Mon 210607 アソート化の陥穽/制作と製作/サプリよりメシ/ナマか映像か13/4069回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 210607 アソート化の陥穽/制作と製作/サプリよりメシ/ナマか映像か13/4069回

 こういうふうに(スミマセン、前回の続きです)、「90分ではどうしても足りない」「90分では語りつくせない」、あるいはナルシス度がもうワンランク高い場合には「90分じゃ、ボクの魅力が出し切れない」と、講師の不満はどこまでも高まっていく。

 

 そこで強引に「ボクの授業だけ120分にしてください」と、事態を強行突破しようとするオカタさえ出現するのであるが、そんなことはさすがに予備校の世界でだって軽々には許可されない。というか、そういう丸出しナルシス君からは生徒がどんどん離れていく。

 

  そこで悩み苦しんだセンセは、「90分を細分化して収録」「90分を10分ずつ9つに分けて収録し、それをレンガのように積み上げて1つの授業を製作する」という方法に傾き始める。

 

 10分収録しては10分休み、また10分収録しては10分休み、90分授業を丸1日かけて大事に&大事に収録するわけだ。この手法だと、ホントに90分の収録にまるまる1日かかる。しかし「ボクの魅力を100%」「いやいや意地でも1000%」という熱意を実現するには、丸1日だって足りないぐらいだ。

 

90分を一気に」では時間のマネージが困難でも、10分ずつの小さなレンガに分解すれば、1つ1つが11分ずつかかってしまったとしても、はみ出た部分を切り取ったり、削ったり、場合によっては省略したり後回しにしたりすれば、とりあえず合計90分の授業を製作するのは容易になる。

 (明治神宮で遭遇した盆栽展にて。樹齢400年と言えば、大坂夏の陣のころから生きている大先輩の松である)

 

 授業の駄菓子アソート化というか、レンガ組み立て方式というか、小さな部分部分を1つずつ作っていって、出来上がった1つ1つのピースを都合よくまとめあげれば、いかにも見ばえのいいパズル作品が製作できるじゃないか。この場合、今井君はあえて「制作」ではなく「製作」という漢字を用いる。

 

「制作」と「製作」の違いについては、ぜひ国語の専門家に尋ねてほしいところだが、ごくカンタンに区別をつければ、アーティスト系が「制作」、エンジニア系が「製作」であって、部分部分を綿密に組み立てるのが製作、マクロな全体を不可分のものと見なして一気に作り上げるのが制作である。

 

 今井君は90分授業をつねに不可分のものと考え、ナマ授業でも同時ナマ中継でもスタジオ収録でも、この90分をピースに分解してアソート化することはしない。授業とはアーティストとしての制作であって、そこに臨場感が生まれ、生徒諸君とどこまでも臨場感を共有してピッタリ90分を満喫するのである。

(明治神宮で遭遇した盆栽展にて。これは樹齢250年。いやはや享保の改革のころ、暴れん坊将軍の時代から生きていらっしゃる) 

 

 しかし「よりパーフェクトなものを製作したい」「部分部分まで全てカンペキなピースに磨き上げたい」「ボクはいつでも100%♡」という真っ赤な熱意と欲望と誤解に憑かれれば、たとえ10分ごとのピースに分けてでも、自信たっぷりの職人ワザを見せつけたくなるのである。

 

「制作」と「製作」、どちらが優れているとは、とりあえずここではまだ述べないことにする。ワタクシは「製作サイドの欲望にこそ、大きな陥穽が潜んでいる」と考えるのであるが、ボクのピースを磨き上げる職人ワザへの執念も、まだこの段階では否定したくないのである。

(6月4日17時、明治神宮の上空には怪しい黒雲がわいていた)

 

  例えば英語の「仮定法」を講義するとする、今井君がいったんスタジオに入れば、90分をマコトに巧みにマネージしながら、ナマの教室と完全に同じ臨場感をもって授業を進め、90分が経過して講師も生徒諸君も疲れ切ったまさにその瞬間に、仮定法で話すべきことは全て語って、生徒とともにチャイムを聞く。

 

 一方のピース組み立て職人派は、90分を10のピースに分けるのである。まず最初の10分で「仮定法過去」、次の10分を「仮定法過去完了」。さらに「as if」に10分、「I wish」に10分、「It is time」に10分、そうやって言わば「10分動画」をコマゴマと完成させ、最後にボクのピースを組み立てる。

 

 10分ごとに講師もスタッフも一息入れ、語り合い、改善点が見つかればその都度「じゃあもう一回、今の10分を撮り直しますか」などということにもなる。

 

 これはまさにYouTubersの皆さまの「10分動画」と同じことであり、そういう10分動画を大量に作って安価で提供する新興勢力やら新規参入業者も増えた。

(明治神宮の盆栽展、ぜひ見にきてくんろ。生まれて200年クラスの大先輩がズラリと並んでいらっしゃる) 

 

 だから、ピース組み立て方式というか、アソート詰め合わせタイプというか、今井のような「一気に90分」の臨場感をあえて捨象する動きというのは、時代を先取りしていたのかも知れない。ピース&ピースの完璧さという側面では、おそらく「製作」という態度の方が目指しやすいのではあるまいか。

 

 それをそのまま長文読解の授業にも取り入れるセンセも登場する。80行ある典型的な長文読解問題を、パラグラフごとに分解して、第1段落に10分、第2段落に10分、設問1に5分、設問2に5分、第3段落に進んでここでも10分、そういうふうにバラバラにして解説のピースを作り、最後に1つに組み立てる。

 

 なかなか合理的なやり方であって、見た目にも「丁寧に作っていらっしゃる」の一言。あんまり丁寧すぎて、たった1問の収録に丸1日かかってもまだ不満というヒトも少なくないだろう。

 

 朝10時にみんなが集まって、収録終了が午後6時、今はコロナで無理だが、「じゃ、飲みに行きますか?」という感激の場面まで1コマしか収録が終わっていないなどというセンセだって、KにもYにもSにもたくさんいらっしゃるはずだ。そういうワガママなボクチンたちの執念の職人ワザ、とりあえず喝采の対象と言っておきたい。

(銀座→新橋→赤坂→六本木→千駄ヶ谷→明治神宮と歩いて3時間・15km、疲労困憊の今井君は参宮橋から小田急線の各駅停車に乗ってオウチに帰った)

 

 では何故それを「陥穽」と呼ぶのか、いよいよその解説に移りたい。ごくカンタンにいえば、「いくらレンガを積み重ねても、単純な壁は作れても、荘厳な建築物にはならない」ということである。駄菓子のアソートはあくまでアソート、袋菓子にはなっても、豪華なコース料理や懐石料理にはなれない。

 

 同じような比喩はナンボでもできるので、(今回のオリンピックをやるかやらないかは全くの別問題としても)、個別の競技会をバラバラに33競技積み上げても、1つのオリンピックの感動や感激には遠く及ばない。というか、要するに世界が全く別なのである。

 

「アソート」「詰め合わせ」の代表格は、何と言っても新聞である。朝日新聞でも毎日新聞でも、1日の朝刊に含まれる文字数は、明らかに文庫本1冊を凌駕する。では新聞に隅から隅まで目を通せば、1冊の本をキチンと通読した感激や進歩が得られるかといえば、やっぱり全くの別次元のシロモノなのだ。

 

「情報系のワイドショー」を例にあげてもいい。土曜日のお昼、2時間かけてワイドショーを眺めれば、新デートスポット・話題のスイーツ・おすすめレストラン・注目の雑貨屋・果ては不動産価格情報まで、マコトに多彩な情報の詰め合わせになっているが、同じ2時間を上質な映画1本見て得られる経験とは、やっぱり完全に異質である。

 

「サプリメントをいくらたくさんのんでも、たっぷりの朝食夕食には勝てない」「サプリなんかじゃダメなんだ、チャンとしたメシをモリモリ腹いっぱい食いたまえ」と言えば、今井君が何を言いたいのか邪推する人も出てくるだろうが、要するに「10分のピースを9つ積み重ねても、90分継続する思索力はつかない」ということなのである。

 

1E(Cd) The Scholars baroque EnsemblePURCELLTHE FAIRY QUEEN 1/2

2E(Cd) The Scholars baroque EnsemblePURCELLTHE FAIRY QUEEN 2/2

3E(Cd) The BeatlesPLEASE PLEASE ME

4E(Cd) LET’S GROOVE 

7D(DMv) JANE EYRE

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