Sun 210523 ナマか映像か2/ナマ授業で健闘した日々/増田師(仮名)の記憶 4057回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 210523 ナマか映像か2/ナマ授業で健闘した日々/増田師(仮名)の記憶 4057回

 もう世の中は完全に「ようつべ」全盛時代。別に講師としての実績や人気がなくても、やる気と積極性さえあればどんなセンセでも、YouTubersの一員として映像授業に参戦することができる。この30年、延々と続いた「ナマ授業 vs 映像授業」の論争は、2021年現在、ほぼ決着がついた。映像派の圧勝と言っていい。

 

 ワタクシ今井君は、1991年にこの激戦の真っただ中に参入。今や大ベテランというよりすでに長老格、いや長老のレベルを超えて「語り部」の資格さえありそうだ。前回の記事から始めた「ナマか、映像か」を、10回ぐらいのシリーズ物として、ここに書いていこうと考える。

(18歳浪人生なのに、人生で4冊目に読破した英語の小説。いきさつは、以下の通り)

 

「語り部として、しみじみ語るべ♡」ということであるが、30年も前に新人講師として大教室の授業を任された頃は、ナマ授業以外は眼中にない。今井君の場合は異業種からの中途参入だから、「果たして自分で教材をこなせるかどうか」さえ定かではなかった。

 

 サテラインだのサテライブだの、そんな晴れ舞台は遥か彼方のこと、雲の上のスター講師の仕事であって、まずは目の前の150名ないし200名全員に集中、何としてでもこちらを向かせることに夢中の数年ないし十数年が続く。

 

 ただ、要するに才能があったわけであって♡、今井君の場合は「数年」を「数ヶ月」に短縮できた。初年度の駿台で、まずは埼玉・大宮校の夏期講習単科講座が全て超満員。今はなき旧校舎の21教室は、350名収容の大教室だったが、「グレードアップ私大英語」というタイトルの2クラスが、申込当日に満員締め切りになった。

 

 1990年代の駿台は、圧倒的に国立大志望の生徒が多かったから、「私大英語」のタイトルで生徒を集めるのは困難。しかも担当講師イマイは新人で、パンフレットに顔写真さえ紹介されていない。それで合計700人分が即日満員になれば、教務課の人々が色めき立つのは当たり前だ。

  (もともと古本屋で購入。しかも太古の昔の購入だ 1)

 

 しかし、その程度では「映像授業に抜擢」などということにはならない。当時の映像授業は「本部のナマ授業を、衛星を使って日本全国に同時ナマ中継」という形式が中心。駿台なら御茶ノ水本校、代ゼミなら代々木本校、選りすぐりのスター講師の授業を、札幌・名古屋・京都・大阪・福岡の校舎に同時ナマ中継したのである。

 

 だからまず、本部校舎で圧倒的な人気を博するしか、映像授業進出の機会はない。新人講師が「御茶ノ水の本部校舎で授業」なんてのは異例中の異例だが、とりあえずそれを栄光の座と考えて、日々の精進に励むしかなかった。

 

 今もワタクシの同僚であるが、この業界に進出したのもほぼ同時、河合塾と駿台で頭角を現したのもほぼ同時という古文のセンセがいらっしゃって、一応ここでは名前を伏せておくが、彼はあっという間に「サテネット21」に抜擢された。出たがりの今井君なんかは羨ましくてならなかったけれども、指をくわえて眺めているしかなかった。

  (もともと古本屋で購入。しかも太古の昔の購入だ 2)

 

「大教室でのナマ授業」というのは、講師として甚だストレスの溜まる仕事である。30人か40人の小さな教室で、1人1人の生徒にビシビシ当てながら進めるタイプなら、生徒たちにも緊張感があるだろうが、教室内には300名、全員ほぼ匿名の存在であって、「気に入らなければ翌週から出席しない」という選択も自由なのだ。

 

 だから、4月に満員だった教室も、5月下旬にはガラガラになるのが一般的。「雲の上の存在」のはずの有名講師でも、夏を過ぎれば教室に半分も生徒は残っていない。チューターとかフェローとか、講師ではないが日々の指導に励む若いアドバイザーが、「気に入らない授業は切っちゃえ」などと平気で指導するのである。

(裏表紙に「古書誠実売買 東京泰文社」のシールが。神保町のこの店、まだ残っているだろうか)

 

 ワタクシ自身が生徒として駿台に通っていた頃、英語担当の増田師(仮名)というセンセがいた。見るからに「本職は大学の語学教員」「オカネのために予備校でも授業をやってます」という雰囲気をプンプン漂わせる50歳代のオジサマだった。

 

 当時は予備校のテキストもマコトに杜撰だから、英米の小説の一節をテキトーに引用して授業テキストにしちゃうようなことも珍しくなかった。大学教員が本職なら、その大学の授業で使用している小説をそのまま予備校に持ち込めば、確かにセンセも楽チンだ。

 

 増田師が使用したのは「GOODBYE TO BERLIN」の一節。作者はC.Isherwoodという人であるが、それこそ大学1年か2年の語学の授業で使われそうな小説文である。ワタクシは全くの偶然で、神田神保町の古本屋で原書を発見、受験生なのに受験勉強もせず、夏休みに1冊読みきってしまった。

 

 周囲の駿台生たちは、「こんなの読んで役に立つの?」と4月当初から疑念でいっぱい。それでも4月の授業は超満員、マコトに不機嫌に始まった増田師の「訳すだけ」の授業を、「まあこんなものなのかねぇ」と、30分ほどみんなで我慢した。

    (いやはや、懐かしいペーパーバックだ)

 

 しかし諸君、30分が経過したあたりで、増田師がいきなり怒り出したのである。ずっと不機嫌な低い声で和訳し続けていたのに、誰か1人の生徒が居眠りをしたか何かで、どす黒い顔に怒りをみなぎらせて「だからボクはこんなところで授業なんかしたくないんだ」とおっしゃった。

 

 予備校というところはマコトに恐ろしい場所で、翌週の木曜日、増田師(仮名)の2回目の授業には、3名しか残っていなかった。200名いたのに、そのうちの197名は「出席しない」という選択をした。ただ出席しないのではなくて、みんな外の廊下に集まり、ガラガラの教室を指差して50分、延々とせせら笑った。

 

 その後のことは記憶にないが、予備校講師として駿台に舞い戻ってからも、今井君の心の中には、あの増田師の苦悩の面影がギュッと残っている。だって諸君、3人が2人へ、2人が1人に減っても、教室はまるまる1年、その授業のために当てられるのである。

 

 ついでだから、その15年後に模試制作の仕事が回ってきた時、「GOODBYE TO BERLIN」の一節を、原形が全く残らないように思い切り現代風の脚本に書き換え、会話長文の問題を1問作ってみたりした。そうやってしみじみ読んでみれば、なかなか味のある小説だったのである。

 

1E(Cd) Jarvi  GoteborgGRIEGPEER GYNT 1/2

2E(Cd) Jarvi  GoteborgGRIEGPEER GYNT 2/2

3E(Cd) Lanchbery & The PhilharmoniaMUSIC OF KETELBEY

4E(Cd) Lazarev & BolshoiKHACHATURIANORCHESTRAL WORKS

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