Mon 210614 思索1単位に適正な時間/ナマか映像か17(ウィーン滞在記30)4073回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 210614 思索1単位に適正な時間/ナマか映像か17(ウィーン滞在記30)4073回

 その辺こそ(スミマセン、ずーっと前回の続きです)「最初から出来あがった板書を画面に示してはダメだよん」とベテラン今井が力説する理由なのだ。90分の尺に入らない。どうしても120分かかってしまう、その悩みを解決するためには、「事前に出来あがった板書」を提示したくなるだろうが、いやはや、その陥穽はあまりに深いのである。

 

「論理的思考力」などという極太ヤジルシに生徒を乗せてやるというのは、ここまで説いてきた通り、あまりに乱暴で傲慢で不遜な発想である。そもそも先生、先生自身だってまだその「論理的思考力」、身についていないんじゃあーりませんか?

 

 自家薬籠中のものにしていない高価なクスリで生徒諸君を導こうなんて、そりゃあんまり強引すぎる。生身の人間がAIなみの極太な論理的思考力を身につけ、しかもそれを他者に伝えるのには、もっともっと長い修業が必要だ。

 

 ワタクシは、教師や講師が学生諸君に伝達できるのは、思考力ではなくて思索力だと考える。思索は思考と違って、直線的なものではない。言わば面的なもの、空間的なものであって、思索空間には「停滞」「逆流」「澱み」「停止」「堂々巡り」など、いかにも人間的な温かで豊かな緩みを許容する余地がある。

 

 伴走者としての教師は、未熟な自分の思索のプロセスを生徒にさらけ出しながら、時には生徒の笑いを誘い、場合によっては「先生の思索には停滞がある」「逆流だ」「方向が逆だ」などの嘲笑までをも耐えながら、誠実に真摯に授業を進めてゆくのだ。

(ウィーンの名物レストラン「Zwölf Apostelkeller」風景 1)

 

 そういう授業において、最も頼り甲斐のあるアイテムが板書であって、だからこそ、最初の板書はまっさらである必要がある。まっさらの黒板が、少しずつ文字や図やグラフや年表で埋められていくプロセスは、そのまま教師の思索のありさまを示している。

 

 たとえそれが「ブラウン運動」と揶揄されるものであっても、生徒は教師とともに90分、誠実な思索の末に上流から中流へ、下流から河口域へ、極太ベクトルではなく、たっぷりの時間と試行錯誤を経ながら運ばれていくのである。

 

 そういうのは、文学でも演劇でも音楽でも同じことで、筆者や俳優や作曲者や演奏者が、乱暴に粗雑に一気に結論に運んだんじゃ、読む者にも聞く者にも何の感動も感激もないし、生徒には成長などありえない。停滞と逆流をふんだんに含むからこそ、演劇も授業も深い感激を呼ぶのである。

 

 板書はしたがって、仔細に眺めた時にはむしろ試行錯誤を含むものであって然るべきだ。90分が経過して板書が完成し、あるいは3時間の演劇が終わって悲劇の舞台に英雄たちの屍体が累々と重なる時、極太ヤジルシとは別次元のクオリティの成長があるはずなのだ。

(ウィーンの名物レストラン「Zwölf Apostelkeller」風景 2)

 

 では、「完全スタジオ収録タイプ」の授業ではどうか。同時ナマ中継タイプの緊張感と臨場感を保持して制作するならいいが、やっぱり問題なのはパーツ組み立て方式。パーフェクトな10分動画をレンガみたいに組み立てて製作する方式の作り方である。

 

 せっかく大河の例を使い続けているので、ここでもドナウ河の旅を例にして論じたい。ドイツの黒い森:シュバルツバルトを水源に、我々のナマ授業ないし同時ナマ中継系の授業なら、激しく蛇行して悠然と進む大河の水の色、水質や周囲の風景の漸進的変化を全て感じながら、深く濃厚な思索の旅を続けることになる。

(ウィーンの名物レストラン「Zwölf Apostelkeller」風景 3)

 

 これに対して、パーツ組み立て方式はどうか。すでにパーフェクトに組み上がったパーツやらピースやらを眺めつつ、生徒諸君は流域の町をツギハギに眺めていくだけになる。

 

 要するに、はとバスコース。またはトラピックスやクラブツーリズムのツアー旅行だ。「はい、パッサウです。はい、ウィーンです。次はブラチスラバで、お次はブダペスト、ベオグラードを過ぎれば、いよいよ黒海の河口が迫ってきました」。そういうパッチワークを経験するにすぎない。

 

 そんな旅では、教師が伴走者の役割が果たしたとは言えないのだ。極太ヤジルシに乗って一直線なんかじゃ、豊かな旅をしたことにならない。パッチワークの飛び飛び体験で、大河の深みや広がりを感じることはない。

 

 水が温く澱んで汚れながら下流に向かうプロセスも分からない。底に澱んだ古い水の腐臭も感じることはない。つまり生徒たちは、思索とは異質な紙芝居で90分、講師の退屈しのぎに付き合うだけのこと。ナマアクビを我慢するのも難しい。

(ウィーンの名物レストラン「Zwölf Apostelkeller」風景 4)

 

 思考にも思索にも、そのスケールに応じて適切な時間のサイズというものがある。3分のスケールの問題には3分、90分のスケールの問題には90分、1年のスケールの問題には、1年たっぷりかけて深く濃くじっくり思索するのが相応しい。

 

 だから、シェイクスピアの悲劇には3時間、近松門左衛門の浄瑠璃にも3時間。芥川龍之介の短編を朗読するのには60分だが、学部の卒業論文には丸1年が必要だ。

 

 思考と思索のスケールと時間の関係は、思いもよらないほどピッタリ一致するので、テレビのクイズ番組のクイズは1分のスケールが精一杯だから1分、小学生に要求される思索のスケールが45分だったのに、中学ではそれがホンの少々拡大されるから、授業時間も5分だけ延長される。

 

 高校の授業で必要な思考スケールは50分。だから授業時間も50分。しかし大学入試から学部卒業までの教室空間で要求される思索のスケールは、80分から90分に拡大される。

 

 だから授業も90分、入試の制限時間も90分。授業時間と試験時間の一致は、実は教師や生徒の疲労や集中力の限界を考慮したものではなくて、その年齢で要求される思索スケールの必然的拡大を反映しているのである。

 

 学部の卒論は1年。だからゼミに入って専門研究の真似事をするのも1年。修士課程の論文は2年スケールの思索だから2年、ドクターコースの思索は3年。こういうスケール感は必然的なもの。制度設計に伴う偶然の産物ではないのだ。

 

 やがて学部や修士や博士過程を修了し、思考者または思索者として独立し、自らの思索に責任を持つようになれば、思索1単位あたりに与えられる時間は無限ないし無際限になる。

(ウィーンの名物レストラン「Zwölf Apostelkeller」風景 5)

 

 この「思索1単位」という発想を大事にしてほしいのだ。クイズ番組の思索1単位は1分。小学生で30分から45分、中高生で50分、大学受験生から学部生で90分、学部4年で1年、修士で2年、博士で3年、そこから先は無際限。そう考えて古代メソポタミアから10000年弱、人類は何故か思索のスケールを、知らず識らずにそんなふうに規定してきた。

 

 その辺のバランス感覚は、文明の縦軸を眺めても横軸を眺めても、面白いほど一致している。演劇でも音楽でも文学でもそう。仏教寺院でもイスラムのモスクでもキリスト教会でも、年齢と学問と信仰の進度と深度とに応じて、びっくりするぐらい共通性の高い思索の単位を設定している。

 

 ま、これ以上難しいオハナシは、シロート今井の立ち入るべきレベルではない。今井レベルで言えることだけボンと言っておこう。

 

 大学入試で要求される思索1単位は、21世紀初頭の状況では80分から100分。だからどの大学入試を見ても、制限時間は80分から100分。これを逸脱した設定はマコトに珍しい。だからわれわれ予備校講師の授業収録も90分、一気に1本が相応しい。

 

 それに対して「10分動画のパーツ組み立て方式」で育成できる思索力は、どうしてもバラバラの10分が限度。「サクサク勉強できる」と言いながら、実は思索1単位をバラバラに切り刻んで、要求されている「90分の思索力」を全て台無しにしている。だから当然、そんなのをいくら受講しても、ちっとも学力や思索力はつかない。

(ウィーンの名物レストラン「Zwölf Apostelkeller」風景 6)

 

 この長広舌、まだまだ続く予定。いよいよ大学の授業にも言及していきたいのであるが、とりあえず予備校での授業についてまとめておくと、「ナマか映像か」の決着は2021年現在、すでにあまりにも明らか、映像の圧倒的優勢は今後も変わる気配はない。

 

 しかし現在、ナマの逆襲が始まっている。ナマの逆襲のきっかけを与えてしまったのは、映像側のワガママないしナルシスタイプなセンセの大量出現。臨場感や緊張感を捨ててパーツを磨きすぎ、シャープでカッケー自分の能力や魅力を優先しようとした結果と思われる。

 

 状況を観察するに、少なくとも今後10年にわたって、ナマの激しい逆襲は続きそうだ。6月と7月のワタクシは、すでに示した通りの激烈なスケジュールでナマの全国行脚を続けるが、映像サイドの超ベテランとして、ナマの魅力を忘れずにいるには、これはどうしても必要な仕事なのである。

 

 ワタクシはこれからも、同時ナマ中継の緊張感と臨場感を忘れずに収録を続けたい。たとえ足のつま先から血を流し続けてでも、表情を一切変えずに90分、全ての一気に&一回で収録完了に導きたいのである。

 

1E(Cd) Rachel PodgerTELEMANN12 FANTASIES FOR SOLO VIOLON

2E(Cd) SirinuSTUART AGE MUSIC

3E(Cd) James IngramALWAYS YOU

4E(Cd) Art BlakeyMOANIN’

7D(DMv) THE RIVER WILD

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