Fri 210521 ナマか映像か1/バー「のんのん」で(ウィーン滞在記19) 4056回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 210521 ナマか映像か1/バー「のんのん」で(ウィーン滞在記19) 4056回

 朝の予備校の講師室で、講師室担当のオネーサマが「お飲み物は何になさいますか?」と質問したのに、「ナマ!!」と元気に答えたヤンチャな先生がいた。「ナマ!!」「ナマがいい!!」「ナマないの?」とたたみかけて、ガハハハと豪快に爆笑してみせた。他の講師たちもみんな笑い転げた。1997年夏の出来事である。

 

 その講師がいったい誰か、別にここに名前をハッキリ書かなくても、元代ゼミ生とか予備校関係者なら、ほぼ100%察しがつくだろう。今井君は駿台から代ゼミに移籍してまだ半年の頃。いちおう「英語四天王」の1人に出世していたが、まだまだあくまで大人しく腰を低くして、講師たちの話の輪にもあまり加わらないようにしていた。

 

 もちろんあの朝の「ナマ!!」はどこまでも冗談であって、当のセンセは自分で笑い転げたあげく、普通のお茶と月見そばを注文した。「朝から講師室でお蕎麦?」というのも、当時のワタクシとしては開いた口が塞がらない驚きの対象だったが、まもなくそのお蕎麦が届き、朝9時前の講師室は蕎麦のカホリで満たされた。

   (ウィーンの動物園で、ナマのコアラと遭遇 1)

 

 思えば、素晴らしく楽しい時代だった。まさかあの20年後に、代ゼミの経営が立ち行かなくなって「ほぼ全校舎で募集停止」なんてことになるとは思いも寄らなかった。1年の受験勉強を代ゼミに託す浪人生が、全国に10万人以上も存在していた時代である。

 

 日本人はそのぐらい「ナマ!!」が好きなのだ。缶ビールだって、ほぼ全ての缶に「生」の文字がある。熱処理しない限り「生」の文字が許されるから、まあそんなに生じゃなくても「生」を名乗る。そこで誰もが「生」を選び、仕事が終われば「とりあえずナマ!!」と絶叫して丸1日の憂さを晴らした。

 

 もっとも、かくいう今井君は「ナマ」にこだわらない。何でもかんでもナマだなんて、この梅雨の時期、何だか生臭くないか? 何だか危険を感じないか?

 

 もちろん今井もかつてはナマ大好き人間で、イカだのタコだのエビだのイワシだの、とにかく何でもナマで食いまくった。青森の駅前の寿司屋で「トドの刺身あります」「エゾシカの刺身あります」の看板を発見、早速トドとエゾシカをナマで貪った。

 

 博多・中洲の名店「河太郎」で、活イカを3バイ、その場でさばいてもらって全身を刺身で賞味した。店の人たちも狂喜乱舞、「こんな獰猛な人間は初めてだ」とお互いにつつき合っていた。

   (ウィーンの動物園で、ナマのコアラと遭遇 2)

 

 しかしさすがの今井君も歳をとってきたのか、「ナマ!!」が少し鼻についてきた。トドとエゾシカあたりからかもしれない。この頃は寿司なんかでも「火を通したもの」が好きになって、寿司屋のカウンターでその辺を見抜かれるほどになった。「とりあえずナマ!!」は、今やビールぐらいのものである。

 

 だって「ナマ」だなんて、どうしても生臭さが鼻につくじゃないか。「大学生」「受験生」「生徒」ならいいが、「大学ナマ」「受験ナマ」「ナマ徒」とくると、いやはやどうも困りモノだ。まあその辺はオフザケに過ぎないが、ナマに関する違和感は、あの1997年の夏あたりから始まったような気がする。

 

「ナマ授業」もその1つ。1980年代の終わり頃から、「ナマではない授業」が始まって、各予備校がスター講師をそれに抜擢した。代ゼミはサテライン、河合塾はサテライト、東進はサテライブ。当時ワタクシが在籍していた駿台は「サテネット21」。取ってつけたような「21」がちょっと恥ずかしかった。

   (ウィーンの動物園で、ナマのコアラと遭遇 3)

 

 しかし諸君、あの頃の駿台での今井君の立場は「まだ駆け出しの講師」「人気は先行しているが、生意気なだけ」というレベル。とても映像授業の晴れ舞台を担当させてもらえる段階ではなかった。「専任講師」という特権階級があって、その「専任」に任じられない限り、映像授業なんか夢のまた夢だった。

 

 1990年代前半、駆け出しの今井君と同様に人気急上昇中のセンセがもう1人いて、お名前がかなり特徴的だから「仮名」にするのも難しいのだが、とりあえず「大井師」ということにしておこう。

 

 今井とともに東大スーパーコースを担当し、人気も上々。今井と大井の2人を専任にするかどうかで、学校内部もかなりモメたらしい。専任になると、給料も2倍だか3倍だかになるという噂があって、「それなら」と今井君は盛り上がった。

 

 しかし「専任」は模試や教材の作成がズシリと負担になって、授業に集中できなくなりそうだった。授業に集中するか、給与2倍をとるか。専任になれば、憧れの映像授業担当にもなれるだろう。今井は悩み、ほぼ同じ立場の大井師も悩んだらしい。

 

 もっとも、大井師はすでに代ゼミでサテライン講師を経験なさっていた。サテラインの初代講師でもあり、ところが今井君と同時期に駿台に移籍してきていて、経歴は今井君なんかより遥かに上だった。

 

 毎週の福岡出張でヒーヒー言っていたまだ3年目の今井君に(スミマセン、前々回の続きです)、ある初夏の朝、「今井さん、今夜あたり1杯飲みに行きませんか?」と誘いの声をかけてくれた。

   (ウィーンの動物園で、ナマのコアラと遭遇 4)

 

 そこから大井師(仮名)との付き合いが始まって、ワタクシが代ゼミに移籍するまでの3年間、毎週月曜日の夕暮れから深夜まで飲み歩いた。「飲み歩いた」というか、最初から最後まで駿河台「山の上ホテル」内の老舗バー「のんのん」のカウンターに座り込んで、互いにロレツが回らなくなるまで飲んだ。

 

 話題はもちろん、「専任の話、受けますか」「模試作成をとるか、授業に集中する方をとるか」「でも映像授業はどうしても担当したいですよね」「ナマ授業、そろそろ疲れてきませんか?」「うーん」「うーん」「困りましたね」の繰り返し。ちょうどカクテルに夢中の頃で、「ナマ!!」の後はひたすらカクテルを注文した。

 

 マティーニにギムレットにサイドカー、バンブーにニコラシカにダーティーマザー。いやはや恥ずかしい時代だった。「マティーニをオンザロック・スタイルで」なんてのもやった。ヒエー、恥ずかしい。そういうカクテルの中に「ゆきぐに」があった。

 

「ゆきぐに」は、山形県酒田市のバーテンダー・井山さんの出世作である。先日、その井山さんが亡くなった。かつて山の上ホテル「のんのん」の小さなカウンターで「ゆきぐに」を痛飲していた今井君としては、もっと早く井山さんについて言及すべきだったが、お相撲に夢中になっているうちに言及の機会を逃した。

 

「今井先生には、ゆきぐにが似合いますよ」と、大井師に言われて初めて飲んでみたのだが、あれからカクテルの4杯目ぐらいに必ず「ゆきぐにをください」と口にするようになった。30年近い昔のことだ、若干の恥ずかしさはあるが、まあ許してくれたまえ。

   (ウィーンの動物園で、ナマのコアラと遭遇 5)

 

 そうやって2人で3年も同じ悩みで悩み続け、「のんのん」での飲み会の最終結論として、今井は代ゼミに移籍してサテラインに出まくる、大井師(仮名)は駿台に残って普通に講師を続ける、そういうことになった。

 

 1997年4月、ワタクシは代ゼミに移籍して、サテライン8コマを担当。ついでにCS放送スカパーで始まった「代ゼミチャンネル」で3講座、合計150時間も担当。映像授業まみれの日々が始まった。講師室で「ナマ!!」というヤンチャな声を聞いたのも、あの年のことである(この話題はおそらく明日明後日に続く)。

 

 最後に、やっぱり一言お詫びをしなきゃいけない。この話題で「ウィーン滞在記」のサブタイトルは明らかにヘン。しかしウィーンの動物園で「ナマのコアラに遭遇」ということで、「ナマ」の話題の一環とさせていただきたい。

 

 緊急事態宣言で外出できず、かつまだ梅雨ではない梅雨空でオウチに閉じ込められ、掲載すべき写真が完全に払底した。「ナマ授業か、映像授業か」、この話題でしばらく書き続けるが、まあ今回はナマ♡コアラ。ウィーン、20191226日、ボクシングデーの撮影である。

 

1E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & BerlinSCRIABIN SYMPHONIES 1/3

2E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & BerlinSCRIABIN SYMPHONIES 2/3

3E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & BerlinSCRIABIN SYMPHONIES 3/3

4E(Cd) SECRET OF ISTANBUL

total m110 y578  dd26418