Wed 210714 広島にて/萩焼を買いに萩を訪問/萩焼の徳利で父と日本酒一升 4086回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 210714 広島にて/萩焼を買いに萩を訪問/萩焼の徳利で父と日本酒一升 4086回

 今日の午後、広島に着いた。広島県呉市で19時半から仕事があって、仕事の前には広島駅の人気店「電光石火」でドデカイお好み焼きを貪ってきた。

 

 選んだメニューは「ラブレター」。スタンダードなメニュー「電光石火」に、牡蠣とイカとブタとエビをたっぷり加えて、さらに目玉焼きまで乗っかっている。さすがに1650円、スタンダード版より600円も高いだけのことはある。旨かった。ただ、これのどこがラブレターなのか、よく分からない。

       (萩で萩焼を買ってきた 1)

 

 そのお好み焼きの詳細や写真はまた後日に譲るとして、今日の記事では「なぜ7月5日の今井が山口県の萩を訪ねたのか」、そのタネ明かしをキチンとしておかなければならない。

 

 ワタクシは別に吉田松陰ファンでも久坂玄瑞ファンでも高杉晋作ファンでもない。薩長同盟とか坂本龍馬あたりの話は、あと100年ぐらい経過しなければ、評価するのは時期尚早だと思っている。中学生の頃から判官びいきのワタクシは、幕末史ではむしろ徳川方のほうが好きなのだ。

       (萩で萩焼を買ってきた 2)

 

 では、梅雨末期の不穏な黒雲を眺めながら、なぜ博多からはるばる萩まで旅したのか。「アンノン族の末裔」と判断されるのも癪だから、この際スパッと白状してしまえば、20歳の頃から今井君は「萩焼」が大好き。萩焼の湯呑みと徳利とコーヒー茶碗を、一度に買い揃えたいと思ったのである。

 

 21世紀の東京がどんなに便利になっても、その便利さには限界があって、「萩焼の湯呑みと徳利がほしいな」と思い立っても、滅多なことでは欲しいものは手に入らない。萩焼が欲しかったら、新幹線と高速バスで梅雨末期の不吉な曇天をかいくぐり、人っ子ひとり見当たらない寂しい萩まで行くしかないのである。

 

 実は6月末のワタクシ、東京駅八重洲口の外資系ホテルでアフタヌーン「チー」を楽しもうとしてたいへんイヤな目に遭った。その直後、近くの大丸と高島屋、日本を代表する百貨店2軒の焼き物売り場をのぞいてみた。

 

 いやはや、大丸で3ケ、高島屋で5ケ。たったそれだけしか萩焼を置いていない事実に驚嘆した。中途半端な湯呑みと、中途半端なメオト茶碗。そんなの買うのは絶対にイヤだから、スケジュール表とニラメッコの末、博多にいるうちに「どうしても萩を訪問しよう」と決意した。

       (萩で萩焼を買ってきた 3)

 

 お茶でもコーヒーでもお酒でも、味の半分は器で決まる。コーヒーや紅茶を内側が黒い茶碗で飲むと、自分がいま何を飲んでいるのかさえ忘れてしまう。

 

 器あってのコーヒー、器あっての紅茶、飲み物の繊細な色あいを楽しみながらでなければ、朝のコーヒーも、午後の紅茶も、晩飯の後の緑茶も、もちろん日本酒だって、あんまり美味しくない。

 

 ワタクシの萩焼好きは、20歳を過ぎた頃から始まった。大学3年の秋、何かの用事で帰省して、父ときりたんぽ鍋を貪りながら日本酒を一升、1時間ちょいで空っぽにした。酒豪の父と酒豪の息子、ずいぶん頻繁に一緒に酒を飲んだものだが、1時間ちょいで一升のペースは、さすがにあの時ぐらいである。

 

 きりたんぽ鍋を作ったのは母である。今井君より母が30歳年上、父は32歳年上だから、あの時の今井君が21歳だったとすれば、母51歳、父53歳。おやおや、あの時は「もうすっかりジーサン&バーサン」と思っていたが、実年齢はまだまだずいぶん若かったのである。

       (萩で萩焼を買ってきた 4)

 

「息子と酒を酌みかわしたい」「娘と居酒屋のカウンターでじっくり語り合いたい」みたいなのは、お父さんなら世界中どこでも同じ思いなのだろうが、若き今井君はその意味ではずいぶん親孝行をした。父の晩酌にはほぼ例外なく付き合ったし、一緒に居酒屋で泥酔もした。

 

 しかし「一番旨かった酒はいつだったか?」と尋ねられれば、間違いなくあの晩きりたんぽ鍋をはさんで飲みほした日本酒一升である。1合半入る大ぶりの萩焼の徳利が2本あって、母が次から次へとお燗して運んで来ても、それでも間に合わないペースだった。

 

 盃も、もちろん萩焼。淡いピンクの色合いがキレイで、酔いがまわるうちに父と二人、萩焼の美しさを口を揃えて激賞した。「この徳利で飲むと旨いな」「この盃で飲むと旨いな」と同じことを何度も繰り返しながら、53歳のオヤジと21歳の息子は、51歳の母の作ったきりたんぽ鍋もあっという間に空っぽにした。

       (萩で萩焼を買ってきた 5)

 

 その後、両親は湯呑みも萩焼で揃えたようである。ワタクシも同じ湯呑みでキレイな緑茶を何度も飲んだ。せっかく就職した電通をサッサとやめて両親をガッカリさせた頃も、徳利も盃も湯呑みもみんなあの萩焼だった。

 

 あれが今どこにあるのか、分からない。1997年に父が亡くなり、2011年の東北の大震災の時に、仙台に移転していた実家の陶器&瀬戸物類はほとんどみんな割れてしまった。だから、最後に懐かしい萩焼の湯呑みや徳利を見たのは、はるかなはるかな昔のことである。

 

 今回の萩への旅は、「またああいう萩焼の徳利と盃で日本酒を楽しみたいな」と思ったのがきっかけ。2009年秋、ダブリン&エジンバラの旅で買ったヒツジの絵柄のカップも、今年の春に割れてしまったから、ついでにカップも萩焼で揃えたかった。

 (萩焼を手に入れたあたり。歴史的建築物が並ぶ)

 

 萩に到着したのが、正午過ぎ。何度も繰り返すようだが「人っ子ひとり見当たらない萩の町」をさまよい歩くうちに、梅雨の生ぬるい雨が降り始めて、無理をして萩を訪れた自らの決断をションボリ反省したりした。

 

 おいしく冷えた和菓子を店先で立ち食いして時間を潰しても雨は止まず、別のオウチの軒下を借りて長々と雨宿りしても、やっぱり雨は止まない。そのオウチのオバサマが見かねてビニール傘を貸してくれた頃、やっと雨が弱まって西の空から日が差してきた。

 

 こうしてようやく、萩焼の店が10軒あまり立ち並ぶ一角に出た。しかしほとんどの店が休業中。確かにこのコロナの渦真っただ中。外国人観光客はおろか、日本人の観光客もほぼ皆無である。ツアーバスで中国&韓国の団体がワンサと押しかけていた時代は夢か幻か、もうはるかかなたに去ってしまった。

(萩焼 昭雲堂。徳利も湯呑みもカップも全てここで手に入れた)

 

 それでも数軒ほど店を開けていた中から、ワタクシが選択したのは「昭雲堂」。店のオジサマが丁寧に説明してくれて、まずは「どうしてもこれ」という湯呑みが1つ見つかった。

 

 それを丁寧に木箱に包んでもらっている間に、勝手にお店の中を歩き回っていたら、今度は「どうしてもこれ」という徳利&盃セットを偶然に発見。「どうしてもこれです」とオジサマに告げると、オジサマはびっくりして「その徳利は、湯呑みと同じ作家さんの作品ですよ」と教えてくれた。

 

 要するに、やっぱり人間の好みとはそういうものなのである。湯呑みと徳利&盃、2つはまったく別々の場所に置かれていたのに、気がつくと2つを気に入って選択してしまう。

 

 ただし、この段階ではまだ他の店も見てみたかったから、徳利セットの購入は保留。とりあえず湯呑みだけ手に入れて、雨が上がって急激に気温が上昇しはじめた萩の町を、ホクホク上機嫌で歩き始めた。

 

1E(Cd) J.S.BACHSILVIACantata Opera in 3 Acts1/2

2E(Cd) J.S.BACHSILVIACantata Opera in 3 Acts2/2

3E(Cd) Münchinger & Stuttgart ChamberBACHMUSICAL OFFERING

4E(Cd) Jochum & ConcertgebouwBACHJOHANNES-PASSION 1/2

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