Mon 210712 出張続きの10日間/お相撲とテニスとアンノン族/萩に向かう 4085回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 210712 出張続きの10日間/お相撲とテニスとアンノン族/萩に向かう 4085回

 この10日間はずっと出張続きで、岐阜・小倉・西宮・伊丹・千葉・尼崎と続き、今夜は首都圏に帰って、横浜で公開授業が予定されている。「横浜」というのは実は見栄を張ったのであって、正確には「二俣川」という奥まった住宅地であるが、昨年に続いて二俣川の某私立高校で講演会を企画していただいた。

 

 これほど忙しく駆け回っていても、ホテルの部屋に戻って缶ビールを3本4本と立て続けに空っぽにするうちに、どんどん元気が蘇ってくる。校舎によってはお酒をお土産に持たせてくれるところもある。

 

「懇親会も祝勝会も自粛になっていますから、これをホテルで召し上がってください」とニッコリされれば、お土産ぐらいありがたく受け取るのもまた礼儀である。それが高価なワインであれば何が何でもお断りするが、ほどよい日本酒1本ぐらいなら、タクシーの前で押し問答を繰り広げる必要はない。

 

 昨日の尼崎では、一升瓶を1本いただいた。尼崎の公開授業については近い将来の記事で詳細を述べるが、とにかくいただいた日本酒を一升、後生大事にホテルに持ち帰った。タクシーの運転手さんも後ろ姿でニヤニヤ、「今晩はお酒が美味しそうですね」と、楽しげにホテルまで送ってくれた。

  (福岡に宿泊したついでに、山口県・萩を目指す)

 

 昨日の宿泊は大阪のウェスティンホテル。先月からインターコンチに2泊、リッツカールトンに4泊、ウェスティンに1泊、大阪駅周辺の高級ホテルを自由自在にホッピングしているが、まあそのぐらいの贅沢は許してくれたまえ。それに見合った仕事ぶりは、チャンと発揮しているつもりでいる。

 

 連日連夜こうして幸せな夜を迎え、この10日間はずっとウィンブルドンに夢中になっていた。男子も女子も準々決勝からほとんど全試合を眺めた。決勝は、もう観客を100%入れている。コロナ観戦拡大中だが、ほとんどの人がマスクなしで大歓声をあげていた。

 

 ワタクシのテニス観戦歴は、びっくりするほど長い。ラグビーでもサッカーでも、野球でもバレーボールでもお相撲でも、みんな小学校3年生の頃から観戦を続けている。

 

 だから、現時点でコーチとか監督とか解説者とか、もう白髪で頭が真っ白なオジサマたちが若手現役選手だった頃のことも、みんな知っている。驚くなかれ諸君、相撲解説で今や大人気の北の富士サンの現役時代を、ちゃんと目撃しているのである。

   (新山口駅前で、不思議なオブジェを発見する)

 

 21世紀のお相撲は、何だかずいぶん厳しい世界になって、両手をしっかり土俵に着いてからじゃないと立ち会いが成立しない。それどころか行司さんに厳しく叱られ、土俵下の審判たちに叱られ、観客もブーイングに近い唸り声をマスクの下から浴びせることになっている。

 

 しかし諸君、20世紀の後半までは、立ち会いは今よりはるかにルーズだった。「土俵に両手をついて」どころか、ほとんど中腰のまま、お互いにホンのちょっと腰をかがめただけで、いきなり両者の突っ張りあいや取っ組みあいが始まった。

 

 いま土俵下で難しい顔をしている審判員だって、すました顔で喋っている解説者だって、力士時代にはほとんどみんな中腰で済ませていた。大鵬とか柏戸とか北の湖とか輪島とか、昭和の名横綱の相撲をYouTubeで眺めてみたまえ。律儀に2人で両手なんかついているお相撲は、ほとんど皆無と言っていい。

(萩、萩港付近。萩港からは、離島行きの船が3ルート存在する)

 

 さてウィンブルドンであるが、男子はイケメンの若手が次から次へと出現、しばらく観戦を怠けている間に、どんどん世代交代が進んでいた。

 

 ベスト4まで進んでポーランドのフルカッチに注目。そのフルカッチを破って決勝進出を果たしたベレッティーニに注目、準決勝でジョコビッチどんを苦しめたサウスポーのシャポバロフに注目。みんな悔しくなるほどのイケメン揃いだ。

 

 しかし諸君、ワタクシが一番嬉しかったのは、懐かしいイワニセビッチとの遭遇だ。イワニセビッチは、現在ジョコビッチのコーチ。2001年のウィンブルドンで優勝、ものすごいサーブが武器で、サービスゲームはほとんどみんなサービスエース。「ありゃ、テニスというよりサーブ合戦だわな」と、彼の全盛期にはワタクシはテニス観戦を怠けていた。

 

 動画を探していたら、1992年のイワニセビッチ vs アガシ戦が見つかった。若き今井君が気に入っていたテニス選手はアガシ、それ以前はエドバーグ、もっと昔はジミー・コナーズ。2セット取られてから3セット取り返す不屈の闘志には見応えがあった。

 

 そのイワニセビッチも現在50歳。オヒゲはすっかり白髪だらけで、おやおやすっかり中年のオジサマだ。会場にはエドバーグの姿もあった。いやはや、こっちもすっかり高級オジサマ。昔は「貴公子」と呼ばれるほどの超イケメンだったが、スーツの似合う高級オジサマぶりもまたマコトに素晴らしい。

(東萩駅風景。「東萩」と書いて、もちろん「ひがし・はぎ」である)

 

 7月5日、福岡に宿泊していたワタクシは「せっかくだ、萩に行ってこよう」と決意した。萩は、あまりに遠い。山陰本線の列車なんかに乗り込んだら、丸一日かかっても辿り着けそうにない。

 

 しかし博多からなら新山口まで新幹線で40分、新山口から高速バス「スーパーはぎ」に乗って1時間、乗り継ぎさえうまくやれば、片道2時間の旅である。出張の合間の小旅行にはちょうどいい。

 

 萩は、かつてはアンノン族のメッカだった。雑誌「anan」と「non-no」が1970年代から盛んに旅行企画を掲載、全国の小京都を紹介し、70年代&80年代、記事に魅せられた読者の女性たちが小京都に押し寄せた。

 

 名付けて「an + non族」。小樽・函館・角館・清里・飛騨高山・白川郷・金沢・萩・津和野。「全日空スカイホリデー」などのパッケージも出現、各地の空港で「ビッグスニーカー号」という恐るべきネーミングのバスが待ち受けていて、彼女たちを小京都にせっせと運び続けた

 

 ananのほうは誰も間違えないが、non-noは「ノンノ」なのに「のんのん」、無理解な昔のオヤジはみんな「のんのん」だと勘違いしていた。今井君にとって「のんのん」は、かつて馴染みだった御茶ノ水・山の上ホテルのバー「のんのん」であるが、まあ諸君、せめて雑誌名ぐらいキチンと記憶しようじゃないか。

  (萩の風景。この付近で、冷たい和菓子を立ち食いした)

 

 さて萩であるが、別に今井君はアンノン族ではないし、アンノン族自体すでにほぼ死語であり、昭和の思い出として語られるだけである。というか、20歳代だった彼女たちがそのまま40年の歳月を過ごし、年齢を重ねて今や高級オバサマに成長した。

 

 すると今や彼女たちは、萩や津和野ではなくパリを目指し、パリに飽きてニースとベネチアへ、やがてモナコとカンヌとエズにも飽きて、オンフールとかカルカソンヌとかビアリッツとか、どんどんフランスの小パリに向かうのである。

 

 だから、萩は閑散としている。アンノン族もいないし、高級オバサマもいない。というか、人っ子ひとりいない。東萩駅前にタクシーが1台、同じバスを降りたオバサマ3人組、それ以外ホントに人っ子ひとり見かけない。動くものは、数台の軽乗用車のみ。かつての栄光の面影は残っていない。

 

 それでは諸君、どうしてこんな閑散とした小京都に、スーパー多忙な夏の今井君があえてやってたきのか。深い深いその理由については、マコトに残念なことに次回の記事で、詳細を明らかにしたいと考える。

 

1E(Cd) AZERBAIJAN Traditional Music

2E(Cd) PrestonBACHORGELWERKE 4/6

3E(Cd) PrestonBACHORGELWERKE 5/6

4E(Cd) PrestonBACHORGELWERKE 6/6

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