Tue 210816 三たび放置5日間/文房具屋とバスケ女子の思ひ出/京都の日々 4093回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 210816 三たび放置5日間/文房具屋とバスケ女子の思ひ出/京都の日々 4093回

 小学生の頃はボールペンが大好きで、一週間に1本はボールペンを消費した。むかしむかしは「わら半紙」と言ふ古風なものがあって、1枚0.5円。ワンランク高級な白い「西洋紙」は1枚1円だったから、0.5円のわら半紙の方が圧倒的にお得だった。親たちは「戦中&戦後派」だから、「50銭のわら半紙」と呼んでいた。

 

 と言っても、別に親たちの時代の戦争の話をするわけではない。小学生の今井君は、ブルーか黒かグリーンの一番安いボールペンを毎週1本買って、わら半紙を相手に数学の勉強に励んだのである。算数ではなくて数学。4歳上の姉上の教科書やら問題集やらを横取りして、中学数学の学習に勤しんだ。

 

 ついでだから、英語の教科書やら問題集やらも横取りして、小5までには中学英語と中学数学をほぼ学習し終えた。旺文社と言ふ会社から「中学数学事典」という1000ページもあるチョー分厚い参考書が出ていて、それも知らない間に横取りしていた。

(京都・河原町三条「魁力屋」のラーメン「全部のせ」。ネギも好きなだけ増量できる)

 

 むかしむかしの中学数学の範囲には三角比どころか三角関数まで入っていたし、英語は中3で仮定法までやっていた時代だった。地元の新聞に「中学生の勉強室」という名のコーナーがあって、英語と数学と国語、1週間に各科目2回ずつ、地元の先生が解説記事を書いていた。

 

「中学生の勉強室」にはラジオでの解説まで付いていた。毎日30分、中学校のセンセがラジオ出演して解説してくれる。みんな秋田県人のセンセだから、ラジオから聞こえる数学や英語の解説は激しい秋田訛りであるが、秋田訛りでも十分に聞き応えがあった。

 

 思えば、あれがラジオ講座の先駆け。「大学受験ラジオ講座」と言えば、1970年代から80年代に一世を風靡した文化放送&旺文社の記念碑的番組であるが、やがてそれが代々木ゼミナールのサテラインや、今の我々の収録授業全盛に繋がった。

(京都・河原町三条「魁力屋」にて。もちろんこの後スープもチャーハンも完食する)

 

 小学生の今井君はそんなふうにして、1枚50銭のわら半紙と1本50円のBicのボールペンを相手に、せっかくの幼い日々を浪費してしまった。今になってオリンピックに夢中になりながら、「もっと本気で野球をやっておけばよかった」と後悔しきりなのである。

 

 バスケ女子の大活躍はもう1週間も前のことになるが、マチダ選手のあまりに変幻自在、あまりにスピーディーな動きに感激しながら、小学校の同級生モンママミ(仮名)のことを思い出していたのである。

 

 小学生時代に入り浸っていたのは、金子書店と文房具屋5軒である。秋田市立土崎小学校から徒歩5分のところに「金子書店」があって、今ではもう看板しか残っていないが、金子書店で買い集めた文庫本がいまだにワタクシの書棚の一角を占めている。

 

 文房具屋5軒とは、

 小学校の目の前の「柴英」

 小学校脇の5差路を渡った所の「おきなや」

 そこから5軒先、パチンコ屋「さざなみホール」の隣の「モンマ」

 お寺の並ぶ「山道通り」で本屋も兼ねる「石彦」

 本来は紙問屋、今も残っているコーノヤ(正式には幸野屋)

いやはや、我ながらこの記憶力は何なんだ?

(京都三条、人形司「小刀屋 忠兵衛」。祇園祭の山と鉾がズラリと並んでいる)

 

 今井君が最も多くの時間を過ごしたのは、一番便利な①「柴英」であるが、何しろやたら頻繁に「50銭のわら半紙」と50円のボールペンを買いに訪れるから、どこの文房具屋でも今井君を記憶していて、店に入るとすぐに店のオバサマがわら半紙を手にして「今日は何枚?」と尋ねてくれた。100枚買っても50円、全て表も裏も使うのである。

 

 バスケ女子の活躍を見ながら思い出したモンママミ(仮名)は、③「モンマ」のご親戚である。小学生の時代からとにかくバスケが得意で、中学時代のバスケ部での活躍は、ワタクシなどから見れば一言「天才的」というしかなかった。

 

 3年生までは同級生だったが、4年生のクラス替えで今井君は4年1組、モンマは4年2組。そこから卒業までクラス替えはなかったし、中学校に進んでからもモンママミ(仮名)とクラスメイトになることはなかった。

 

 小学校内で球技大会なんかがあると、モンマ1人を止めるのに3人かかっても4人かかってもムリ。「5年2組と対戦」と決まった瞬間、担任の木内センセ(仮名)は「モンマ!!」「モンマ!!」と2回、大きな声で叫んだものだった。Momma Mami(仮名)。確かに(仮名)ではあるが、Mの字を5つも連ねたM×5の部分はホンマなのである。

(大好きなウナギの銀座「にょろ助」、京都本店を河原町三条で発見。看板には「葱屋平吉と併記されている」)

 

 要するにワタクシとは別種の人間なのだ。今井君は完全に野球タイプ。自分の打順が巡ってくるまではベンチで大人しくしていて、やっと打順が回ってくる1試合4打席か5打席以外は「ファイト♡」だの「ドンマイ♡」だの、大して意味のない大声を出していればいい。

 

 自分の守っているセカンドに打球が飛んでくるのも、1試合せいぜい10回程度。あとはファーストベースカバーとか、セカンドベースカバーとか、たまにピッチャーに「思い切ってストライク投げろよ」「打たせて取ればいいじゃん」とか、つまらないことを言いに行って、ポンと背中を叩いたりする。そういうのが好きなのだ。

 

 一方のバスケとなると、試合中は常に「自分の舞台」。あんなに活躍の舞台が続いて、しかもモンマ(仮名)みたいなスター選手になれば、活躍の舞台が途切れることはない。モンマ(仮名)は常にオールコートを最大出力で走り回っていた。「要するに人種が違うんだな」という古すぎるコトバが、思わず口をついてでたりした。

 

 高校以降のモンマ(仮名)がどうなったか、全く情報はない。小学校3年までの同級生、中学校までスポーツの天才、そこでピッタリ情報は途切れている。情報の「じょ」の字もない。  

 (7月18日の京都歌舞練場。あの頃はまだ人出も多かった)

 

 それがマコトに不思議なことに、2021年の女子バスケ銀を食い入るように見つめながら、ふと「文具のモンマにモンマ(仮名)という天才がいたな」と記憶が蘇り、懐かしい金子書店の情景や、「柴英」「コーノヤ」「石彦」の店内の、それぞれ独特の文房具屋のニオイも蘇り、店先で金魚も売っていた「おきなや」のオジサマの笑顔まで蘇る。

 

 何しろ昨年に続いて、今年もコロナで外に出られない。2005年以来15年も続けてきた1年平均70日の外国旅行は、今の様子では2022年も諦めなきゃいけない雰囲気だ。

 

 まあそのぶん、テレビでスポーツ観戦をしては過去へ、しかも小学生時代とか中学生時代とか、そういう呆れるほど古臭い過去へ、後戻りしてみるのも悪くない。

 

 わら半紙は手元になくても、ボールペンなら引き出しに山ほど入っている。数年前までのミスコピーの裏紙だって、段ボール箱に半分は残っている。またボールペンでネロネロ、三角関数とかベクトルとか微分に積分とか、むかしむかしの数学の復習でもやってみますかね。

 

1E(Cd) Billy WootenTHE WOODEN GLASS  Recorded live

2E(Cd) Kenny WheelerGNU HIGH

3E(Cd) Jan GarbarekIN PRAISE OF DREAMS

4E(Cd) Bill Evans & Jim HallINTERMODULATION

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