:観世流/隅田川(梅若六郎 宝生弥一)

total m31 y822  dd26662